運命の一夜・中
煉瓦の破片が飛び散って、白い月が浮かぶ夜空を背景に巨体が浮かび上がった。
通常の騎士の倍近いサイズだ。
長いウイングといかにも重たげな図体。
大仰に張り出した肩や腰の装甲板に、龍の尾を思わせるようなパーツがついている。
ウイングから噴き出すエーテルが突風のように吹き付けて髪を揺らす。
空中でなんども姿勢を崩しかけては立ち直っている。
どう見ても機敏な動きって感じではない。
デカいサイズに圧倒されかけたが……古い車に久しぶりにエンジンをかけて、アイドリングが安定していないって感じだ
不格好なまま少しづつ高度を上げていく。
「分かってると思うけど、マリク。それは戦える状態じゃない」
不意に話し声が聞こえた
崩壊した倉庫から、あの少年ともう2人が出て来るのが見える。
「戦闘は避けて確実に逃げるんだ、いいね」
上空を見上げた少年が指示を出して、頷くように騎士が身じろぎする。
大型の騎士がそのままよろめくような動きで上空に上っていった。
「さて、僕等も……」
そこまで言って、3人がこっちに気付いたらしく足を止めた
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「ディートレア……まさかここに居るなんてね」
少年が困ったように笑う。
「見なかったことにしないか?あの騎士を暴れさせる気はないよ」
「……逃げれると思ってるの?」
フェルがナイフを構える。傍についていた男が剣を抜いた。
1人は港でマリクたちと一緒にいた奴か。
フェルと男たちが睨みあう。
「……いきり立つのは無意味だ。お互いにとってね」
1分ほどの間があって、少年が言う。張り詰めた空気がわずかに緩んだ。
同時に一瞬月明かりに影が差して風が吹き抜ける。
「なんだ?」
見上げると鳥のような黒い影が上空を旋回していた。
剣士の一人が上空に向けて明かりを掲げると風切り音を立てて影が急降下してくる。
風を切って現れたのは戦闘機のようなものだった。
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翼だけのような大型の飛行機が、その大きさにそぐわない軽やかさで着地した。
見慣れない、というか。地球では見慣れたというべきか……この世界では初めて見た完全な飛行機だ。
真っ黒く塗られたくの字に近い大型の翼の三角形の形。
機首にコクピットらしきガラスの球の様なキャノピーが付いていて操縦席が見えた。
ちょっと独特だが……これは戦闘機だ。
キャノピーの一部が開いてパイロットの男が身を乗り出してきた。
「待たせたな、旦那。予測されてたのか、情報が漏れたんだか分からねぇが、騎士団の対応が早ぇ。さっさと逃げるぞ」
良く通る声でそいつが言う。
痩せた長身を黒の防寒着に包んでいる。長めの黒髪、面長な顔には皺と傷が刻まれていた。
年季を感じさせる顔立ちの片目には眼帯がつけられていた。隻眼か。
そいつが俺の方に視線を向けた。
「……殺すか?」
戦闘機のようなそれが方向を変える。翼にカノンのような砲口がついていることは見えた。
あんなの食らったらひとたまりもないぞ。
フェルがかばうように俺の前に立つが。
「いや、ダメだ」
静かだがはっきりした声でそいつが言った。
「だが……その女はあの例の震電の乗り手じゃないのか?」
「そうだよ」
「ならば」
抗議するように男が言うが。
「オルゴ……僕は、ダメだと言ったけど……聞こえないかい?」
少年が静かに言う。
言い募ろうとした戦闘機の男、オルゴというらしいが。少年の言葉に一礼した。
見た目は子供だが……相当の重鎮なんだろうな。
その子供がこっちを見た。
「せっかくだから二人きりで話したいけどどうかな、ディートレア……いや」
そう言ってそいつが意味ありげに笑った。
「それは俺も望むところだが……」
こいつは恐らく黒歯車結社の重鎮だ。話せる機会があるならこっちが話したい。
それにそれ以上に俺もこいつには聞きたいことが有る。
「……そういえば名前も聞いてないぞ」
「ああ、言ってなかったね。僕はケント。ケント・ヴァルハラ。それで、どうだい?」
ケントが問いかけてくる。
「ああ、いいぞ」
答えると、ケントが子供っぽい笑顔を浮かべて頷いた。
フェルが不安げな顔で俺を見るが。
「大丈夫だ」
単に俺を害したいならあの戦闘機のカノンでさっさと撃てばいいだけだ。
フェルが心配そうにして頬を寄せてきた。肌にちょっと硬い毛が触れる。
抱き寄せるとフェルが体を摺り寄せてきて離れた。
「オルゴ、コクピットから離れないように。皆もいつでも出れるようにしておくんだ。いいね?」
盗み聞きするなってことだろう。
コクピットに立っていたオルゴが肩をすくめて座る。それを見てケントが半壊した倉庫の方を指で指した。
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半壊した倉庫の中に入った。
天井が崩れて、広々とした床には煉瓦の破片と、さっきの騎士の駐機用だったと思しきひしゃげた鉄材や鎖が散らばっている。
分厚い壁はまだ高くそそり立ったままだ。
遠くから銃声と切羽詰まった声、何かが崩れる音が小さく聞こえてきた。
まだ騒動は終わっていないらしい。
「本当はね、あれだけを貰っていきたかったんだよ」
ケントが言って大穴の空いた天井を見上げた。
折れ曲がった骨組みが無残な姿をさらしていて、開いた天井には星が見えた。
「……こうなるのは本意じゃなかった」
「あの騎士は何なんだ?」
「大蛇というはずだよ、確かね。フローレンスの工房と騎士団と歯車結社がはるか昔に作った実験機だ」
「なぜあれを?」
あれはどう見ても即戦闘可能な騎士には見えなかった。
それに、こんなところに置いてある位だから実戦用とは思えない。
もし実戦に投入することを想定しているなら、というかそう言う性能をもっているなら。出撃しやすいように港湾の倉庫に置いておくだろう。
「それは言えないな」
ケントがはぐらかすように首を振った。
「そんなことより聞きたいことが有るんだよ、ディートレア」
「そうだよな……二人で話したいことってなんだ?実は俺も聞きたいことが有る」
「そうか……じゃあ僕から聞いていいかな?」
「いいぞ」
「空戦の変革者、ディートレア。僕が睨むに……君にはもう一つの名前があるんじゃないか?」
疑問形だが、口調は確信を持ったって感じだ。
もう一つの名前。
「つまり……どういうことだ?」
やれやれって感じでケントが肩を竦めた。
「まあ僕から名乗ろうか。僕の本当の名前は賢人。春原賢人
……東京出身で元は六角技研工業の研究者だった」