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死者の書  作者: 立花 葵
エーデルワイス
4/13

地下

この作品には、未成年者の飲酒・喫煙の描写が含まれますが、これを奨励する意図はありません。

未成年者の飲酒・喫煙は、法律で固く禁じられています。

「金だ。ここでは金が全てだ。日々金を稼ぎ、命を、居場所を、仕事を買い続けるんだ」

 みすぼらし格好をした十にも満たない子供達が、顔色でも窺うように彼を見つめた。


 カーキ色のよれたロングコートにくたびれた赤いスカーフ。しまりのない服装とは対称的に、彼の目は鋭い光を湛え場の空気を引き締めていた。

 彼の側には――アイカという同じ年頃の少女と、ベルという少し歳の離れた青年が控え、じっと彼の声に耳を傾けている。


 地下の一室はじっとりと暑く、足下で揺れるランタンの灯りが、まだ子供の面影が残る彼の顔に異様な凄味を与えていた。

「俺達はファミリーだ。ここに居る皆で、皆の命を買っているんだ。俺達の命は、それぞれの稼ぎにかかっている。それを忘れるな」

 子供らを前に、マルクはいつもこの話をする。そして上納金を集める。


 都会の足元に巡らされた、下水や電線が走るこの狭いトンネルが彼らの住処だ。

 日が登るとマンホールを抜け出し、町中へと散って行く。

 あるものは靴を磨き、ある者はガラクタを漁り、ある者は使い走りを、時には流れ者や別のファミリーと揉める事もある。そうして幾ばくかの金を手に住処へと戻る。


 マルクの近くに居た者から順に上納金をバケツへ収め、次々と部屋を出て行く。

 部屋といっても、少し幅が広くなった場所に壁を立て、粗末な扉を取りつけただけの空間だ。だが、ここはまだマシな方だ。

 殆どの部屋は、つぎはぎだらけの布を張り、板や木箱で区切っただけの部屋とは言いがたい空間だ。そういった空間を幾つも作り、ある種の集合住宅のようになっている。


 皆が出て行った部屋に、ぽつんと残された者があった。

 サイズの合っていないジャケットに擦りきれたブカブカのキャスケット。幼いその少年は、歩く足取りも覚束なく見える。


 少年を見つめるマルクは目を細め、険しさを増した。

 彼は、少年の手に握り込まれている上納金が不足している事を見抜いていた。

「……ユーゴ。何度言ったら分かるんだ?」 

「ごめんなさい……」

 俯いたユーゴが、マルクの手に数枚の硬貨を落とした。

「幾ら持ってくるんだ?」

「五百ミラ……」


 マルクは手のひらに硬貨を並べ、ユーゴの鼻先へ突き出した。

「これは幾らだ?」

「百と……二十……」

「俺達は他のファミリーとは違う。一度や二度と不足していたからといって追放したりはしない」

 マルクの瞳が、更に険しさを増した。

「だが、お前は一度もきっちりと稼いできた事がない。お前の不足分を、毎度毎度皆の稼ぎで補っているんだ。分かっているのか?」


「……」

 目を逸らしたユーゴの胸ぐらを掴み、マルクは声を荒げた。

「聞いているのか!?」

「マルク!」

 隣で見守っていたアイカが、思わずマルクの手を掴んだ。

 チラリとアイカに目を動かし――舌打ちを漏らして忌々しげに手を離した。

「ユーゴ。次はないぞ」

 部屋を出る彼の背を見送り、残された面々はホッと息を吐いた。


