血だまり奴隷
私が外に出ると、夕日によって世界はオレンジ色に染まっていた。本を抱えて出てきた私に、一台の馬車が近づいてくる。馬車は二頭の美しい翼を持つペガサスによって引かれており、馬たちの毛並みは夕日に照らされて美麗に輝いている。
「おまたせしました! 大収穫でしたよ! これで安心してペガサスさんと一緒に、胸を張って国まで帰れますね!」
私がそう言いながら彼らの背中をなでると、彼らはそのきりっとした真っ黒な瞳をこちらに向け、やがて後ろのほうに顔を動かした。どうやら、早く馬車に乗れと言っているようだった。
「あー、はいはい。早く帰りたいんですね、まぁ気持ちはわかりますよ。あなた達兄弟はブローネからほとんど出たことがないんでしたっけ?
珍しい外出はおっかないでしょうし、そうでなくても外は危険ですからね。でも世界には、私たちが見たこともないようなものがたくさんあるんですよ? もっと外の世界に興味を持って………」
「ブルルッッ!!」 「ブブルッ!」
ペガサス兄弟に強めにいななかれてしまった。彼らは無駄話が嫌いなようだ。
「はいはい、わかりましたよ。乗ればいいんですよね、乗れば。はー、まったく馬の耳になんとやらですね」
そう言いながら私が馬車に乗ると、ペガサス達は折りたたんでいた白翼を展開させて走り出す。いつ見ても彼らの翼は、息をのむほどに美しい。
彼らペガサスの兄弟は、今ブローネにいる唯一のペガサスで、私がグリモアス大図書館に行く際に国から特別に貸してもらったものだ。
彼らは時速百二十キロで走れるうえに、走る際に地面からわずかに浮くためその地形を無視できる。さらにとてもかしこいので、乗馬が出来無くても指示さえすれば、その場所まで走ってくれる。
外を移動する際に、これほど便利な生き物は他にいないだろう。大変珍しいのとプライドが高いのが欠点だが、私はもう少しで彼らとも仲良くなれそうな気がしていた。国に帰るころには、きっと私の相棒になってくれているに違いない。
ちなみにこの何々キロという単位は、チキュウと呼ばれる世界から来た転移者がつけた単位らしい。ハレス世界の多くの物事は、転移者が発展させている。
「そうだ、二人に名前を付けてあげましょう! ぺガちゃんとサスちゃんとかどうでしょうか!」
馬車を引く二頭からの返事はない。
もしかして、あまり気に入らなかったのだろうか。
「うへぇ、じゃあ名前は帰った後に決めてあげます。そしたら二頭とも、私のペガサスになっていただけませんか?」
「「……」」
「うちに来ればにんじん食べ放題ですよ? にんじん好きだったでしょう、にんじん」
二頭からの返事はない。だが彼らの視線がこちらをチラチラと向き、おまけに馬車の揺れが増えたことで、私は確かな手ごたえを感じた。
食欲には、プライドだって勝てないのだ。
***
ペガサス兄弟の馬車に乗っているうちに、気づけば夜になってしまっていた。いつもは空に満天の星々が輝いているのだが、曇りのせいか今日は一つも見えない。馬車につけたランタンだけが私たちを照らしている。
普通こうした夜に馬は走らせないのだが、今は急いでいるのと、ペガサス達は夜目が効くために闇夜を走ってもらっている。
「この分なら行きより早く帰れそうですね。もう一日ぐらいブローネの外の世界を楽しみたかったですけど」
ペガサス達の走りを見ながら、私は予言を受けた日のことを思い出していた。
イザリアの予言を受けた国王様は、ひどく錯乱していた。王女様が亡くなられたとき以来の落ち着かなさだった。
その時動いたのが王の補佐官であるアムスさんで、彼は私に、国外へ行って転移者を連れてきてほしいと頼んできたのだ。
どうして私が頼まれたのか聞いたところ、彼は私がもっとも信用できる宮廷魔術師であり、実力も高い人物だからと答えた。
それを聞いて、いつものように思わず調子に乗って引き受けてしまったが、もしノーベルさんが優しい人でなければ終わっていた。私は他の転移者がどこにいるかなど、ろくに知らないからだ。
私含めてブローネの人間は、つくづく転移者のことを知らなすぎる。
