妹
黒い部屋。
真っ黒い部屋だ。
暗いわけではない。
自分の体も、目の前に座る美しい女性も、彼女が座る椅子も、脇に置かれた小さなテーブルも――ハッキリと見える。
それ以外は何も見えない。
黒一色。
黒い部屋だ……。
目の前の女が、口元に薄い笑みを浮かべた。
「貴方の望みを、伺いましょう――」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
エフィーはふと目を覚ました。
(いけない……眠ってしまったのね……)
市場へミルクを売りに行った帰りに立ち寄る大きな木。ここに座って遠くに見える町を見下ろし、周囲に広がる畑や水車小屋をぼんやりと眺めるのが彼女の楽しみだ。
程よい日差と風に誘われ、つい居眠りをしてしまったようだ。
(早く帰らないと……)
空のミルク缶を背負ったエフィーは、ふと腹部に目を落とした。
(どうしたんだろう……)
刃物で切り裂いたように、パックリと服に穴が開いていた。
「……」
どうして穴が開いてしまったのかよりも、気に入っていた服に穴が開いていた事が悲しかった。
――家に着いた頃には日が暮れ、ポツポツと星が見えた。
玄関を開けると、自室の入り口に佇んだ兄がエフィーを見つめていた。
「ただいま……途中で――」
「遅かったな。何をしていたんだ?」
遮った兄の鋭い声に、心臓がドキリ脈打った。
「ちょっと途中で居眠りしちゃって……」
――チッ、と舌打ちが聞こえた。
荒々しく扉を閉め、自室へ戻った兄の顔が、エフィーの心を凍り付かせた。
これ程までに怒りを露わにした兄を見たのは初めてだった。
「兄さん……」
扉越しに、エフィーは謝罪と弁解を口にした。
「兄さん……。ごめんなさい。あの木の所で休んでたら眠ってしまって……」
しかし返事は無く、部屋からは物音一つ聞こえなかった。
「兄さん……?」
扉は何かで押さえられているようで、開くことは出来なかった。
――自室のベッドに身を投げ、先程の兄の顔を思い浮かべた。
口元を歪め、自分を睨み付けた瞳は、怒りだけでなく憎しみすら感じた。
帰りが遅くなったのは、何も今日が初めてでは無い。でも、それを咎められた事はなかった。
(どうしたんだろう……何かあったのかな……)
『夜道は危ない。日が高い内に帰ってきなさい』
何時もそう言って、少し困った顔で優しく頭を撫でてくれた。
まるで――
(別人みたい……)
翌朝、エフィーが目覚めると兄の姿は無かった。
「……」
ふと、机に置かれた本が目に留まった。
真っ黒い装丁の古びた本だ。
(こんなのあったかしら……)
異様な存在感を発するそれに、とても嫌なものを感じた。はきとは言えないが……とても悍ましい物に思えた。
だが、足は無意識に彼女を本の元へ導き、魅入られたように手を伸ばした――
ふと、玄関をノックする音が聞こえた。
応対に出ると、モリンズ婦人が何時もの笑顔で佇んでいた。
「おはよう。エフィーちゃん」
兄と二人暮らしのエフィーを気遣い、いつも畑仕事の手伝いに来てくれている。
「おはようございます」
挨拶を返すエフィーを見つめ、モリンズ婦人は顔を曇らせた。
「エフィーちゃん……大丈夫? 顔色が悪いわよ?」
昨夜は兄の様子が気になってロクに眠れていなかった。
「ちょっと夜更かししちゃって……多分、そのせいだと思います」
「ムリしちゃダメよ? 何かあったら何時でも家に来て良いんだからね?」
「大丈夫ですよ。ありがとうございます」
手早く支度を済ませたエフィーは、ふと兄の部屋を覗いた。
(あれ……?)
机には、何の変哲もない本が置かれていた。
「……」
(見間違い……だったのかしら……?)
