サイバーパンク都市のイタマエが破門される話
「ダイゴロウ、てめえは破門だ」
ここはグレートヒョウゴ、セトウチっ子スシ本店。イタマエのダイゴロウは店の大将であるグレッグ・オサダに解雇を宣告された。
ダイゴロウの手から熱線銃が落ちる。今が好機とばかりにまな板に乗った切り身はうぞうぞと這いまわり、地面に逃げた。これではせっかくのオホーツクサーモンの炙りが台無しだ。
ダイゴロウの顔が真っ赤に染まる。
「なにいってやがるんだ大将! この店の花板を破門するだあ? いくらあんたがカリフォルニアで学んだっつったってふざけるのも大概にしろよ、馬鹿野郎!」
グレッグはあのカリフォルニアロールが生まれたスシの聖地、カリフォルニアで修行したスシ職人の一人だ。あの裏巻きのスシは江戸っ子にも認められた傑作である。
しかしダイゴロウにはグレッグよりも勝っている自信があった。カリフォルニアロールなど過去の遺物に過ぎない。古典的な材料・手法を使うことに拘るあまり、客を楽しませることよりも自分の腕前を見せつけるための自己中心的スシ握りだ。現にダイゴロウが大将を差し置いて花板の座を握っていることがそれを明らかにしている。
「ダイゴロウ、てめえのスシは粋じゃねえ」
グレッグが首を振る。ダイゴロウはこぶしを握りしめた。シャリが指の隙間からにじり出る。
粋……それはダイゴロウが最も嫌いな言葉だった。自分の腕前を説明することができない連中が好んで使う言葉である。
グレッグはあごひげを合金の指でいじりながら続けた。
「いいか、てめえのスシは培養水槽を使いすぎだ。遺伝子変換海老に遺伝子変換鰻、挙句の果てに遺伝子変換米だと? お前、最後にイセ=エビとやりあったのはいつだ? 培養ばっか使いやがって……てめえに和食料理人の最高峰たるイタマエの名を名乗る資格はねえ!」
「古いんだよジジイ! イセ=エビなんて一殻剥けばスッカスカじゃねえか! あんなのは見た目だけしか存在価値がねえんだよ! てめえと一緒だ! ネットであそこの大将はダメだって言われてんだぞ! 俺のスシのほうがてめえの何倍も旨いんだよ!」
ダイゴロウが怒鳴り散らし、唾がフェイスシールドにくっつく。喧嘩っ早いイタマエにとってフェイスシールドは神聖な板場を穢さないための必需品である。
「はん……てめえのスシのほうが旨い、ねえ……」
グレッグが不敵な笑みを浮かべる。ダイゴロウは怪訝そうな顔をした。
「なんだよ……? 事実じゃねえか。俺がこの店の花板だ。お前は店にカリフォルニアで修行したイタマエがいるって名乗るためだけのお飾りなんだよ」
「知ってんだぞ。てめえがスシに山葵入れてんの」
ダイゴロウの顔が真っ青になる。山葵はかつての梅の料理人戦争でヘロインを差し置いて条約禁止調味料に指定された伝説の調味料だ。そんなものをスシに混ぜたらどうなるか。想像もしたくない。
グレッグは肩をすくめた。
「条約禁止調味料を料理につかうたぁ、いい度胸だ。スシにすべてを捧げる根性だけは認めてやる。でもな、イタマエにもルールってものがあるんだ。てめえは破門だ。この店で二度と包丁は握らせねえ。家に帰って漁師にでもなるんだな」
漁師になる。ネタの捕獲から調理まですべてを行うことを誇りとするイタマエにとってこれほどの屈辱はない。まだ培養農家になってサラダを切っているほうがマシだ。
「ちっ! わかったよ。出て行ってやる。後悔させてやるからな」
花板たるダイゴロウが割烹着を脱ぎ捨てるのを、セトウチっ子スシのイタマエたちは憐れむように見ていた。
※※※※※
