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死者の書  作者: 立花 葵
エーデルワイス
9/13

天使

 ベルはハッと身を起こし、周囲を見回した。

「アル! ロニー!」

 倒れていた二人を脇に抱え、駆け出したベルは――いくらも進まずに足を止めた。

 少し離れた場所にベスとクロエが倒れている。振り返ると、燃え盛る瓦礫がトンネルを埋めていた。

「……」

 道を塞ぐ瓦礫の炎が、ゆらゆらと二人の姿を照らした―― 


「ベル……」

 不意に聞こえた声をハッと振り返った。

「ユーゴ! 一体何処に――」

 言いかけて、もう一度瓦礫を振り返った。

「……そうか」

 ――ベルは、全てを悟った。

「すまねえな……もう少し、上手くやれると思ってたんだけどな……」

 そう言って、抱えていたアルとロニーを下ろした。

「僕らは……死んじゃったの?」

 そう尋ねるロニーへ、ユーゴは穏やかに頷いた。


「そっか……」

 妙に落ち着いた様子のアルとロニーは、それを不思議そうに見つめるベルの手をギュッと握り締めた。

「僕はアルマが居てくれたから……」

 チラとアルマを振り返り、ユーゴは二人と顔を見合わせて微笑んだ。

 じっと子供達を見つめていたベルは――二人の手を握り返し、膝をついてユーゴと向き合った。


「その娘は?」

 穏やか笑みを浮かべ、そっと尋ねた。

「アルマっていうんだ。僕のお友達」

「初めまして。アルマと申します」

 堅苦しい大人を真似をしているような、背伸びをしたアルマをベルは楽しげに見つめた。

「ベルだ。こっちはアルとロニー、ユーゴの兄だ」

 その時、ロニーの体がふわりと浮き上がった。

 全てを理解したように――三人は空を見上げ、ベルとアルの体も浮き上がった。

「そっか……行かなきゃいけないんだ……」

 ベルは、浮き上がる様子のないユーゴとアルマに手を伸ばした。 

「ユーゴ、アルマ」


 ――ふと、ユーゴは思った。このままベルの手を取って、一緒に……。

 しかしその思いを押しのけ、芽生えた決心が心を満たした。

 それに応えるように、無意識に力のこもる手をアルマが握り返した。

「大丈夫。僕らはやる事があるんだ」

「そか……」

 ベルは頷き、気を失っているベスとクロエに目を向けた。

「ベス! クロエ! 起きろ!!」

 どんな結末を迎えようとも、全てを見届ける。二人は心を決めた。


 大きく手を振り、星々の中へ消えてゆく三人を見送った――直後、いつの間にか隣に居たベスがぺたんと座り込んだ。

『ベス! 立って!!』

 虚ろな瞳で、ベスは行く手を塞ぐ瓦礫を茫然と見つめていた。

『ベス!! 逃げて!!』

 不意に、ベスは瓦礫の中へ手を伸ばし、潰れかかった懐中電灯を掴み取った。

 すくりと立ち上がり、クロエを起こすと同時に手を取って猛然と駆け出した。

「クロエ! 立って!」

 揺れる地面に足をとられたクロエを引き起こし、彼女を庇いながら駆け続けた。


 頭上では大きな爆発音が絶え間なく響き続け、崩落した天井から入り込んだ炎が、二人を追い立てるように煙を吐き出した。

 鬼気迫るベスの顔に、クロエは恐怖すら感じた。だが、固く握られた手から伝うベスの震えが、どういう訳か彼女を安心させた。

 やがて……瓦礫に行く手を阻まれ、二人は踵を返した。その時――一際大きな揺れが襲い、崩れ落ちた天井に退路を塞がれてしまった。

 閉じ込められた二人の足下に、瓦礫の隙間から煙が立ち込めた――


 ベスは道を塞ぐ瓦礫を掘った。指先に滲む血など意に介さず――土を掘り岩を押し退け、コンクリートの欠片を掘り、塊を押し退けた。煙に咽せながら、時折不安定に揺らぐ灯りを頼りにベスは掘り続けた。

