黒瀬
千夏は、良く言えば活発。悪く言えば、自己中心的。ガキ大将がそのまま大きくなったような奴だった。
親友の春菜も同じだ。おとなしい性格も、千夏との関係も、子供の頃のままだ。
常に千夏に付き従い、親友というより忠実な従者だった。千夏が黒い物を白いと言えばそれを受け入れる。常に千夏と行動を共にし、学校も部活も千夏と同じだからという理由で選でいた。
だから……千夏が居なくなって、春菜は狂ってしまうのではないかと思った。
「――それで、貴方は何を望むのかしら?」
黒い部屋に、女の声が響いた。
「……狂ったのは、俺の方だった」
女の向かいに若い男が座っている。項垂れるように顔を伏せ、ボソボソと返した。
「千夏を返してくれ」
「なら、私と契約を交わし、対価を支払いなさい」
女は平坦に告げ、冷めた目を向けた。
「対価?」
「戻す命に、見合った価値のものを頂くわ」
「そんな物はない。千夏の命以上の物など……そんな物はない」
「……」
「……全部だ。俺の人生も、幸せも、千夏が居てこそのものだ。千夏が居なければ意味はない」
女は目を細め、眉間に微かな皺が刻まれた。
「貰い過ぎね。そんな価値は無いわ」
「なんだと!?」
顔を上げた男は目を吊り上げ、まだ幼さの残る顔を精一杯怒らせた。
「お前に何が分かる!? 千夏を失ってからの俺が……千夏の居ない日常の、この空しさがお前にわかるか!?」
いきり立つ男を見つめ、女は嘲笑うようにため息を漏らした。
「悲劇に酔うのも大概になさい」
「酔う? ふざけるな!!」
「一度しか言わないわ。このまま本を閉じなさい」
「……フン、本当は出来ないんじゃないのか? 死者を蘇らせるなんて出来ないんだろ?」
女を睨み、負けじと目を吊り上げた。
「そう……。貴方の人生と幸せ。本当に良いのね? お釣りは返せないわよ」
「それで足りるか心配だ」
「……いいわ、黒瀬亜樹。契約を交わましょう――」
※
ハッ――、と顔を上げた黒瀬の視界を本棚が塞いだ。左右の壁まで届く長い本棚……手元を見ると、読んでいた本だけが忽然と消えたかのようだった。
「……」
状況が飲み込めず、周囲を見回していた目が別の女を捉えた。
「黒瀬くん……?」
彼女は不安げな目を向け、黒瀬に歩み寄った。
「黒瀬くん大丈夫?」
「……春菜」
「どうしたの?」
「今……」
何かを言いかけ、不意に顔を曇らせていつもの彼に戻った。
悲劇に見舞われ、生きる糧を失い人生に絶望した男。それが、彼が思う今の自分のあるべき姿だ。
そして、ここが何処で何故ここへ来たのかを思い出した。
帰り道に、気分を変えようと図書館へ寄ったのだ。
「なんでもない。ちょっと千夏の事を思い出して……」
「……ここにもちーちゃんの思い出があるんだね。ごめんね……思い出させちゃって……」
「……」
本棚に目を戻すと、目の前に一冊分の隙間がある。
この隙間には本があった。図鑑のように大きく、辞書のように分厚い……。
闇を切り取ったような、黒い装丁の――
「黒瀬くん……? 本当に大丈夫?」
「……もう帰ろう」
――道を行く二人に会話はない。
黒瀬が前を歩き、春菜がその一歩後ろを歩いている。千夏が居なくなっても、この光景は変わらない。
並んで歩く千夏と黒瀬の一歩後ろを、春菜が付いて回る。話をするでもなく、ただ付いてくる。
こちらから話を振れば応えるが、自分から入ってきたりなどはしない。前を行く二人を、ニコニコと眺めていた。子供の頃からずっと……。
それは黒瀬と千夏が付き合い始めても変わらなかった。これが当たり前で、二人は気にも留めていなかった。
千夏の姿と、春菜の笑顔が無い以外は何時もと同じ……何も変わった事はない。
黒瀬は足を止め、欄干から花を落とした。
「……」
半年前……千夏はここから落ちた。
ふざけて欄干上を歩き、風に煽られてバランスを崩した。
落ちてゆく千夏の顔が、見開いた瞳が、今も目に焼き付いている……。
この後は家へ帰り、翌朝に春菜が迎えに来て、帰りに花を落とす。
「黒瀬くん」
玄関を開け、黒瀬は春菜を振り返った。
「また明日ね」と続ける春菜へ「……うん」と返す。
あれからずっと、判で押したように繰り返していた。
この日までは……。
「私が代わりになれないかな……?」
「……代わり?」
「ちーちゃんの代わりになれないかな……」
「……」
「私は……ちーちゃんと黒瀬くんの事を誰よりも知ってる。私なら、私しか、ちーちゃんの代わりにはなれない」
「千夏の代わり……?」
「ダメ……かな?」
誰かの代わりなんて、そんな事誰も出来っこない。
自分が千夏を演じれば、三人揃っていた時へ戻れる。そんな子供じみた事を考えているのだと思った。
春菜の手を引き、部屋へ入って彼女を押し倒した。
何もするつもりはなかった。ただ脅かそうと思っただけだ。
俺のキズは、そんな浅いものじゃない。
そう理解し、泣いて逃げ出すだろうと思っていた。
だが――
「よかった……私、代わりになれるんだね」
春菜は……逃げなかった。
恍惚と見つめる彼女の腕を、俺は振り解く事ができなかった。
2022/04/25微修正 2025/12/14微修正




