とある喫茶店店員の話
暖かくなったなぁ、と職場である喫茶店、その玄関を箒で掃きながら、俺は空を仰ぐ。
掃き集めたゴミを塵取りで取り、店の中のゴミ箱へ捨てる。
現在、午前九時。
この店の開店時間は十時なので、それまでに残っている開店の準備を済ませなければならない。
店内の掃除も進めていく俺に、雇い主であるこの店のマスターが声を掛けてきた。
「リオちゃん、ちょっとおつかい頼まれてくれる?」
「良いですよ」
マスターは、四十代の男性で頭に白い物が少し混じりつつあるダンディーな人だ。
今は、この店の名前【綺羅星】と刺繍の入った黒いエプロンと、白いシャツを着ている。
俺もほぼ同じ格好だ、違うのはスカートを穿いているということくらいだろう。
「はい、じゃぁこれお金。これが買い物メモ」
財布と買い物リストが書かれたリストを渡され、俺はエプロンを外すと靴を履き替え、買い物籠を片手に外に出た。
「行ってきます」
閉じて行く店の扉の向こうでマスターが手をヒラヒラ振っていた。
やがて閉じた、店の扉。
そこには、今の俺の姿。
十代半ばの、銀髪に紅い瞳をした少女が映っていた。
そう、少女である。
外見は。
しかし、中身は先日とある事故によって強かに頭を打ち付けてしまったため、男である。
なんの事は無い。
今の職場である喫茶店で閉店作業の掃除をしていたら、床の空拭きが甘かったらしく足を滑らせてしまった。
で、そのまま頭を打ち付けて、気がついた時、今までの女であった俺は消え、今の俺が出来あがっていた。
医者にも奇妙な顔をされた。
いろいろ調べられたが、特に異常がなかった。
マスターにも事情を説明したが、まぁ仕事に支障がないなら別に良いと言う事で、雇われ続けている。
「でも、言葉は直さないとだよなぁ」
常連さんなんかは、事情を話したら皆面白がるだけで終わったが、そうでないお客さんには怪訝な顔を向けられることもしばしばだ。
今までの記憶が飛んだ、とか、前世の記憶が甦ったとかではない。
そんなよくある話しではなく、あくまで中身が男になってしまったのだ。
なってしまったモノは仕方ないので、これからこのチグハグな体と性格で生きていくしかない。
「それに」
俺は、自分の胸を見る。
大きくは無いが、小さくもない。
適度な大きさの二つの膨らみを見る。
記憶はそのままなのに、女の体をみると動揺してしまう。
ついてなかったのが普通の筈なのに、やはり少し下半身がさびしい。
いいや、こんなの慣れだ、慣れ。
未だに慣れてないけど。
「あ、リオちゃんおはよう」
商店街、その入口近くに店を構える八百屋のおじさんに声をかけられる。
「おはようございます!
えっと、ニラを五束とニンジン三本、あ、ピーマンその籠のやつ二つください」
「大量だな。ありがと、はいこれサービス」
籠に詰めるだけ詰めて、後はビニール袋に入れてくれる。
少しだけ大目にニラを束ね直してくれた。
「ありがとうございます!」
会計をして、ぺこりと頭を下げ、別の店に向う。
そうして、大量の買い物袋を引っ提げて、俺は店に戻ってきた。
太陽の位置を見て、もう十時を過ぎている事に気付く。
早く戻らないと、今日は水曜日だからマダムの大群が打ち合わせという名目で、茶を飲みにくる。
喫茶店の横には、別の建物が立っている。
その建物と建物の間には人が一人通れるだけの空間がある。
俺がそこを早く店に戻ろうと足早に通り過ぎようとした時。
そこからふらふらと、出てきた人物とぶつかってしまう。
「うわっと」
そのまま一緒に倒れてしまう。
「え、ちょ、何処見てあるいて」
抗議の声を上げるが、俺の言葉はすぐに止まってしまう。
ぶつかってきた人物は、俺に重なるように倒れている。
俺はと言えば、仰向けだ。
男だった。
淡い金髪の、俺と同じ十代半ばくらいの少年だ。
その少年は呻きつつも、なんとか立ち上がろうとしたのだろう。
その際、手が俺の胸の膨らみ、その片方を鷲掴みした。
ぎゅむっと、力強く握られてしまう。
