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死者の書  作者: 立花 葵
兄妹(きょうだい)
2/13

兄        

 その日、エフィーの帰りが遅かった。

 またあの木に寄りかかって居眠りでもしているのだろう。そう思っていた。

(最近は物騒な話も聞くし、今日は帰ってきたら少しきつめに言わないとダメだな……)

 そんな事を考えていた。


 帰ってきたら……。


 帰ってきたら……。


 覚えているのは……自警団の男が家に駆け込んできた事と、血塗れのエフィーを抱きしめた事……。


 気が付くと――俺は牢に座っていた。

 自警団に捕まった犯人を、殴り殺したのは夢ではないようだ。

 徐々に形を失っていった犯人の顔をおぼろ気に思い出せる。

 両手の怪我は、その時に負ったものだろう……。


 ――数日経って、俺は家に戻された。何のお咎めも無かった。

 友人達の嘆願で、領主様が放免してくれたそうだ。

 彼らの好意には感謝している。


 でも……。


 そのまま牢に押し込めておいて欲しかった。


 エフィーの戻らない家になど何の価値も意味も無い……。


 ただただ、エフィーの部屋に座り込んでいた。

 僅かに残るエフィーの気配に包まれ、何日も過ごした。


 日を追う毎に、煩く戸を叩いていた友人達は静かになっていった。

 そして、エフィーの気配も……着実に薄れていった。

 

 彼女はもう二度と戻らない。突き立てられたそれが、ゆっくりと、深く、深く、心に押し込まれて行くのが分かった……。



 エフィーの居ない日常など……そんな人生は要らない。無価値だ。ゴミですらない!!



 もう一度、エフィーに会いたかった。


 もう一度抱き締めたかった。


 声が聞きたかった。


 笑顔を見たかった。


 匂いを嗅ぎたかった。


 もう一度……エフィーに会って……。



 終わりにしよう――


      もう一度……



            エフィーに


      エフィー


    エフィー

         エフィー 

             もう一度

 

        エフィー  

     エフィー 

   もう一度

       エフィー 


          エフィー

            もう一度

        エフィー

     エフィー

         エフィー


           もう一度


――ン――!

       もう一度

           エフィー

         エフィー


      もう一度

           エフィー


――ラン!

 

       エフィー


――アラン!


            もう一度

          エフィー

      エフィー


――めて!

         エフィー 

      もう一度 


――アラン!


     エフィー 

       もう一度

          エフィー  

            エフィー


――アラン!

 

       エフィー

          エフィー

            もう一度


――止めて!  


やめろ……


――アラン!


   エフィー

        エフィー

             エフィー


アラン!


やめろ……



 アラン!


 止めて!



「邪魔をするな!!」



 キンッ――と響いた耳鳴りで、我に返った。

「アラン……こんな事止めて……」

「グレイス……」

 涙ぐんだグレイスが、俺を見つめていた。

 左の頬に、熱を感じた。


 俺は――エフィーの墓の前に立っていた。

 墓が掘り返され、両手は土にまみれて血が滲んでいた。

(そうだ……。ここを掘れば、エフィーに会えると……)

 グレイスは散らばった花を拾い集め、掘り返された土を戻した。


「アラン、家に来て。今のまま一人で居ちゃダメよ。ノエルもそうしろって言ってる」

「……」

 怯える動物をあやすように、グレイスはゆっくりと近づき、優しく手を取った。

「こんなに痩せて……」


「真っ昼間から墓暴きとは大胆な事をするね」


 同時に声を振り返った。

 木陰に、籠を持った老婆が佇んでいた。

(確か酒場で占いをやってる……)

