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死者の書  作者: 立花 葵
千夏
11/13

黒瀬

 千夏(ちなつ)は、良く言えば活発。悪く言えば、自己中心的。ガキ大将がそのまま大きくなったような奴だった。

 親友の春菜も同じだ。おとなしい性格も、千夏との関係も、子供の頃のままだ。


 常に千夏に付き従い、親友というより忠実な従者だった。千夏が黒い物を白いと言えばそれを受け入れる。常に千夏と行動を共にし、学校も部活も千夏と同じだからという理由で選でいた。

 だから……千夏が居なくなって、春菜は狂ってしまうのではないかと思った。



「――それで、貴方は何を望むのかしら?」

 黒い部屋に、女の声が響いた。

「……狂ったのは、俺の方だった」

 女の向かいに若い男が座っている。項垂れるように顔を伏せ、ボソボソと返した。


「千夏を返してくれ」

「なら、私と契約を交わし、対価を支払いなさい」

 女は平坦に告げ、冷めた目を向けた。

「対価?」

「戻す命に、見合った価値のものを頂くわ」


「そんな物はない。千夏の命以上の物など……そんな物はない」

「……」

「……全部だ。俺の人生も、幸せも、千夏が居てこそのものだ。千夏が居なければ意味はない」

 女は目を細め、眉間に微かな皺が刻まれた。


「貰い過ぎね。そんな価値は無いわ」

「なんだと!?」

 顔を上げた男は目を吊り上げ、まだ幼さの残る顔を精一杯怒らせた。

「お前に何が分かる!? 千夏を失ってからの俺が……千夏の居ない日常の、この空しさがお前にわかるか!?」

 いきり立つ男を見つめ、女は嘲笑うようにため息を漏らした。


「悲劇に酔うのも大概になさい」

「酔う? ふざけるな!!」

「一度しか言わないわ。このまま本を閉じなさい」

「……フン、本当は出来ないんじゃないのか? 死者を蘇らせるなんて出来ないんだろ?」

 女を睨み、負けじと目を吊り上げた。


「そう……。貴方の人生と幸せ。本当に良いのね? お釣りは返せないわよ」

「それで足りるか心配だ」

「……いいわ、黒瀬(くろせ)亜樹(あき)。契約を交わましょう――」


 ※


 ハッ――、と顔を上げた黒瀬の視界を本棚が塞いだ。左右の壁まで届く長い本棚……手元を見ると、読んでいた本だけが忽然と消えたかのようだった。

「……」

 状況が飲み込めず、周囲を見回していた目が別の女を捉えた。


「黒瀬くん……?」

 彼女は不安げな目を向け、黒瀬に歩み寄った。

「黒瀬くん大丈夫?」

「……春菜」

「どうしたの?」


「今……」

 何かを言いかけ、不意に顔を曇らせていつもの彼に戻った。

 悲劇に見舞われ、生きる糧を失い人生に絶望した男。それが、彼が思う今の自分のあるべき姿だ。


 そして、ここが何処で何故ここへ来たのかを思い出した。

 帰り道に、気分を変えようと図書館へ寄ったのだ。

「なんでもない。ちょっと千夏の事を思い出して……」

「……ここにもちーちゃんの思い出があるんだね。ごめんね……思い出させちゃって……」


「……」

 本棚に目を戻すと、目の前に一冊分の隙間がある。


 この隙間には本があった。図鑑のように大きく、辞書のように分厚い……。

 闇を切り取ったような、黒い装丁の――

「黒瀬くん……? 本当に大丈夫?」

「……もう帰ろう」



 ――道を行く二人に会話はない。

 黒瀬が前を歩き、春菜がその一歩後ろを歩いている。千夏が居なくなっても、この光景は変わらない。

 並んで歩く千夏と黒瀬の一歩後ろを、春菜が付いて回る。話をするでもなく、ただ付いてくる。


 こちらから話を振れば応えるが、自分から入ってきたりなどはしない。前を行く二人を、ニコニコと眺めていた。子供の頃からずっと……。

 それは黒瀬と千夏が付き合い始めても変わらなかった。これが当たり前で、二人は気にも留めていなかった。

 千夏の姿と、春菜の笑顔が無い以外は何時もと同じ……何も変わった事はない。



 黒瀬は足を止め、欄干から花を落とした。

「……」

 半年前……千夏はここから落ちた。 

 ふざけて欄干上を歩き、風に煽られてバランスを崩した。

 落ちてゆく千夏の顔が、見開いた瞳が、今も目に焼き付いている……。


 この後は家へ帰り、翌朝に春菜が迎えに来て、帰りに花を落とす。

「黒瀬くん」

 玄関を開け、黒瀬は春菜を振り返った。

「また明日ね」と続ける春菜へ「……うん」と返す。

 あれからずっと、判で押したように繰り返していた。


 この日までは……。

「私が代わりになれないかな……?」

「……代わり?」

「ちーちゃんの代わりになれないかな……」

「……」


「私は……ちーちゃんと黒瀬くんの事を誰よりも知ってる。私なら、私しか、ちーちゃんの代わりにはなれない」

「千夏の代わり……?」

「ダメ……かな?」


 誰かの代わりなんて、そんな事誰も出来っこない。

 自分が千夏を演じれば、三人揃っていた時へ戻れる。そんな子供じみた事を考えているのだと思った。


 春菜の手を引き、部屋へ入って彼女を押し倒した。

 何もするつもりはなかった。ただ脅かそうと思っただけだ。

 俺のキズは、そんな浅いものじゃない。

 そう理解し、泣いて逃げ出すだろうと思っていた。


 だが――

「よかった……私、代わりになれるんだね」

 春菜は……逃げなかった。

 恍惚と見つめる彼女の腕を、俺は振り解く事ができなかった。

2022/04/25微修正 2025/12/14微修正

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