月下の舞
「こんにちわ、お元気ですか」
彼女の第一声は、まるで散歩中に知り合いに出会ったかのような、親しげなものだった。
「うぇ!? あぁ、はい!」
あまりの場違いな一言目に、つい呆けた返事をしてしまう。というか今は時間的にどう考えても「こんばんは」ではないのだろうか?
「じゃあよかった、わたしも元気。今日はいい夜ね」
「いい夜? まぁ、いい夜なんじゃ、ないでしょうか?」
本当は人生最悪の夜だったが、助かりたいという気持ちばかりで、そんな返事は考えもしなかった。
私がノーベルさんから聞いたような展開とは違ったが、彼女がすぐにでも私を殺そうとするつもりでないのであれば、まだ私が生き残る方法もあるかもしれない。
「こんな夜は踊りたくなるの。私、月の出ている夜に踊るのが好きなんです」
そういいながら彼女は、くるくるとその場で踊り始めた。月光に照らされて回り踊る彼女の姿は、闇夜に舞う白鳥のようで、どこか美しくもあった。
「あなたは踊るの好き? 楽しいですよ。とっても」
「ええっと、その」
言葉に詰まる。冷や汗が私の首筋を伝っていく。冷たい風が肌を撫で、気持ちの悪い血の匂いが鼻をついた。
どうにもつかみどころのない会話だが、何かを間違えれば私の命は一瞬で終わる。どうにか彼女が私への興味を失ってくれるように、細心の注意を払って言葉を選ぶ。まずは相手が何故会話をしてきたのかを、探らなければならない。
「……私に、何か御用でしょうか? 私は、今から、帰る予定だったんですけど」
「もしかして、いい夜じゃなかった? なら、今日を最高の夜にしない?」
会話が成立しない。これでは彼女が一方的に話しているだけだ。それに、なんだか嫌な予感がする。冷たい風はいっそう強くなってきた。
会話は極めて慎重に、間違っても相手の気分を害さないように。どう言葉を繋ぐか思考を巡らせ、次の一言を発する。
「………どうやって、最高の夜に、するんですか?」
「簡単よ、あなたも一緒に踊るの」
その言葉に、何故だか悪寒が止まらない。全身の筋肉が小刻みに震えて、全く力が入らない。私はその場にへたりこんでしまった。
彼女がどれ程の数の魔力を持っているか、数の人間を殺してきたか、その立ち姿を見ただけで伝わってくる。
そのとき私は、悪寒の正体が、カラミタが私に向けた殺意だと気がついた。
「ねえ、一緒に踊りましょう? この月の夜に、赤い花を咲かせるの」
その意味を聞こうとしたが、震えで口が動かなかった。
彼女はゆっくりと、夜空に右腕を掲げた。その手には漆黒の鉈が握られている。
周囲の魔力が揺らぎ始め、渦のようにカラミタの体に吸収されていく。彼女の纏う魔力は、すぐさま莫大な量になった。
これが転移者の持つ魔力というものだろうか。私の存在が、いかに小さいものか思い知らされる。
「そん、な」
「あなた、とっても可愛いもの、きっと綺麗な花が咲くわ」
もはや彼女は、私への殺意を隠そうともしなかった。言葉を選ぶどころか、私は何も言わせてもらえなかった。血の気がサァッと引くと同時に、冷や汗が一気に溢れ出してくる。
「どう、して」
掲げられた鉈に月光が反射して、彼女の瞳と共に怪しく輝く。
バラバラになった馬車とペガサス兄弟の残骸のことが思い起こされ、さらなる恐怖が押し寄せてくる。
「どうして」
理不尽。理不尽だ。けれども彼ら転移者は、いや、
この世界そのものが、最初から理不尽な存在なのだ。
「じゃあ、始めましょう。もう待ちきれないの」
彼女の殺意を持った声には、人を恐怖させる力がある。声を聞いただけで、自らの死へのイメージが明確になる。
死にたくない。まだ私は、生きたい。せめて、ブローネの行く末を見届けるまでは生きていたい。まだまだ死ぬ準備は出来ていない。
けれどこの体は動かない。助けを呼ぶことすらできずに、このまま私はペガサス達のように、無残に殺されるのだろうか。
「あっ、ああ、やっやめてください! おねがいします! ど、どうかたすけっ」
恐怖を押し殺して、なんとか絞り出した声は、
「じゃあね、知らないあなた」
一瞬で砕け散った。
もう彼女の中では私を殺すことは決定事項のようだった。外に出る以上こうなる可能性は覚悟していたとはいえ、こんなにあっさりと殺されてしまうものなのかと思った。様々な感情と共に、涙が溢れてくる。