 睨み付けるグレイスを意に介さず、老婆はアランへ歩み寄った。


「無茶をしたもんだね。傷だらけじゃないか」

 アランの手を見つめ、老婆はグレイスに声をかけた。

「傷を洗って、薬を作るからね、ちょいと水を汲んできてくれるかい」

「……」

「ほれ、早く行きな」


 ――井戸へ向かうグレイスを見送り、老婆はアランを木陰へ導いた。

「そこへ座んな」

「……」

 むっつりと座るアランへ、老婆は尋ねた。

「妹さんの死が受け入れられないかい?」

「……」

「仮に無かった事になったとしても、いつかは死別するんだよ」

「そんなことは分かってる!!」


「まぁ、そう割りきれるもんじゃないさね……」

「……」

「あたしはね、母に会いたいよ。この歳になってもね……また母の胸に飛び込みたい」

「……」

「未練ってのは、そうそう消えるもんじゃないね……」


 老婆は戻ったグレイスから水桶を受け取り、小瓶に水を汲んで残りをアランに差し出した。

「ほれ、傷は自分で洗いな」

 水に手を入れると、ツンとした痛みに思わず手を引き戻しそうになった。

 同時に、意識が体に定着するのを感じた。


 老婆は籠から幾つかの植物を取り出し、濡らした布で包み潰すように揉んでいた。

「……亡くなったのは、いつ頃の事なんだ……?」

「あたしの母かい?」

「……ああ」

「あたしが子供の頃だよ」

「そうか……」


「あんたと同じさ。老いて死んだのであれば、それなりに覚悟もできたんだろうけど……。ほれ、手を出しな」

 アランの手を取り、老婆は緑色の汁が滲み出した布をトントンと傷口に当てた。


 痛みに顔を歪めながら、アランは尋ねた。

「……殺され……たのか?」

「ああ、ある日家に帰ったら……。村長さんに村の連中、お役人までいたよ。

 魔女だと言われてね、寄って集って……引きずり出されて、炙り殺されちまったよ」


「可哀想に……」

 グレイスは悲しげな目でじっと老婆を見つめた。

「魔女なんて……都合の悪いことを押し付けられた可哀想な人達よ。魔女も悪魔も、都合の悪いことを押し付ける為の方便よ。バカらしい」


「その通りだよ。世間が言う魔女なんて者は居ない。あたしらは……薬を作ったり、占いをやって、心や体の傷を癒す手伝いをしているだけさ」

「……」

 老婆に身を任せ、アランはじっと話に耳を傾けた。


「でも、悪魔は居るよ。世間で言われているような、分かりやすい姿はしていないからね。誰も気が付かないのさ。

 でも、存在は感じている。だから、目に見える分かりやすい悪者が欲しいのさ」


 仕上げに軽く拭い、老婆はアランの手を戻した。

「ほれ、終わったよ。よく乾かして、濡らさないようにね」

「……ありがとう」

「後はしっかり食って、ガリガリの体をどうにかしないとね」

 そう言ってグレイスにちらりと目を向けた。


「あたしは料理は得意じゃなくてね。蛇や蜥蜴(とかげ)で良ければ出せるけどね」

 そう言ってニタリと笑みを浮かべた。

「冗談……。何か作るわ。家へ行っても良いかしら?」

 グレイスはふと顔を崩し、アランを振り返った。


「あ、ああ……」

「あなたも一緒にどう?」

「あたしも良いのかい?」

 グレイスの目配せを受け、アランはゆっくりと頷いた。

「じゃ、お言葉に甘えようかね」



 それから、老婆はアランの元を訪れるよになった。

「じっとしていたらロクな事を考えないからね。ほれ、どんどん手を動かしな」


 そう言って、荒れ放題だった畑の手入れや放置していた山羊の世話など、何かとアランの世話を焼き、彼を外へ連れ出した。

 グレイスも足しげくアランの元を訪れ、食事の用意をしたりと世話を焼いた。


 老婆は畑の一画に小さな薬草園を作り、様々な薬草の知識や薬の作り方等をアランに教えた。

「これはね、大きく育ったら、乾燥させて薬師の所へ持って行けば高く買ってくれる。沢山育てるならこれだよ」


「こっちは?」

「これは……ほれ、墓地でお前さんの手に塗ったやつだよ」

