第5話 -慟哭 III-
帰国後の再会から、俺達は再び頻繁に会うようになった。
時間を持余していた俺は、機会を探っては真奈美のPHSに連絡し、二人が帰ってくる頃に駅で待ち合わせをして会っていた。
本来であれば、香奈にも直接連絡をして誘えばよいのだろうが、再会した時に貰った番号は自宅の番号で、その当時の俺には香奈の自宅に電話をかけるなどの勇気は微塵も持ち合わせていなかった。
三人で会って何をしていたかと言うと、今となってはこれといって覚えていない。きっと、これまでに過ぎ去った時間が当時の記憶を薄らいでいったのだろう。
いつも何気ない会話で盛り上がっていた記憶は残っている。
そこに沢山の笑顔が溢れていた事も、そして、それが楽しかった事も。そんな中で俺は、会う度に香奈に惹かれていく自分がいることに気づいた。
しかし、その香奈に対する気持ちが恋なのかは、自分自身わからなかった。
「俺はもしかして香奈の事が好きなのか?」
幾度か、自分の心に自問自答する。しかし、確信が持てなかった。それは何故だかわからない。真奈美も香奈も、俺の中では既に俺にとっては妹的存在になっていた。しかし、香奈に対してはそれとは別の感情があったのは間違いない。
これが香奈に対する「恋」という気持ちであれば、俺はそれを留めるべきなのか、それとも自分自身素直に伝えるべきなのか。結局の所は自分自身の気持ちに確信が持てず、日々葛藤に悶えながら暮らしていた。
でも、それでも楽しかった。
しかし、俺は親の勝手で俺だけ他県へと移住する事となった。帰国して約1ヶ月程…それは突然の知らせだった。俺は親に対して移住する事を只管拒んだ。なぜならば、やっと取り戻せた生活をまた失いたくなかったからだ。だが、この当時の俺は全てにおいて無力に等しい生き物だった。親に対して抵抗をしようが、そんなものが受け入れられる筈もなく…。
俺は、二人に別れを告げる事もなく、隣県へと越したのである。
突然始まった新しい生活。当初は勿論知り合いなどもおらず、つまらない生活を送っていた。しかし、日を追う毎に新しい環境にも慣れ、それなりの生活を送っていた。
新しく出来た友人とも、馬鹿をやったり、語りあったり、それなりだった。しかし、俺にはどうしても地元での生活が忘れられなかった。隣県とはいえ距離的に遠く、なかなか帰る事ができなかった。移住先では諸事情によりバイトをする事も許されず、ひたすら家に篭る毎日だった。その為、手元には実家に帰るための金すらなかった。地元に帰るのは2,3ヶ月に1度、許された時のみだった。
地元に帰る時は必ず真奈美に連絡していた。
また、以前みたいに3人で会えれば…。というよりは、寧ろ3人で会える…そう思っていた。だが、状況は時と共に大きく変わっていた。
真奈美と香奈は学校を卒業し、二人ともそれぞれ別々の道を歩み始めていた。真奈美は看護師になり、香奈は地元の企業に就職した。それぞれ仕事を始め互いに忙しくなり、真奈美と香奈の二人でさえ会う機会は少なくなったという。
この時点で俺は、「もう以前みたいに3人で楽しくやれる事はないんだ…。」そう悟った。
それでも、俺は地元に帰る時は必ず真奈美に連絡を取った。
地元に帰ったある時の事。この日は香奈は仕事の都合で来れず、真奈美と二人で会った。
この頃になると、車を持っていた俺が迎えに行き、真奈美を拾った後は宛ても無くただ車を走らせながら車中で語り合う…というスタイルが定番となっていた。
この日も真奈美を拾い、いつも通り車を走らせながら、なんだかんだと真奈美のくだらない話を聞かされる。すると、真奈美が突然アッと声をあげ、今まで話した話を遮り切り出してきた。
「そういえば随分前の話だけど、香奈、彼氏と別れたんだって。連絡貰った時は泣いてすごく落ち込んでてて…。あの子、余り自分の事を話すタイプじゃないから、その話聞いたとき私もビックリして…。」
そりゃ、いつもお前といれば、自分の事話すタイミングなんてないだろう…と内心思いながら俺は、
「そうなのか、それは残念だな。」
とだけ答えた。すると、続け様に真奈美が、
「それに、最近仕事でも上手くいかないって、結構落ち込んでて…。それからはあの子、よく3人でいた時の事話すようになったんだよね。多分あの時の事がよっぽど楽しかったんだろうね。っていうか、私もあの頃はすごく楽しかったけどね。」
「そうだな。俺もあの頃はすごく楽しかったよ。今、ここに香奈ちゃんがいないのも、ちょっと淋しいもんな…。」
「あっ!じゃぁ、今から香奈に電話してみようよ!もう、家にいるかもしれないし。」
というと、真奈美はバッグから自分の電話を取り出し、すぐさまダイヤルした。
ふと、車載の時計をみると、もう22時を回っていた。ダイヤル中の沈黙が続く。数秒後、真奈美の声が響きだした。会話を聞くと、相手が香奈だという事はすぐにわかった。真奈美も香奈も久しぶりの電話だったらしく、かなり盛り上がっていた。俺は真奈美の声を運転席で聞きながら、宛ても無く車を走らせ続けた。
二人の会話は続く。
続く…。続く…。かれこれ10分程話しているだろうか?一向に話が終わる気配はない。会って話した方が全然いいのではないかと思うが、夜も遅いためそういうわけにもいかない。
その間俺はずっと車を走らせる。時折暇そうにしてる俺を見ては、真奈美が一言二言俺に話を振ってくる。が、それにしても暇だ。