小さい頃に両親を亡くし、それからエフィーは歳の離れた兄と二人暮らしをしている。
まだ幼かったエフィーの世話をしながら、兄のアランは両親が残した畑と山羊でどうにか生計を立てた。
エフィーが成長すると、そちらはエフィーに任せてアランは町へ働きに出るようになった。貧しい事に変わりはないが、暮らし向きは良くなった。
「――やっぱり何処か具合が悪いんじゃないの……?」
気が付くと、モリンズ婦人が顔を覗き込んでいた。
「え――? いえ、大丈夫ですよ」
明るく取り繕ったが、エフィーは手元を見てハッとなった。
野菜を収穫していたつもりが、手に握られていたのは土だった。籠にもこんもりと土が盛られていた……。
「――きっと虫の居所が悪かったのよ」
モリンズ婦人はそう言って笑った。
「うちの息子も、そういう事がちょくちょくあったわ」
「そうなんですか……?」
「ええ。そういう時は放っておくのが一番よ。あまり考え過ぎちゃだめよ」
――虫の居所が悪かった。
そうであれば良かった……。
そうであれば……。
――パン!! っと大きな音が響いた。
よろけたエフィーが膝をつき、蹲った。
頬を抜け、骨に響く重い痛み――
「うんざりなんだよ……」
鳴り響く耳鳴りに混じり――切りつけるような兄の言葉が聞こえた。
「もうお前に煩わされるのはまっぴらだ!!」
「兄……さん……?」
「いつもいつも、何時までも……! 何時までお前の面倒を見なくちゃならないんだ!!」
――容赦ない言葉と拳を振り下ろす兄に、私は蹲りひたすら謝り続けた。
わけが分からなかった……
ただただ、痛くて……
苦しくて……とても悲しかった――
なによりも……
私を殴り付ける兄の顔が、恐ろしかった――
突然、兄は変わってしまった。
クスリとも笑わなくなり、まともに会話すらしなくなった。
何時も私を睨み付け、容赦なく言葉と拳を振るった……。
食事の支度が遅い。
食べるのが遅い。
器の持ち方が気に入らない。
戸の閉め方が気に入らない。
私の目が気に入らない。
私の顔が気に入らない。
私の声が気に入らない。
私の歩く音が気に入らない……。
私の――――。
私の……。
全てが気に入らない。
私も変わった。
常に兄の顔色を窺い、何気ない仕草にビクつき、息を殺して過ごした。
でも、兄は私以外の人へは何も変わらなかった。
「おはようございます。モリンズさん。何時もすみません」
「良いのよ。それより、エフィーちゃんは大丈夫? この間も寝込んでしまったて……」
「エフィーに負担を掛けすぎたのかもしれません……。疲れが溜まっているんだろうって……、僕がもっとしっかりしていれば……」
「貴方はよくやっているわよ。でも、何か助けが必要な時は遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます。でも暫く寝ていれば直ると、お医者様も仰っていましたし、ご心配なく」
顔の痣や傷は隠しきれなくなり、私はしばしば家に閉じ込められた。
いや……私が出るのを拒んだのだ。
私の顔が痣だらけでも、兄は外出を止めたりする事はなかった。むしろ、外へ出そうとしているように思えた。
私が、留まっているのだ……。
私以外に向ける兄の瞳が、笑顔が……優しかった兄の記憶を呼び起こし、私をこの家に繋ぎ止めていた。
いつか――
耐えていれば、いつか――
いつか……。
鬱陶しいんだよ!!
うるさい!
何だその目は!?
お前さえ居なければ
そんな事も出来ないのか?
ノロマが
目障りなんだよ!
俺を煩わせるな!!
何時も何時も
いい加減に開放してくれないか?
不満ならさっさと出て行け
清々する
役立たずが!
押し付けられた身にもなれ
お前に何が出来る?
うんざりなんだよ!!
――気が付くと、ベッドで眠る兄の背を見つめていた。
私の手には、ナイフが握られていた。
(私は何を……)
握ったナイフを取り落とし、後ずさった。
……違う、違う!
――何で!
