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夜は更けてゆく。
最初こそ会話が途切れない状況だったけど、やがてそれぞれ自分の作業に集中し始めると、部室内は一気に静まり返ってしまった。
蘭香さんは作品がすでに完成しているらしく、展示会当日の飾りつけ作成に取りかかっているようだ。
ぼくも完全に集中して、カタカタとリズミカルな音を鳴らし続けていた。
隣の席は空いたまま。
シャムは今も、蘭香さんの席のほうに行っている。
というよりも、蘭香さんの椅子に、半分ずつお尻を乗せて座っている状態だ。
……相手が蘭香さんだとはいえ、それはちょっと、くっつきすぎなのでは……。
と、そんなことより、集中しないと!
ぼくは画面に目を凝らす。
だけど、ついついすぐに周囲を見渡してしまう。
この部室でみんないるのに静かだという状況は、普段が普段だけに、逆に落ち着かないのかもしれない。
ふと見ると、案の定というか、ちわわんはノートパソコンのキーボードに突っ伏して眠ってしまっていた。
ヨダレを垂らしたらパソコンが壊れる危険性もあるかも、とか、目が覚めたらほっぺたにキーボードの跡がくっきりとついていそうだ、とか、ツッコミどころはあるものの。
幸せそうな寝顔を無防備にさらしているのを見ると、こっちまで顔がほころんでしまう。
シャムもやっぱりうつらうつらと舟を漕いでいて、蘭香さんの肩に完全に寄りかかっている感じだった。
その蘭香さんも、椅子に座った状態のまま目を閉じている。
……肩なんて、ぼくがいくらでも貸してやるのに。
などと考えてしまうこと自体、ぼく自身も眠気に襲われて負けそうになっている証だと言えそうだ。
「そろそろ、フェレットが話していた時間かの……」
ぼそっと、部長がつぶやく。
ここまでずっと、その存在を忘れてしまうくらいに無口だった部長。
もしかしたら、草木も眠る丑三つ時に備えて今まで眠っていたのかもしれない。
部長の糸目じゃ、体を動かしていないと起きているのか寝ているのかわからないし。
でも、確かに昨日妖精らしき光を見たのは、ちょうどこれくらいの時刻だった。
毎日同じ時間に出てくるというわけではないかもしれないけど、可能性が一番高いのもまた事実で。
「かなり眠いけど、せっかくだからわたしも見てみたいわ」
文鳥先輩がやけに乗り気だというのは、結構意外な展開だと思えた。
普段から遅くまで勉強とかしていそうだし、この時間でもまだ活動限界が来ていないのは、全然不思議ではないのだけど。
この人の場合、妖精だ幽霊だなんてバカげたことになんて興味なさそうだと思っていたのに……。
「そうでもないわよ? わたし、幽霊とか妖怪とか宇宙人とか、そういった話、大好きなのよね」
「へぇ~、そうなんですか。びっくりしました」
文鳥先輩と会話しつつ、ぼくは自分自身の眠気も覚ます。
「あ……わたし、寝ちゃってた……。今、お紅茶淹れるわね……」
ぼくたちの声で、蘭香さんも目を覚ましてしまったらしい。
「いえ、いいですよ、蘭香さん。ぼくが淹れますから」
「ダメよ。わたしに任せて。というか、わたしの仕事、取らないで。取ったら泣いちゃう」
「あ……はい……」
どうやら蘭香さんは、まだちょっと寝ぼけているようだ。
一応、蘭香さんに任せることにはしたものの、どうにもふらついた動作で、とっても危なっかしい。
ハラハラしながら見守り、いつもよりもゆっくりと淹れられた紅茶を口に含んだ。
のどを通過して、全身に温かさが浸透してゆく。それでどうにか、眠気も薄らいできた。
周りを見渡してみると、ちわわんの他にリク先輩とミドリ先輩、さらには意外にもウルフ先輩までもが完全に眠ってしまっている状態だった。
シャムも寄りかかっていた蘭香さんの肩がなくなり、今は椅子の背もたれに身を預け、顔を上に向けて寝入っている。
口を開けてヨダレを垂らして、はしたないことこの上ない姿だけど。
九名の部員のうち、五人が撃沈、すなわち半数以上が寝ている現状。
全員で泊り込みをした意味は、正直あまりないのかもしれない。
と、ここでどうにか起きている人数が寝ている人数を上回ることになる。
ガタンッ!