「ユーゴ……いくらなんでも百はねぇよ。誰と一緒に行ったんだ?」

 ベルの問いかけに首を振ったユーゴへ、アイカが尋ねた。

「一人で行ったの?」

「……僕と一緒だと……足手まといになるから……」

「そう言われたの?」

 首を振るユーゴの頭を、ベルは掴むように豪快に撫でて微笑んだ。

「誰もそんな事は思わない。しっかり付いて行って、色々と覚えてこい――」


 それから暫くして……寝床へ横たわるマルクの側にベルが腰を下ろした。

「貯える分を抜かなきゃ、一応ぴったりあるぜ」

「ダメだ。五百は抜いてくれ。そう決めただろ?」

「……」

「いつか皆でこの町を出るんだ。絶対に……」

 小刻みに頷き、ベルはふと話題を変えた。

「ところで――ちょっとやり過ぎじゃないか」


「ユーゴの事か?」

「お前、アイカが止めなかったら……」

「その時はお前が止めただろ?」

 マルクはそう言うと、呆れたようなベルのため息を聞き流して言葉を続けた。

「ユーゴに三日で五百稼げって言う方が無理な事ぐらい分かってる」

「……」


「でも、誰かがやらないと……もし俺達がしくじったら、あいつらが放り出されるような事になったら、あいつらは自分でどうにかしなくちゃならない」

「けどよ……」

「だから、お前とアイカでしっかり甘やかしてくれ」

 そう言うと、マルクは会話を終わらせるようにゴロリと背を向けた。

 


 ◆



 彼らの一日は日の出と共に始まる。

 マンホールを這い出し、まだ朝靄が漂う町の中へ散って行く。

「みんな、分かってるよね? 駅には絶対に入らないこと。線路とマリオン通りの向こうへは絶対に行かない」

 順に視線を送るアイカへ、子供らは大きく頷いた。

「それと、ユーゴ。もう無理しちゃダメよ。必ず誰かと一緒に行きなさい。いいわね?」

「……うん」


 小さく頷いたユーゴの頭を撫で、アイカは手を叩いた。

「それじゃ、みんな気を付けてね」

 各々のしのぎ(・・・)へ向かう子供らを見送り、アイカとベルは裏通りを進んだ。

「それじゃ」

「ああ、気をつけてな」

 途中の路地で二人も別れ、それぞれのしのぎ(・・・)へと向かった。



「――ほら、こういうのが高く売れるんだよ」

 アルが差し出したガラクタと自分の持つガラクタを見比べ、ユーゴは首を傾げた。

 どちらも似たような部品だ。ユーゴの目には違いが分からなかった。

「まぁ、その内分かるようになるから」

 そういうとアルは再びハッチの中へ身を滑り込ませた。


 町の北側に広がる廃墟群……土嚢が積まれた道路、周囲を囲む全半壊した建物。

 草に埋もれ蔦に覆われた車やバイク……そして、今アルが漁っている戦車や装甲車が、点々と放置されている。 

 少し前、この国は敗れた。そしてその痕跡ごと町の一部を捨てた。


 ここを進むとマリオン通りへぶつかり、その先には駐留部隊の基地と川がある。だが話に聞くだけで、ユーゴはそこを直に見たことがない。

 もたげた好奇心を(なだ)めるように、北を見つめるユーゴの手から――ひょいと部品が奪い取られた。

「良い物持ってんじゃねぇか」

 振り返ると、ボロを着た見知らぬ男が立っていた。年はベルよりも随分と上のようだ。

 男は奪い取った部品を鑑定するように日にかざし、持っていた袋の中に放り込んだ。

 

