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死者の書  作者: 立花 葵
兄妹(きょうだい)
3/13

兄妹(きょうだい) 

 黒い部屋。


 真っ黒い部屋だ。


 暗いわけではない。


 自分の体も、目の前に座る美しい女性も、彼女が座る椅子も、脇に置かれた小さなテーブルも――ハッキリと見える。


 それ以外は何も見えない。


 黒一色。


 黒い部屋だ……。



 目の前の女が、口元に薄い笑みを浮かべた。

「貴方の望みを、伺いましょう」



「……ここは? あなたは……?」

「死者の書。今、貴方が読んでいる本よ」

「なら、ならば……! 死者を蘇らせられると聞いた!」

「誰かの復活をお望みなのかしら?」

「妹を、エフィーを蘇らせてくれ!」


「では――私と契約を交わし、対価を支払いなさい」

「契約……対価……?」

「ええ。命を奪うも戻すも対価が必要よ」

「何を払えばいい?」


「戻す命に、見合った価値のあるものを頂くわ」

「エフィーは私の全てだ。換えられるような物はない……! 私に払える物なら何でも持っていってくれ!」

「……」

「だから、だから……エフィーを……エフィーを……」


 女は目を細め、じっとアランを見つめた。

「そう言う人は多いけど……。本物ね。貴方のような人間は珍しいわ」

「エフィーが戻るのなら、何だって支払う! 私の命だと言うのであれば――」

「それは当然よ。だって貴方の命は、オマケなんでしょう?」

「……見合った価値……そうか……」


「理解が早くて助かるわ。なら、それでは足りない事も分かっているわね」

 女は更に目を細め、ブツブツと呟いた。

「……命……人生……まだ足りないわね……」

 何事か呟き続ける女の口元を、アランはじっと見つめた。


 滲み出た汗が、頬を撫でる……その僅かな間が――異様に長く感じられた。極限まで密度を増した時間が、重くアランへのしかかった。


 ふと――薄く開いていた女の唇が、大きく動いた。


「愛、笑顔。ね……」

 女は席を立ち、アランへ歩み寄った。

「契約を交わしましょう」

 彼を見下ろし、女は淡々と告げた。

「対価は三つ。一つは妹を失ってからの人生全て」

「……」

「これで命を半分だけ戻すわ」


「半分……?」

「ええ、不完全な命よ。もう半分は、残り二つの対価が支払われ次第戻してあげる」

「その……、二つとは?」

「貴方の命。そして、貴方に向けられる妹の笑顔」

「笑顔……?」

「貴方が最も貴び、それを得るためなら何事も(いと)わない。妹の愛……その象徴たる妹の笑顔」

 女の瞳が、冷たい光を帯びた――



「妹に憎まれ、殺されること」



「……」

「三年あげるわ」

「……それを過ぎたら?」

「契約は無効。妹は土に帰り、全てを失った貴方だけが残される」

「……」

 

 目を瞑り……深い、大きな呼吸に、アランは覚悟を滲ませた。

「エフィーに直接殺されなければならないのか?」

「貴方の死に、彼女の意志が介在していればいいわ」

「……」

「今ならまだ止められるわよ。このまま本を閉じなさい。ただし、もう二度と開く事は出来ないわ」


「契約を」

 アランは目を開き、真っ直ぐに女を見つめた。


「刺そうが切り刻もうが、彼女が死ぬ事はないわ」

「半分か……」

「ええ」

 女は薄い笑みを浮かべ、手を伸ばした。



 ――気が付くと、自室の前に立っていた。

 まだ貧しい暮らしをしていた頃の、エフィーが生きていた頃の、あの家だ。


『妹を失ってからの人生全て』


 女の声が甦った。

「そいう事か……」

 エフィーの部屋に残る彼女の匂い、漂う強い気配……。

「エフィー……」

 呟いたアランは、ハッと玄関を振り返り窓に駆け寄った――


 薄暗くなった道を、俯いてこちらへ歩くエフィーの姿があった。


「エフィー……エフィー!」

 目を見開き、無意識に扉に手を伸ばした――

 今すぐ駆け寄って、抱きしめたかった。

 頬擦りしたかった。

 はにかんだ顔を見たかった。

 悲しげな顔の理由を尋ねたかった。


 ノブに手をかけた、その時――窓にあの女の顔が映った。

「……!」

 我に返り、アランは手を引き戻した。

(やらなければ……)


 ――ガチャリ、と玄関が開いた。


「ただいま……途中で――」

「遅かったな。何をしていたんだ?」

「ちょっと途中で居眠りしちゃって……」

 アランはエフィーを睨み付け、舌打ちを漏らして自室へ入った。


「兄さん……。ごめんなさい。あの木の所で休んでたら眠ってしまって……」

 微かに押される扉を背で押さえ、頬を伝った涙が次々と床を打った。

(本当に……本当に生きている。本当に……本当に……!)