 ――押したコンクリートがすとん奥へ抜け、小さな穴へ通じた。土管の一部のようなそこから、吹き込む微かな風を感じた。新鮮な――外の空気だ。

 だがこの空間の空気を入れ替えるには及ばない。まして二人が入れるような穴ではない。


 振り返ると――煙の中にクロエが倒れていた。

「クロエ! 起き――」

 ベスは立ち上がろうとして――ぐらりとよろめいた。すぐそこに、死が迫っていた。

 歯を鳴らし、クロエを穴へ引きずった。クロエにベニーちゃんと懐中電灯を抱かせ、穴に押し込めた。自分でも不思議なほど、これっぽっちの迷いもなくそう動いていた。

 痺れる手足に鞭を打ち、朦朧とする意識と頭痛の中で、穴を埋め隙間に覆いかぶさった――



 やがて……身を起こしたベスは、ぼんやりと自分の手を見つめた。

「あれ……? あたし……」

 傷一つない、綺麗な手だった。

 さっきまであれほど痛かったのに――痛みは嘘のように消えていた。それだけではない。頭痛も、息苦しさも、恐怖も……まるで夢から覚めたように無くなっていた。

「ベス……」

 顔を上げると、ユーゴが立っていた。

「あっ……ユーゴ! 探してたんだよ!」

 そう言って、思い出したように周囲を見回した。


「そうだ……逃げないと! あのね、穴を掘ったの、でも一人しか入れなくて――」

 立ち上がろうとするベスを、ユーゴは優しく抱き締めた。

「もう大丈夫」

「ユーゴ、早く逃げないと!」

「大丈夫。もう終わったんだよ」

「……本当に? もう逃げなくていいの?」

「うん」

 その時、ユーゴの隣に立つ女の子に気が付いた。

「だあれ? ユーゴのお友達?」

「うん。アルマっていうんだ」

「初めまして。アルマと申します」

 大人びた挨拶をする彼女が気に入ったのか、ベスは声を弾ませた。


「あたしベス。こっちはベニーちゃん」

 いつの間にか手元に現れていたベニーちゃんも、汚れやほつれのない綺麗な姿をしていた。

 その時、ベスの体がふわりと浮き上がった。

「あ……。行かなきゃいけないんだ……」

 空を見上げ、ベスは呟いた。

「大丈夫。僕らもすぐに行くから。皆も向こうで待ってる」

「うん。じゃあ後でね!」

 ベスを見送り、ユーゴは蹲った。しかし、込み上げる涙を押し返してすぐに立ち上がった――


 ※


 アイカは、朦朧とする意識の中で、霞んで行くマルクの声に耳を澄ませた。四肢の感覚は消え、開いているはずの瞳には濃い闇が広がっていた。

 あらゆる感覚が遠退き、意識が途切れ――


「ユーゴ?」

「アイカ……ごめんなさい」

 ユーゴを見た瞬間、彼女は全てを悟った。

「ずっと……居たの?」

「何にも出来なかった……」

 アイカは、今にも泣き崩れてしまいそうなユーゴを優しく抱き寄せた。何時ものように、キュッと胸に抱きしめた――

「ごめんね。気が付けなくて……」

「僕がちゃんと帰ってれば……ごめんなさい」

 しゃくり上げるユーゴを優しく撫で、側に佇むアルマを見つめた。


「お友達?」

「うん……」

「初めまして。アルマと申し――」

「いらっしゃい」っと、最後まで聞かず、アイカはアルマも抱き寄せた。

 二人を胸に抱き、アルマに尋ねた。

「お名前は?」

「アルマ……」

「私はアイカ。会えてうれしいわ」

 アルマの瞳に、じわりと涙が滲んだ。

「私も……」

 アイカを抱き返す腕に、キュッと力がこもった。


 やがて――

 アイカの体がふわりと浮き上がった。

「もうみんな町を出たのかしら……?」

「……うん」

「あなた達は大丈夫なの?」

「うん。大丈夫」

 ハッキリとそう答えた二人を見つめ、アイカは目を細めた。

「そう……。じゃあ、私も皆の所に行くね」

 そう言うと、浮き上がった体を目一杯伸ばしてマルクの頬に手を添えた。

「マルク……いつか、きっと――」



 ◆



 ――引き戻される女の手を見つめ、マルクは呻いた。 

「何だよ……」

「……」

「何なんだよ!!」

 堪え難い震えが、絶え間なく全身を駆けた。広がる波紋のように、頭の先へ、足の先へ……腹の奥から、次々と――

「俺達が何をした!? なんで……何で俺達が……! 皆が死ななくちゃならないんだ!? 何で皆が! ユーゴが殺されなくちゃならないんだ……!!」

 体を縛る見ない縄を引き千切るように、身を乗り出して叫び続けた。


「外の事情なんて関係無い!! 好きにすればいい!! ずっとそうだったじゃないか……! こんな時ばかり俺達を巻き込むな!!」

 腹で蠢くものを押さえるように、マルクは踞った。

「ユーゴ……アル、ロニー、ベス……クロエ、ベル……アイカ……」

(かす)れた声で、苦し気に吐き出した。

「……何で、何で……俺だけ生きているんだ……」

 僅かな沈黙の後、じっとマルクを見下ろす女の声が響いた。

「特に――」



「意味はないわ」



 相変わらず、無機質な声だった。

「生も、死も、ただそうあるだけ。そこに意味も意思も無い。ただ、受け入れるだけよ」