「ダメ、返して!」

 取り戻そうとするユーゴを突飛ばし、立ち去ろうとする男を別の声が呼び止めた。

「おい! 返せよ!」

 ハッチから顔を出したアルが男を睨みつけた。

「テメェ……マルクの所の」

 忌々しげに顔を歪め、奪った物を投げ返した。アルへ舌打ちを飛ばし、そそくさと姿を消した。


「ユーゴ、大丈夫か? 怪我してないか?」

 服に付いた泥を払い、アルは兄の顔でそう尋ねる。

「うん。大丈夫」

「この辺は野良が多いんだ。場所を変えよう」

 ユーゴの手を引き、アルは慣れた様子でかつての戦場を駆けて行く――



「――ああ、そこに置いといて」

 紙袋を抱えたアイカへ、ネグリジェ一枚の女はそう言うとアイカを制すように付け加えた。

「あんたは信用してるから」

 後ろから胸に手を回す男をあしらいながら、女はアイカへ手間賃を渡した。

「へぇ、モグラにしとくには惜しい器量じゃねぇか」

 女の首筋に唇を這わせていた男が、アイカを見ていやらしく頬を緩めた。


「その子は体は売らないよ。それに、モグラはモグラでもコルネオのモグラさ」

 コルネオの名が出た途端、男は興味を失ったように顔を戻した。

「それじゃ、明日もお願いね」

「はい。ありがとうございます」

 男の口を吸い始めた女に背を向け、アイカは部屋を出た。

 廊下には、周囲の部屋から溢れる男女の目合(まぐわ)う声や音が漂い、そこを進むアイカの耳へ各部屋の様子が代わる代わる流れ込んだ。


 かつて、ここにはごく普通の庶民の暮らしがあった。

 特別はなく、だらだらと続く――ごくありふれた毎日。

 街の支配権を争った戦いは、多くの男手と仕事を奪った。そして、当たり前に続くと思っていた日常は、あっさりと崩れ去った。

 

 しかし、それを嘆くのはかつてそこに暮らしていた者達ばかりだ。マンホールに暮らすモグラと呼ばれる者達にとって、それはどうでも良い事だ。


 地上を支配する者が変わったところで、彼の(地下の)暮らしは何も変わらない。この国が破れる前も後も、彼らの暮らし何も変わっていない。

 今の暮らししか知らない彼らには、そこへ落ちた者達の嘆きなど理解も出来ない。


「よう、アイカ」

 外へ出ると、アパートの石段に座る若い男が声を掛けた。

 長い髪をかき上げる男に、アイカは何処か眠たげな視線を投げた。

「カイル……」

「考えてくれたか?」

「あんたの家で働かないかって話?」

「稼ぎは落ちるが……寝床や飯の心配はしなくて良くなる」

「その代わりあんたの女になれって?」

 そう言うと、アイカは売春宿と化したアパートを省みた。


「ならこっちで働くわ。稼ぎは良いし――」

 苦笑いを溢すカイルへ視線を戻した。

「なにより、あんたは客になれないしね」

「相変わらずつれねぇな」

 カイルは愉快そうに笑みを溢し、不意に小さな包みを投げて寄越した。

「通り道だろ? 届けといてくれ」

 ようやく、アイカの瞳に笑みが宿った。

「毎度」

 カイルの指に挟まれた硬貨を受け取り、アイカは次のしのぎへと向かう――



 ◆



 日が昇り、地上へ出たマルクは通りを抜け、路地へ入った。

 表通りの喧騒は徐々に遠退き、荒んだ視線と言葉が漂う路地を進んだ。

 とある建物の前で足を止め、入り口を見つめた。

 階段を下った先に、鉄製の堅牢な扉と――脇に置かれた椅子にタバコを咥えた男が座っている。


「よう。マルク」

 声をかけた男に、マルクは提げていた袋を見せた。

「粗相のねぇようにな」

 そう言うと、男は脇に置かれていた棍棒で扉を叩いた――

 覗き窓が開き、現れた瞳がじっとマルクを見つめた。

「入れ」

 立て続けに鍵を開く音が聞こえ、重い軋みを上げて扉が開いた。



 ――裸電球が揺れる薄暗い部屋で、数名の男達がテーブルを囲みカードゲームに興じていた。

 室内はタバコの煙に充たされ、テーブルに置かれた灰皿を囲むように、銃やナイフが無造作に転がっていた。

 電球に照らされたタバコの煙が、靄の中を漂っていた。


 外に居る男は何時も同じだが、ここに詰める男達は顔ぶれがよく変わる。

 扉の前に佇み、無意識に知った顔を探すマルクへ、見覚えのある男が顎をしゃくって奥の扉を指した。


 ノックにはルールがある。どういった用件かで回数や間隔が決められている。マルクは軽快なリズムを刻み、声をかけた。

「マルクです」

 

 チラリと覗き窓が開き、鍵が開くと同時に聞き慣れた声が聞こえた。

「入れ」


 部屋に入ると、正面のテーブルでヒッグスが金を数えていた。

 その向かいには見知った顔が座っていた。ネイトという別のファミリーのボスだ。歳はマルクより少し上だろう。

「また三日後にな」

 そう言って差し出された空の袋を受け取り、部屋を出るネイトと入れ替わりにマルクが席に座った。

 