ダイゴロウは退職金をセトウチの海に投げた。宵越しの銭は持たない。ゆえにイタマエは電子の海に潜る。店売りのマルウェアなどに頼らず己の実力でイセ=エビやサーモンを餌で釣ったり、無意味な繰り返しさせてコントロールを奪い、ネタにする。理由はもちろん粋だからだ。
イタマエじゃなくなったというのに身についた習慣はなかなか抜けない。おかげで10年分の退職金を捨ててしまった。ダイゴロウは苦笑しながら海に背を向けた。
思えばこれは大将に最初に教わったイタマエルールだった。粋なんていう下らないことに固執し、効率を捨てる。料理をふるまうというサービス業の癖にお客のことなど微塵も考えてない独りよがりな料理人。
ダイゴロウはその矛盾が気に食わなかった。ゆえに培養水槽を使ってネタ探しの手間を省いた。培養水槽ではAIが自動でネタを育てるため、いつでも新鮮なネタが手に入る。そのおかげでセトウチっ子スシの最上部はダイゴロウのお品書きで埋まっている。花板たるダイゴロウに並ぶものはいないのである。
さらにダイゴロウはお客さんの笑顔を見るために醬油に山葵を混ぜ、お茶には昆布茶をつかった。山葵も昆布もスシへの使用は違法だ。味覚の処理速度を上げてリレーを焼き、スシのことしか考えられなくなる。しかし、お上のルールではなく板場のルールに従うのがイタマエだ。
イタマエのルールはすべて“粋“から出来ている。粋を失ったイタマエはイタマエではない。しかし粋とはなんだろう。お客を喜ばせることに全力を尽くすのは粋ではないのか。
粋なんてくだらないと思いながらも粋を求める自分がいる。
「“粋”……か」
ダイゴロウがそう呟いたその時、セトウチの海に悲鳴が響き渡った。
「誰かたすけてぇーー!!!」
思わず振り返ったダイゴロウの目に溺れるコマチの姿が飛び込んできた。
いや、ただ溺れているのではない……セトウチ=エチゼンクラゲに襲われている。
セトウチ=エチゼンクラゲは盆を過ぎた海に現れる。その髪の毛めいた毒手で人間を絡み取り、息の根を止めることから、海の幽霊とも称される魔物だ。危険度でいえばイセ=エビにも引けを取らない。
周囲でネタを探すイタマエたちはみな二の足を踏んでいた。無論、毒手を恐れてではない。クラゲのネタとしての困難性からだ。イタマエたるもの殺めた命はネタにしなければ粋でない。クラゲは体の98パーセントが水でできている。握ろうにもブヨブヨでシャリに乗らず、水っぽくて酢飯に合わない。その癖足が速いと来た。それが人間以上に大きいとあらば、容易に手を出せば今日の板場にはクラゲしか並ばなくなる。今日の稼ぎは水の泡と化すだろう。
しかしそれは並みのイタマエであったならの話だ。
ダイゴロウはすぐさまセトウチの海に潜した。久方ぶりの電子の海がダイゴロウの身を包む。セトウチはトーキョー湾に次ぐ半導体埋立地だ。オホーツクと違ってICE(侵入対抗電子機器)こそないものの、その波は簡単にサイバネティック水着を焼き切る。そんなセトウチの海にダイゴロウは裸でダイブしたのだ。心停止待ったなしである。
しかし花板たるダイゴロウは止まらない。一瞬でクラゲのもとにたどり着き、疑似包丁をたたきつけた。過負荷に陥ったクラゲが短絡する。ダイゴロウはクラゲをまな板で浜に打ち上げ、コマチを救助した。
半導体の海から上がったダイゴロウは砂浜に横たわるクラゲを袋に詰めた。特異電子知性量子生物はシュレディンガーの猫のように存在が不確かだ。セトウチにいる間はただの電子知性でしかないのに、イタマエによって前後不覚に陥ると現実世界に現出する。そんな特異な存在なのに食べるくらいしか役に立たない。
「大丈夫かい? お嬢ちゃん」