「あれか……」

「これに……こっちの草を混ぜるとね、効き目が強くなるんだよ」

「なるほど」


「あら、お婆さん。精が出るわね」

「ああ、モリンズさん。具合はどうだい?」

「おかげ様で。あのお薬が良く効いたわ。ちょっと臭いがきついけど……塗っておくと膝がずいぶん楽になったわ」


「そりゃ良かった。今度この子に作り方を教えておくからね、欲しくなったらこの子に頼みな」

「まあ、お願いしても良いのかしら?」

「ええ、遠慮なく仰って下さい」

 自然に顔を綻ばせたアランを横目で窺い、老婆は頬を緩めた。



 そんな日々が続き、アランは職場へも顔を出すようになった。

 そうして、三年程が過ぎた、ある日の事だ――



 何時ものように、グレイスが食事を作りにアランの家を訪れた。

「何時もすまない……」

「良いのよ。気にしないで」

「あんたが独り身だったら良かったのにね」

 調理場に立つグレイスを眺め、老婆はしみじみと溢した。

「紹介はしてるのよ。みーんな断っちゃって。もういい歳なのに……」

「ま、こればっかしは焦っても仕方がないね」

 バツが悪そうに俯くアランを見て、老婆はひゃっひゃと笑い声を漏らした。


「いけない……」

 ふと、食事の支度を始めたグレイスが呟いた。

「どうした?」

「家に忘れてきたのかも……」

 歩み寄ったアランとのやり取りが聞こえ、

「――それなら畑にある。ちょっと採ってくるよ」

 そう言って、アランが家を出た。


 入れ替わりに、グレイスへ歩み寄った老婆が静かに声をかけた。

「だいぶ良くなってきたね。最近はよく笑うようになった」

「ええ。仕事は休みがちだけど……気長に様子を見ようって、旦那も言ってくれてる」


「でも……まだ危うい。今もよく妹さんの部屋にぼんやりと座って、姿が見えない時は、墓に向かって何か話してるよ。まるでそこに妹さんが居るみたいに、何時間もね……」

「……」

「自分の人生は、妹の人生のおまけ。まだそんな風に思ってるみたいだよ」


 その後、食後にお茶を飲んでいた時だ。唐突に、老婆がある話を持ちかけた。

「アラン。ちょっと遠いんだけど、あたしの知り合いが本屋を……と言っても趣味みたいなものなんだけどね」

「……?」


「金持ちの道楽でね、色んな本を収集してて、面白い本を見つけると自分の所で刷って売ったりしてるのさ。

 そりゃもう山ほど収集しててね、住み込みでその蔵書の管理や本の買付をやってくれる人間を探していてね」

「それを……俺に?」


「目ん玉を剥くような値段の本が、タダで読み放題だよ」

「それは魅力的な話だけど……」

 断りかけたアランだったが、遮るように発した老婆の言葉のに口を閉じた。


「死者の書。って聞いたことがあるかい?」


「……いや」

「生涯に一度だけ読むことが出来ると言われていてね……。命を一つだけ、望むままに扱う術が記されている。そんな話だよ」

「命を望むままに扱う?」

「望む相手に、望む通りの死を与える。または――」


「望む相手を蘇らせる」


 アランの目の色が、変わる様がはっきりと見て取れた。

「……」

「ちょっと……」

 グレイスは老婆に険しい目を向けた。


「あたしは見たことは無いんだけどね……。祖父は本物を見たことがあると言っていた」

「本当にそんな物があるのか……?」

 口を挟みかけたグレイスは、アラン顔を見て言葉を飲み込んだ。


「祖父はね、神だの悪魔だのってものを全く信じていない人だった。その祖父がね……目にした瞬間、この世ならざる存在を感じた。なんて事を言っていたよ」

「……」


「本当に特別な力を宿した物は、求める者の前に現れるというからね。本に携わり続ければ、ひょっとしたら……」

 そこまで言って、老婆はふと顔を崩した。


「これはね、多分、所謂(いわゆる)魔導書なんて呼ばれる類いの物だよ。こういった物は大抵は眉唾でね、本当にあったとしても……がっかりするような事しか書いてなかったりする」