 エフィーの元へ行こうとする言葉達を喉へ押し戻し、砕ける程に歯を食い縛った。

(エフィー……必ず、必ず、お前を救ってみせる……!!)


 ※


 引き戻される手を見送り――震える唇から、ぽろぽろと悲痛な呻きが転げ落ちた。

「兄さん……。何で……何で……」

 止めどなく溢れ出す涙が、胸元をじわりと濡らした。

「私なんか放って置けば良いのに……何で……。

 おまけは私の方よ……兄さんが居なければ、私は生きてすらいなかった……」


「それで、エフィー。貴方は何を望むのかしら?」

「兄さんの重荷になるのなら……私はこのまま死んでいた方がいい……」

 俯いたまま首を振るエフィーの背へ回り込み、女は呆れたように尋ねた。


「貴方……、ちゃんと聞いていなかったのかしら?」

「……?」

 肩に手を添え、耳元でそっと囁いた。

「貴方の物語りと言ったかしら?」

「……死者の……物語り」

 女の手が視界を遮り、視覚だけが兄の元へ戻った。

「そんな……まさか……、いや……ダメ! ダメよ!」


 暗い部屋の中、血溜まりに横たわる兄……開いた瞳孔が、じっと何処かを見つめていた。


「死んだわよ。お兄さん」

 冷めた囁きが、耳を貫いた。


「どうして……兄さん! 兄さん!!」

「例え貴方が刺されても、死ぬことはなかったのにね。とんだ無駄死にね」

 視界を遮っていた手を外し、女は尋ねた。

「それで、貴方はどうするのかしら?」

「兄さんを……兄さんを生き返らせて……!」

 睨み付けるエフィーを覗き込み、女は薄い笑みを浮かべた。

「契約を交わし、対価を支払いなさい」

「……何を払えばいいの?」

 女は再び手をかざし、エフィーの視界を奪った。


 兄の近くに……事切れた男が見えた。兄を刺した男だ。


「お兄さんを殺した男よ。仮にこの男を生き返らせるとしたら……貴方は何を払ってくれるのかしら?」

 敵意を剥き出すエフィー見つめ、女は楽しげに笑った。

「フフフ……髪の毛一本でも貰い過ぎね」


「全てよ。兄さん以外のものなら何でも持っていって! だから……だから……兄さんを……!」

 女は目を細め、じっとエフィーを見つめた。

「本当に、よく似た兄妹(きょうだい)ね……」



 ――



 ――!


 ――さん!


 ――兄さん!


 エフィー?


「兄さん!」

 目を開くと、涙を溢すエフィーの顔があった。


「エフィー……」

「兄さん……」

 力強く抱き締めるエフィーの背に手を回し、アランはハッと彼女を押し退けた。

「放せ!!」


 しかし、エフィーの手は吸い付く様にアランを絡め取り、体を引き寄せた。

「放せ!!」

「もういいの! 終わったの!!」

「何を言っている!? 放せ!!」

 声を荒げたアランの耳を、エフィーの言葉が貫いた――


「私も契約したの!!」


「契約……?」

 動きを止めたアランに額を合わせ、そっと頭を撫でた。

「もう大丈夫。ずっと、ずっと一緒に――」

 


 ◆



 黒い部屋で一人、テーブルに伏した女は腕の隙間に顔を埋めた。

 瞳の中に、抱き合った兄妹の姿を見つめ――そっと瞼を閉じた。



「随分と勝手な真似をしてくれたな」



 ――瞼の裏に広がる、深い闇の底から声が響いた。


「……」

「よもや、契約の対象である命と契約を交わすとはな……」

「だからどうするべきかと聞いたじゃない。相手が契約を望む以上、私に拒否する事はできないのだから」

「招き入れておいて、よくもぬけぬけと……」

「……」


「兄の契約はそのまま、妹にも兄と同じ契約を……。どちらかが相手を殺すまで、永遠の時を彷徨えだと?」

「あの二人の契約を成立させることは不可能よ。どちらを優先させるか、本人達に委ねただけよ」

「ならば何故期限を切らなかった? 共に永遠の時を過ごせば結論が出るとでも?」

「……」


「忘れたわけではあるまいな? 数えるのは、成立した契約のみだ」

「……」

「それとも……、あの二人に己を重ねたか?」

「随分とおしゃべりになったのね。好きに解釈したら良いじゃない」

「……フン、まあ良い。好きにするが良い。そういう契約だ」

「……」



「千の契約……。道は長いな――」



〈兄妹・完〉

2018/09:再編集 2019/8/19:再編集 2021/02/23:微修正 2022/04/23微修正

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