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第四十三話 暴露

 ニケの夫が屋敷に帰ってきたのは日が落ちてから少し時間を置いた頃で、普段に比べれば随分と早い帰宅だった。

 久々にゆっくりと家族の時間が持てたと笑って晩餐の席についた義母に、夫が屋敷にいなければ義母もまた母屋に一人きりなのだとニケは今更思い至った。生まれ育った屋敷で慣れ親しんだ使用人がいても、家族ということに重きを置くならば義母もまた寂しさを感じていても不思議ではない。両親も兄弟も既に亡くした義母にとって家族は片手の指が余るほどしかいない。血の繋がりを見るならば、下手をすればニケの夫のみといっていい。


「アルトゥーロ、最近お務めの方はどうなのですか」

「……つつがなく。ただ最近は北方がきな臭いという情報もあります。春になればまた忙しくなるかもしれません」

「そう……」

「軍が出る、という事態になるのでしょうか」

「その心配は今のところないだろう……安心しておけ」


 戦になるのかと食事の手を止めたニケに、夫は首を横に振る。義母もひとまず出征という事態にならないことに表情を緩めた。

 家族といえども話せないことが多い立場ながら、力強く心配ないと断言する夫に頷いてニケは止めていた手を動かす。いい鹿肉が手に入ったのか今日の晩餐のメインとなっているのは炙った鹿肉に凝ったソースをかけたものだ。どうやらこれは夫の好物らしく、他の料理よりも平らげられるペースが早い。


「アルトゥーロ様は鹿を好まれるのですか?」

「あぁ」

「そうですか」


 ニケから話を振ってみたものの、あっさりと話が終わってしまった。

 さすがに義母とするような話よりはいいだろうと判断してニケなりに選んだ話題だったのだが、こうも簡単に終わってしまうようではもっと慎重に話題を選ばなければニケと夫の会話は成り立たないのかもしれない。

 あまり食事の席で仕事の話をするのは、と困っていたニケの視線を受けてか、黙っていた夫が再び口を開く。


「……初めて狩りで得たのが鹿だった」

「おいくつの時に?」

「いくつだったか……母上は覚えておいでですか」


 思い出すように視線を一度宙に投げて、夫は首を傾げる。初めて狩りで獲物を得たのは相当前のことなのだろう。

 ニケの記憶が正しければ十を過ぎればしきたり上では上流階級が使う狩猟場への出入りが認められる。ただ条件としては一人で馬に騎乗出来ることや弓の鍛錬で一定以上の腕を見せることなどがあったはずだ。

 幼い頃から武芸に並はずれた才を見せていたという夫ならばそれこそ十に達した年から狩猟場に出入りしていても不思議ではない。

 夫に尋ねられた義母は優雅に口元を手巾で拭った後えぇ、と頷く。


「十二の時に初めて狩猟場へ行った時のことです。その日の食事にはあなたが獲った鹿を使って、それ以来鹿が好きになって……お祝い事といえば鹿を使って」

「母上」

「あまり子どもらしいところを見せなかったあなたの珍しい子供らしさというやつでしたね」


 にっこりと笑ってみせる義母に夫はむっすりと押し黙る。

 寡黙な夫がもし昔から寡黙なら、確かに初めての獲物を嬉しがる様子は親心に大層かわいらしかったのだろう。

 先日カマルがハルゥの夫の指導の下、都近くの森で獲ってきたうさぎを夕食に出した時のことを思い出してニケは内心でうんうんと頷いた。数日間はそわそわと落ち着きなく自分がどうやってうさぎを仕留めたかを話すカマルを義父と共に温かく見守ったのは記憶に新しい。


 その後も夫の様子に気をよくした義母が次々と夫の幼い頃の話を披露し、終始黙り込んでしまった夫とは対照的にニケは思いもよらず微笑ましい話に笑う時間を過ごしたのだった。





 晩餐の後自然な流れで母屋の方の私室へ案内されたニケは、湯あみを終えて寝室で夫を待っていた。義父とカマルからは帰ればそのまま眠ると晩餐の前に言付けを預かっており、心配はない。

