第6話 -慟哭 IV-
新しい家へと戻った俺は、再び勉強だけのつまらない毎日を送った。
引越しして半年が経った頃だっただろうか。俺宛に一通の手紙が届いた。滅多に来ることの無い手紙に、誰からか差出人も思いつかない。とりあえず封筒を裏返してみる。
すると、横封筒の裏面右下には、小さく『真奈美より』と書いてあった。
珍しい。真奈美が俺に手紙なんて。でも一体なんだろう?
そう思いつつ鋏で封筒を開け、手紙を読んでみる。なになに?
『遼ちゃん元気にしてますか?真奈美です。前に会ってから、結構経ちますね。そっちの生活にもだいぶ慣れたんだろうなぁ。
全然電話来ないし。もしかしたら彼女でもできちゃった?いや、そんな事はないか(笑)。まぁ、そんな事はどーでもいいとして。最近、香奈と二人で日帰りでちょっと遠出をしようって話で盛り上がっていて。それで、もしよかったら遼ちゃんも一緒にどうかなと思って連絡しました。
とりあえずその話がしたいので電話下さい。っていうか、たまには電話しなさい。 真奈美より』
なるほど。電話しなさい…か。って、なんで俺は手紙でも文句言われなきゃいけないんだ。
電話であれば文句の一つも言えるのだが、手紙とあってはさすがに文句も言えない。連絡してない俺も悪いといえば悪いな。まぁ、手紙の文句は電話した時にでもお返ししてやろう。
それよりも折角わざわざ誘ってくれたんだ。行く手筈を整えなければ。
俺はすぐ真奈美に連絡を取り、会う日取りなどの詳細を確認した。当時自由のなかった俺は、同居人に交渉し、なんとかその日だけは特別に外出を許してもらった。
全てが決まった俺の胸は高鳴った。久しぶりの自由な時間。知らない土地。誰にも邪魔されず3人だけで過ごせる時間。全てが俺にとって楽しみになった。
しかし、俺の胸を一番高鳴らせていたのは、久しぶりに香奈に会える…その事だった。
今思い返せば、この時俺は、既に香奈の事を好きになっていた。香奈は俺の中で、妹的存在から一人の女性としての存在に確実に変わっていた。
当日、俺は逸る気持ちを抑えながら駅へと向かった。向かう車中、『何をしよう?何を話そう?』と、その事ばかりをずっと考えていた。
時折自分の頬が緩んでいるのがわかった。ニヤついているというやつだ。周りから見ると不振に見えたであろう。だが、そんな事はお構い無しだ。
楽しい事を考えていると、長い電車の旅も苦痛ではなかった。
駅に着くと、改札の向こう側に真奈美と香奈が既に待っていた。改札を出て二人のと所へ向かう。心の中は喜びが今にも溢れ出しそうにも関わらず、そんな素振りを見せないように一生懸命普段通りに振舞った。
「おー!久しぶり。元気だった?」
とりあえず、無難に再会の挨拶をする。しかし、ぎこちなさが滲み出てたのか真奈美にいきなり、
「いや、久しぶりはいいんだけど、何そんなにニヤけてんの?気持ち悪いよ?」
と突っ込まれた。どうやら、滲み出ていたどころか、思いっきり顔に出てたらしい…。
香奈も、
「遼さん…。変ですよ。」
と苦笑いを浮かべながら俺に言った。ま、まさかそこまでだったとは…。とりあえず弁解を試みる。
「いや、俺、実は今日の事すっごい楽しみにしててさ!二人が見えた瞬間、嬉しさのあまりに走って行こうとも思ったんだけど、ほら、周りに人いっぱいいるだろ?それもどうかなと思って、普通に行こうかなとかそうこう考えてるうちにこんな風になっちゃったんだよ。」
そう言うと真奈美は、
「だったらまだ走って来てもらった方がマシよ。ニヤニヤしながら寄って来られる方が余計に困るわ。」
とザックリ俺を切り捨てた。弁解失敗。ぐうの音も出ない…。そりゃ、待ち合わせで知り合いがニヤついて寄って来たら誰でも嫌ってもんだ。
何とも言えない表情を浮かべていた俺を察してか、香奈は、
「まぁいいじゃない。遼さんすごく楽しみにしてたって言ってくれてるんだから、ねっ。こんな所で立ち話しててもなんだし、早く行きましょう!」
真奈美に俺のフォローをしつつ、先を急がせた。真奈美も大してその辺りは気にも留めてなかったのか、
「そうね。」
と、一言だけ言い残し、歩き始めた。それから3人は、行ったことのない街をあちこちと歩き回った。
ショッピングをしたり、ランチをしたり、街を探索したり。いろんな話をしながら、俺達は初めての時間を思いっきり楽しんだ。
