息継ぎすると見える富士
窓側に座るのは当然だ、左側でも右側でもいいんだ。
タクシーは右からゆっくりと来て止まり、止まった勢いで車体が少しだけゆらゆらと動いた。太鼓を二回叩けるくらいの時間が空いて、ドアがパカッと開いた。運転席のおじさんが、座席の間からママを見た後ちらっと僕も見たような気がする。
まあ要するに後部座席の真ん中の席に座らなければいいというだけのことだ。ママは後部座席の右側の席にあっさりと座ってしまった。
僕はつっ立ったまま、タクシーの丁度左前のタイヤを見た。ホイールに三つ傷があるのが確認でき、一つは横に細長く30センチくらいあった。どうやって作った傷なんだろうか、ぶつけた傷じゃなさそうだな、細長い傷だからこすったんだろうか。こすったとしたらホイールと同じかそれ以上硬いものだろう。だって傷がつくくらいなんだから。なんて頭を巡らしてみたりしながら、わざとらしく半歩体を横にずらした。
ホイールについた傷についてあれこれ想像を巡らせることが出来る時間なんてたかが知れてるし、そんなことより僕の右斜め後ろにいるはずのあやこの動きに集中していた。僕は絶対にホイールから目は離さないけど、視界の右側の際の際に全ての意識を集中させていた。ふむ、視界の右下から赤色の靴がちょこっと現れた。僕はホイールから目を離さない。と、その赤い靴はそこで一瞬ピタッと止まったが、すぐに馬が後ろ足を蹴り上げるように勢いよく跳ねて、タクシーの中に吸い込まれて行った。
頬の筋肉がギュッと硬くなって、ものすごい力で僕の唇を引き上げようとするから必死にこらえた。結果右の唇だけは頬の頑張りに負けてしまったみたいだ。目的は果たしたが、すぐに乗るのは良くない。まだホイールが気になるように見せるため、少しの時間だけ眺めていた。ママが早く乗りなさいと言うから、僕は外人がやるみたいに大げさに嫌がるジェスチャーをしてみせた。
窓側の席を確保するための全ての準備は整った。さぁ乗るかと右足を地面から離した時に、ふと、運転手さんの隣の席に乗ってしまえばここまでする必要なかったかと思ったりもしたが、完璧な演出で目的を果たした達成感の方が勝ったみたいだ。さわやかな気持ちだ。右足を地面から離したわけだから着地点を決めなければならない。大股で一歩でそのままタクシーに足をかけてしまう予定だったけど、途中でちょっと遠すぎることに気づいてとりあえず手前で着地させてやった。
右を向いた。なんで右を向いたのか自分でも分からない。人間の行動で意味のないことなんてたくさんある。目の前は上と下2色にくっきりと分かれている。上は青で下は緑。見たことのないきれいな青だった。今だったら、下手くそな風景の絵も上手に描けそうな気がする。さあ乗ろう。タクシーの進行方向と同じ方向を向いてドアの前に立っている。体が息を吸ってくれと要求するから、大きく息を吸って吐いてやった。すると目の前に見たこともない大きな山が、下から空を圧倒していた。これが富士山か。僕は急に恥ずかしくなった。