大きな音を立て、シャムが前のめりになってテーブルに額をぶつけたのだ。
椅子の背もたれだけでは不安定だったのだろう。
横にズレて椅子から落っこちなかっただけ、まだマシだったと言えるのかもしれない。
「うにゅにゅにゅ……。な、なに? なにが起こったの?」
寝ぼけまなこできょろきょろと左右に首を振って必死に状況を確認するシャムのおでこは、かなりの勢いでテーブルにぶつかったらしく、赤く変色し始めていた。
「シャム、大丈夫?」
ぼくが心配して声をかけたというのに、シャムときたら、
「あっ、フェレット、あんたがなにかイタズラしたんでしょ! 信じらんない! だからこんなに、おでこが痛いのね!? デコピンとかしたんじゃないのっ!?」
と因縁を吹っかけてきた。
「あのなぁ! なんでも人のせいにするなよ!」
「そうよ、シャムちゃん」
反撃に出るぼくに、蘭香さんも加勢してくれた。
と思ったら……。
「フェレットくんはシャムちゃんの可愛らしい寝顔を食い入るように見つめ続けていただけだから」
「ぎゃ~~~~っ! スケベ! 変態っ!」
「ちょ……っ! 蘭香さん、なに言ってるんですか! だいたいシャム、大口開けてヨダレ垂らして、全然可愛い寝顔じゃなかったし!」
……これはとても余計なことだった。
「うぎゃ~~~~っ! やっぱり食い入るように見つめてたんじゃん! やらしいっ! 死にさらせ、このウ○コ!」
「べ……べつにぼくは、見つめてなんてないし! それに何度も言ってるけど、そんな汚い言葉使っちゃダメだってば!」
一気に騒がしくなる部室内。それでも熟睡中の四人は目を覚まさなかった。
ともあれ、こんなに騒がしい状況では、妖精だか幽霊だか他のなにかだかも現れたりなんてしないだろう。
今日はみんなで泊り込んだ合宿っていうだけで終わりそうだ。
そんなふうに考えて、本来の目的のほうはすっかり諦めていたのだけど。
突然ぼくたちの目の前に、それは現れた。
ぽわ……。
昨日見たのとまったく同じ、青白い光。
羽根の生えた、人型のように見えるフォルム。
じっくり観察してもやっぱり妖精としか思えない物体が、僕たちが周囲を取り囲むように椅子を並べて座っている会議テーブルの真ん中に、今まさにその存在を現していた。
「わわわっ! 出た! 妖精よ! でしょでしょ!? みんなにも妖精に見えるよねっ!?」
シャムが超ハイテンションで鼻息も荒く、身を乗り出して叫ぶ。
「そ……そうね……。これは確かに、妖精にしか見えないわね……」
「ええ。可愛くて、お持ち帰りしたいくらい……」
文鳥先輩も、信じられないといった表情。蘭香先輩に至っては、信じられないというよりも、うっとりとした表情になっていた。
そんな中、部長は黙ったままじっと妖精らしき物体を見つめている。
……細すぎる糸のような目だから、本当に凝視しているのかは、定かではないけど。
妖精らしき光は、テーブルの真ん中付近に立ち、ぼくたちの様子をうかがっているように見えた。
手を伸ばせば届きそうな距離ではある。
だけど、羽根の生えた相手、空を飛ばれたらあっさりと逃げられてしまうだろう。
さて、どうするべきか……。
などと考え込むような性格じゃないのがシャムってもので。
「えいっ!」
条件反射的にすかさず手を伸ばす。
もちろん逃げる光。羽根を羽ばたかせ、ふわりと空中に飛び上がった。
「ちょこざいな!」
シャムも負けてはいない。
椅子に座ったままでは手が届かないならば、立ち上がればいい。
