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二日連続でお風呂に入っていなかったため、ぼくは一旦家に帰ってから再び学校に来ることにした。
それはシャムとちわわんも同じで、ぼくと違って二日目の泊り込みとはいえ、前日にお風呂に入っていないふたりも、一度家に帰ることに決めたようだ。
文鳥先輩や蘭香先輩も、シャワーくらいは浴びておきたいということで家に向かった。
サッカー部と掛け持ちのリク・ミドリの両先輩のほうが、たくさん汗もかくだろうし気になるところだけど。
運動部の場合、合宿所の宿舎内にシャワーが備えつけられているようで、そこで済ませてくるつもりらしい。
唯一予定のない部長は、タヌキ先生に部員全員分の泊り込み申請をする役割を担った。
一旦解散し、再び集まった計算部の面々。完全にフルメンバー。
昨日の泊り込みでは、シャムは蘭香さんの席に陣取っていたけど、今日は全員、いつもの自分の定位置に座っている。
つまり、シャムはぼくのすぐ隣にいることになる。
お風呂に入ってきたあとなのに、ほとんどいつもと変わらず、シャムからはちょっと微妙な匂いが漂ってくるだけだった。
シャンプーが頭皮に合わないとかで、石鹸で髪を洗っているはずだけど、その石鹸の匂いすらほとんど感じ取れない。
とはいえ、なんとなくいつもと違った雰囲気で、ぼくの鼓動は少しだけ速く脈打っているように思えた。
「ん? なに? どうしたのよ?」
思わず見つめてしまっていたぼく。それに気づいたシャムが眉をつり上げる。
うん、いつものシャムだ。
「なんでもないよ。それより、今日はパソコンをぼくと交代で使うしかないと思うけど、いいの? 展示会の作業、大丈夫?」
「ん~、そうね。ま、あちしはお話を考えるのがメインだから。大まかな流れはできてるし、細かい部分を練るくらいなら紙に書いといてあとからパソコンで入力すればいいと思うし、大丈夫かな~」
「あっ、それなら、わたしと交代で使ってもいいわよ?」
「ほんと!? 蘭香さん、ありがとう、大好き!」
「…………」
蘭香さんの申し出を受け、シャムがはしゃいだ声を上げる。
普段から蘭香さんのピンク色のノートパソコンを使わせてもらっていることもあるわけだし、それは自然な流れだとは思うのだけど。
「うふふ。わたしはもう、ほとんど作品作りは終わってるのよ。ちょっと確認したら、展示会当日の飾りつけでも作ろうかな~って思ってたの」
蘭香さんは、手提げバッグの中から色紙やらカッターやらを取り出してシャムに見せる。
よく見れば他にも、大きめな厚紙やなにやらキラキラした飾りなんかも準備して、棚の上や壁際に置いてあるようだった。
「わっ、さすが蘭香さんね! 素敵です!」
「………………」
なんとなく……ほんとになんとなくだけど、心の奥がもやっとする感じ。
大好きとか素敵とか。
言葉の向けられた相手が、自分じゃなかったから……?
思い至った原因に、ぼくは慌ててその考えを振り払う。
相手は蘭香さんで、男性だけど女性みたいな感じだし、だいたい、べつにそういう好きって意味じゃなかったはずだし!
それ以前に、シャムがぼくに向けて大好きとか素敵とかなんて言うはずないし!