――
――ィー
――エフィー
「エフィー?」
不意に手を引かれた。
「エフィー? 大丈夫?」
「……グレイスさん」
グレイスさんが私の手を掴んでいた。
兄の友人、ノエルの奥さんだ。
「こんな時間に……。ちょっと――どうしたのよその顔」
辺りを見回すと、私はいつの間にか町に居た。夜の町を、私は一人で歩いていた。
「転んでしまって……」
「ちょっと来て――」
エフィーの手を引き、グレイスは近くの酒場へと入った。
疎らな店内を見回し、人目が届きにくい奥の席へ座った。
「それ、殴られたんでしょ?」
「違います……転んで――」
「ウソ。私も昔そんな痣を作ってたから分かるわよ」
真っ直ぐに自分を見つめるグレイスから、エフィーは思わず目を逸らした。
「……」
「……アランなの?」
「……」
「エフィー?」
「……私が。私が悪いんです」
「エフィー……。あなたの気持ちは良く分かる。わたしも、前の旦那によく殴られてたから……」
「……」
「自分が悪いんだ。自分のせいなんだってずっと思い込んでた。今考えると信じられないけどね……」
「……」
エフィーの手を握り、グレイスは諭すように続けた。
「私の家に来て。暫くアランから離れて」
「兄は……私がもっとしっかりすれば、きっと元に戻って……」
「エフィー……。これはお兄さんの為でもあるの。あなたが側に居る限り、お兄さんは変わらない。変わる事が出来ないの……」
「……」
「お兄さんに元に戻って欲しかったら、暫く離れて」
グレイスの手に、力がこもった。
「ね、私の家においで」
その時――いつの間にか脇に佇んでいた老婆が二人に声をかけた。何時も酒場の隅で占いをやっている老婆だ。
「ちょっと良いかね?」
「占いなら結構よ。他を当たってちょうだい」
素っ気なくあしらうグレイスを意に介さず、老婆は言葉を続けた。
「聞く気はなかったんだけど、話が聞こえてしまってね」
「だから他を当たって――」
老婆は椅子を引き、彼女を無視して二人の間に腰を下ろした。
「ちょっと――」
「なに、商売は抜きさ」
「本当に大事な話をしてるんだから。邪魔をしないで……」
老婆は椅子をエフィーへ向け、前屈みに尋ねた。
「娘さん。最近何か変わった物を見かけなかったかい? 何か、こう……凄く嫌な感じがする物だよ。
いきなり人が変わってしまった。なんて者の側には大抵そういう物がある」
「いいから向こうに行っててよ……」
煙たがるグレイスとは対照的に、エフィーは老婆の話に引き込まれた。
「……どうして?」
「悪魔さ」
「悪魔……?」
「エフィー、聞いちゃダメよ。悪魔なんて居るわけないでしょ」
「おや、どうしてそう言い切れるんだい?」
「悪魔なんて、都合の悪いことを都合よく片付ける為の方便よ。バカらしい。
そもそも、本当に居るんだったら見せてみなさい。そしたら信じてあげるわ」
「悪魔っていうのはね、あたしらが思い描くような、分かりやすい姿はしていない」
「……どういうこと?」
「エフィー、無視して」
グレイスを意に介さず、老婆は話を続けた。
「鏡であったり、絵であったり、剣や鎧、本であったりと色々さ。
魔に魅入られるような、心に闇や隙を持った者にはそれが特別な物に映る。手に取らずにはいられない。そう映るんだよ。
そうやって人に近づき、囁きかけるのさ」
「……」
「よく言うだろ? 魔が差した。ってさ。悪魔が囁くのさ、心の隙を突いてね」
そう言って、老婆はニタリと笑みを浮かべた。
「ほれ、今のあんたみたいにね。これだけ聞くなと言われているのに、こんなババアの語る怪しげな話に耳を傾けちまった。
そういう隙を、悪魔は突くんだよ」
「……今の話は嘘なの?」
「うんにゃ。本当の事だよ。ただね、今のあんたは隙だらけだ。ともかく、こっちの娘さんの世話になった方が良い。そういう隙を突くのは悪魔だけじゃない……悪魔みたいな人間も多いからね」
「……」
ややあって、エフィーは俯いたまま微かな声で尋ねた。
「……着替えだけ、取ってきてもいいですか?」
「……」
「ダメ……ですか……?」
「絶対に、戻ってくるのよ?」
「……はい」
――不安げな瞳でエフィーを見送り、グレイスは席に戻った。
「ムリにでも付いて行けば良かった。かね?」
「ええ。こんな時間だし……誰か付けるべきよね」
「そうだね」
「……でも、ここを乗り越えないと……自分の意思で越えてくれないと……」
「経験かね?」
「……ええ」
「そうかい」
そう言って老婆は優しげな笑みを浮かべた。
「どれ、打ち身に効く薬の作り方でも教えよう」
「……薬なんか作れるの?」
「ああ、魔女だからね」
「あなた魔女なの……?」
「おや? 悪魔は信じてなくても、魔女は信じている口かい?」
「いいえ、都合の悪いことを押し付けられた可愛そうな人達よ」
「あんたみたいな人ばかりだと良いんだけどね……」
そう言うと、老婆は声を落とした。
「でも、あまり大きな声で言うもんじゃないよ。人間ってのはね、悪魔なんかよりよっぽど恐ろしいからね」
「……そうね」
――家に戻ったエフィーは荷物を纏め、そっと兄の部屋を覗いた。
兄が豹変したあの日、妙な物を見た。
異様な存在感を発し、とても嫌な感じがした。だが、思わず手を伸ばしてしまった。
老婆の話を頭から信じたわけではないが、どうしても確かめておきたかった。
そっと部屋に足を差し込んだ、その時――
気配を感じ、ハッと玄関を振り返った。
(閂は掛けてない……)
そろりと開いた扉から、誰かが入って来るのが見えた。
(泥棒……?)