 顔を上げた先で――ガラス細工のように澄み切った、美しい瞳が自分を見下ろしていた。

 見栄も、意地も、建前も――心を鎧う全てを貫き、その奥へ差し込んで来るような、冷たい眼差しだった――

「それを出来ない者が、この本を開く」

 挑みかかる様に見上げるマルクへ、女は淡々と続けた。

「誰かの復活を? それとも復讐かしら?」

「……」

「貴方の望みを、伺いましょう」


 丸裸にされた心を覗かれているような気がして……マルクは思わず目を伏せて絞り出すように呟いた。

「……一人……だけなのか?」

「ええ。命を戻すも、奪うも、どちらか一つだけよ」

「……」

 皆の顔が、記憶が――走馬灯のように駆け巡った。呼吸は乱れ、食い縛った歯が悲鳴を上げた――


「マルク!」


 声と同時に、マルクの頬に小さな手が触れた。

「……ユー……ゴ」

 顔を上げると、そこにはユーゴが立っていた。

「ごめんなさい……。僕がマルクの言うことを聞かなかったから……」

 考えるよりも早く、マルクは手を伸ばした。幻覚でも何でもよかった。

 しかし、伸ばした腕は確かにユーゴを抱きしめた。


「すまない……すまないユーゴ! 絶対に、お前達を守ると決めたのに……。守れると思っていた……すまない。すまない……」

 その時、涙で滲む視界にアルマの姿が映った。

「ごめんなさい……ごめんなさい……私のせいで……」

 マルクは手を伸ばし、ユーゴと共にアルマを抱きしめた。

「……お前のせいじゃない」

 この小さな二人が……不憫で、愛おしくて……こみ上げる想いが殺到し、喉が詰まった。

 しかし、とめどなく込み上げる想いを、マルクついに言葉に変える事は出来なかった。次々と頬を伝い、胸に抱く二人へ注いだ。



 やがて――

 ユーゴとアルマは、そっと体を離した。

「もう行かないと……」

「そっか……」

 マルクは二人の手を握り、ふと顔を取り繕った。

「ところで……ユーゴ。この美人を……紹介してくれないのか?」

 二人は顔を見合せ、何処か照れ臭そうにクスクスと微笑んだ。


「アルマっていうんだ。僕のお友達」

「アルマと申します」

「マルクだ」

 マルクは、真っ直ぐにアルマを見つめて微笑んだ。

「アルマ。ユーゴをよろしくな」

「はい」


 顔を戻したマルクへ、ユーゴは思いがけない事を告げた。

「あのね、マルク。クロエは生きてるよ」

「本当か……?」

「うん。ベスが守ったんだよ」

 誇らしげにそう言い、じっとマルクを見つめた。

「お願い、マルク。クロエを助けてあげて」

「……ああ。今度こそ……今度こそ、絶対に守ってみせる」

 にっこりと微笑み返したユーゴとアルマの姿は、瞬いた間に消えていた――


「ユーゴ? アルマ? ユー……」

 呆然と視線を漂わせ……拳を打ち付けた。

「……こんな」

 絶え間なく湧き出す思いは、言葉になるよりも早く次々と姿を変え――行き場を失ったそれが、耐え難い熱と震えとなり全身を駆けた。

「こんな……! こんな事!!」

 理不尽を、不条理を――

 涙で洗い流そうとしているかのように、マルクの慟哭が響き続けた。



 ◆



 ――やがて。

 立ち上がったマルクは顔を拭い、ぽつりと呟いた。

「……行かないと。クロエが待ってる」

「そう……。一度閉じれば、もう二度とこの本を開く事はできないわ」

「……」

「良いのね?」

 無言で背を向け、歩み出したマルクへ――女は静かに語りかけた。

「生も、死も、理不尽よね……」

 思わず――マルクは足を止めた。


「平等は言葉の上にしかなくて……でも、それが本当に在るかのように振る舞う。生も、死も、そこに意味が、意思が在るかのように振る舞う。理不尽で、不条理で……」

 振り返ったそこには――ガラス細工のように美しく、脆く、暖かい――人間らしい(・・・・・)瞳がマルクを見つめていた。

「でも――それに抗う貴方の心は、確かに在る。確かな意思が、意味がある。私はそう信じているわ」

 そっと、マルクは本を閉じた。

 去り際に見せたのは笑みか、泣いていたのか――はきとは分からなかった。


 黒い部屋で一人、女は天を仰いだ。

「私にも、まだ残っていたのね……」

 頬を伝った滴へ指を伸ばし、その感触を噛み締めるように手の中へ握り込んだ。

「願わくば――」

 瞳を閉じ、天に瞬く無数の世界へ呟いた。

「彼らの魂が、再び巡り会わん事を……」

 そう祈らずにはいられなかった――







 ――ふと、

 椅子に誰かが座った。







「ようこそ」

 女の声が響いた。

 抑揚のない、無機質な声だった。


 その瞳はガラス細工のように美しく――心の奥へ差し込むような、冷たい眼差し――

 マルクが去り際に見たものは、もう何処にも無かった。



「お待ちして居りましたわ。デリック警部」

2022/04/22微修正

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