大魔術の司書
三日後、意外となんともなく、私はグリモアス大図書館にたどり着いていた。時速百キロで駆けるペガサスの馬車を使っても、丸三日かかる遠出の旅だったが、たどり着いた後も大変だった。
「うええ、広すぎる……」
魔力によって作られた大図書館は迷宮のように入り組んだ構造で、しかも異常に広い。
見渡すと、軽く五メートルは超えるほど大きな本棚が見渡す限りに立ち並んでいる。こんな部屋が何百階分もあるのだから驚きだ。
ここを支配する転移者ノーベルは、この図書館の中のどこかにいるはずなのだが、彼を見つけるのは干し草の山から針を探すような話だ。あてもなく図書館の中をうろついていると、とある本が目に入った。
「ハレス世界転移者大全……?」
そういえば私は、転移者に対してほとんど知識がない。途方もない人探しをするよりも、今は知識を得たほうがいいかもしれない。
それに私は、私の世界についてもっと知りたかった。そう考えた私は、気づけば私は本を手に取り、ページをめくり始めていた。
『ハレス世界転移者大全』
世界と世界のつなぎ目が薄れ、ハレス世界に異世界の能力者が迷い込むようになった”あの日”から今日まで、合計二千三百九十四万四千五十三人の転移者がこのハレス世界に訪れた。
転移者はもともと祝福能力者と呼ばれていた。彼らは“祝福”と呼ばれる能力を持ってこの世に生まれてくる。この能力は人によって大きく違い、それぞれに名前がつけられている。
さらに、彼らの肉体は一般人とはまるで違う。異常な耐久性と無限の魔力を持ち、肉体は衰えることがない。つまり不老の存在なのである。
”祝福”を授かった不老の能力者ら一人一人には、わずか一日で都市を滅ぼし国を殺し、世界を破滅させうるほどの能力がある。だが彼らは普通、一つの世界にそう多く生まれることはない。二千万人以上という数は、明らかに異常である。
それほどの力を持つ彼らを無差別に呼びこみ続けている以上、ハレス世界はいずれ押し寄せる祝福能力者によって破滅すると七百年以上前から言われているが、この世界は祝福能力者の溜まり場となってから、既に千五百二十四年の年が経つ。
何故転生者は祝福能力者と呼ばれるのか、何故この世界にこれほど多くの祝福能力者がいるのか、何故いまだ世界が歴史を紡げているのかという謎を説明するには、ある男の物語を語らなければならない。
"始まりの男” 『アムルド・リームグンテ』 祝福能力名 【製作者】 出身世界:ハレス
この本を読むあなたがもし転移者ならば、この世界に来たばかりか相当変わり者でない限り、彼の名を聞いたことがあるだろう。
彼はハレス世界に革命と混沌をもたらしたもっとも古い祝福能力者であり、盟約ギルド〈アルトリディア〉を束ねる長でもある。
彼の現在の目的は、我々に祝福をもたらしたとされる“神“と接触することであり、何処かの土地に隠れながら研究を続けているらしい。
彼の授かった祝福能力は、ありとあらゆる物品を作成・量産する能力【製作者】だ。彼の能力で作られたものは、転移者に限らず世界中の誰もが、喉から手が出るほど欲しがる。
彼がまだ若かった頃、みずからの能力に気がついたのちは、それを駆使して世界の魔術、科学レベルを底上げさせたようだ。
これにより世界中の人々の生活の豊かさや魔術関連の技能は格段に上昇し、彼らは魔物の脅威に怯えることなく生活できるようになった。
当時、魔物に襲われないようにと祈りながら、毎日暮らすばかりだったハレス世界の住人は、彼を救世主としてあがめ、やがて多くの人々が彼に付き従った。 転移者は不老の存在であるため、彼は数百年もの間、人々の望む存在であり続けた。
やがて急速に発展した世界で、人々は魔物に殺されることもなく、寿命まで幸福に生きられるようになった。
彼にとっても、世界にとっても、ここまでは順調だった。
だが、幸福に満ちたその世界で彼が次にしようとしたことは、”異世界との接触”だった。彼自身の作り上げた異世界観測装置によっていくつもの別世界の観測に成功した彼は、そこで自分と同様に神の“祝福”を受けた人間達を発見する。
祝福を受けた人間は自分だけではなかった。
そのことを知った彼は、その世界とこの世との”門”を作り上げて世界同士をつなげてしまったのだ。
彼は”門”の向こう側の世界にいる祝福能力者を、それを使ってハレス世界に引きこんだ。
これが俗にいう「能力者召喚」である。
我々は、門によって転移させられた祝福能力者達を、転移者と呼んでいるのだ。
彼はそうして自分が連れてきた転移者に、自分の世界の発展を手伝うように要求し、もし相手が協力を拒んだ場合は元の世界へと送り返した。
彼はそのときの目的に合った能力を持つ祝福能力者を観測するたびに、能力者召喚を繰り返した。彼のその努力もあって、ハレス世界は限界を超えて成長した。人々にとっても、新しく頼もしい人物が世界にやってくるのは、そう悪いことでは無かった。
彼はその世界を繋げる”門“に「バベル」という名前をつけて、しばらくはバベルの改良に没頭した。
しかし、祝福能力者を何人も呼び出し、バベルを何度も使っていた彼はある日、とある深刻な異変に気が付いた。アムルドにしか扱えないはずのバベルが、彼の知らない間に起動しているのだ。