一人黙々と車を走らせていると、突然隣から真奈美が
「あっ、じゃぁ、代わるね。」
といい、真奈美が俺に電話を差し向ける。
「ハイ、遼ちゃん電話。香奈が代わってって。」
笑顔で俺に電話を渡そうとする。
一体コイツはどういう神経をしてるんだ?どうみても俺は今運転中で、電話になんて出れる状態ではないのに。
そんな状況の読めない真奈美に対して、少し苛立ちを覚えて返事をする。
「お前なぁ、俺が今どういう状況か解るか?見てみろ。俺、ハンドル握ってんだぞ?どうやって代われって言うんだよ。」
そう返すと、真奈美は持っていたPHSを再び耳にあて、香奈に向かって話し始めた。
「香奈〜。遼ちゃん電話代わりたくないんだって〜。冷たいよねぇ〜。」
俺は真奈美が発した台詞に驚き、運転しながらも横目で真奈美を見た。すると、真奈美は「してやったり」的な顔をして俺を見た。
そして俺を見ながら続け様にこう言った。
「会えないから電話でもって言ってるのに〜。車ぐらい止めればいいじゃんねぇ〜。」
真奈美は更にニヤつきながら、しかもまともな言葉を返しやがった。
ちくしょう…ふざけやがって…。
苦虫を噛み潰したような顔で俺は真奈美を睨む。そして、渋々ながら俺は返事をする。
「わかったよ、止めりゃいいんだろっ!」
俺はとりあえず、車を止めれそうな所を探す。その間も、真奈美はニヤニヤしながら俺の事を茶化している。俺は通り沿いにコンビニを見つけ、駐車場に車を停めた。
車を停めたはいいものの、二人の会話が終わりそうにない。
「やれやれ…。」
といった表情をして、煙草に火をつけようとする。すると真奈美が、
「ちょっと待ってね。」
と言って、俺に代わった。
あまりの急な事に俺は焦った。何を話せばいいのか。心の準備ができていない。電話を握って出てきた言葉は、
「も、もっ、もしもし?」
なんとも情けない。初心な学生じゃあるまいし。あまりの焦りように香奈も、
「遼さん、大丈夫ですか…?」
と不思議そうに答えた。俺はすぐに落ち着きを取り戻し、会話を続けた。
「あ、ゴメン。真奈美が急に電話渡すもんだからビックリしちゃってさ。久しぶりだね。香奈ちゃん、元気にしてた?」
「はい、めちゃめちゃ元気でしたよ!…って言ったら嘘になるかな。真奈美から色々と聞いてると思うんですけど、彼氏と別れたり仕事が上手くいかなかったりで、ここ暫くずっとへこんでて…。」
「うん、聞いたよ。なんか大変そうだね。」
それから暫く、香奈の近況報告が続いた。最初は少し沈んでいる様子の声だったが、話をしているうちに、次第に明るさを取り戻していくのがわかる。
隣では、真奈美がニコニコしながら俺の会話を聞いている。
どれ程話しただろう。久しぶりの会話に時間を忘れていると、隣で真奈美が剥れ始めた。これはマズイと思った俺は、話を終わらせるように切り出す。
「あ、香奈ちゃんゴメン。折角話が盛り上がってる所なんだけど、隣で誰かさんが膨れっ面になってるんだよね。後が恐いから、そろそろ代わるね。」
「えっ!そうなんですか!確かにちょっと話込んじゃいましたね。今日会えてたらもっとゆっくり話せたのに…。ホントすみません。」
「あ、謝らなくていいよ。また、帰る時は連絡するからさ。家にはちょっとかけづらいけど…。」
そういうと、香奈は思い出したかのようにこう言った。
「そういえば、私今度電話買おうと思ってるんです!就職もしたし、電話があると何かと便利ですし。あっ!電話買ったら番号教えますね。」
俺は香奈の無邪気な声になぜか笑顔がこぼれた。そして、
「ありがとう。楽しみに待ってるよ。」
と返事をした。すると、まだ何か言い足らなそうな香奈が話し始めた。
「それと…。」
「どうしたの?」
「本当は、今日遼さんに会えたらもう一つ話したい事があったんですけど、会えなかったんでまた今度にします。」
思わせ振りな言葉だったが、今聞いても答えないであろう事を察した俺は、
「そうなんだ。なんだろう?気になるけど、真奈美が剥れてるから、また今度だね。」
「次のお楽しみって事で。」
「了解。」
そう言って、電話を真奈美に返した。
電話を渡した後、俺は再び車を走らせた。真奈美はまた香奈と話し出したが、すぐにで電話を切った。
電話を切った真奈美はすぐに話しかけてきた。
「今日はありがとうね。香奈、すっごく喜んでたよ。最近ずっと落ち込んでたから心配だったんだよね。でも、遼ちゃんのおかげで元気になったみたいだし。」
「お役に立ててなによりです。」
「二人でどんな話したの?」
「お前、横で聞いてただろうよ?香奈ちゃんの近況報告だよ。真奈美からも少しは聞いてたけど、いろいろ悩んでるみたいだったな。後半はいつも通りの他愛も無い話さ。」
「そうなんだ。それだけ?」
「うん、それだけだよ?てか、何勘繰ってんだよお前?」
「いえ〜。べつにぃ〜。」
「なんだよ、気持ち悪いな。あ、そういえば香奈ちゃん電話を買うとかって言ってたぞ?」
「あ、そうなんだ!それなら私も教えてもらわなきゃ!」
そう言った後、真奈美はこれといって深くは突っ込んでは来なかった。しかし、心なしか残念そうな表情が伺えた。
俺にとってはその表情の方が気になったが、俺もあえてそこには触れなかった。
俺はこの後、真奈美を家の近くまで送り届け、そして別れた。そして翌日、俺はまた自由の無い牢獄のような家へと帰って行ったのだった。




