第七話 生真面目な娘
元々ニケは父に大雑把なところは似ていると言われ続けてきたものの、根っこの性質のあたりは気難し屋だと揶揄された母方の祖父に似たのね、と母に嘆息されるような性格だった。
要は何が言いたいかというと、変に意地っ張りで妙なところにこだわるのだ。
自分の容姿の手入れも人様並みには気にするし、それなりに悩みもあれば楽しみもある。
しかし元々頓着しない性格も持っているが、それ以上に自分が決めたことは意地でもやり通そう、守り通そうと躍起になる性質の持ち主だった。――――それが自分の能力で足りないことであってもそうなのだから、手に負えたものではない。
手のかからない子供だけれどこればかりは他の男どもより手がかかる、という母の言葉に父どころか他の兄達まで揃って頷いたその性質は折り紙付きかつ筋金入りだ。
生家にいたころはあまりため込まないようにと兄達が定期的に愛情表現という名のちょっかいをかけて細かく吐き出させていたそれが、今は爆発しそうなところまで来ているのを、ニケはようやく自覚していた。
(少々、無茶でしたか……?)
人並み以上には根気のあるだろうニケがここまで追い詰められたのには理由がある。
「う゛ー!!」
「あ、あんまり動かな……」
ニケが引き取った獣人の子供が、極端に水を嫌がるのだ。
確かに動物には水浴びなどを極端に嫌がるものがいるらしいが、離れといえど室内で暮らすためには身だしなみは清潔にしなければならない。
特に獣人の子供は元の毛色が分からないほど薄汚れているし、正直言って臭いもかなりきつい。
はっきり言ってしまえばすぐにでも風呂に入れて何回も念入りに洗ってしまわなければ耐えられないくらい臭い。
(どうしたら……)
そんな時、途方に暮れていたニケの耳にかつこつとした音が届いた。
びくりと体を震わせた獣人の子供を腕の中に抱きしめて顔を上げれば、そこには杖をついて立っている義父の姿があった。
「お義父様、」
「獣人の……猫か犬の系統だな。お前が育てるのか?」
「っはい、けれどその、お風呂に入るのを殊更嫌がっていて……」
「無理もない。心当たりはあるから明日にはどうにかしよう。今日は……そうだな、少し熱めに沸かした湯で布を濡らして拭いてやるくらいにしておくといい。────その子供は、まだ怯えているようだしな」
「!」
義父に言われてニケは腕の中の子供を見下ろした。
鼻につく臭いの、薄汚れた子供。
ニケからしてみれば早く綺麗にしてあげなければ、と思うばかりに今まで行動していたが、この子供にしてみれば売られそうになっていたところをいきなりどこぞの屋敷に連れて来られて、今度は体をもみくちゃにされているのだから不安にならない方がおかしいだろう。
急いて行動していた自分を恥じて、ニケは義父の助言に従うべく腕に子供を抱いたまま立ち上がった。
「案外力があるな」
「武人の娘ですので」
からかうような響きの義父の言葉にそうニケが返せば、義父は面白そうに目を細めて笑う。
嫁入り前母を手伝って男ばかりの家族や、頻繁に出入りする父の部下達の面倒を見ていたのだから自然と力が付く。近年落ちていた力も、ここ最近この離れの付近の庭を自分の好きなように手入れしているのに伴って少しずつ戻って来ていた。
そのまま義父を一旦寝室まで送ろうとしたが制されて、ニケは子供を抱いて洗い場へ向かった。
この離れを義父の静養の為に使っている一番の訳は、小さいながらも独立した炊事場や洗い場があるからだった。おかげで屋敷の母屋の使用人と大きなもめごとを起こすこともない。貴族の令嬢ならば嫌がるだろう家事も、貧しい男爵家の出であるニケには苦でないことも大きい。
残っていた火に薪を継ぎ足しながら汲み置いてある水を沸かしている間に子供の体を拭く布を用意する。
汚れても構わない、けれど水吸いのよく柔らかい布を選ぶとニケはきょとんとしている子供に視線を合わせた。
「……ごめんなさいね、さっきは。怖い思いを、させました」
子供は首を傾げる。
ひょっとしたらまだ、言葉が追いついていないのかもしれない。
見かけは五歳ほどの子供だが、どうなのだろうか。人間と獣人ではそのあたりも違うものなのだろうか。
次々とわき出てくる疑問に内心で義父の心当たりとやらの中にこういうことに詳しい人はいないか聞いてみようと決めて、ニケはそっと子供の頬を撫でた。全身が毛むくじゃらだが、顔の部分の肌は人間のものとそう変わらない。
「うー…」
ごろごろと猫のように喉を鳴らす子供に、ニケはかわいいなぁ、と思う。
義父は猫か犬の系統、と言っていたがきっと猫に違いない。この子供のように毛足の長い猫もいると聞く。
そう考えてニケは沸騰した湯の入った鍋を火から下ろし、別の容器にある程度の量を移してからそこに水を足してぬるま湯を作った。ニケが少し熱いと思うくらいに調整した湯に布を浸し、そっと子供の肌や毛を拭いていく。あっという間に布は汚れ、洗っていてはキリがないと判断したニケは次から次へと新しい布を濡らしては子供の体を拭くということを繰り返した。
「……これ、くさくない」
ぽそりと子供が漏らした言葉にニケは首を傾げた。
「花のにおい、きつい、くさい……あわ、色、おかしい」
ぽつぽつと告げられる言葉から考えるに、どうやら母屋で使われた都では一般的で人気のある花の香りや色を香油などで付けた石鹸は嫌らしかった。おそらく鼻にくるのだろう。幸いこの離れは義父の好みに合わせた普通の、香り付けしていない石鹸があるから、後でそれとなく大丈夫か聞いてみようと思って、ニケは笑った。
(案外私が抱きしめても抵抗しなかったのは安心したからではなくて香水などを付けていなかったからでしょうか)
くすくすと笑っているニケを、子供はただきょとんと見上げるばかりだった。