彼がとっさにバベルを破壊したころにはもう遅かった。バベルの過剰な使用によってメリス世界全体が、転移者と繋がるようになってしまっていたのだ。知らない間に世界のどこかに転移者が流れ着いてくる。一度異世界と繋がれば、バベルなど意味がないということなのだろう。
もはやどんな転移者がやって来るか、アムルドが知ることは出来ない。どれほどその転移者が危険人物であったとしても、彼らの来訪を阻止できない。
もしそうでなくても、転移者と転移者の間にいざこざが起きたとしよう。彼らが本気で争いあえば、その余波で町一つが完全に消滅することすらあり得る。
あるいは、国同士の戦争に転移者が介入したとしよう。転移者が味方しなかった国は、兵士全員が一瞬で皆殺しにされて、国自体も壊滅的な被害を受ける。
様々な種類の転移者が増えるたびに、様々なものが生み出され、それ以上の速度で様々なものが消えていくのだ。
幸福に満ちた天国だったこの世界は、こうして少しづつ地獄へと変わっていった。
これがこの世界が転移者だらけになっている理由である。彼らは世界に何人もいてはいけない存在だったのだ。
そして厄介なことに、転移者の中にはこの世界の元ある文明を消し去って、この世界に新たに転移者のための文明を作り直そうという思想の持ち主までいる。
彼は特に大きく文明を破壊する転移者達を“文明狩り”と呼び、それに対抗すべく祝福能力者で構成された戦闘部隊。文明保護連盟隊〈アルトリディア〉を創設した。
双方の対立はいまだ続いており、この戦いが終わるまでは、ハレス世界に平和は訪れないだろう。
***
「……迷惑な人ですね、アムルドさん。別の世界の人なんてほっとけば良かったのに」
本を読みながら思わずつぶやいてしまった。
その内容を要約すると、この世界の祝福能力者のせいでいろんな祝福能力者が、いろんな世界からこの世界に来てしまうのでヤバい。みたいな内容だった。
このアムルドという人がいなければ、世界の魔術や技術はここまで発展していなかったのかもしれないが、いま世界で私のような一般人の魔術師が低く見られがちなのも、この人が転移者を呼び込んだせいなのだ。特に戦闘職の魔術師は何人集まっても転移者に歯が立たないので、肩身の狭い思いをしているらしい。
まあ、それもこれほどの本と魔術書を集められるような能力者達が相手なのだから、仕方がないだろう。
転移者の作るものはいつもとんでもないなと思いつつ、私が次のページをめくろうとしたその時、不意に後ろから声をかけられた。
「アムルドの項を読んでいるのかい? 彼の人生は一見、栄枯盛衰と自業自得のお手本のような内容だけれども、人間っていうのはそこまで単純にできてるわけでもないんだ」
抑揚はないがどこか優しいささやきのような声に、私はビクッとさせられた。
「ひょっ!? だ、誰ですかあなたは!? ……あ」
突然の男の声に驚き、思わず叫んでしまった私は、慌てて口を押えた。この図書館で大きな騒音を出した者は、ここを出禁になると聞いていたからだ。
しかし、私の心配をよそに、その男は言葉を続ける。
「例えばさ、彼にはもしかしたらなにか別の考えがあってわざと世界をつなげたのかもしれない。あるいは、これが実は間違った情報で、彼が本当の歴史を隠すためにばらまいた噂話かもしれない。まぁ、僕には関係のない話だけれども」
「じゃあなんで私に話しかけたんですか!? というか誰ですかあなたは? もう少し小声で話せませんか?」
つられて私も声を大きくしてしまう。これで図書館を出禁になったら、この人を一生恨むことになるかもしれない。
「随分と質問と要求が多いね。まぁいいさ、一個ずつ答えよう。まずは一つ目、君に話しかけたのは、その本を書いたのが私だからだよ。次に二つ目、表紙の著者名のところを見てくれ」
私は分厚い本を閉じて、石のように固い紅色の表紙に目を通す。
そこには金色の文字で著者の名前が彫られていた。
『ハレス世界異世界転移者大全』
作 グリモアス・ノーべル
グリモアス。私はその名前に憶えがあった。
はっと気が付いて振り返ると、魔術師のような紫色の衣服を身にまとった青年が、静かな瞳でこちらを見つめていた。
「最後に三つ目、僕がここで小声で話す必要はない。僕がいくら騒ごうとも、僕をここから追い出せる人はいない。
ようこそ、我がグリモアス大図書館へ。さて、こうして出会ったのも何かの縁、ここの支配人かつ創設者の僕が、君の探求に力を貸すよ」
突然の出来事への驚きで気が動転しそうだったが、なんとか私の口が動いた。
「えっと、本当にあなたがグリモアスさんですか?」
「そうだよ。まぁ七百年くらい生きてる割にオーラが足りないとか、他人に対する配慮が足りないとかいろいろ言われることはあるけど、一応僕が”賢聖司書”グリモアス・ノーベルだよ」
彼がグリモアス。私がわざわざ国を出て、三日かけてようやく探し出した人物。
どうやら変人だという噂は本当のようだったが、それでも私は彼に頼み込まなければならないことがあった。そのためにここまで来たのだから。
「あの! お願いがあるんです、グリモアスさん! どうか私たちの国を救ってください! 私と一緒に、ブローネまで来て下さい! お願いします!」
「いや、無理だけど」
彼は思考するそぶりすら見せずにそう言った。
他人に対する配慮が足りないというのも、どうやら本当らしい。