「フッ……。しかし、こうして全員で泊り込むっていうのも、合宿みたいで楽しいよな」
ウルフ先輩の言葉が狭い部室内に響く。
ぼくがよくわからない微妙な気持ちを抱いて焦っているあいだに、会話はまた別のほうへと向かっていたようだ。
だけど、確かにそのとおりだと思う。
昨日は三人だけで、しかもちわわんは早いうちに寝てしまったし、一昨日はぼくひとりだったからずっと静かだった。
でも今日は違う。先輩方も含め、みんな一緒だ。
そう考えると、これだけの人数でわいわいがやがやと学校に泊り込むというのは、なかなか楽しいイベントなのかもしれない。
もっともその目的が、妖精を見るため、というのだから、この計算部がいかにおかしな集団かを証明しているとも言える。
「うふふ。楽しくみんなでお泊り、こういう雰囲気ってわたしも大好き! でも、お姉ちゃんが会社に泊り込んだ話とか、何度も聞いてるけど、徹夜でお仕事とかだとさすがに大変みたいだけどね」
「蘭香さんのお姉さんって、確かゲーム会社に勤めてるって話でしたっけ」
「そうなの。マスターアップ間際だと何日も泊り込んだりして、精神的にも危うい人まで出るとか……」
「女性でも泊り込んだりするんですね」
「ええ。といっても、お姉ちゃんはまだマシなほうで、メインの人なんかだと、場合によっては一週間以上泊り込むなんてこともあるらしいわよ」
「ひえぇ~。大変なんですね~。あちしじゃ無理な世界だわ!」
「わたくしも、絶対に無理そうですわ~」
「ちわわんだと、すぐに寝ちゃいそうなイメージだよね」
「ふぉっふぉっふぉ、ワシならば一週間の泊まり込みくらい問題ないがの!」
「部長は人間じゃありませんから。一週間寝なくても問題ないですよね」
「おっ、フェレット! 言うじゃないか!」
「だいぶ、この部にも慣れてきたって感じだね」
「フッ……。そうすると、このオレの素晴らしさにも、そろそろ気づいた頃かな?」
「ウルフ先輩は……まぁ、なんといいますか……おかしいですよね」
「なっ……!?」
「うふふ。でも、とても繊細で優しいところもあるのよ?」
「わわっ、なんか蘭香さん、ウルフ先輩と相思相愛って感じですか!? そこんとこ、くわしく聞かせてください!」
「ちょ……ちょっと、シャムちゃん、そういうのじゃないから……」
「いや、それ以前に、蘭香さんは男だってば。男同士で相思相愛なんて……」
「いえいえ、今の世の中、そっちの世界というのもあるものですわよ~? それはそれで、わたくしはアリだと思いますの~」
「ちわわんまで、なに言ってるの!? 文鳥先輩、この腐女子ふたりに、なにか言ってやってください!」
「…………悪くないと思うわ……」
「あなたもそっち側の人間ですか!?」
そんな感じで、すっかり合宿気分。……というか、雑談しかしていない気もするけど。
ともかく、蘭香さんの用意してくれた紅茶とお菓子に舌鼓を打ち、和気あいあいと時間を過ごす。
ぼくもプログラム作業はどうにか続けながら、会話に参加したりもして、それなりに充実した泊り込み合宿を楽しんでいた。
☆☆☆☆☆
「あっ、ぼくちょっとトイレに」
「おお、フェレット、シャムちゃんのトイレでものぞきに行くのか?」
トイレに立とうとすると、リク先輩がいやらしい笑みを浮かべながら問いかけてきた。
そういえば、少し前にシャムとちわわんもトイレに行くと言って部室を出たんだっけ。
「まぁ、フェレットくんったら、いやらしいのね!」
「そ……そんなんじゃないですから!」
蘭香さんまで一緒になって、ぼくをからかってくる。もちろん即否定。
「うふふ、行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
そう言い残して部室を出ると、空はもうすっかり真っ暗になっていた。
泊り込みの申請をしているとはいえ、廊下の電気までは点けっ放しにできない。必要なら点けてもいいみたいだけど、スイッチのある場所をぼくはよく知らない。
だったら完全に真っ暗なのかというと、実はそうでもなく、薄暗い程度だった。
廊下の窓の外には、中庭付近を中心に電灯が設置されていて、その光が中庭だけでなく廊下をも微かに照らしている。
今日は晴れているから、月明かりも差し込んでいるようだ。
薄暗くはあるものの足もとが見えないほどでもない、静かな廊下をひとり歩く。
「夜になると、ちょっと涼しいかな」
寂しさからか、なんとなく独り言が口をついてこぼれ出す。
さっさと済ませて、部室に戻ろう。
男子トイレに足を踏み入れたぼくは、急ぎ気味に便器の前に立ち、素早く用を足した。
手を洗って外に出る。
と同時に、目の前を横切る影が!
「わっ!」
「きゃっ!?」
その声で気づく。シャムだ。
すぐ横にはちわわんもいる。
ふたりとも、隣の女子トイレで用を済ませて戻るところだったようだ。
「ちょ……ちょっと、脅かさないでよ! ……あっ、もしかしてあんた、のぞいたりなんかしてないわよね!?」
「してないよ!」
どうしてみんな、ぼくにそういうことを言うのだろう。
……のぞきとかをしそうな人間だと思われているってことだろうか?
「くすっ。伊達くんは、みなさんからからかわれると言いますか、いじられる立ち位置にいるんだと思いますわ」
ちわわんがすかさずフォローの言葉を加える。
さっきぼくが考えたことは、頭の中でそう思っただけで、口には出していないはずなのに。
もしかしたら、ちわわんって実は、人外の能力を有してたりするのかな……?
