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第五十一話 二人で

 離宮での暮らしは、ニケが想像していたものよりも遥かに過ごしやすいものだった。

 貴人が愛玩用の獣人を連れていることに慣れていたのか、離宮に詰める女官や侍従はカマルに対してもごく普通の、客人に対する扱いで接していた。

 そしてそれに触発されたのか、それとも他に伯爵家の家人がいないためか―それは定かではないものの、ニケの夫も少しずつカマルとの交流を持ち始めていた。


 王都よりも北方に位置することもあって、まだ短い滞在期間の間にも降った雪が積もることがしばしばあった。深緑の樹木や蔦葉、同じく深緑で統一された離宮の屋根にうっすらと雪が積もった景色は美しく、それこそお伽噺の中に出てくるようなお城そのもので、幼い頃からそうした物語に親しんできたニケにとっては、冬の身を切るような寒ささえなければいつまでも眺めていたいほどだった。

 少し曇った、本来は透き通っているはずのガラス越しに庭を眺めていたニケの耳に、他のものよりも軽い足音が届く。この離宮にいる子どもはカマル以外になく、どうしたのかとニケが振り向けばマントを身に付けたカマルが頬を紅潮させてこちらに来ていた。


「あらカマル、お庭に行くの?」

「んーん、狩り! 弓で、びゅーんって、するの」

「狩り……?」


 よく見れば庭園とはいえ同じ離宮内にあるそこへ行くには随分と念入りな装備をカマルは身に付けていた。ニケも何度か見たことがあるそれは、主にそれなり以上の身分にある者が森の中でも動きやすいようにと工夫された靴のはずだ。ニケの兄、特に近衛に属する次兄が王族の狩猟に同行する際などに着用していた記憶がある。

 カマルも獣人としての勉強をする際に、狩りの教えもハルゥの夫から受けておりその時にも森の中などに適した靴を誂えていたがそれを今回使うことになるとは露とも思わず、ニケがカマルと共に支度した荷物の中に狩猟道具一式を入れた覚えはなかった。それにカマルの足はどんどん大きくなるからと、高価なものではなくごく市井に有り触れた、三つ子たちと同じ品をずっと買っていたのでこうして近衛や貴族の子弟が身に付けるのと同じものは用意していなかった。

 一体どうしたのか、と訝しんでいればカマルの後ろから背の高い、ニケの夫がちょうど部屋に入ってくるところだった。それに合わせて部屋にいた女官たちが流れるように退室していく。

 夫がニケのすぐ近くまで歩み寄り、歩を止めたのに合わせて軽く一礼して口を開く。椅子に腰かけていることもあって普段から高いところにある夫の顔を見上げるのに、ニケは随分首を傾けなければならなかった。


「アルトゥーロ様」

「あぁ。今日は昨日より少し寒いが、大丈夫か」

「はい。女官の皆さんが気遣ってくれていますので、大丈夫です」


 そこで一度口を閉じて、ニケは夫の装束をよく観察した。

 離宮に来て以来、近衛隊の隊長の服装ではなくごく一般的な貴族の服装を身に付けることが多かった夫が、今日は都にいる時のように近衛の服装、それも儀礼色の少ないものを身に付けている。足元を固めるのはカマルと同じく、狩猟用の長靴だ。

 それを見て二人が揃って狩りに行こうとしているのでは、とようやく気付き、確認のためニケは夫に尋ねる。


「……カマルと、狩りに?」

「鍛錬を怠っているつもりはないが、やはり鈍る。この子も狩りの経験はあるのだろう?」


 首肯した夫の視線がニケからカマルに移る。感情の色があまり表に出てこない夫が、カマルのことをどう思っているのかニケには未だに掴みきれていない。けれどもそういった感情に敏感な節のあるカマルが嫌がる素振りもなくふさふさと雪色の尾を振っているのを見れば、そう神経を尖らせるようなこともないのは確かだった。

 それに離宮に来てから三人で過ごす時間も多くなり、ニケが間に入らずとも二人が話していることもある。カマルだけでなく、夫にもおそるおそるといった様子が見られるように感じられるのは、ニケの気のせいかもしれないが。


(優しいお方だし……大丈夫、かしら)


 二人の様子を見守っていたい、と思うがまだ自分の足である程度の距離以上は歩くことのできないニケが、狩猟地の方に行くのは無理な話であったし、夫にそれを許すつもりはありそうにない。

 留守番するしかないと理解したニケは二人に向かって微笑んだ。


「雪は止んでいるようですが、お気をつけて。お帰りになったらお話しをきかせてくださいませ」

「さほど遅くはならないはずだ」

「いってきます、かかさま」


 ピンと三角の、大振りな耳を立てたカマルの頬を撫で、解けかかっていたマントの紐を結い直してやる。興奮して薔薇色に染まる頬に、癖の強い髪がはらりと落ちているのを指で掬い耳にかけてやれば、くすぐったかったようできゅっと首をひいて縮こまってしまう。


「なるべく怪我のないようにね」

「兎獲ってくる、ね」

「なら私は兎の刺繍をしているわね? 完成するまでに獲ってこれるかしら」


 悪戯っぽく告げたニケに対しがんばる、と力強く宣言してカマルは胸を張る。それを見る夫の目は、きっとあたたかなものだ。

 二人の幸運を願う言葉を口にして二人を送り出す。黒白と、色彩も何もかもが違う二人の後ろ姿がしっくりくるような感じがして、ほう、と吐息が漏れた。

 欲を出してもよいのならば、そこに赤い色が加わればいいのに。


 入れ違うようにして入ってきた女官に刺繍のための準備を言付けて、それを待つ間もう一度ニケは窓の外を見た。

 静謐な冬の景色は冷たいけれども美しく、白い雪と緑の蔦に閉じ込められたこの離宮では、外のことなど何も気にしなくていいような気がした。


 必要以上には踏み込んでこない女官達。

 ニケは時折、カマルと夫と三人で暮らしているかのような錯覚を覚える瞬間さえあった。

 ニケの傷が癒え、都に戻れば夫は職務に忙しく、伯爵家の使用人達のこともあって今のようにカマルに接することができないかもしれない。そもそも今のこの状況を夫がどう思っているのか、尋ねる時が来ているのかもしれなかった。


 女官の用意した白い布に薄茶で野兎と、冬でも枯れない柊の図案を描くことに決めたニケは頭の中であれこれとどう針を刺していくか考えるために、そっと目を閉じた。


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