この日のコースは、真奈美と香奈の二人で決めてたらしいのだが、そのコースの中にとある公園が入っていた。どうやらその公園は、その土地ではかなり有名で大きな公園らしく、どうしてもその公園に行きたかったらしい。
まぁ、時間もあることだし、その辺はお付き合いしましょう。
ということで、3人でその公園へと向かった。
公園に着くと、そこにはサークル状の大きな広場があった。
周りを見渡すと、そこはカップルだらけ。なぜ二人はこの場所を選んだのだろう?俺には全く見当もつかなかった。
俺は傍にいた香奈に聞いてみた。
「あ、あのさぁ…。ちょっといいかな?周りをみると、かなりのカップルだらけなんだけど、二人はなんでここを選んだの?」
「ここですか?この公園がデートコースで有名なのは知ってたんです。それで、このまえ真奈美と話をしてた時に、お互い彼氏ができたら行きたいよねって話になって。じゃぁ、どうせなら下見しに行こうよって事になって、それで来たんです。おかしな話ですよね、デートコースの下見なんて。」
と少し照れくさそうに言った。そんな話をしていると、先を歩いていた真奈美が座る場所を見つけたのか、俺達二人を大声で呼んでいる。それと同時に周りの数組のカップルが俺達3人に目を向ける。なんとも恥ずかしい。
俺達は急いで真奈美の方へと向かった。
サークル上になった広場は一面数段の階段状になっていて、その空いてる場所へ腰をかけた。周りを見渡すと確かにカップルばかりだが、落ち着いて話すには結構いい場所だ。
座っていると、時折小さな風が吹く。なんとも心地好い。誰が話し始めるでもなく、3人とも暫く静かな時間に浸っていた。するとまた、突然真奈美が思い出したかの様に声をあげる。
「アタシ、喉渇いた!ちょっと飲み物買ってくる!」
なんとも自由人だ。
「お前なぁ、それなら早く言えよ。来る時に買えばよかっただろ?」
「さっきは飲みたくなかったの!今飲みたいんだもん。そんな事言うと遼ちゃんの分買って来ないからね!香奈はなんか飲む?」
んー、それは困る。折角のご好意だ。ここは素直に謝って買ってきてもらおう。
「ゴメン、ゴメン。悪かったよ。それなら冷たいお茶買ってきてくれるかな?」
「あら、素直じゃない?わかればよろしい。香奈は?」
「じゃぁ、私もお茶で。」
「了解!」
真奈美は俺達に向けて親指を立てて腕をグッと差し出し、ウィンクをすると振り返り、鼻歌交じりで機嫌よく飲み物を買いに行った。
「相変わらず自由な奴だな…。」
俺がボソッと呟く。その呟きは香奈に聞こえていたらしく、
「まぁ、真奈美らしくていいんじゃないですか?」
と笑って言った。
「あ、聞こえちゃったか。まぁ、確かに真奈美らしいよね。俺も嫌いじゃないよ。」
と笑いながら返す。
ひとしきり盛り上がり、何気なく香奈を見つめた瞬間、ふと二人きりになっているのに気がついた。
香奈もその状況に気がついたのか、顔を背けるように正面を向いた。
暫く沈黙が続く。
俺はこの状況を打開しようと、とりあえず話し掛ける。
「そういえば、こうやって会うのってホント久しぶりだね?」
「そうですね。前に遼さんが地元に帰ってきた時は、私が都合が悪くて会えなかったから。ホントにごめんなさい…。」
「あー、謝らないで。俺そんなつもりで言ったんじゃないから。」
謝られた俺は困惑する。とりあえず俺は話をすり替える。
「そういえば、最近はだいぶ落ち着いた?前は相当元気なかったみたいだったから。」
「最近はやっと落ち着いてきました。仕事にも結構慣れましたし。あの頃は失恋のショックもあったり、いろいろ重なってすごく落ち込んでたんですけど、今は仕事が忙しくて落ち込むどころじゃなくて。気がついたら彼の事は吹っ切れてました。今は仕事に夢中って感じですかね。」
「そうか。元気になったんだね。よかった。俺も真奈美も結構心配だったからさ。」
「ありがとうございます。私、あの時二人と電話で話したとき、すごく嬉しかったんです。二人から元気貰ったって感じで。」
「なぁに、気にすることないさ。友達だったら心配するのは当たり前じゃないか。」
と笑って返す。香奈も同じように笑っていたが、ほんの一瞬、香奈から冴えない表情が垣間見えた。
なぜそんな表情がでたのかわからなかったが、俺はとりあえず会話を進めた。
「あっ、そういえばこの前携帯電話買うって行ってたけど、もう買ったの?」
