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第五話 家族に恵まれない男

【義父視点】


 控えめな花をつける庭の草木は、目に優しく落ち着いたものだった。

 ついこの間まで最低限の手入れしかされていなかった殺風景な庭は、少しずつ花の色どりが増えてきたように思える。

 それをしたのは今自分の目の前で昼食の給仕をしてくれているニケだった。


「ニケ」

「はいお義父様、今日のご飯は私が作ってみました。この間お話した私の母特製のパンですよ」


 名前を呼べば返ってくる、満面の笑顔というにはほど遠いようなそっと小さく微笑むような笑い方が、この娘にとっての笑顔なのだと気付いてからもうどれだけの月日が流れただろう。

 そう考えてサイードは目を閉じる。


 突然倒れて、医師の診察を受ければ内臓に病を患っていると告げられた。

 そうしたら今まで生活の大半を占めていた軍────戦場から、ものの見事に追い出されてしまった。疎まれたわけではなく、自分の体を心配してということが分かっているだけに強く反対も出来ず、気付けばまるで文官のような日々を送っている有様だ。


(こうも穏やかに過ごせるとは、思ってもいなかったが)


 不自由がないようにと心を砕かれ、何か頼もうと名前を呼べば間を置かずに返事が返ってくる。それも仕事としての義務からではなく心から尽くしてもらえようとは、微塵も想像していなかった。

 病を得て屋敷での静養を陛下直々に命じられた時には、正直言って針の莚を覚悟していたのに、だ。

 自分が屋敷の使用人から好かれているだなんて妄想は一度も思ったことがない。そんな環境で病の静養、となっても自分の世話を焼こうという物好きはいないに違いないと確信していた。

 それなのにこの娘は、自らサイードの世話を買って出たという。

 目の前の娘────正しくは息子の妻だから嫁にあたるニケという名の娘は、サイードの昔の部下、ロベルトの娘だった。今も武官としてそれなりの地位にいるロベルトの娘が息子の嫁に来たことは知っていたが、自分が息子にも妻にも嫌われていることは百も承知なため今までほとんど話をしたこともない。

 だから今日から私がお義父様のお世話をいたします、と頭を下げられた時はかなり驚いた。


 それがどうしてこんな舅の世話を己から買って出る気になったのかと聞けば、返って来た答えは『やることもありませんし、私も兄と同様お義父様の武勇伝を寝物語のように聞いて憧れておりましたので』だ。


 その時初めてサイードは、疎遠な息子が恋愛結婚をしたわけではないことに気が付いた。

 しかも口に出したことはないが、屋敷の者から嫌われこそしてはいないが次期当主の妻として相応しく扱われているわけでもない背景にはどうやら父親のロベルトが自分の元部下だということが関係しているらしいことも、気付いてしまった。

 疎遠なあまり息子が結婚すると言ってきた時も、身分差を見るに妻が勧めた結婚ではなさそうだから恋愛結婚か、という程度にしか思わなかった。ロベルトとも今はかなりの階級差があり付き合いも特になかったため、サイードのニケに対する認識は単なる『息子の妻』で止まっていたのだ。

 だから今までニケが置かれている状況に気が付くことはなかった。


 息子が選んだ嫁ならば、きっとあの妻は身分が低くとも気にいるだろうと思っていた。

 たとえかつての自分の同じ男爵家────貴族の序列で最下位に数えられる家の出であろうと、息子が選んだならば、と。


 そう思ってかつて────いや、今なお自分に向けられる妻の軽蔑したような目を思い出してサイードは内心ため息をついた。



 ────昔からそういう星の下に生まれたのか、どうにも家族に恵まれない性分だった。

 父は酒に溺れ、もともと貧乏だった男爵家の財政は傾ききってもうどうにもならないところまで来ていた。僅かばかりあった領地も酒代だ借金の返済だと売り飛ばしてしまい、けれどその金もすぐに尽きると安酒を呷っては物に当たり散らし泥のように眠るということを繰り返す始末だった。

 母も男爵家、という家格を目当てにした商家の出で、何かある度にこんな男と結婚するんじゃなかった父さんもなにもこんな男でなくても他にいくらでも貴族の家はあるだろうにと愚痴を言い、物心ついた時からあまり家にいない人だった。

 そんなサイードを育ててくれたのは昔サイードの祖父母に世話になったという家政婦で、賃金を払えなくなった後もサイードを心配してこっそりと家に顔を出し、よく自分の家に連れ帰っては暖かいご飯や新品ではないけれど新しい服を与えてくれていた。きっと彼女がいなければサイードは幼い頃にのたれ死んでいただろう。


 そしてどうにか少年と呼べる年になるやいなや、サイードは家を出て軍に入隊した。

 軍に入れば宿舎もあるし飯もある程度保障されたから、サイードは飛びつくように入隊試験を受けた。

 戦い方は街の荒くれ者との喧嘩で覚えた。剣の握り方は家政婦の夫だった退役軍人に指南してもらった。

 一応男爵家という家格と、入隊試験をそれなりの成績で突破したことからまずまずの地位に配属され────そこから先は、ただがむしゃらだった。

 与えられる知識も剣も何もかもを必死に吸収した。

 気にいらない奴等も多かったがいい上官もいた。気が合う同僚もいた。ちょうどその頃は隣国と戦争をしていて、武勲を立てる場所には困らなかったからあっという間にサイードは階級を上り詰めた。

 平民同然の男爵家の出としてはこれ以上はないだろう、と言われた地位に昇りつめたのは二十になるかならないかの年だったはずだ。


 そんな時に、サイードはとある伯爵家の男から縁談を持ちかけられた。

 相手は社交界で『黒姫』と謳われた美姫で、いくらなんでも話が美味すぎると突っぱねた。

 そうしたら何でも伯爵家は名誉も財産もあるが目ぼしい政治家も文官も武官もいない、伯爵家という家名でお前はより出世し、こちらは名ばかりの腑抜けと周囲に言わせないだけの人材を手に入れることが出来る、と嫌になるくらい口説かれ、サイードはいつの間にかしぶしぶ首を縦に振っていた。

 そうして今の妻と引き合わされた。


『────平民同然の下郎が、私の夫ですって!?どういうことですのお兄様!』


 どうやらサイードに話を持ちかけてきた男はれっきとした伯爵家の嫡子で、本来ならわざわざ妹に婿を取って家を継がせる必要はなかった。

 どうしてだ、と聞けば体が弱くそう長くはないだろうから、と返されサイードは言葉に窮し、その姫は俺を目の敵にした。仲のいい兄妹だったらしい。

 どうにか兄に宥めすかされてサイードと結婚したが一度もサイードに笑いかけることはなく、向けてくるのは侮蔑か嘲笑か、という有様でよくぞ息子が出来たものだと未だに思う。

 そしてそれは、妻の兄が息子が生まれる直前にこの世を去ってからも変わることはなかった。



「お義父様、どうぞお召し上がりください」

「あぁ」


 いつだってサイードに優しいのは、血の繋がらない他人なのだ。

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