世の男ども、言っておく。
女性の胸は確かにやわらかい。脂肪の塊だからな。
しかし、クッションのようにただ柔らかいだけなのかと言うと、そうではない。
こうして握られ、結果として揉まれるような事になったからわかる。
痛いのだ。
二の腕の少しぷよぷよしている所を掴んでみるとわかる。
そこよりは痛みは小さいが、しかし確実に痛いのだ。
「はなして、や、やだ!!」
なんとか引きはがそうとした時、少年が手の違和感に気付いたのか、俺に顔を向けてきた。
青い、まるで空の色のような青い目をしていた。
そして、目を丸くして俺と、掴んでいる俺の胸を交互に見て、事態を理解すると顔を真っ赤にさせる。
そして、パッと手を離した。
「あ、ご、ごめ」
俺は少年の言葉を聞かず、その頬に向けて拳を叩きこんだ。
***
俺に殴られた日から、その少年は店の常連になった。
ストーカーとも言うが、ちゃんとコーヒーなり料理なりを注文して少しだけ読書をして帰って行く。
それに、俺の部屋に付きまといをするとかはないので放置している。
日が過ぎて、俺達は普通に話す様になっていた。
「学校行ってないんですか?」
「家で勉強してる。
そういう君こそ」
「働かないと食いっぱぐれますので」
そもそも、俺は孤児院育ちだ。
親の顔なんて覚えていない。
覚える間もなく、俺は孤児院の前に捨てられていたそうだ。
孤児院を出てからは、職を転々としてここに落ちついた。それだけの話だ。
文字の簡単な読み書きと数字の計算なんかは孤児院で教えてもらったから、生活する分には困っていない。
「独り暮らしか、偉いね」
たぶん、この少年は育ちが良い。
そして、温かい家族に囲まれて育ったのだろう。
だから、
「でも、家族のことを思い出して寂しくなったりしない?」
こんな不躾な言葉を寄こしてくるのだろう。
「いないので、わかりません」
孤児院の方とも連絡を取っていない。
元々、あまり良い場所でも無かったので、出ると同時に縁が切れた。
さすがに俺の言葉の意味を察したらしく、
「ご、ごめん」
なんて言って謝ってくる。
「じゃあ、今彼氏は?」
「前にも言いましたよね?
いません」
というか、中身が男なのに作る気も作れる気も起きない。
「じゃあ、俺と付き合おうよ。
この前の責任とって嫁にもらうしさ」
軽薄な男だ。
嫌に決まっている。
「誰にでも、そう言う事言ってるでしょ」
「まさか。
ねぇ、試しに付き合わない?
情が沸くかもよ?」
「イヤですよ」
俺は返しながら、空いたテーブルの片づけにかかる。
「やっぱり、好きな人とかいるでしょ?」
「いません」
「じゃあ、友達は?」
そこで、いきなりそんな事を聞かれる。
友達、友達かぁ。
孤児院との縁は切れてるし、仲が良かった子がいなくもなかったが、しかし連絡を取っていない現状、そう呼べる存在はまったくいないというのが正直なところだ。
「…………」
俺が答えないでいると、初対面で俺の胸を鷲掴みして揉んだ少年――シモンはパァっとその表情を明るくさせる。
「ねぇねぇ、俺が友達になってあげようか?」
「結構です」
「それから付き合うってのもアリだと思うけど」
「結構です」
「大丈夫だよ。俺にも友達っていないから。ボッチ同士仲好くしようよ」
なんて言ってくる。
正直、しつこくて根負けしてしまった。
それからは、友達として俺はシモンと仕事が早く終わる時や、休みの時に遊ぶようになっていった。
まぁ、男友達だと思えば気楽だった。
そんな感じに日々が過ぎ、ある日の事。
見知った顔が、喫茶店に現れた。
シモンではない。
孤児院時代の知人である、少年だった。
黒い髪、黒い目をした平凡な、しかし優しそうな顔立ちをした少年である。
前の俺、女だった俺が仲好くしていた人物だ。
恋とかそんなんじゃなく、前の俺は普通に友人という括りにいれていた人物だ。
ヴィルヘルムと言う名の少年である。
「やっと、見つけた。
久しぶり、リオ」
「ヴィル?!