 三日に一度、このヒッグスという男に上納金を納める。必死に稼いだ金を渡すのは不本意だが、ここで生きて行くにはそうするしかない。

 この町を取り仕切るコルネオファミリー。彼らに逆らう事は死を意味する。

 家も持たずその日暮らしを送る――住人ではあるが、市民に勘定されない者達……事、幼い子供を抱えたマルクのファミリーは、彼らの庇護無くしてこの街で生きて行く事は難しい。

 彼らに上納金を納め、ここで生きて行く権利を買うのだ。住むことを、金を稼ぐ事を、その権利を買うのだ。マルク達が暮らす地下の一画も、そうして手に入れた。


 劣悪な環境に違いはないが、外の廃墟群よりは何倍も快適な場所だ。流れ者などに住み処やしのぎを奪われる心配もない。

 金を納めている限り、コルネオの名がそういった者から彼らを守ってくれる。

 金の詰まった袋を堂々と提げて歩いても、それを奪おうとする者はない。彼らを守っている名が、この街において如何に強大な力を持っているのかが窺える。



 硬貨を数えていたヒッグスが、ふと口を開いた。

「あの兄妹(きょうだい)はどうだ? やっていけそうか?」

「はい……」

「今更言うまでもないだろうが……一人は一人だ。それは変わらん」

「はい」

 硬貨を数えながら、ヒッグスは淡々と続けた。


「なあ、マルク。皆お前の事を甘いって言うけどな……俺は好きだぜ」

「……」

「ただ……、長生きはできねぇぞ」

 ヒッグスは数え終わった硬貨を袋へ戻し、マルクへ空の袋を渡した。

「ジルの所に顔を出して行け」

「はい」

 袋を受け取り、部屋を出るマルクをヒッグスが呼び止めた。

「マルク。また三日後にな」

「はい――」


 路地へ出たマルクはスカーフを緩め、額の汗を拭った。

 ここは、この街で最も死が身近にある場所の一つだ。

 路地を進み、表通りの喧騒が戻り始めた頃、不意に名を呼ばれ足を止めた。

「マルク」

 目を向けると、タバコ屋の軒先に煙を吐き出しながら手招きをするネイトの姿があった。


 ――差し出されたタバコを咥えると、ネイトがマッチを擦り、マルクは顔を寄せて火を点けた。

「いつ行ってもあそこは慣れねぇよな」

「ああ」

 煙を潜らせ、ホッと吐き出した。

「やっと人心地ついた気分だよ……」


「お前の所は大丈夫か? 駅に入れなくなって、今回ウチはちょっとヤバかったぜ……」

「まぁ、何とかなったよ」

「……」

 暫くの間、二人は吐き出した煙の行く先を追うように視線を漂わせた。


「……なぁ、マルク。この道を通たって事は、ジルさんの所に行くんだよな?」

「……」

「いつか死ぬぞ」

 マルクは吐き出す煙を細く絞り、他人事のように淡々と返した。

「さっきヒッグスさんにも言われたよ」

「……」

「じゃあまたな」

 マルクはタバコを踏み消し、背を向けて歩き始めた。



 ――通りを横切り再び裏通りへと入ったマルクは、通りがかった雑貨屋へするりと身を滑り込ませた。

 店内に客の姿はなく……カウンターの向こうで、店主の男が義眼を磨いていた。

 五十は越えているそうだが……白髪の混じった頭以外にそれを感じさせるものはない。


「ジルさん。こんにちは。ヒッグスさんに――」

 ジルは義眼を磨きながら、顔を上げることなく応えた。

「マルク。お前が死んだら、ガキ共が路頭に迷うことになる。分かってんのか?」

「その時はアイカとベルが居ますから」

「素直に上納金を上げろ。歳に関係なく、やれる奴はやれる。付いてこれない奴を切り捨てる覚悟も必要だ」

「それをやりたくないから、自分のファミリーを作ったんですよ」


 ジルは慣れた様子で左目に義眼を入れ、カウンターへ平たい包みを投げた。

「クラロース通りの倉庫は分かるな? いつもの刻印が目印だ。明日の朝までに終らせろ」

「はい」

 包みを手に取り、背を向けたマルクをジルが呼び止めた。

「マルク」

