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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

会話をさせてほしいのです

作者: 高島津諦

 PCのTwitterクライアントソフトから木浦さんの笑い声が聞こえて、私は弾かれるように顔を上げた。

 笑い声というのは比喩ではなく、特定の発言が行われた時に鳴る通知音を、実際に彼女の音声ファイルに設定してある。

 Googleストリートビューを開きっぱなしにしていたPCの画面、右下にポップアップが浮かんでいた。


新着1件

木浦ふち/kiuura:飲み会からただいま! 楽しかった! そしてバイトの面接受かってたーーーーーーーーーー!!!


 缶チューハイをテーブルに置いてクライアントウィンドウを正面に出し、ネットの人々が木浦さんにリプライを送るのを眺める。


咎野/toga_now 2013/1/25 23:25:42

@kiuura おおー、おめでとう。そしてお帰り。


ゆみずまー/yumismer 2013/1/25 23:25:50

木浦さんマジで! おめっとーございます!!!!!


OWEN/sorehawatashi 2013/1/25 23:25:51

@kiuura 稼げ金を 奢れ飯を(俺に)


 祝福の言葉が画面を流れ、私の眼鏡に反射する。

 カチカチ、とマウスを操作して、ブラウザでpixivを表示させ、木浦さんのページに飛んだ。

 木浦さんはイラストを描いている。たまに漫画も。同人誌も作っている。

 どこかの小説で、「夢想と情欲と自虐趣味の混ざり合ったスープを冷たい理性のスプーンですくい上げたような漫画」なんて一節があった。これになぞらえるなら、木浦さんの作品は「夢想と情欲と自虐趣味の混ざり合ったスープを滑らかな愛情のスプーンですくい上げはにかみながら食べさせてくれるような漫画」だと私は思っている。

 ぼんやりと作品一覧のサムネイルを見る。四頭身くらいの少年少女の絵が多かった。笑っているのが沢山、泣きそうなのが少し。

 果たして作品と作者は分離して捉えるべきなのだろうか。

 また彼女の笑い声が聞こえた。大笑いと言うより、こらえ切れずにくすりと笑ったような声。

 この笑い声は、以前彼女がUstreamというネットテレビ・ネットラジオが放送できるサイトでラジオをした際に、こっそり録音したファイルから切り出して作ったものだ。Twitterで木浦さんの発言があった時だけ、この笑い声が響くようにしてあった。

 そのことを木浦さんは知らない。

 クライアントを見る。


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:28:37

.@toga_now @yumismer @sorehawatashi @ten_bats ありがとうございまっす。稼ぐよ! でも奢らないよ!(迫真)


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:29:20

.@amenohini_ @edomotto @knowthanlights ありがてっすどうもどうも。そんな酔ってないですよカクテル五杯と梅酒と焼酎とくらいですよ。


 多分私の目は今少しドロリとしていて、それは八割方空けたチューハイのせいだけではない。

 カチ、カチ。木浦さんにリプライしている人が他にいないか確認する。「@kiuura」がつけられた発言の検索結果は、常にワンクリックで表示させられるようにしてある。

 話しかけてきた人全員に、木浦さんは返信をしていた。それが分かって、更に三十秒程待ってから、私はキーボードに手を伸ばす。


深川ミナヨ/minayo347 2013/1/25 23:31:31

@kiuura 木浦さんお帰り&ハッピー! お祝い! 更にお酒飲みましょう!


 一分後、リアクションがあった。


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:32:37

@minayo344 ありがとー! ミナちゃん私を酔わせてどうしようって言うの……///


 四度目の笑い声を鼓膜の内側で反響させ、そして目では木浦さんからのリプライを何度も読み返す。

 これは私だけに宛てた言葉だ。他の人にしたように、まとめて処理されたものではない。深川ミナヨただ一人のために、木浦ふちが一分間かけて考え入力した言葉だ。

 私はこれが欲しくて、わざと彼女への祝福や挨拶の言葉を少し遅らせる。


深川ミナヨ/minayo347 2013/1/25 23:33:01

@kiuura えっ、どうしたらいいだろう、とりあえず法律調べてどこまでOKか確かめてから考えます!