久しぶりだな!!」
俺の返しに、カウンター席に腰掛けながら、少し苦笑する。
「口調、変わったね。でも、覚えてて嬉しいよ」
そう言ってコーヒーを注文してくれた。
今日は天気が朝から悪いせいか、客も殆どいない。
注文が入ると同時に、マスターがコーヒーを淹れ始める。
「まぁ、いろいろあってさ。
それより、どうした。わざわざ俺に会いにきたのか?」
「まぁね」
一人称の違いにも気付いてるだろうにヴィルは、それについては何も言わず、持っていたカバンから小さい小箱を取りだすとそれをじいっと見つめ、またカバンに戻した。
「僕の方も孤児院を出てから色々あって、今はとある貴族の養子になったんだ」
「へぇ!すごいじゃん!!
大出世だな!」
貴族。平民からすれば雲の上の存在だ。
煌びやかな世界の住人である。
そこに旧友が仲間入りとは、なかなかどうして。
「色々大変だけどね。
今は王都にある、学校に行って色々勉強してるんだ」
「すごいなぁ!
なぁ、偉くなったら俺に美味しい物ごちそうしてくれよ」
「うんいいよ。
できれば」
ヴィルの言葉を遮る形で、店の扉が開いて客が入ってくる。
シモンだった。
「やっほー、リオ。遊びにきたよ」
「もう来るなよ。つーか、ずっと家で勉強してろよお前は」
俺とシモンのやり取りを、ヴィルは不思議そうに眺めている。
「あ、ヴィル、こいつシモン。この店の常連」
俺の紹介に、ヴィルはシモンに軽く会釈した。
そんなヴィルにシモンは茶目っ気たっぷりに言う。
「リオちゃんの彼氏候補です」
その言葉に、ヴィルは俺とシモンを交互に見て、驚いているようだった。
「勝手に言ってるだけだから、気にするなよ」
「そうなの?」
俺の言葉に、少し信じてしまったのか確認してくる。
「いや、俺は本気なんだけどリオちゃんが頷いてくれなくって」
「そうなんだ」
「だから、今は友達」
「へぇ」
シモンの口にした、友達、の部分で少しだけヴィルの声音が低くなった気がした。
「ところで、シモンはいつもの?」
シモンは甘党なのか、いつもホットココアを注文する。
俺の質問に、シモンは頷いた。
こちらもマスターが作り始める。
とりあえず、各席の備品の確認でもしておくか。
俺がカウンターを、離れた後も二人の会話は続く。
「彼氏じゃないのに、ちょっかいをかけてるってことで良いのかな?」
ヴィルの少し棘の入った言葉に、シモンは素直に返す。
「まぁ、そう言う事になるかなぁ」
なにしろ、責任取らないとだしと呟くようにシモンが言った時、ヴィルが注文したコーヒーが出てくる。
それを一口飲んで、
「責任?」
問い返す。
「いや、俺としても考えが古いとは思ってるけど、ちょっとした事故でリオちゃんの」
そこで俺はメニュー表でシモンの頭を叩いて、言葉を止めた。
コイツ、初対面の時のあの事言うつもりだったな。
「ベラベラ喋んな!!」
俺が顔を赤くして言うので、さらにヴィルが興味をもったらしい。
「リオ。
何があったの?」
「べつに」
「俺が胸触っちゃったんだ」
お前は、黙れ!
ヴィルが、言葉を失っている。
「え」
それだけだ。ヴィルが発したのは。たったそれだけ。
「でも、好きになっちゃったんだよね。リオちゃんのこと」
ベラベラとシモンは軽薄に、それでも俺への愛を口にする。
「だからさ、取らないでくれるかな?