「……」

「それを承知で、探してみるかい?」



「――それじゃ、手紙を出しておくから、返事が来たら知らせるよ」

 頷き返したアランに見送られ、グレイスと老婆は帰路についた。

 暫く道を歩き、隣を歩いていたグレイスがポツリと溢した。


「なんであんな話を……」

「おや? ああいった物は信じるのかい?」

「……ウソだったの?」

 目を剥いたグレイスへ、老婆は何処か含みのある顔を向けた。


「うんにゃ、本当さ。……半分はね」

「半分は?」

「もう半分は……。そうさね、方便(・・)。かね」

 そう言って、老婆はニタリと笑った。


「祖父はあたしが生まれた時にはとっくに死んでてね。顔も見たことがないよ」

 話をしていた時の真剣な顔を思い浮かべ、グレイスは溜め息をついた。

「呆れた……。あんな弱みにつけ込むような事まで言って」


「……もう、あんな手段しか思いつかなかったのさ」

 老婆は歩みを止め、ため息と同時に項垂れた。

「あたしには、あの子の心の穴は塞げない。余計な物が入っちまう前に、別の物を詰め込んで……。無駄に歳ばかり食って、嫌になるね……」


「……ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだけど……」

 グレイスはそっと老婆の背に手を回した。

「私には……、そんな手段すら思いつけなかったわ。ただただ家に行って顔を見るだけ……役立たずね」


「そんな事はないさ。ただ……」

「……ただ?」

 ふと、老婆は何時もの調子に戻った。

「独り身じゃないのが残念だと思ってね。良い夫婦になったと思うんだがね」

「それはどうにもならないわ」

「あんたの心もどうにもならんか……」

「ええ。残念ならがら」


 再び歩き始めた老婆後に続き、グレイスが尋ねた。

「ところで、何時になったら名前を教えてくれるの?」

「長いこと名乗った事がないからね、忘れちまったよ。今まで通り、好きに呼ぶといい」

「そればっかり……。本当は覚えてるんでしょ?」

「魔女はね、自分の名前を教えちゃいけないんだよ」

 そう言って、ヒッヒと怪しげに笑って見せた。



 それから間もなく、アランは遠く離れた町へ引っ越して行った。

 しかし、月に一度は戻り、エフィーの墓を訪れた。

 アランの家は、老婆が家守として住む事になった。数年の間に――畑は一面の薬草園へと変わり、アランの部屋は占いや薬を作る道具に埋め尽くされた。


 エフィーの部屋だけが、時間から取り残されたように、そのままの姿で残されていた。

「……」

(エフィー……)


「おや、もう一月経つんだね。お帰り」

 振り返ると、薬草の詰まった籠提げた老婆が玄関に佇んでいた。

「お婆さん。ただいま」

「お墓の方には行ったのかい?」

「ええ」


 アランの隣に立ち、老婆はエフィーの部屋を覗き込んだ。

「埃を払うぐらいはやってるんだけど……やらない方が良いかい?」

「いえ、お願いします」

 程よく垢抜け、小綺麗な出で立ちのアランをまじまじと見つめた。

「……見る度に男振りが上がってるね」


「そうですか……?」

「言葉遣いも上品になって……良い男になった」

 はにかんだアランをからかう様に、老婆はひゃっひゃと楽しげに笑った。


「そうだ、グレイスの所へは行ったかい?」

「いえ、これから行くところです」 

「産まれたんだよ」

「本当に?」

「ああ。顔を見せてやんな」



 ――訪いを入れると、腕に赤子を抱いたグレイスが出迎えた。

「アラン。お帰りなさい」

「グレイス! おめでとう」

「ありがとう」

「知らせてくれたら何かお祝いを用意してきたのに……」

「急だったから……。それに、驚かせたかったし」


「名前は?」

「アネットよ」

「女の子か……。良い名前だ」

「ありがと」

 アランは赤子の顔を覗き込み、指先で握手を交わした。

「やあ、アネット。初めまして」

「さ、入って。お茶を入れるわ――」


 ※


「――飛び出して行って、振り向いたらもう居ないんだからさ。運んでもらう物が沢山あったのに、くたびれちまったよ」

「すみません、つい……」

 一足遅れて到着した老婆を交え、お茶を飲みながらグレイスは尋ねた。

「それで――仕事の方はどう? 上手く行きそう? 新しく印刷所を作って、本格的な事業にするって話だったわよね?」

「まだ何とも……。でもこっちの事は全て僕に任せると旦那様に言われていてね。成功させて、期待に応えないと……」


「お前さんが取り仕切ってるのかい?」

「ええ……」

「すごいじゃないか」

 目を丸くする老婆に、アランは力なく微笑んだ。

「任せてもらえたのは素直にうれしい。でも……正直なところ、不安の方が大きい」

「あなたならきっと大丈夫よ」


 やがて――微笑んだグレイスの言葉通り、アランは成功を収めた。

 立ち上げた会社はメキメキと成長を続け、僅か数年で莫大な資産を築いた。


 だが、アランの顔は冴えなかった。

 大きな金を手にすれば、見つける事が出来るかも知れない。そんな思いから死に物狂いで会社を育てた。

 でも、死者の書は見つからなかった。

 どれだけ手を尽くしても、噂話以上のものは出てこなかった。


 闇を切り取った様な、黒い装丁の本である。


 故郷を離れて十余年。膨大な時間と金をかけて手にしたのは、たったそれだけだった。

(でも、それだけでも分かった。何も得られなかったわけではない)