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:33:47

@minayo344 おまわりさんこっち……に来てもらっても駄目じゃん。ミナちゃんと飲む時は自衛できるようにしていこう……。


 木浦さんの言葉は、さっきまで私が飲んでいた8%の毒物よりも甘く、苦く、反芻すると内臓が熱くなる。木浦さんがどこかで誰かと飲んでいた、もっと強いアルコールと比べるとどうだろう。ただ少なくとも、私の彼女への言葉が、彼女の飲んだであろうファジーネーブルより彼女を熱くさせたとは思い辛かった。

 木浦さんから贈られた言葉で、容易く私の内殻は溶ける。精子が卵子の殻を溶かすよりも遥かに簡単に。私だけに宛てた理由が、私への好意のためではなくただ単に私が一人遅れてリプライしたため、それも私が意図的にそうしたためだとしても、嬉しくなれてしまう。だけど木浦さんはどうとも思っていないだろう。

 情報は非対象で、感情も非対象だ。

 平たく言えば片想い。

 だが同情されるべきは木浦さんの方だろう。

 得体の知れないレズビアンにネットストーカー気味の好意を向けられているのだから。

 強引な手段は使っていないし変な要求も出していないから、私はネットストーカーそのものではないと思う。

 ただ、私自身が他の誰かからこんな風に注視されていたら、はっきり言って非常に気持ち悪い。だから木浦さんには決して言わない。言えないことをしちゃっているならもうアウトなのかもしれないけれど、その論点はずらそう。口に出して言えないことなんてこの世には多すぎるし、文字で伝えるのがはばかられる内容もそれなりにあり、ならば少しくらい言えないことをしていたって大きな問題ではない、とか。


深川ミナヨ/minayo347 2013/1/25 23:35:22

@kiuura 催涙スプレーとか持ってきてもいいですからいつか本当にお酒飲んでください! お酒じゃなくていいんでご飯食べてください!


 薄ら暗く後ろ暗いことを考えていても文字での会話は簡単に明るくできる。下心は思い切りこもっているから、清く明るいとはとても言えないけれど。

 三秒と経たずに木浦さんのポスト。驚きで心臓が跳ねるけど、私はそれをは胸が高鳴ったと表現したい。


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:35:23

@hatako_a こないだ行った居酒屋さん。新宿の。また行こうねーーーー。


 鼻から息を深く吸って、止める。左手をキーボードから頬へと当てる。肺の中の空気に二酸化炭素の他色々なものを少しでも溶け込ませてから、ゆっくり息を吐いた。脂性の顔の皮膚が手に粘りつくのを感じる。

 今夜私が一人でお酒を飲んでいるのは木浦さんがTwitterにいなくて寂しかったからだし、お酒を飲みに行くと以前言っていたことを思い出しそれに合わせたからであり、世界中でそんなことをしているのは私一人なのだろうけれど。

 それよりももっと重要で、緊密で、親密で、核心に近いことをした人は沢山いる。


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:36:00

@minayo347 ホイキタ! ミナちゃん東京来たら絶対教えて、各種料理取り揃えて待ってます(私が作るのでもない癖に)


 何を考えたらいいか分からなくなり、私は停止する。

 Twitter上の発言は増えていく。木浦さんが笑っている。


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:38:12

@hatako_a 今日はやってない! それはやってない! 忘れろ!


咎野/toga_now 2013/1/25 23:39:30

.@kiuura @hatako_a 木浦さんは酔うと獣性が目覚めるタイプだからな。


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:40:12

.@toga_now @hatako_a 風評の流布はやめましょうネ。


 違う世界の人と交われるのがインターネットの魅力だと、一昔前によく聞いた。その通りだなあと思う。地理的な壁を超えられるということが一番顕著であるし、他にも年齢とか、社会的なあれこれとか、人と人との間にある様々な物を容易に――とは言わずともオフラインよりは簡単に――飛び越えられる。首都圏に住む二十三歳の木浦さんと、地方に住む二十歳の私が言葉を交わせるようになったのはそのおかげだ。