ヴィルヘルム・ストラトス君?」
ヴィルは、視線をコーヒーに落とすと、もう一度カップに口をつける。
それから、シモンを睨んで、
「それは、こっちのセリフです。
僕は、もうずっと、それこそ貴方とリオが出会うずっと前から彼女の事が好きだったんです」
なんて告白がはじまる。
マスター、そんな青春だなぁ、羨ましいなぁ、なんて慈愛に溢れた目で俺達を見ないでください。
ヴィルは先ほど、カバンに仕舞った小箱をもう一度取りだすと、カウンター席を立って俺の前に膝をつき、その蓋を開けた。
シンプルなリングが収まっている。
その意味を知らないほど、俺は無知ではなかった。
「本当は、これを渡しにきたんだ。
ずっと好きだった。孤児院の頃からずっと。やっと君を迎えにくる事ができた。
まだ学生だから、結婚は先だけど、あの、僕と婚約してください」
きっと、意を決して言ったんだろうけれど俺は、その指輪を受け取る事はできなかった。
だって、そういう目でヴィルの事は見れない。もちろん、シモンの事もだ。
「先越されちゃったなぁ」
なんてシモンは言っている。
短い付き合いだが、俺が断ると信じているようだ。
そして、それはその通りだ。
「ごめん、その指輪に相応しい人は他にいると思う。
だから、受け取れない」
俺の言葉に、ヴィルは項垂れてしまった。
その肩を、シモンが慰めるようにぽんぽんと叩く。
「お互い、頑張ろうな」
なんて言って励ましている。
マスターが笑いを堪えているのか、グラスを拭きながらプルプル震えていた。
【マスターの話】
片田舎のさらに外れにある喫茶店【綺羅星】。
その店主である男性、つまり俺の雇用主であるマスターは不思議な人だ。
俺の中身が男になったというのに、『まぁ、そんなこともあるよね』で済ませ、『しばらく仕事してみて支障がないか判断しよう』と解雇は先送りになった。
奥さんはいないが、娘が二人いる。
どちらも、いわゆる新種族と言われる人造人間、古い魔法学の言葉で言うとホムンクルスと呼ばれる種族だ。
もともとこの中央大陸には、多種多様な種族が存在している。
さて、そんななかどうして人造人間なる種族が誕生したのかというと、倫理観等はわきにおくとして、一番の理由は子供が産めない、作れない人のためだ。
別の古い言葉で言うなら、試験管ベイビーと呼ばれる人達だ。
何らかの理由で子供に恵まれない、それでも血の繋がった子供が欲しい、そんな人達、両親の細胞を採取して生み出される人間である。
映画のように、特殊な能力をもったりだとか、そんなことは無い。
マスターの娘達は、そんな人造人間だった。
この技術が導入されたのは俺が生まれる、ずっと前。
今から二十年ほど前だそうだ。
マスターの娘、長女の方は今年で十七歳。つまり、初期に生まれた存在である。
その下の妹は五歳。ほぼ最近である。
もちろん、この人造人間の子供を持つには厳しい審査がある。
でないと、人身売買など犯罪に利用されてしまうからだ。
子供一人だけでも莫大なお金と厳しい審査が必要なのに、二人もマスターは育てている。
お金持ちなのかと聞かれれば、多分、違う。
「それでね、パパ。あたし、その」
店のカウンター席で、俺の作ったココアを飲みながら言いにくそうにマスターの娘、長女のウィリーナが口を開いた。
その横で、マスターも椅子に腰かけ、娘の言葉を優しい笑顔を浮かべ待っている。
「大学に、いきたいんだけど。その、良い?」
進路の話だ。
今日は、平日。高校にはテスト週間なるものがあり、ウィリーナは早く帰宅したのだ。
その足で、この店にまで来たらしい。
「なにを勉強したいんだい?」
ウィリーナの髪は艶やかな紺青だ。それが腰まで伸ばされ、太陽の下でもキラキラ輝くのを知っている。
「もっと、魔法の事とか、歴史が好きだから歴史の事とか色々」
一方、マスターの髪は白い物が混じっているとはいえ、真っ黒だ。
目の色はどちらも、同じ黒。
この子にはマスターの細胞がたしかに使われているのだろう。
顔立ちもマスターにとてもよく似ている。
「そっか。学校調べたりとか、見学とかはちゃんと自分で調べなよ」
特に反対するとか、よくドラマである喧嘩とかにはならなかった。
「あの!見学とかは、その、まだで。
でも、行きたい学校は決まってて、その」
優しく返って来た返事が意外なものだったからか驚きつつ、それでも言いにくそうにウィリーナは続ける。
「へぇ、どこ?」
「隣の国の、ウィスティリアの首都にある大学」
「あー、とおいねぇ。ここからは通えないよ?」
「うん、だから一人暮らししようかなって」
「そっか。とりあえず、お金は貯めないとね」
「え?」
