第3話 -慟哭 I-
第3話からの -慟哭- は中編のシリーズものとなっています。
主人公である遼の電話にまつわるエピソードです。
「ただいまぁ…。」
玄関を開けても誰もいない部屋に小さくこだまする。東京に来てもう十年近くが経とうとしている。毎日毎日満員電車に揺られて会社に行き、朝早くから夜遅くまで、キーボードのカチャカチャという音と戦っている。そんな平凡な毎日を送っているしがないサラリーマンだ。
そんな俺だけど、彼女もフツーにいて、こと生活に困るわけでもなく、ただ、平々凡々と仕事に明け暮れ生きている。
このまま過ごしていれば、今の彼女と結婚して家庭を持ち、会社でもフツーに出世して…と、何も変わらず過ごしていくんだろうな…とそう思っていた。
…あの1本の電話がくるまでは。
とある平日の夜のこと。
俺はいつもの様に残業をして帰宅した。誰もいないとわかっている玄関を開けて、「だだいまぁ〜」と呟き、部屋の電気をつけ、床に腰を降ろす。疲れきった体を癒すために、無言でそのまま横たわった。
すると次の瞬間、スーツのポケットに入れっぱなしにしていた携帯電話が、バイブ音を立てだした。
「こんな時間に誰だ?あっ、彼女からかな?」
彼女との電話を日課としていた俺は、彼女からの電話かと思いながら面倒臭そうに倒した体を起こし、手をスーツのポケットに入れ、携帯を探す。
携帯を探り当て握り締めた瞬間、携帯は静かになった。携帯を開くと画面には「着信」を示すマーク。着信画面を開くと、そこには見知らぬ携帯番号が表示されている。
「おいおい、こんな時間に掛け間違えか?」
と独り言を呟く。
普段なら知らない番号など気にも留めずそのまま削除する俺だが、この時は何を思ったのかその番号にリダイヤルをした。これといってその番号が気になったわけでもなかったのだが…。
この行動は、俺にとっては不思議な出来事だった。でも、その動作には何の躊躇いもなかった。
プルルルッ…。プルルルッ…。ピッ。
「もしもし…。」
受話器の向こうから聞こえる声は、女性の声だ。しかも、ここ最近では全く聴き慣れない声だった。
しかし、なぜだろう?最初に聞こえた声は、何故かすごく淋しげにも聞こえた…。
俺は改めて相手に尋ねてみる。
「夜分遅くにすみません。私、神谷と申します。先程、私の携帯に着信があったので折り返しかけさせて頂いたのですが…。」
そう言うと、電話越しの女性は急に元気に俺の名前を呼んだ。
「遼ちゃん…?遼ちゃんだよねっ!!」
「はい、そうですが…。」
俺は慌てて答える。しかし次の瞬間、聞き覚えのある声である事を思い出した。自分の中でその声の主は確信となっているが、間違いがあってはいけないと、念のため確認してみる。
「もしかして…。真奈美…か?」
「うん、そうだよっ!久しぶりだね!元気だった?」
予想通り、声の主は真奈美だった。真奈美は俺が地元にいた時にバイト先で知合った後輩だ。俺にとっては妹みたいな存在だった。俺が地元を離れても、暫くは連絡を取りあっていた。しかし、ある日突然、真奈美とは連絡が取れなくなった。
理由は、真奈美が携帯を変えた際に、俺に連絡先を教えなかったという至極単純な理由なのだが…。その理由も、この電話で初めて知った。まあ、真奈美らしいと言えば真奈美らしい。
この後、久しぶりの会話に華が咲く…そう思っていたのだが、次に携帯から聞こえてきたのは、真奈美のすすり泣く声だった。それに対して俺も戸惑いを隠せなかった。俺は、真奈美の声に対して、
「どうした?大丈夫か?」
そう尋ねるしかできなかった。すると真奈美は、
「ゴメンね。久しぶりに遼ちゃんの声聞いたら安心しちゃって。」
といったものの、その後すぐにすすり泣きから号泣へと変わった…。
一体何があったんだ?
相当辛い事があったのだろうが、今の俺にはわからない。
俺は電話越しに泣いている真奈美をなだめたが、真奈美の号泣は止まる事はなく、俺はそれに対して無言でいることしか出来なかった。
どれくらい泣いていただろう…。
聞かずともわかる、真奈美の辛い想いが伝わる。暫くして泣き止んだ真奈美は俺に必死に伝えようと、ゆっくりと言葉を発し始めた。
「久しぶりに遼ちゃんと話せるのに、泣いちゃってゴメン…。でも、私、遼ちゃんに伝えなきゃいけない事があって電話したの。」
普段明るい姿しか知らない真奈美が、ここまでして俺に伝えなければいけない事とは何なのだろうか。
数年もの空白の時間があった俺には、全く予想ができなかった。
しかし、真奈美が次に発したその言葉は、俺の胸の鼓動をも止めてしまいそうな程の衝撃的な言葉だった。
「遼ちゃん…。香奈が…香奈が死んじゃった…。」
そういうと、真奈美は再び大声をあげて泣き出した。
しかしそれも、俺の耳には既に届いてはいなかった。
香奈が…死んだ…。
突然飛び込んできたその言葉に耳を疑った。
「香奈が死んだ?なぜ?というか、何を言ってるんだ?これは冗談だろ?」
俺は、その事実を俺は受け入れることができなかった。




