感情クリーナー
私はレストランの個室で遅刻している友人を待つ間、抱えている仕事に対する憂鬱を吸い取るために握りこぶしより一回り小さい、球体型の装置をこめかみに押し当てていました。
この装置の名前は「感情クリーナー」。人間の持っている悪感情を吸い取り、健康的な生活を送ることができるよう政府が開発した機械です。ダイヤルを操作することで怒り、悲しみ、恨み、不安など様々な感情を除去することができます。
騒がしい足音が徐々に近づき、へらへら笑いながら腐れ縁の友人が扉を開けて現れました。
「悪い、悪い。昨日夜更かししたせいで寝坊した」
「まったく、相変わらずだな」
向かいの席に着き、コップに注がれた水を飲み干すや否や、目を怪しく輝かせ、若干声を潜めて話し出す友人。
「夜中に掲示板眺めてたら、すっげえ面白い話見つけたんだよ……最近めちゃくちゃ流行ってる、ラフメイクって栄養剤あるだろ? あの中に、感情クリーナーで吸い取った楽しさとか嬉しさとか、やる気を密かに注入してるってカキコミがあったんだよ」
「いや、そもそもコレにプラスの感情を取り出すような機能ないだろ。あったら大問題だ」
いまだ自分の側頭部に当て続けているクリーナーを指差し、私は反論しました。
「だから市販されてる製品版じゃなくて、特別な改造版があるんだって」
「たとえそんなものがあるとしても、自分から幸せな感情をわざわざ捨てるような奴がいるわけないじゃないか」
「……文句が世間に届かない、拒否できない人間から強制的に搾取するんだ……刑務所の囚人みたいな」
怪談話でもするかのような口調の友人。私は呆れて首を振ります。
「はあ……ガキの頃から好きだったよな、そういう陰謀論」
「いや、これ絶対マジだって! 俺もなんかあの栄養剤は怪しいと思ってたんだよ……あれ……うう……おかしいな……」
「……信じるだけなら良かったのに、なんで人に話すかなあ……本当に馬鹿だよ、お前は」
睡眠薬が効き始めて、意識を失った友人を見つめながら呟きました。あと2,3分もすれば護送隊がやってくるでしょう。
政府から支給された特注クリーナーのおかげで、たとえ20年間付き合いのある友人を騙して刑務所送りにしても、ひとかけらの罪悪感も覚えるはずはないのに、心の奥底に吸い取りきれない澱みのようなものが溜まっているような気がして、私はそっと溜息をこぼしました。