「うん?」
不思議そうなウィリーナに、マスターはやはり優しく見つめ返す。
そんな親子の話しあいをBGMに、俺は店内のテーブルを拭き、備品の補充に努める。
「反対、しないの?」
「なんで?」
「だって、学費や入学費用とか引越し代とか部屋代とか」
「だから、お金貯めないとね。
ウィリーナはしっかり者だから、少しずつでもアルバイトの給金貯金してると思うけど、卒業まで続けなよ。向こうに行ってもちゃんとバイトしなさい。
まぁ大学卒業までは、食料くらい送ってあげるし。
そうだなぁ、一年。さっきウィリーナが言った入学費とか引越し代、そして一年間の学費と部屋代くらいなら出せる余裕がある。
だから、一年だけ応援する。でも、二年目からは自分で頑張りなさい」
どうやら、話しは纏まったようだ。
と、そこで、マスターは時計を確認して、
「あ、もうこんな時間か。
リオちゃん、ちょっと下の子迎えに行くから店番よろしく」
「了解です」
マスターは腕まくりしていた袖を戻しながら店の奥に引っ込み、財布を持って出てきた。
マスターの袖が戻され見えなくなった左腕には、薄い切り傷の跡がある。
昔、子供の頃に包丁で怪我をしたんだとか。
下の子、次女のアイリスを保育園に迎えに行くためマスターは店の扉を開け出て行く。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
店に、俺とウィリーナが残される。
「緊張したーーーーー!」
ダラァっとウィリーナはカウンターに突っ伏す。
「おつかれさま」
「本当、疲れたよう!!リオ、慰めて!」
「おー、よしよし」
俺はサラサラ艶やかな、触り心地の良いウィリーナの髪を指で梳く。
俺とウィリーナは歳も近い事もあり、結構色々話す中だ。
あ、そういえば、ウィリーナは友達の部類に入るな、なんて今更少し前に常連客と話した内容を思い出す。
「パパ、絶対反対すると思ってたのに」
「良かったじゃん。心配しすぎだったな」
「だって、学校の友達なんて毎日親と喧嘩してるって言ってたし。だから身構えちゃって」
でも、とウィリーナは続ける。
「喧嘩にならなくて良かったぁ!!」
「殴り合いの喧嘩になったら、俺は一番に逃げ出そうと身構えてたけどな」
まぁ、あの人が他人を殴るなんて想像出来ない。
「まさか、せめて口げんかだよ」
親子仲は良好のようで、羨ましい限りだ。
「でも、忙しくなるな」
俺の言葉に、ウィリーナは同意する。
「バイトのシフト、増やして貰わないと」
ウィリーナのバイト先は、父親の経営するこの喫茶店ではなく、商店街にある本屋と花屋だ。掛け持ちしているのだ。
本屋の方は、ウィリーナが入ってから品ぞろえが良くなったらしい。
花屋の方は、腰を痛めた店主の代わりに事務と力仕事の両方をしているのだとか。
「あ、そういえば。パパからきいたけど、プロポーズされたんだって?
どうなったの?
受けるの?」
「まさか、断ったよ」
「やっぱり、今の状態が原因?」
ウィリーナは俺の人格の事を知っている。
「それも、あるけど。正直、そういうのわかんねぇんだよ」
「他に好きな人とかいないの?」
正直に言っても良いものだろうか。
今の俺にはいない。
しかし、頭を打つ前、こうなる前の俺には、女の人格だった俺には居た。
それが恋なのか、ただの憧れだったのかはよくわからない。
憧れの方が強かったかな、多分。
ウィリーナの前で言うのは、さすがにやめておいた。
「いないよ」
前の俺が、本来の女だった自分が好意をよせていたのは、お前の父親、この店のマスターだ、なんて言えるわけがなかった。
【とある喫茶店の年末年始】
片田舎にある喫茶店、綺羅星。
ここの年末年始は忙しい。
いや、まさに戦場と化す。
ほとんどの店が十日ほど休むためだ。
通常業務、つまりは本来のお店の営業はせずに、事前に予約注文のあった家へオードブルなどの料理を作りデリバリーする。
最初は、年始にお弁当を作って売っていたらしいが、これが予想以上に売れ、さらに年末年始という特別な期間の御馳走をつくり配達するという今の形になったらしい。
店の規模と俺とマスターしかいないので事前の予約注文をとっての販売になるのはしかたない。
これを最初はマスター一人でやっていたのかと思うと、この人はひょっとしたら人間の皮を被った仕事の怪物なんじゃないかと思う。
「え、一人じゃないよ」
俺がハンバーグを焼きつつ、揚げ物を揚げながら、出来た料理を片っ端から容器に詰めつつ、今まで一人で大変だったんですねなんて呟いたらこんな一言が返ってきた。
「長男と、知り合いに頼んで手伝ってもらってたんだ」
なんですと?