 ジルは瓶に入ったキャンディーを掴み取り、バラバラと袋の中へ落とした。口をキュッとねじり、投げて寄越した。

「ガキ共によろしくな」

「ありがとうございます」

「……」

 店を出るマルクの背を見送り、ジルは顔を歪め忌々しげに呟いた。

「テメェの(タマ)をかけた仕事の報酬だ」

 

 上納金は一人頭千。そう決まっている。

 しかし、マルクは一人五百しか集めていない。足りない分は、マルク、アイカ、ベルが補っている。

 だが、その三人が三日間駆けずり回っても、不足なく稼げる事は希だ。マルクが納める上納金は、不足している事が多い。

 その不足分は、こうしてコルネオファミリーから回されるの仕事で補っている。


 それらの仕事には危険(リスク)が伴う。いつ命を落としても不思議はない。そういう危険が伴う仕事だ。

 しかし、そんな命がけの仕事をこなしても、マルクが受け取る金はゼロだ。上納金の不足分と、不足した事へのペナルティーを帳消しにする。それが、マルクが受け取る報酬だ。


 マルクは知らないが、これはヒッグスの独断で行われている。上納金を払えない場合、本来はもっと重いペナルティーが課せられる。仕事を一つこなした程度で帳消しにはされない。

 これが彼の精一杯……マルクの生き方を好きだと言ったヒッグスの言葉は、本心なのだ。


 彼だけではない。ヒッグスのやっている事を知りながら、周囲の者達も見てみぬフリをしている。

 だからと言って、優しい言葉を掛け、手を差し伸べたりはしない。口をつぐみ、無言で見守る。

 境遇に多少の違いはあれど、かつてはマルクと同じように、地を這い泥を啜って生きてきた者は多い。

 懸命に駆けずり回るマルクへの――かつての自分への、彼らなりの精一杯なのだ。



 ◆



 夜になると、町は少し違う顔を見せる。酒場は駐留部隊の兵士達で溢れ、通りを行けば彼らの陽気なやり取りが耳へ流れ込む。歩道には体を売る女達が並び、占領下の陰鬱な空気は鳴りを潜め、一見すると花街のような趣さえ感じる。


 路地の奥、隠すように止めた車の中で、二人の男が向の建物をじっと見つめていた。

 一見するとごくごく普通の酒場のようだが、そこを見つめる二人の目は鋭く、立ち替わり店に入る客と店主のやり取りをじっと見つめていた。


 ふと――車の前を少年が横切り、助手席に座った男の目が追うように左へ流れた。

 ドアに手を掛けた男へ、隣から声が飛んだ。

「警部、何処へ……?」

「小便だ」

 隣の男にそう返し、車を出た。


「マルク」

 振り返ると、見知った顔があった。

 伸び放題の髭にモサモサの頭、随分とくたびれたコート。

 昔から何かとマルクに声をかけてくる警官だ。

「またコルネオの仕事をしてきたのか?」

「……」

 歩み寄った男は咥えたタバコに火に点け、一口ふかすとマルクへ差し出した。


 マルクが顔を逸らすと、促すようにタバコを突き出した。

「そう邪険にすんなよ」

 タバコを受け取ると、男は別のタバコに火を点け、ふわりと煙を吐き出した――

 促されるまま、マルクは目についたアパートの階段に腰を下ろした。

「ガキ共は元気か?」

 すぐ隣で、壁に背を持たせた男の顔が赤く浮かび上がった。


「……ああ」

「そうか」

 火種がチリチリと音を立て、マルクの顔がぼんやり浮かび上がった。

 煙を吐き出すマルクを横目で窺い、男の持つタバコも赤々と光った。


「コルネオはレジスタンスと手を組んでいる。俺達に撃ち殺されるような下手を打つなよ」

「……」

「……因果なもんだよな。戦争の前も後も、俺達はこの町の人間を捕らえ、時には撃ち殺した。

 それでも、犬だなんだと言いながらも、治安を守り、コルネオと戦う俺達は市民に感謝されたもんさ……」


「……」

「……それが今じゃただの裏切り者だ。……やることは大して変わっていないのにな。物取りや人殺しを捕まえたって、感謝どころか唾を吐きかけられる。かたやコルネオは――」

