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あの時に起こったこと

目を開けると、フェルの顔が間近にあった。

すぐ横では窓から差し込んでくる朝方の光に照らされて、安心しきった顔でかすかに寝息を立てている

窓からは淡く朝の光が差し込んでいるが、多分まだ起きるには早い。


枕元の水差しの手を伸ばそうかと思ったが、やめた。

変に目が覚めると寝れなくなる。


それに俺の首にフェルの手が回されていていて、すらりとした長い脚が俺の足に絡みついている。

フローレンスに帰還してからこっち、ずっと二人でいる。というか今まで以上に離れようとしない。

まあ戦後処理が色々あって仕事もないからそれはいいんだが。


体を動かすと、フェルが身じろぎしてぎゅっと抱き着かれた。柔らかい体が触れ合う。

キスするときのように唇を尖らせて、フェルが何かつぶやいた。

寝ぼけているようだが……起こさずに水を飲むのは無理だな。


今日は特に用事もない。二度寝して朝寝坊しても文句は言われるまい。

もう一度目をつぶると、すぐに睡魔が襲ってきて意識が闇に沈んでいった。


…………


……


「……ダイトさん」


不意に聞きなれた声が聞こえて意識が戻った。

目を開けるとそこにいたのは、流れるようなウェーブのかかった金色の髪、ブルーの瞳の女の子だった。


---


思わず周りを見渡すが周りは炭を流したように真っ暗だ。

そして、真っ暗な中だが、スポットライトでも当たっているかのように、彼女の姿はよく見えた。

髪型は違うがいつも俺が鏡で見ている顔だ……というか、この髪形を見るのはウンディーネ号以来だ。


「……クリスティーナ?」


「はい」


彼女が優しくほほ笑んだ。やっぱりそうなのか。

改めてクリスティーナを見る。今の俺と同じ顔だが、まとう雰囲気が全然違う。

柔らかく包み込むような暖かい笑顔だ。アル坊やが惚れるのもわかる。


「まさか……直接話せるなんてな」


あまりにも非現実的な状況だが、不思議なことに夢じゃないことはなんとなくわかった。

というか、夢にしてはリアルすぎる。


「アルバートさまを守ってくれてありがとうございます」


クリスティーナが言って深々と頭を下げた。


「それと、あなたにはお詫びを言わなければ……」


「なにが?」


「あなたをこんな目に合わせてしまって」


クリスティーナが硬い口調で言う。

……やっぱり俺をこっちの世界に引っ張り込んだのはこの子なのか。


「君、魔法使いだったのかい?」


「いえ。なぜこうなったのかわからないんです。

ただ……どうしてもあの方を死なせたくなかった。助けてほしいと願った。そうしたら……こうなったんです」


クリスティーナが言うが……どうも経緯が見えないな。


「なあ、一つ聞いていいか?」


「なんでしょう」


「俺は戻ることはできるのか?」


今の状況に不満があるわけじゃないが……親のこと、チームのこと、地球に未練はないなんてことはない。

彼女が俺をこっちに引き込んだんなら戻ったりもできないんだろうか。


「……できません」


クリスティーナがきっぱりと言う……そうか。そうだろうな。

そんな飛行機で旅行するようにはいかないか。


「覚えておられないのですか?」


クリスティーナが怪訝そうな顔で聞いてくる。


「……何のことだ?」


「あの時に起きたこと、です」


そう言われると、目が覚めたらウンディーネ号のベッドだった。

その前に俺は何をしていたんだろうか……こっちに来てからあまり思い出すこともなかったが。

遥か昔に思えるその時のことの記憶を探った。


---


飛行機のドアを開けると、風がごうごうと吹き込んできた。

プロペラの音とエンジン音が耳を撃つ。

「俺」はいつも通りパラシュートをせおってドアの方に歩み寄った。


「MR YOSHIZAKI、Are You Ok?」


インストラクターが大声で聞いてきた。

もう一度パラシュートやジャンプスーツのベルトや留め金を確認する。

ゴーグルをかけなおしてインストラクターの方を向いた。


「OK!」


ひげ面のインストラクターがニコリと笑って窓の外を指さした。


「GO!!」


声と同時に俺は飛行機の外に飛び出した。

すさまじい風圧が顔を打叩く。


そう、俺は吉崎大都。海外に拠点を置くレースチームのテストドライバー兼バックアップドライバーだった


あの時は所属チームFTWの新車テスト走行のためにチェコに来ていた。

そしてオフで趣味のスカイダイビングをしにいった。


18歳で初めてプロ契約して5年。

チャンスを逃したり、タイミングを逸したりしてレギュラーシートを取ったことはない。

おかげで控えドライバーやテストドライバーとしてあちこちのチームを渡り歩いていた。


不本意ながらこんなキャリアのおかげで、車のセットアップ能力は高くなってしまった。

おかげで契約が切れてフリーエージェントになって生活に困ることは今のところない。

だが、この状態はやはり本意じゃない。いつかは自分のシートを取って自分のためのマシンでサーキットを走りたいもんだが。


……趣味を楽しむときにネガティブなことを考えていてどうする。

今はオフだ。楽しまなくては損だ。


薄い雲を抜けると見渡す限りの一面の草原が視界一杯にひろがった。

手を広げて風に支えられるような感覚を楽しむ。


名残惜しいが自由落下は此処までだ。パラシュートのコードを引く。

パラシュートが開いてスピードが落ち、体が後ろに引っ張られるような感覚がある……はずだった


……が何も起こらない。頭上を見るとパラシュートが開いていなかった。

だが、こういうことはある。どんなときにも冷静に、それがレーサーの心得だ。

落ち着いて予備のリードを引く。


其方も反応がない……そこで流石に背筋が凍った。

両方のパラシュートが同時に逝かれる可能性は何千分の一、いや何万分の一のはずだ、それがなぜ?

地面が猛スピードで近づいてくる。顔を押すような冷たい空気の壁を感じた。

もう一度両方のコードを引いたが何の変化もない。


……死ぬのか、俺は。

あまりに唐突に目の前に現れたその現実に頭がついて行かない。

レギュラーシートも得ないまま、ドライバーとして実力を認められることもなく?


耳元でごうごうと風が鳴る。ヘッドセットから意味不明な、恐らくチェコ語の怒鳴り声が聞こえた。

緑の草原と田舎道を走る車までがはっきり見える。空を飛ぶ鳥も。

地面が迫るスピードがゆっくりに感じた。


嫌だ、死にたくない!!なんでもするから


……思い出した。そう願った。



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