「あれっ?遼さん知らなかったんですか?私、ちょっと前に携帯買ったんですよ。真奈美には遼さんに私の番号教えといてって頼んでおいたんですけど?」
「えっ、そうなんだ?全然知らなかった…。俺、今回の話が来るまで、真奈美に全然電話してなかったから。」
「そうだったんですね。じゃぁ、ちょっと待ってくださいね。」
そう言うと、香奈はバッグから携帯を取り出し、俺に見せた。淡いピンク色の携帯で、いかにも女の子が選びそうな感じだ。
香奈は携帯を見ながら嬉しそうな顔を…というよりは、ニヤついている。真新しい携帯と、携帯電話を持った事が余程嬉しいのだろう。
ほんの一瞬で自分のにやけ顔に気がついたのか、すぐ我に返り俺に目をやった。香奈は自分の緩んだ顔を見られたのを察したのか、気まずそうに、
「見てました?」
と聞いてきた。その問いに対し、勿論その顔を見過ごさなかった俺は、
「見てた。」
と満面の笑みで返した。そう返すと、香奈は小恥ずかしそうに携帯を触りだした。そして、何もなかったかの様に会話を続けた。
「後で忘れちゃうといけないんで、今、番号教えときますね。メモとかって持ってます?」
「いや、何も持ってないや。」
「そうですか。それなら私メモ持ってるんで…。あっ!」
再びバッグの中を探し出した香奈が、突然声をあげた。そして困った表情をしている。一体どうしたのだろう。とりあえず聞いてみる。
「ど、どうしたの?」
すると香奈は、照れくさそうに答えた。
「いや…。そのぉ…。メモ、忘れちゃいました。」
俺は噴出して笑った。香奈にしては珍しい一面を見せた。普段はしっかりしている香奈も、たまにこういうことがあるらしい。
こういう普段見せない一面が見れると、可愛らしく見えるものだ。暫くはオロオロしていたものの、何かを思いついたのか、再び俺を見つめた。
すると、香奈は一瞬ニコッと微笑んで、いきなり俺の手首を掴んだ。そして、俺の手の甲にペンを近づけた。
「ここに書きましょう!ここなら失くさないし、家に帰るくらいまではもちますよね?」
と言って携帯の番号を書き始めた。ペンがなかなか着かないせいか、ペン先が何度も俺の手の甲を往復する。さすがに痛い。しかし、この痛みも、俺にとっては嫌な痛みではなかった。
携帯番号を書き終わると、笑みを浮かべながら俺に向かって言った。
「これでやっと直接連絡とれますね。今までは実家の番号だけだったから、なかなか電話かけ辛かったと思うんですけど。この携帯は私しか出ないんで、地元に帰る時は直接連絡下さいね。あ、別に帰る時だけじゃなくても、いつでもいいんで。」
「わかった。連絡するよ」
と返した。この後も、俺達は時間を忘れ二人で話をした。
俺は、前からどうしても気になっていた事があった。それは、以前香奈に電話をした時に「遼さんに会えたらもう一つ話したい事があったんですけど…。」と言っていた事だ。
大した事でなければいいのだが、どうしてもそれが気になっていた。俺は意を決して切り出す事にした。
「香奈ちゃん、あのさぁ、この前電話で言ってた事なんだけど…。」
と、香奈の方を向くと、香奈は正面を見つめ若干険しい表情になっている。視線の先を見ると、そこにはとあるカップルと、それを取材しているテレビクルーの集団らしき人達がいた。
カップルは笑顔で取材陣の問いかけに答えている様子だ。しかし、なぜその光景をみて険しくなるのかがわからなかった。
再び香奈の方に視線をやると、香奈はそのカップルの方を向いたまま口を開いた。
「ま、まずいです…。」
「えっ?何が?」
「とにかくまずいんです!この場から離れましょう!」
「えっ、えっ?」
香奈は俺の手首を掴むと即座に立ち上がり、俺を引っ張るようにして走り出した。何がなんだかさっぱり解らない。
俺は言われるがまま、とりあえずついて行った。広場から離れ、テレビクルーが見えなくなると、香奈は歩き出した。とりあえず大丈夫らしい。しかし、俺にはさっぱり状況がつかめない。俺は香奈に問いかけた。
「あ、あのさぁ、いきなり走り出したけど、どうしたの?」
「ごめんなさい、急に走らせちゃったりして…。」
香奈は申し訳なさそうな顔をして続けた。
「実は、今日の事は親に内緒にしてるんです。家の親がすごく厳しくて、女の子二人で旅行に出かけるなんてダメだって言うんです。いい加減子離れして欲しいんですけど。」