「じゃあ辞めればいい。あんたの相棒と同じように」

 マルクの口を出た煙が、街灯の光りの中に仄かな風を描いた。


(地上)の事は、俺達(モグラ)には関係ない。俺達の生活は何時だって同じだ」

 腰を上げたマルクはタバコを弾き、路上にパッと火花が散った。

「じゃあな」

 去って行くマルクの背に、男が声をかけた。

「駅には絶対に近づくなよ」

 

 ◆


 ――ねぐらに戻ったマルクは足音を忍ばせ、布や箱で仕切った部屋とは呼びがたい空間を覗き見た。

 仕切りをはぐると、穏やかな寝息を立てるアルの姿があった。

 彼はマルクらが最初に引き取った子供で、子供らの中で最も年長だ。

 最近、兄としての振る舞いが板についてきた彼に、マルクはホッと胸を撫で下ろすと同時に頼もしさを感じている。

 次に窺うのはロニーの寝床だ。年はアルの少し下だが、自分より下のユーゴとクロエの前では兄として振る舞うようになってきた。


 そっとはぐった仕切りの向こうで、アイカが鼻先でピンと指を立てた。

 アイカに寄り添うように眠るクロエと、何時もの如くアイカに抱き付いたまま眠るベスの姿があった。

 ベスはロニーと同い年だが、眠る時はこうしてアイカが側に居なければ眠る事が出来ない。

 彼女は、元は別のファミリーに居た。数年前、アイカと共にここへやって来た。ベニーと名付けたぬいぐるみを肌身離さず側に置き、甲斐甲斐しく世話を焼いている。


 クロエはユーゴと本当の兄妹(きょうだい)だ。北の廃墟群で死にかかっていたところをマルクらに拾われた。

 顔立ちこそ似ているが、性格はまるで違う。活発なユーゴに対し、姉のクロエはとても大人しい。大人し過ぎて時折心配になる事がある。 


「お帰り」

 そっと囁くアイカに頷き返し、最後にユーゴの様子を窺った。

 何かの部品を抱いたまま眠るユーゴを見つめ、ふと顔を綻ばせた。

「お前の方が全然年下なのにな……」

 ずり落ちていた毛布代わりのタオルをかけ直し、マルクは口のなかでそっと囁いた。

「おやすみ。ユーゴ」

 そろりとその場を離れ、マルクは自分の寝床へ向かった。


「お帰り」

 寝床で横になっていたベルへ、マルクはジルに貰った袋を投げて寄越した。

「明日皆に配ってくれ」

 袋を開いたベルはキャンディーを二つ摘まみ出し、一つをマルクへ投げ返した。

「お前も食っとけよ」

 そう言って、手に残った一つを口に放り込んだ。


「なあ、マルク。俺達にもファミリーの仕事を回せよ。やっぱりお前にばかり危険を押し付けてるみたいで気分悪いよ」

「それは何度も話し合っただろ?」

「……」

「それに、代表である俺がやらないと……そのぐらいのケジメはつけておかないと、納得してもらえない」


「けどよ――」

 その時、仕切りを捲り顔を出したアイカが割り込んだ。

「もうその話はしないって約束だったでしょ?」

 そう言うと、二人の間に腰を下ろした。

「……」

 アイカは、目を逸らしたベルからマルクへ視線を移した。

「でも、手が必要な時は必ず言う事。絶対に無茶はしない。そういう約束だったよね?」

「……ああ」


「ちゃんと覚えてるんだったら良いよ」

 アイカはにこりと微笑み、マルクの手からキャンディーをつまみ上げてパクリと平らげた。

2022/04/19微修正

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