周囲を物色する人影を捉えたまま、息を殺し――ゆっくりと後退ったエフィーの足元で、ギシリと床が鳴った――
思わず足元を見たエフィーの耳に、チッ――と舌打ちが聞こえた。
次の瞬間――強い力で口を塞がれた。
「大人しくしてろ」
見知らぬ男が顔を寄せ、見せつける様にナイフを顔に押し当てた――
その時、男の後ろに兄の顔が見えた。
振り返った男はナイフを振りかざし、アランと激しい揉み合いとなった。
ギラギラと光を弾くナイフが、二人の間で暴れる生き物の様に思えた――
「エフィー! 逃げろ!!」
へたり込んでいたエフィーは、兄の声で我に返った。
直後、揉み合っていた二人はアランの部屋へ転がり込み、呻くような声が聞こえた。
「兄さん!」
エフィーは後を追い、部屋に駆け込んだ――
アランは覆い被さった男の腕を掴み、鼻先に迫ったナイフを辛うじて止めていた。
咄嗟に――エフィーは側にあった椅子を掴み、力任せに男の背へ打ち下ろした――
呻きを洩らし、怯んだ男を突き飛ばしてアランが飛びかかった。
二人は縺れるように廊下へ飛び出し――鈍い大きな音が聞こえた。
「に、兄さん……?」
廊下を覗くと……不自然に首を曲げ、横たわった男の腕がだらりと床を打った。
アランは喘ぐように息を吸い、身を起こしそのまま仰向けに倒れた。
「兄さん……大丈――」
血に染まった腹部を認め、エフィーは悲鳴を上げた。
「兄さん!!」
湧き出すように流れる血が、瞬く間に廊下を染めて行く――
「エフィー……」
呟いた兄の顔が――
「兄さん……待ってて! 直ぐにお医者様を――」
――醜く歪んだ。
アランの手が――エフィーの首を掴んだ。
そのまま彼女を押し倒し、首を締め上げた。
「……兄さ……ん」
苦しげに顔を歪めるエフィーに覆い被さり、首を絞め続けた。
「お前は……、押し入った強盗に殺されたんだ」
アランは尚もギリギリとエフィーの首を締め上げた。
「そいつに感謝しないとな……。ようやくこのノロマから開放される! もうお前に煩わされる事も無くなる!!」
アランは体重を乗せ、更に力を込めた。
「罪はそいつが被ってくれて、俺は解放される!! さぁ、死ね!! 死ね!! 早く死ね!!」
抗っていたエフィーの手が、ぱたりと床を打った――
「死ね!! 死ね!! 死ね!! さっさと死ね!!」
微かに動くエフィーの手に、床に転がったナイフが触れた――
悪魔のような形相で首を絞め続ける兄を見つめ……エフィーはナイフを握った――
(兄さん……)
「早く死ねよ!! 死ぬ瞬間まで俺を煩わせるのか!!」
ありったけの力を込め、エフィーは腕を振り抜いた――
「……兄さん」
突き立てる寸前で手を止め、エフィーはナイフを落とした。
兄の顔に両手を伸ばし、擦れた視界で兄を見つめた。
「……兄さん……愛してる。……何よりも……誰よりも。兄さんに必要とされないのなら……」
「――早く、殺して……」
首を絞めていた力緩み……目を瞑ったエフィーの顔に、ぽたりと暖かい物が落ちた。
「兄……さん……?」
アランはエフィーの手を取り、ナイフを握らせて自分の首に押し付けた。
顔をクシャクシャに歪ませ、ボロボロと涙を流して叫んだ。
「早く俺を殺せ!!!」
その瞬間――、フッと部屋の暗さが増した。黒いベールを被せたように、薄い闇が覆った。
アランはハッと身を起こし、飛び退いて叫んだ。
「……違う! 違う! 待ってくれ!! 違うんだ!!」
「――不成立」
どこからともなく、女の声が響いた。
机に置かれていた黒い本が独りでに開き、風にでも吹かれた様にパラパラとページが捲られた。
(あの本……!)