そんなことを考えながらチラリと視線を向けると、ちわわんの穏やかな笑顔ですら、なにか裏に黒い闇を感じてしまうから不思議だ。
……いや、腹黒発言が飛び出すことのあるちわわんだし、実際に黒い思いが渦巻いているのかもしれないけど。
とくに申し合わせるでもなく、ぼくたち三人は一緒に歩き出す。
薄暗くて静かな廊下だから、人数が少ないより多いほうがいい、という考えが無意識のうちに働いたのかもしれない。
と、今度は目の前から、さらなる人影が……。
「あら?」
「あっ、蘭香さん」
それは蘭香さんだった。
薄暗い中でも、いや、微かな明かりに照らし出されているからこそだろうか、なんだかとても妖艶で魅惑的な雰囲気をかもし出している。
……男性だけど。
「三人仲よく戻ってきたのね。フェレットくん、やっぱりのぞきに行ったの?」
「あ……あんた、やっぱりそういう目的だったの!?」
「いやいや、違うから! 蘭香さん、変なこと言わないでください! だいたい、そんなことしたら、一緒に戻ってくるわけないですよ!」
「うんうん。当然ながら、ボッコボコにして廊下に捨ててくるわね!」
「うふふ、それもそうね。でも、仲がいいのは確かみたい」
『仲よくなんてないです!』
そう反論したぼくとシャムの声は、やっぱりピッタリ重なっていたりして。
「うふふ」「くすっ」
蘭香さんとちわわんに、生温かいような視線を向けられながら笑われてしまった。
「そ……そんなことより、蘭香さんもトイレですか?」
「ええ、そうよ」
とりあえず話題を変えねば! そう思ったぼくは、蘭香さんに質問をパス。
躊躇することなく答えた蘭香さんは、男性だけど女子の制服を着ている状態で。
そうすると、どうしても疑問に思ってしまうことがある。
「蘭香さん、男子トイレと女子トイレ、どっちに入るんですか?」
「あっ、それ、あちしも興味ある!」
ぼくの質問に、シャムも食いついてくる。
「もう、なに言ってるのよ、まったく。男子トイレに決まってるじゃないの」
でも蘭香さんは即答だった。
いえいえ、決まってると思えないからこそ、質問したんですよ?
なんて、思ってはいても口に出したりはしない。
「その姿で男子トイレに入ったら、びっくりされるんじゃ……って、他に誰もいないから大丈夫ですよね」
「うふふ、そうね」
「でも……」
さらなる疑問を投げつけてみる。
「そのスカートの下ですけど、男性用と女性用のどっちの下着をはいてるんです?」
この質問は、いくらなんでも失礼だったかもしれない。
「も……もう、フェレットくんのエッチ! そういうこと聞かないの!」
微かに頬を染めながら、話をはぐらかそうとする蘭香さん。
そんな仕草もとても女性らしい。
……くどいようだけど、男性なのに。
と、そのとき。
「どれどれ……」
バサッ!
すぐ隣にいたシャムが一歩前に踏み出し、蘭香さんのスカートを力いっぱいめくった。
スカートの布が、思いっきり舞い上がる。
「きゃあっ!」
蘭香さんは悲鳴を上げ、両手で素早く押さえてはいたけど。
廊下は薄暗いとはいえ、窓から漏れる光の関係で、一瞬だけではあるもののはっきり見えてしまった。
蘭香さんがはいているのは紛れもなく、トランクスだった。
「シャ……シャムちゃん、怒るわよ?」
怒るわよ、と言われてから怒られても、全然怖くないと思うけど。
「トランクスなんですね~」
シャムは平然とのたまう。悪気なんてこれっぽっちもなさそうだ。
「あ……当たり前でしょ? わたし、部室以外では学ランを着てるんだから。普通の男の子なのよ?」
いえいえ、普通の男の子ではないと思いますよ?
とは、やっぱり言えないぼくだった。
「と……とにかく、トイレに行ってくるわね。あなたたちも、早く部室に戻りなさい」
慌てた様子でいそいそと去っていこうとする蘭香さんは、なんだか妙に可愛らしく思えてしまう。
「そうじゃないと、一年生三人で抜け出して、あんなことやこんなことをしていた、なんて話になっちゃうかもしれないわよ?」
去り際に、蘭香さんはいたずらっぽく微笑み、そんな言葉を残していった。
そ……それは確かにありえそうだ。
「すぐに戻ろう!」「そうね!」「うん、急ぎましょう」
顔を見合わせたぼくたち三人は、部室へと向かって一目散に駆け出した。