 でも、とここで私は逆接を打つ。寂しさを繋げる。

 私と彼女の住む世界は、インターネット上でも共有できていないとことあるごとに感じる。私たちはネット上のそれぞれの世界で生きていて、その円のようなエリアが接している、はじっこの部分で辛うじて交流を持っているだけなのだ、と。

 インターネットを使う使わないに関係なく、別々の人間なのだからその関わり方は当たり前なのだろう。学校での人間関係、職場での人間関係、趣味での人間関係、家族との人間関係、誰もが色々な方面での関係を持っていて、そのうちのどれか一つで接することができたら幸せである。

 けれどそのようでしかあれないことが寂しくて、つまり、私は彼女が好きなのだ。それもタチの悪い独占欲の混じった「好き」だ。


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:42:55

@hatako_a あー、それは多分無理ですね。ごめん!


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:45:12

@hatako_a 了解したです。メールでもSkypeでもどっちでも。


 私はhatako_aこと朝野はたこさんを知らない。朝野さんは知り合い以外からは自分の発言が見えないようにしている、いわゆる「アカウントに鍵をかけ」ている状態なので、木浦さんへ何を話しかけているのか分からない。

 だが、どうやら親しい友達であり、オフラインでも何度となく会っているらしい、ということは透けて見える。


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:48:51

賢い私は明日の準備も終えているのであった。本読もう。


板前半/itamanin 2013/1/25 23:49:30

@kiuura 悟りの書でも読むんですか。


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:50:11

@itamanin 今は遊び人ってことですか! その通りです! そして読むのは漫画なので今後も遊び人です!


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:52:40

いや漫画よりお風呂が先なのだ。半身浴しながら本を読むとかは内在律が許さない。


木浦ふち/kiuura 2013/1/25 23:54:27

@merainou いってきます。


 木浦さんはネットではそこそこに人気者なのだろう。それはまあ、若くて女で気さくとくれば好まれる。若くて女で偏屈な私ですら、まともな人やまともでない人にそれなりに構ってもらえる。

 好きな人が自分以外とする会話など覗き見するべきではないのだ。倫理的にも、自分の心の平穏のためにも。それは一応は分かっている。分かっているけれど我慢できない。

 きっとインターネットのせいだ。

 覗き見が簡単にできるからというのもあるけれど、それ以上に、私と木浦さんがインターネットでしか繋がっていないということが、私にそうさせる。

 文字による会話でしか触れあえないなんて、人間の、少なくとも私の愛情の胃袋には少なすぎて、飢える。だから、他人の分まで貪ってしまう。

 それが言い訳になるとは思わないが。


まりも以外/notmarimo 2013/1/25 23:56:01

@kiuura 昨日UPしてた絵可愛かった! あとえろくないのにえろかった!


 チューハイが空になったので缶を捨てに行き、キッチンで水を一杯飲んで戻ってきてからテキストエディタを起動させた。

 私は手慰みに小説のようなものを書いている。手慰みなんて言葉、手淫と自慰を足して二で割ったような字面だが、実際私のしていることは大差ない。

 新しいファイルを作り、真っ白なシートに文字を打ち込む。


    ☆


 窓から校庭を眺めつつipodを聴いていたら、早紀に話しかけられた。

「何聴いてるの」

「神聖かまってちゃん」

 右のイヤフォンをとって差し出すと、遠慮する素振りも見せず耳につける。果たしてイヤフォンは体内に装着する器具か、ということを思う。

 ガチャガチャした音をバックに加工された男ボーカルが、ウェブ上のレズダチと彼女は少し楽しそうね、と歌っていた。

「好きなの?」

 少し聴いた後、早紀はイヤフォンを外して問いかけてくる。

「それなりに好きだよ。耳触りは悪いけど」

「このバンドじゃなくて」

「何?」

「レズ」

 無表情だし無神経だ。

「……バンドじゃない方のかまってちゃんよりは」

「どちらかと言えば嫌いってこと?」

「問い詰めるのやめてよ」

「気になるもの」

「嫌いって言ったら?」

「斎藤さんと横川さんには内緒にしておく」

「好きって言ったら?」

「……それずるくないかな」


    ☆


 ここまで書いて情けなくなって止めた。夢想と情欲と自虐趣味に火も通さずぶちまけている。

 けれど消す踏ん切りがつかなくて、無目的にクリックを繰り返す。

 