ふと馬車の中を見ると、そこにはブローネから持ってきた高価な品々が、山積みになって乗せられていた。転移者に頼みごとをするために対価として用意された物だったが、結局どれも使うことはなさそうだった。
ペガサスの馬車はやがて森を抜け、見渡す限り草ばかりの広い草原へとさしかかった。
生い茂る緑草の少し上を、ペガサスは走り抜けていく。
雲が晴れてきて月がその姿を雲の隙間から現したその時、私は一瞬、何か強烈な違和感を感じた。
それが空気中の魔力の激しい揺らぎによるものだったのか、それとも私の第六感のようなものが反応したものなのかはわからないが、次の瞬間には私の目の前が爆発していた。
「あっ、がっぁぁ!?」
何が起きたのかわからないまま、わたしは空中にほうりだされた。
ペガサスのいななく悲鳴と馬車が壊れる音が、空気が破裂したような音に続いて聞こえた。体を地面に打ち付け全身の痛みを感じてから、ようやく私は何かが後方から超高速でぶつかってきたのだとわかった。
うつぶせの状態から顔を上げると、目の前には信じがたい惨状が広がっていた。
乗ってきたはずの馬車はほとんど大破しており、乗せられていた品々も粉々になっている。その前には何やら赤い肉塊のようなものが飛び散っている。
よく見ると、その上に白い羽や皮のようなものも散らばっている。あまりの変わりように、私はそれがペガサス兄弟の残骸だと、すぐには気が付けなかった。
そしてその兄弟の残骸のさらに先、草花がえぐられ土が盛り返され、血のカーペットが敷かれたその上にそれはいた。
それは一見すると人間の少女に見えた。痩せた体に人形のような白い肌とぼさぼさの黒髪を持ち、ぼろきれのような黄土色の服を着て首に首輪のようなものをつけている。
彼女を一言で表すなら、捨てられた奴隷と言ったところだろう。だがその手には巨大な鉈のようなものが握られており、服とその獲物には赤黒い血がこびりついている。
彼女はあたりをきょろきょろと見回すと、わたしを見つけてにんまりと笑いかけた。
真っ黒で吸い込まれそうなほど大きな瞳を私に向ける。それを見た瞬間、私は言いようのない恐怖を感じると同時に、ノーベルさんが先程教えてくれたことの一つを思い出した。
***
ノーベルさんは私に、この世界ことを教えると言った後、最初に重要な警告をした。
「転移者と一言で言っても、様々な思想や能力のやつがいる。でも君が始めに知るべきは、一般人にとって危険な存在の転移者だね」
「危険じゃない転移者のほうが少ないんじゃないですか?」
「確かにそれはそうなんだけれど、僕が言いたいのはアムルドが特に警戒した、人を平気で殺す転移者のことだよ。
”文明狩り”と呼ばれることもある彼らだけど、彼らはいまから三百年程前に、アルトリディアの連盟員にほとんど殺されてしまったんだ」
「アルトリディアは一般人を守ってくれてるんでしたっけ? じゃあもう安心じゃないですか」
「いや、そう簡単な話じゃないんだよ、これは。いま生き残っている文明狩りは要するに、名だたるアルトリディアの面々が集団で挑んでも、誰も倒せなかった最強クラスの転移者なんだ。
少し前から彼らは一層活動的になっていてね。その中でもよくこの辺りに来るとびきり凶悪な文明狩りがいるのだけれど、知っているかい?」
「例によって知りませんよ。ここに来るときに会ってるかもしれませんけど」
「それはあり得ないな。彼女と目を合わせた人間は、例外なく肉塊と化すと言われているんだ。
”血だまり奴隷”カラミタには気を付けてね。とはいっても、出会ったらそれが君の最期なのだろうけれど」
***
”血だまり奴隷”というのは、おそらく彼女の見た目からつけられた通り名だろう。わずか一瞬のうちに標的の命を絶ち、その血だまりの上に立つ奴隷のごとき姿をした転移者カラミタ。
私は目の前の少女が、そのカラミタであることを感じとった瞬間、同時に全身から血の気が引いていくのを感じた。私の人としての本能が、魔術師としての経験が、彼女は危険だと告げている。
逃げることは出来ない。下手に動けば死ぬという恐怖が、私をその場に釘付けにした。
私がその場を動けないでいると、彼女はこちらへ二、三歩近づくと、そのまま話しかけてきた。