「長男?」
「あれ?
いって無かったっけ?
うちの子、三人いるんだよ」
いちいち家族構成を訊いたりしなかったので初耳だ。
ずっとウィリーナと、12歳下の妹のハルだけかと思っていた。
「ウィリーナが一番上なんですか?」
「違うよ。あの子は長女だけど二番目。上にもう一人いるんだ。ウィリーナとは双子でね。
今は、外国に働きに行ってるんだ。
今年は仕事が忙しいみたいで、休みが少しズレるから帰って来れないんだけど」
なんて言いながら、マスターもどんどん料理を作りあげていく。
ウィリーナとも兄妹の話はしていないので知らなかった。
そして、長男の話よりも、知り合いに手伝って貰っていたと言った時のマスターの表情が少しだけ寂しそうな、悲しそうなものになったのが気になった。
しかし、なんとなくこの忙しさでそれを訊くのは躊躇われた。
次々に揚げ物や、ハンバーグの焼き上がりを告げるタイマーが鳴りだす。
それらをそれぞれバットにあげ、荒熱を取りつつ次の作業へ取りかかる。
今年最後の日。最後の仕事を進めていく。
――――――……
「それじゃ、リオちゃんよろしくね」
「はい了解しました」
「必ず注文内容の確認忘れないように。
代金はなるべくお釣りが出ないようにお願いしてあるけど、たぶんほとんど守られないから、はいこれ、お釣り銭」
雪のあまり降らないこの地方での配達は、自転車か原付か歩きで行われる。
店によっては車を使う。
ちなみに俺は免許を持っていないので、自転車だ。
後部に段ボールを括りつけ、比較的小さなお弁当を配って回る。
マスターは車で大量の大家族用の家を回る。
「終わったら、甘酒作るから。
それじゃ、よろしく」
あまざけってなんだろう?
まぁ、マスターの作るものは料理だろうがドリンクだろうが美味しいのでいただくが。
そうして、俺達は配達を開始した。
商店街の、この日まで仕事をしている顔なじみの人達ばかりの所をまわる。
来年もよろしくね、店長さんによろしく、等など声を掛けられ笑顔で応える。
「こんな日も働いてるの?」
全ての配達を終えた時だった、聞き覚えのある声がかけられた。
見れば、孤児院時代の友人が呆れたように立っていた。
手には大量の紙袋。
「お、ヴィル。久しぶり、どうしたんだ?」
「リオの様子見にきたんだよ。
一人暮らしなんだし、年越しもそれって寂しいかなぁって思って」
「それは、ご苦労な事で」
俺は自転車の鍵を回して、跨る。
「ねぇ、僕の家に来なよ。ゲストハウスが空いてるんだ。
両親にも紹介したいし」
「え、いやだよ」
「そんなに、今の職場が良いの?
他の人はぬくぬく休んでるのに、こんな年末まで働かせる職場がそんなにいいの?」
どこかマスターを非難するような、見下すような発言に俺はムッとする。
「別に、本当は休みだったけど。マスターが大変そうだったから自分から手伝いますって言ったんだよ」
これも本当だ。
今年は手伝いがいないから、予約注文の数を制限しようとしていたマスターに待ったをかけたのは他でもない俺である。
なんだかんだお世話になっているし、こんな俺を雇い続けている恩人だ。
なので、なにか手伝いたかったのだ。
マスターが嬉しそうに、繁忙期間だから時給を増やさなきゃね、と言ったのもやる気が出た。
「ふうん」
何故か不貞腐れたように返すヴィルに、
「一緒に来るか?