ダイゴロウはコマチの肩をたたいた。彼女が着ていた金襴緞子は相当な高級品だ。じゃないとセトウチの海に落ちて無事でいるはずがない。
コマチはゆっくりと目を開いた。その蠱惑的な瞳で彼女の出自が分かった。
ゲイシャだ。
ゲイシャは揚屋と呼ばれる独特のサイバースペースで客を持て成すコマチたちである。イタマエが半導体の海に潜るのに対し、ゲイシャたちは人間に潜る。その手練手管に対抗できる男はいない。ゲイシャはすでにダイゴロウのコネクタを掴んでいた。
「あんさんおおきに。どうやらあたしはあんさんに一目ぼれしたみたいやわぁ。どうかあたしの水揚げをしておくんなまし?」
ダイゴロウは罠に嵌められた。
※※※※※
ダイゴロウはとある料亭でスシを握っていた。むろん花板である。しかしダイゴロウに言わせればここは料亭ですらない。
この料亭では割高の料理を食べていたら都合よくコマチが現れて互いに恋に落ちるのである。後のことは知ったことではない。
猫の声のようなものが聞こえる中でスシを握るのはダイゴロウにとって屈辱だった。同じ花板といえど天と地の差だ。しかし惚れたコマチのためにスシを握らなければならない。コマチというのは時に山葵よりキマるのである。
今日も一人の男がダイゴロウの前に座った。ダイゴロウはうつむいたままスシを出す。しかし男はそのスシを返し、言い放った。
「俺は肴を荒らさねぇ。粋じゃねえからな」
ダイゴロウは思わず顔を上げた。そこにはありえない人物がいた。
「大将……」
かつての大将はダイゴロウを現役さながらの厳しい瞳で射抜いた。
「なにシケた顔してやがんだ、ダイゴロウ。仕事がいごきなきって仕方ないってか」
「……何しに来たんだよ」
大将は肩をすくめて、ため息をついた。
「ったく、てめえが初めてウチの店に来た日のことを覚えてるか? せっかくのスシを味噌汁にぶちこみやがったんだ。あの時は心底ムカついたもんだよ」
ダイゴロウが職にあぶれて腹をすかせていた時、宵越しの金を捨てるためと奢ってくれたのが大将だったのだ。
「でもな、俺はてめえの独創性にとーんときた。こいつは粋だってな。だから雇ったんだ。でも今のてめえからは何も感じねぇ」
そういって大将は一杯の味噌汁をダイゴロウの前に置いた。
「これで顔洗って出直してきな」
味噌汁で顔を洗うとは、イタマエにとって洗礼を意味する。一からやり直せと言うことだ。そして、やり直すチャンスを与えるということでもある。ダイゴロウは呟いた。
「大将……あんた……粋だよ……」
手銭を捨てて席をたった大将の背中にダイゴロウは叫んだ。
「大将!! 次に会うときに俺は最高のスシを持ってくる! もしそれにイタマエの魂を感じたら俺を追い回しからやり直させてくれ!」
大将は立ち止まり、少しだけ振り向いてニカッと笑った。
※※※※※
ダイゴロウは料亭を辞めた。ヤクザに追われることになるがイタマエにとってそんなことは些細な問題だ。
イタマエの魂、それには最強のネタが必要だ。ただのスシを作るのは粋じゃない。故にダイゴロウの足はセトウチには向かわなかった。
ダイゴロウには一つ、目星がついていた。グレートヒョウゴのコウベと言われる土地にはとあるブランド特異電子知性量子生物がいる。
死闘の末、ダイゴロウはそれをネタにした。ダイゴロウはもう二度と入るまいと思っていたセトウチっ子スシ本店の扉を開けた。大将の厳しい顔がダイゴロウを出迎える。
ダイゴロウは自信満々に大将の前に向かった。大将は無言でしゃもじでシャリを差し出す。それをダイゴロウは受け取り、握った。
「これが俺の最高のスシ……!!!」
ダイゴロウは渾身のネタを乗せ、まな板に叩きつけた。
「コウベ牛ハンバーグ握りだ!!!!!」