対する光も、やすやすと捕まる気などあるはずもなく。
立ち上がっても届かないほどまで、その身を浮上させる。
「こなくそ!」
あまり女の子っぽくないセリフを吐き出しながら、シャムは会議テーブルの上に飛び乗った。
なんともはしたない上、勢いよく飛び乗ったせいでスカートもめくれ上がっていたのだけど。
テーブルの上に立って飛び上がるも、光はさらに浮上し手は届かない。
……どうでもいいけど、その場所で飛び上がるのは、見てくださいと言っているようなものなのでは……。
きっと、妖精らしき光を捕まえることだけしか頭にない状態なんだろうな。シャムらしいとは思うけど。
と、光が天井付近にまで昇ったと思ったら、今度は急降下してきた。
「うわっ!」
光はぼくの横を通り過ぎ、眠っているちわわんのそばへ。
「逃げるな、待て!」
待てと言って待ってくれるようなら苦労はしないよな。
と考えているぼくのすぐそば、すなわちいつも自分が座っている椅子に飛び降り、続けて床へ着地するシャム。
さらにちわわんに覆いかぶさるように飛びかかるも、やっぱり光は素早く身をかわす。
勢い余ってちわわんにぶつかりそうになっていたけど、シャムはどうにか避ける。
気持ちよさそうに寝ているちわわんを起こしてしまったら悪いと思ったのだろう。
ほとんど理性もなく突進しているような状態になりながらも、親友のことはちゃんと考えられるようだ。
そんなシャムの頭上を越えるようにして、光はぼくのほうへとゆっくり漂ってくる。
どうにかバランスを取り戻し、くるりと振り向いたシャム。
光はぼくとシャムのあいだに止まり、挑発するかのようにふわふわと浮かんでいた。
「フェレット! 挟み撃ちよ!」
「合点承知!」
息はピッタリ。
ぼくとシャムは同時に飛びかかろうとした。
その瞬間だった。
ふっ……と、凝視していたはずのターゲットを見失う。
『消えた……!?』
ふたりの声が重なる。
そう。妖精らしき青白い光が、目の前から忽然と消えてしまったのだ。
声も息もピッタリ合っていたぼくとシャム。
でも、飛びかかろうとしたタイミングは少々ずれていたようで。
シャムはその場で踏みとどまった。
一方ぼくは、すでに身を前方に飛び出させ、止まれない状態になっていた。
そして次の瞬間。
ふに。
ぼくの顔面は、なにやらふかふかした温かな感触に包まれていた。
光を捕らえようと前方に伸ばしていた両手で、無意識のうちにその柔らかな物体を確かめるぼく。
むにゅっ。
例えようのない柔らかさと、
「ぁぅ……」
なんだかちょっと艶かしいシャムの吐息で、ようやく気づく。
自分が顔を埋め、両手で触っているのが、シャムの胸の膨らみだということに……。
「ぎゃ~~~~~~っ! バカ! エロ魔人! 信じらんないっ! 死にさらせ、このウ○コ!」
自分から離れるようないとまもなく。
シャムは悲鳴を上げ、罵声を飛ばし、殴り、蹴り、おまけに頭突きまで繰り出してくる。
「ごごごごごご、ごめん、シャム! でも、わざとじゃないから!」
「うっさいうっさいうっさい! ぎゃ~ぎゃ~ぎゃ~~~~~!」
泣きわめき叫びながらも、シャムの手や足や頭の攻撃は止まらない。
これだけの大声を響かせれば、寝ていた面々もさすがに目を覚まし、それぞれぼやけた頭で起き上がってくる。
そんなわけで。
「むにゃむにゃ……。シャムちゃん、女の子なんですから、ぎゃーなんて悲鳴を上げたらダメだと思いますわよ~?」
寝ぼけたちわわんから、微妙なツッコミを入れられてしまうシャムなのだった。