「あ、そうなんだ。」
「今日はどうしても来たかったし、万が一ですけど、あんな風にインタビューされてテレビに映ってばれたら親になんて言われるか…。」
「そうか。出かけるのも一苦労だったんだね。ま、うちも似たようなもんだけどさ。」
そう言うと香奈は、
「でも、いいんですよ、バレなきゃ。」
と言い、同時に小悪魔的な笑顔を見せた。俺もその笑顔につられて笑った。二人して笑っていたが、次の瞬間、俺達はある事に気づく。
そう、真奈美だ。真奈美がいないのだ。飲み物を買いに行くと言ったまま戻ってきていないのだ。二人とも話しに夢中になっていて、真奈美の事はすっかり忘れていた。
一体どこへ行ったのやら。俺は、真奈美がさっきの広場に戻ってないか確認しにいくが、真奈美の姿は見当たらない。
その事を香奈に伝えると、香奈は携帯で真奈美へ連絡を取り始めた。話を聞いていると、どうやら真奈美はとあるブティックで服を見ていたらしい。
まったく…。俺達の飲み物はどこへいったのやら。
俺と香奈は、真奈美と合流するために待ち合わせ場所へ向かった。
待ち合わせ場所には真奈美が先に到着していた。真奈美は俺達を見つけると、俺達に向かって笑顔で大きく手を振った。
俺は呆れて物も言えないと思いつつも、普段の癖からか、ついつい口を開いてしまった。
「お前、何やってんだよ。」
「飲み物買いに行ってたら、可愛いお店が結構あって。眺めてるうちについフラフラと。」
「フラフラとじゃないよ。だいたいお前はなぁ…。」
そういうと、真奈美は俺の口を塞ぐかの様に言葉を被せてきた。
「あー、はーいはい、遼ちゃんの言いたい事はわかったから。ごめんごめん。それより、もうすぐ帰る時間だよ。」
「えっ?もうそんな時間なのか?」
真奈美に言われて時計を見ると、時刻は既に17時を回っていた。気がつくと、かなりの時間が経っていた。一瞬3人はそれぞれ物寂しげな表情を浮かべた。
「帰りたくない。」皆そう思ったのだろう。一瞬沈黙が走る。真奈美は皆の雰囲気を察したのか、笑顔で一言、
「行こう!」
と言い、それぞれ駅へ向かった。
真奈美と香奈は二人で楽しそうに話しながら俺の前を歩いている。俺はその後ろを、一人物思いにふけりながら歩いていた。あれだけ二人で話していながら、結局肝心な事は聞けなかった。前から気になっていた事だが、香奈は一体俺に何を話したかったんだろう。
前の電話で香奈が口にした一言がどうしても気になる。しかし、タイミングを逃した今となっては聞くに聞けない…。
まあいい。今度電話する時にでも聞こう。
そんな事を考えながら歩いていると、前を歩いている二人は1軒のお土産やへと立ち寄った。
二人はそれぞれ何を買おうかと模索している様だ。俺は土産を渡す宛てもないので土産は買わず、一人店の入り口で通りの人々を眺めていた。
すると、土産を買い終わった真奈美が、サッと寄って来て俺に話しかけてきた。
「遼ちゃん、公園で香奈と何話してたの?」
「なんだ、お前か。何話したって、別に他愛もない話だよ。ここ最近全然会ってなかったから、お互いの近況とか。」
「そんだけ?」
「ん?あー。あと、香奈ちゃんが携帯買ったからって携帯番号教えてくれた。」
「で?」
そう言いながら、真奈美は俺の顔を覗き込む。
「『で?』ってなんだよ?それだけだよ。まぁ、俺もいろいろと聞きたいことはあったんだけど、ちょっとしたトラブルがあって結局聞けなかったんだよ。」
すると真奈美は、もの凄い形相で突然怒り出した。
「もーっ!何よそれっ!たったそれだけなの!?」
「えっ?なんだよ真奈美、急に怒り出して!」
「なんだよじゃないわよ!こっちはわざわざ…。」
そう言っていると、買い物を終えた香奈が、何かあったのかという顔をしてこっちへやってきた。
「二人ともどうしたの?」
「いや、どうしたもこうしたも、急に真奈美が怒り出してさぁ。」
俺がそういうと真奈美は、
「怒ってないわよ!行こう!」
と言って、一人駅に向かって歩いていった。
どこからどう見ても、完全に怒っている。しかし、俺と香奈には真奈美が怒っている理由がさっぱりわからない。
俺と香奈は不思議そうに顔を見合わせた。そして、香奈は怒っている真奈美が気になったのか、小走りに真奈美を追いかけて行った。
『俺、何かしたか…?』と頭の上に疑問符をつけたまま、駅へと向かって二人を追った。