木浦ふち/kiuura 2013/1/26 00:31:11

@notmarimo ウオオーありがとうございます! えろ……かったですか……ククク。


木浦ふち/kiuura 2013/1/26 00:33:41

見事にシャンプーが切れたから石鹸で洗ってやったぜ。


 私の眼鏡は度が合っていないのじゃないか、ということを不意に思った。


深川ミナヨ/minayo347 2013/1/26 00:35:04

ショートコント、高校の昼休み。


深川ミナヨ/minayo347 2013/1/26 00:35:49

窓から校庭を眺めつつipodを聴いていたら、早紀に話しかけられた。

「何聴いてるの」

「神聖かまってちゃん」

右のイヤフォンをとって差し出すと、遠慮する素振りも見せず耳につける。


 書きかけのものをそのまま垂れ流した。コピー、ペースト、投稿。コピー、ペースト、投稿。


深川ミナヨ/minayo347 2013/1/26 00:38:21

「好きって言ったら?」

「……それずるくないかな」


深川ミナヨ/minayo347 2013/1/26 00:38:30

オチませんでした。


 何をしてるんだろうなあ、と自分で思っていた。こういうことをするのは初めてではない。別に何かを期待しているつもりはないし、事実何が起こるわけでもない。木浦さんがこれを読むのかもわからない。読まれたからって何かが伝わるとも思わない。伝わってほしいかと言えば、恐らくそれも違う。

 ただ、私は言葉を発さなければ駄目なのだ。文字情報を送らなければ駄目なのだ。誰かに、どこかに。


孤島/ko_ji_ma 2013/1/26 00:41:26

@minayo347 面白くなりそうな所で終わった!


深川ミナヨ/minayo347 2013/1/26 00:43:20

@ko_ji_ma 面白きこともなき世を面白くなく。続きは来世。


 もらったリアクションはもちろんそれだけだった。

 木浦さんは独り言をしたり私の知らない人たちとやりとりしたりして、一時半ごろに寝ますと呟き動きがなくなった。

 Googleストリートビューで、以前木浦さんの同人誌を手作業で通販してもらった際に分かった彼女の住所にある家をもう一度眺めてから、私も寝た。





 正午近くに目を覚ました。お酒が残っている。

 PCをつけると、ウイルス対策ソフトなどと同時に自動でTwitterクライアントも起動する。

 ポップアップ。木浦さんから非公開のメッセージが届いていた。


DM FROM <- 木浦ふち/kiuura 2013/1/26 10:42:50

昨日東京に来てって言ったばかりだけど、実は来月の十六日にミナちゃんのいる方に遊びに行くことになりました。お暇でしたら遊びません、か。


 お酒が残っている。

 冷たすぎる水道水をマグカップに二杯飲んだ。

 私が寝て以降の、公開での木浦さんの発言を調べるが何もなかった。pixivやブログなどにも何もなかった。

 二月十六日は予定がなかった。

 私を構成する全てが震えている気がする。

 太陽の角度がはっきり変わるまで文面を考えて、返事をした。


DM TO -> 木浦ふち/kiuura 2013/1/26 14:26:15

木浦さん来るんですか! ウヒャアアアア会いたい! 是非お会いしたいです! ……のに、十六日どうしても外せない、用事が……ああ……。絶対に、また今度お食事しましょう!


 文章を書く間に何度も止まった分、送信ボタンをクリックするのは躊躇わなかった。

 仕方がないでしょう。

 草木がなくてどんなに飢えたとしても、草食動物が肉食動物に変わることはできない。

 私は文字の会話から逃げ出せない。

 いや、逆だ。文字の会話に逃げ込むしかできない。

「深川ミナヨ」はそこでしか存在できないのだから。

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