外に出て最低限やるべきことはやり終えた。けれども私は、まだどうしても生きていたかった。本当はやりたいこともたくさんあったのだ。こんなところで終わりたくはなかった。
「あ、ああ」
震えが止まらない。死にたくない。死ぬのは怖い。
どうしようもなくなって、泣きながら目をぎゅっとつぶった。周囲の音が遠ざかっていく。
ーーズドドッガアアァァァ
次の瞬間、目の前が爆発した。今度はなにかがぶつかった衝撃による爆発ではない。目の前が光と炎に包まれる。本物の爆発が引き起こされたのだ。だが不思議と、私にはなんの被害もない。
突然の出来事に、私は固まっていた。
光が収まると、カラミタがいた場所は土ごと吹き飛ばされ、巨大なクレーターができていた。残った草花も煙を出して燃えている。
「ようやく見つけたぞ。カラミタ」
後ろから男性の声が聞こえた。振り向くとそこには、大きな杖を持った灰色の魔術師がいた。青年のような見た目と鋭い瞳。ボサボサの髪は、どこかだらしのない印象を受ける。
彼が今の爆発を引き起こしたのだとすれば、おそらく彼も転移者ということになるだろう。彼に意識を集中させると、カラミタのものと同じ、膨大な魔力が感じ取れる。魔術師の転移者ということで間違いなさそうだ。
「おい、お前平気だったか? よく夜中に、こんなとこまで出てこれるな」
彼は背後から歩いてきて私の前側まで歩くと、私と爆発地点の間で不意に足を止めて、振り返った。
「あなたは……」
「俺か? 俺はグレム。アルトリディア連盟の元隊長だ。 俺はこいつ、カラミタを追ってきたんだが、そしたらお前がいたんだ」
アルトリディアは確か、文明狩りであるカラミタと敵対している組織だ。
「アルトリディア!? じゃあ、あなたは私を助けてくれたんでしょうか」
「まあ、そんなとこだ」
何という奇跡だろうか、事前にノーベルさんの話を聞いていてよかったと、思わず安堵した。
「あ、あなたのところで助かりました! ありがとうございます!」
どうやらさっきの恐怖で腰が抜けたらしく、上手く立ち上がれなかった。
「礼を言うのはまだ早いぞ」
彼はまだ炎と煙に包まれているクレーターに向けて杖を傾けた。
「どういう意味ですか? カラミタはもう倒したのでは?」
今の爆発は、信じがたいほど強力な一撃だった。完全な不意打ちで放たれるには、十分すぎる火力だったように思う。
「まさか? あの程度で死ぬ奴が、転移者の血だまりなんぞ作れないさ」
彼がそう言った直後、煙の裏から人影が出てきた。
「あれあれあれ? グレムさん? お元気でしたかあ?」
先ほどとなにひとつ変わらない様子のカラミタが、笑顔で歩いてくる。
「うそ、無傷!?」
「………手を抜いたつもりはなかったんだがな。よけられたか」
カラミタは再び鉈をかかげる。グレムさんの奇襲は失敗した、不意打ちですら当たらなかった攻撃が、彼女に果たして届くのだろうかという不安が、脳裏をよぎる。
「グレムさん! 彼女、どうすれば!」
「なんだぁお前、不安そうな顔しやがって。俺が負けると思ってんのか?」
グレムさんは不満そうに眉を潜める。意識はカラミタの方へ向いているのだが、顔だけこちらに向けているようだった。
「……勝てるんですか? 相手は転移者殺しの転移者なんですよ?」
「そうらしいな。だが俺は、正直コイツのことをよく知らない。コイツを追ってるのも単に依頼されたからだしな」
それを聞いたカラミタが、子供のような声を出した。
「ええ〜 寂しいですねぇ、それ。わたしはあなたのことよく知ってるよ、“灰嵐”グレムさん。とっても粗暴で暴れん坊って聞いてるから、わたし楽しみにしてたの」
カラミタは更に高く鉈を持ち上げた。刃が今度は炎に照らされて、ギラギラと光っている
グレムさんは臆することなく私の前に立ったまま、赤い飾り付きの杖を相手に向けた。
「俺もちょっとは楽しみだったぜ。おい、そこの魔術師のお前。絶対にそこから動くなよ」
彼が言い終わると同時に、私の前で今日三度目の爆発が発生した。
直後に私の目で起きた、ほんの二十秒足らずの神速の戦いを、私はほとんど認識出来なかった。