マスターが、あまざけ、を作ってくれるって言ってたし。飲んでけば?」
そう、誘ってみる。
「良いの?」
「いいよ。それに、お前はマスターを誤解してる気がするし。それは嫌だから、その誤解をといてほしい」
「……やさしいね。君は。今も昔も。
まぁ、いいや。
ところで、あまざけってなに?」
ヴィルの問いに、俺も苦笑して答える。
「俺も知らないんだ」
たぶん、飲み物だとは思う。
店に戻ると、まだマスターは戻っていなかった。
その代わり、店の入り口前に座りこみ話しこんでいる淡い金髪の少年、店の常連であるシモンと、もう一人初めて見る顔の少年がいた。
シモンが俺に気付き立ち上がると、それに続く形でもう一人の少年も立ち上がった。
なんだろ?
どこかで見たような顔だ。
「お帰り、リオ。
おやヴィルも一緒か」
ヴィルが嫌そうな顔をしてシモンを見る。
そんな二人には構わず、もう一人の少年が俺を真っすぐ見て訊いてきた。
「あんたがバイトだな。
店の鍵、貸して」
「はい?」
「寒いからさっさと中入りたいんだよ」
「え、でも」
「もってるだろ?」
たしかに店の合鍵をマスターから渡されている。
しかし、知らない人間には渡せない。
「持ってます、けど、どちらさまですか?」
俺は少年を見る。
少年の髪はヴィルと同じ黒髪だ、目も同じ黒。
つまり、何処にでもいる人間族の少年だ。
歳の頃は自分やウィリーナと同じくらい。十代半ばから後半くらいだろうか。
訊きつつ、俺はその横のシモンを見た。
誰だこいつ、と視線で訴えてみる。
「この店の」
シモンが言いかけた時、シモンと少年の背後から訊き慣れた少女の驚いた声が響いた。
「おにいちゃん!?」
少年が振り返り、俺達もそちらをみる。
ウィリーナが、妹の手を握って目を丸くして立ちつくしていた。
ウィリーナの叫びに、俺は改めて少年をみた。
あぁ、なるほど、面差しがマスターに似てるんだ。
【とある喫茶店店員が捕獲された時の話】
「狸?」
「いや、どっちかっていうと猫かな。
銀色の毛並みの可愛い子なんだけど」
片田舎にある喫茶店【綺羅星】は、冒険者御用達の隠れた名店である。
というのも、異世界から来た冒険者向けの料理が多い事で有名なのだ。
味のレベルも、いわゆるお袋の味と言う奴で親しみが持てるのだ。
その喫茶店のカウンター席で、マスターとは二十年来の友人である金髪の男は注文したコーヒーを一口飲んで、マスターの言葉の続きを待つ。
「アンパンをあげたら夢中で食べて、可愛かったなぁ。
でも、警戒心が強いみたいで保護しようにも逃げられちゃうんだ」
「旅行ついでに顔を見に来ただけなのに、猫の捕獲に協力しろと?」
「参考までに意見を聞いておこうかな、と。
ほらお前畑もってるじゃん、害獣とかどうやって捕まえてるのかなって思って」
「家は優秀な番犬、いやキツネがいるから。そいつが警備してくれてるし。
後は魔法と普通の罠仕掛けてって、捕獲してどうするんだよ?」
金髪の男の言葉にマスターは笑って答えた。
「飼おうかなと思って」
「野良猫を?」
「良い子だと思うんだよなぁ」
「野良猫の話だよな?」
「看板娘が欲しかった所だし」
「野良猫なんだよな?」
金髪の男に、マスターは近くに置いておいた携帯端末を手に取ると裏口の隙間からこっそり撮影した画像を見せる。
それを見た途端、金髪の男は声を上げた。
「れっきとした女の子じゃねーか!!」
犯罪者になるつもりか、と金髪の男は声を荒げる。
端末には歳の頃十代半ばのボロ布を纏った少女が、必死にパンに齧りついている画像が写っている。
「お前、女の子飼うって本気か!?」
「言葉のアヤだよ、本気にするなって。
で、真面目な話しさ、結構可愛い顔立ちだし看板娘にはもってこいだと思うんだ。
末娘も保育園があるから送迎しないとだし、雇って教育してゆくゆくはその間の店番を任せたいな、と」
「求人広告出せば良いだろ?