 死者の書はきっとある。

 成果の小ささとは裏腹に、その思いは強くなる一方だった――



 ◆



「やぁ、アネット。こんにちは」

「こんにちは」

 小さな頭を撫で、アランは包みを差し出した。

「はい、新しい本だよ」

「ありがとう」


 パッと笑顔を咲かせたアネットを愛おしげに見つめ、アランは顔を綻ばせた。

 その隣で――グレイスはちらりと老婆に目配せを送った。

「さぁ、アネット。ババアが読んであげよう。こっちへおいで」

 老婆の手を引き、別室へ向かうアネットを見送り、アランはしみじみと呟いた。


「大きくなったな……」

「ええ、もう五歳よ」

 そう言うと、グレイスは顔を戻してじっとアランを見つめた。

「アラン。マリーさん、って言うすごい美人が訪ねてきたわ」

 動きを止めたアランに、畳み掛けるように付け加えた。

「お父様と一緒にね」


「旦那様が……」

「もう主従の関係ではないのだから、旦那様はやめてくれって」

「……それを言いに?」

「わざととぼけてるの?」

「……」


「分かってるでしょ? あなたにお義父様って呼ばれたいそうよ。マリーを娶ってくれるよう説得してくれって頼まれたわ」

「……」

 グレイスは呆れたようにアラン見つめた。

「あなた……自分の事を何にも話てなかったのね。エフィーの話をしたら凄く驚いてたわ」

「……」


「私なんて、お妾と思われてたみたいよ。アネットを見た時の顔といったら……」

 グレイスは可笑しそうに笑った。

「主人にまで大笑いされたわ」

「すまない。君には迷惑ばかり……」

「迷惑だなんて。そんな風に思った事ないわよ。私の性格は、よく知ってるでしょ?」

 弱々しい笑みを浮かべるアランへ微笑み返し、グレイスは言葉を続けた。


「私も、あなたの事はよく知っているつもりよ。あなたにとって、エフィーがどれ程の存在だったかも。

 何を置いてもエフィーが一番。自分はついで。それは今も同じ。きっとこれからも……」


「グレイス、僕は……」

「ねぇ、アラン」

 グレイスはアランの前に膝をつき、手を取った。

「あなたの事だから、エフィーを差し置いてとか、エフィー以外の事に人生を使うなんて……そんな事を考えているんでしょ?」

「……」


「自分の人生なんだから、どう生きようとあなたの自由よ。そうあるべきだと思う」

「……」

「でも、本当の意味で、もっと自分の人生に目を向けても良いはずよ。本当の意味で、自分為の人生を歩んで欲しい。自分の為に人生を使って欲しい」


 グレイスは目に涙を浮かべ、手に力がこもった。

「私は、今生きているあなたに、幸せになって欲しい。

 少しでいい。エフィーに向けている愛を、周りに、自分に分けてあげて」


「グレイス……僕は」


「僕は……」




 夢に、エフィーが現れた。

 あの日から、エフィーは歳を取らなくなった。

 いつも同じ姿で、変わらぬ笑顔で笑いかけてくれる。

 あの日の朝、玄関に立ち僕を見送った、あの笑顔で。


 兄さん。


 エフィー……僕は……。


 兄さん。


 君をここに残したまま歩んで……。


 兄さん。


 エフィー……。


 兄さん。いってらっしゃい。


 エフィー……?


 手を振るエフィーと共に、玄関はゆっくりと遠ざかって行く――


 あの日と、同じように。


 エフィー……待って……


 待ってくれ!


 エフィー!



「エフィー……」

 自分の声で、ふと目を覚ました。

 背で動いた微かな気配と、扉が閉じる音を聞いた。

(眠っていたのか……)


 身を起こすと、背に掛けられていた毛布が床に落ちた。

 そして仄かに漂う香水の香りが、それが誰の気遣いであるかを教えた。

「……マリー」

 ぽつりと呟き、扉を見つめたまま立ち尽くした。


 自分の人生。自分の為の人生。自分の幸せ……。

(エフィーを差し置いて……そんな事が許されるのか……)

「……」

 首を振り、開いたままの本を閉じて書棚へ運んだ。

(……?)


 それを収める隙間に、見知らぬ本が収まっていた。

 異様な存在感を放ち、闇を切り取った様な、淀みのない黒い装丁――


「死者の書……」


 思わず、その名が口を突いた。

 エフィーから一瞬目を逸らした隙に、それは現れた。


 自分を求めた想いは、その程度のものだったのか?


 そう、問われた気がした。



 迷うことなく、アランは手を伸ばした――

2018/09 再編集 2019/8/18誤字等修正 2022/04/23微修正

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