<グレム視点>
“血だまり奴隷”カラミタ。彼女を俺がほとんど知らない理由は、純粋に俺が世間知らずだからだ。
他の転移者の名前をほとんど覚えてない俺が、その凶悪な噂を繰り返し聞いたせいで、名を覚えてしまったほどなのだから。
その噂の内容は、転移者十人を同時に相手してまとめて血祭りにあげたとか、本人でも無意識のうちに国を滅ぼしたとか、元いた世界の住人を皆殺しにしてしまったのでこの世界に来ているのだとか、とんでもないものばかりだ。
根も葉もない噂話だから嘘も混じっているだろうが、それでもコイツが凶悪な存在であることは変わりないだろう。
カラミタが最初にとった行動は、ただこちらに走ってきて、鉈を振り下ろすだけという単純な攻撃だった。
ただ、その素早さが異常だった。
彼女が走り始めた瞬間に立っていた地面が丸ごと吹き飛び、衝撃波と爆音が周囲に鳴り響く。三十メートルほどの距離が一瞬のうちにゼロになる。
その速度はおそらく音速すら超えていただろう。そして、その勢いのままに、命を刈り取る鉈が振り下ろされる。
転移者同士の戦いでは、最初に繰り出す一撃が最も重要だと言われている。その一撃で決着がつくことも多いからだ。
それ故に転移者最速クラスの攻撃を、相手が受けきれないほどの威力で放つ彼女は、確かに他の転移者を何人も葬ってきた存在なのだろう。
だが、そいつらの二の舞いになるほどの実力ならば、俺はアルトリディアの連名隊長にはなれていない。
ーーカァァン
「あれ? 弾かれた?」
「おっと、理解がはええな!」
状況を瞬時に判断したらしいカラミタが、声を上げる。
俺はコイツが突っ込んで来るのを見越して、杖を剣のように扱い攻撃を受け流したのだ。だが、この一撃は想像以上に重かった。あの細腕から出たとはとても思えないほどの速度と威力で、あの鉈は振るわれていた。
「あれあれ、すごいね。 じゃあ何回まで耐えられるのかな?」
カラミタは焦る様子も見せずに、再び鉈を掲げた。
「……おいおい、冗談だろ?」
次の瞬間、目の前に斬撃の嵐が展開されていた。視界を埋め尽くすほどの攻撃の残像が、音速すら超えた速度の刃が、さっき以上の超速で俺を襲う。
「やってやるよ!」
俺は攻撃を目で追いながら、ギリギリの所で弾いていく。さいわい、カラミタの攻撃は乱雑かつ大振りなので、時に空振ったり攻撃を見る余裕が生まれる。この程度ならどうにかなる。相手の隙が見つけられる。
だが打ち合いを続けているうちに、俺はあることに気がついた。
(攻撃速度がさっきより上がっている⁉︎ それに一撃の重さもより苛烈になっているな)
ただでさえ持久戦はこちらが不利だというのに、カラミタは調子を取り戻してきたとでもいうのか、その斬撃は時間経過と共にさらに素早くなっていた。
やがてカラミタの姿は残像をはっきり残すようになり、同時に何人もの攻撃を受けているのではないかとすら錯覚するほどになった。
(まずいな、もうそろ限界だぞ……)
杖の耐久度もそうだが、攻撃を弾く反応力、攻撃を受け止める腕、全てが限界を迎えて来ていた。この攻撃を一度でもまともにくらえば、俺の体は弾け飛ぶだろう。そうなればそのままの勢いで、後ろにいる魔術師の女も切り刻まれるに違いない。
(あれを使うしかねえのか?)
だがあの技は俺がかつて封印した技だ。だがこれ以外に状況を打開する方法が思いつかない。
それ以前に、カラミタの攻撃には徐々に隙がなくなって来ていて、技を使うタイミングがない。
(チャンスがあるとすれば、ほんの一瞬。それがあと一回あるかないかだな)
その思考の間にも、カラミタの攻撃は加速する。一撃、一撃が全身に響いてくる。意識が蒙昧になって、もはやまともに思考することが出来ない。それでも攻撃を受け流すというただ一点に意識を集中させることによって、なんとか攻撃の直撃を免れている。
カラミタのただ一種の隙。少し前までいくらでもあったはずのそれは、その兆しすら見えなくなっていた。それでも俺は、その一瞬を待ち続ける。
そしてカラミタの残像が、もはや蛇のようにうねる黒い影のようにしか認識出来なくなったころ、その一瞬は訪れた。
次の投稿は、明日の夜八時です。