明らかに訳ありな人間を雇うとか正気か?」
「さっきも言っただろ、悪い子ではないと思うんだ。
それに求人も出すとお金が掛るし、これも何かの縁かなって」
マスターの言葉に金髪の男は、ダメだこりゃと頭を抱えた。
「その縁で店の金盗まれたらどうする気だ?
子供達を路頭に迷わせる気か?」
「大丈夫、だってずっと店の裏口開けておいたのにこの子律儀にゴミを待ってるんだ。
鍵が開いてるのわかってるはずなのに、一度も店に盗みに入らないんだ。
そういう考えがないのか、あってもそうしないのかちょっと興味がわいたんだよなぁ。
それに、ちょっとこの動画みてくれ」
マスターが携帯を操作して、動画を見せてくる。
それはパンを食べ終わった少女が満足そうにその場を離れようとした時のものだ。
少し歩いて、なにも無い所でこけた。
誰も見ていない路地裏だというのに、恥ずかしそうに立ち上がってそそくさとどっかに行ってしまう。
「これが?」
金髪の男の言葉に、マスター微笑ましいとばかりに頬を緩めて、
「天然のドジっ子属性ウェイトレスって良くないか?」
なんてのたまった。
独立して店を開いてから、妙に趣味に走るようになったとは思っていたが気のせいではないようだ。
「お前馬鹿だろ!?」
「失敬な、趣味と実益が伴った人選だろ。
それに、まぁ、どうにも放っておけないんだよなぁ。お腹を空かせた子って。
だからこの子がたとえよぼよぼの爺さんでも、俺はお前に相談してたと思う」
***
宿代とコーヒー代の代わりに結局金髪男はマスターに協力することになった。
いや、『なった』というより『した』と言う方が正しい。
少女はどう見ても保護対象である。
一度保護して然るべき所に預けた方が良いと考えたのだ。
何事も手続きというのは大事である。
それもマスターも分かっていると思うのだが。
夕陽が沈み始めた夕方。
店の屋根に上って、急きょ商店街で買った害獣用の網に魔法加工をして少女が現れるのを待つ。
金髪男が屋根で待機するのを待って、マスターはいつものように袋にアンパンをぎゅうぎゅう詰めにしてゴミ箱に入れた。
他のゴミは入っていない。
マスターは店に入る。この作戦のために今日はもう店仕舞いをしているのだ。
少しして標的が現れた。
見るからにワクワクとゴミ箱を漁り始めた少女に向かって網を放り投げた。
チョロすぎるどチョロく、少女は捕獲された。
捕獲された少女は網の中で、まるで宝物のように袋詰めされたアンパンを抱きしめている。
「捕まえたぞー」
屋根から飛び降り、裏口の直ぐ側で待機していたマスターに声をかける。
少女がビクついてドアの方を見た。
そこからマスターが現れる。
―――――……
「いや、あの時は本当驚きました」
皿を洗って、レジの現金誤差をチェックしながらシミジミとリオは言った。
「懐かしいねぇ。リオちゃんアンパン離さないんだもんなぁ」
「こっちはまさか狸用の網で捕まるとは考えていなかったんで」
マスターはカウンター席を掃除しながら、レジ操作をしているリオを見た。
「そういえば、なんで盗みに入らなかったの?」
「前にも言いませんでしたっけ?
俺、元々金盗んだって冤罪かけられたんですよ?
たとえ信じてもらえなくても、本当の泥棒にはなりたくなかっただけです」
「結構真面目だなぁ。うん俺の目に狂いはなかった。
でも、よく俺みたいな他所者の所に来る気になったね?」
「それは」
「それは?」
「ここで働ければ、少なくとも飢え無くてすむかなって思って。
あと、アンパンがとてもおいしかったのと、マスターは悪い人じゃないってわかったからですかね。
そういえば、なんでアンパンだったんですか?
おにぎりでも何でもよかったはずなのに」
リオの問いかけに、マスターは苦笑した。
苦笑して、
「困っている人を助けるのは、アンパンって相場が決まってるんだよ」
そんな意味のわからない事を言った。