兄が豹変した日、机にあった本――
『何か変わった物を見かけなかったかい?』
占いなら結構よ
『嫌な感じがする物だ』
大事な話をしてるんだから
『いきなり人が変わってしまった』
聞いちゃダメよ
『大抵そういう物がある』
向こうに行っててよ……
『悪魔さ』
居るわけないでしょ
悪魔なんて
どうしてそう言い切れるんだい?
『分かりやすい姿はしていない』
方便よ
無視して
鏡であったり、絵であったり
剣や鎧
『本であったり』
手に取らずにはいられない
『そうやって人に近づき』
『囁きかけるのさ』
(あれが……!)
エフィーは身を起こし、素早くナイフを拾って駆け出した――
(これが……これが兄さんを……!!)
本をめがけ、ナイフを振り下ろした――
「――え?」
気が付くと、椅子に座っていた。
そして――目の前に見知らぬ女が座っていた。脇の小さなテーブルに頬杖をつき、じっとこちらを見つめていた。
「この場合は、どうなるのかしらね……」
(この声……)
先程兄の部屋に響いた声だ。
金縛りにあったように、体は全く動かす事が出来ない。
目だけを動かし、そこら中に視線を走らせた――
自分の体と、目の前の女――
彼女が座る椅子――脇に置かれたテーブル――
それ以外何も見えない――
――黒一色
黒い部屋だ。
「喋るくらいは出来るでしょ?」
頬杖をついたまま、女は面倒臭そうに声をかけた。
(この女が……)
「あなたは……? ここは……どうなっているの……」
「『死者の書』今、貴方が読んでいる本よ」
「死者の書……?」
「本当に、この場合はどうすれば良いのかしら?」
そう呟き、目を見開くエフィーをジッと見つめた。
「契約を交わしに来た、として扱うべきなのかしらね……」
女は頬杖を解き、真っ直ぐにエフィーを見つめた。
「貴方の望みを伺いましょう。読んでしまった以上、貴方にも契約を交わす権利があるわ」
「……望み? 契約……? 何を言っているの……」
「『死者の書』生涯に一度だけ読める本よ。命を一つだけ、貴方が望むように扱える。その術が書かれた本よ」
「命を……扱う?」
女は口元に薄い笑みを浮かべた。
「最も多いのは――誰かを殺したい。かしらね」
「望む相手に、望む通りの死を与える」
(なら――)
「あなたよ。あなたの死を望むわ」
その言葉に、女は嘲笑うように口許を歪めた。
「残念だけど、私は命を持っていないの。本だからね」
エフィーは歯を剥き出し、女を睨み付けた。
「あなたなんでしょ……兄を狂わせたのは……! 私の兄を……優しかった兄さんを返して!!」
「それは違うわ。貴方のお兄さんは望んでそうなったのよ」
「デタラメ言わないで!! あなたがそうさせたんでしょ!?」
「いいえ。貴方のお兄さんが望んだ事よ」
歯を剥き出すエフィーを見つめ、女はゆっくりと立ち上がった。
「何を言っても無駄みたいね。なら、自身の目で確かめなさい」
女は手を伸ばし、そっとエフィーの頭に置いた。
「これは、ある死者の物語――」
2018/09:再編集 2019/08/19:再編集 2021/03/11:微修正 2022/04/23微修正