 ゆらゆらと燭台の火が揺れる中で髪をくしけずっていたニケは扉の開く音に顔を上げた。扉のところにはやはり夫の姿がある。


「待たせたか」

「いえ、お気になさらず」


 夫もまた湯あみを済ませたのかしっとりと濡れた黒髪が首筋に張り付いているのが薄明りの中でも見て取れた。夫の髪は全体的に長いわけではないが、襟足の部分だけは少し長い。もう少し伸ばせば結うことができるのだろうが、夫にそこまで伸ばす気はないようだった。

 手にしていた毛織物は着る気がないのか早々にカウチにかけられ、夫はニケに酒を勧める。度数の低い糖蜜酒で夫の晩酌に付き合いながら、ニケはそっと夫の表情を窺う。

 自分のまだ幼い時の話を披露されていた折よりも幾分かはくつろいだ様子で、酒の力に感謝しつつニケはちびりちびりと喉を刺激する甘い液体を飲み干した。


「時期になればシードルかポムも手に入れさせよう。母上は好まれないが、ヴィオレットなどは好むらしい……リュシオンが、口に合うものを試していくのも楽しみだと、銘柄を一覧にして寄越してきた」

「リュシオン様はヴィオレット様がいらっしゃるから女の好む酒にもお詳しいのですね」

「……ということにしておこう」


 晩餐の席でも結構な量の酒を口にしていたからか、常よりも饒舌な夫にニケは相槌を打つ。仲のよいことで有名な兄妹の兄から寄越されたらしい羊皮紙にニケも目を通したが、知っている銘柄だけでも甘かったり弱かったりする酒が書き連ねられている。流石に安酒の銘柄はない。


「でも、どうしてリュシオン様がわざわざ?」


 ニケの疑問に夫は一つ溜息をついて眉間を揉み解した。

 お疲れならばもうお休みに、と口にしたニケを、首を振ることで制し夫はもう一口葡萄酒を口に運ぶ。


「最近陛下が反抗期だとかなんとか嘆いてそのしわ寄せで陛下の代わりに女性の扱い方などを説いてみせているだけだ……仕事の合間をどうやって見計らって私のところに来ているのか……」

「まぁ」


 心底うんざりした様子で夫はもう一度溜息をつくと、手の中の液体を揺らす。

 どうやら最近夫が優しい――以前から優しいことは分かっているがその発露の仕方が変わった――のは、他に想う女性が出来ただとかそういうことではなく、単に友人の講釈を無意識に実行に移していただけらしかった。

 夫自身はその講釈を鬱陶しく思っているらしいのが窺える様子に、先程義母から聞かされた話が相まってニケは夫のことを何故かかわいらしいと思ってしまう。


「確か陛下は今年で二十二歳と」

「公務中はともかく、あいつにとってはいつまでも陛下が弟のように見えるのだろう。従兄弟として幼い時分より側に上がっていたのは確かだ」

「けれど反抗期、とは」

「陛下もリュシオンに兄のように女性の扱い方について延々講釈を垂れられるのは堪えるものがおありらしい。ただでさえ遊び人のリュシオンの講釈など悪影響でしかないが」

「リュシオン様のように陛下が社交界で浮名をお流しになるわけにはいきませんもの」


 婚前婚後の火遊びなど珍しくもない社交界だが、それが国王ともなれば話は別だ。他の貴族以上に跡継ぎを残すことが求められるだけでなく、妻ないし愛妾とする女性の出自も慎重に慎重を重ねて吟味されなければならない。気軽に色恋を楽しめる立場ではないのだ。

 未だ現王には跡継ぎどころか妃の一人もなく、城ではその選定が急がれているというのがここ数年の噂だ。元々有力貴族の家で妃候補にと育てられた令嬢の多くは妃の座を諦めて他の貴族と結婚している。ニケの年頃で未婚の令嬢となれば大貴族の令嬢か、訳ありで婚約までこぎ着けられない令嬢かのほぼ二択といっていい。


 それはさておき、ニケはここ最近密かに憂慮していた夫が他に女性を想っているのではないかということがただの杞憂に過ぎなかったことに思いのほか安堵していた。

 おかげで糖蜜酒を飲み干すのもいつも以上に早く、見かねた夫がニケの手を取るほどに。


「アルトゥーロ様?」

「……だいぶ酒が回ってきているな、今日はこれくらいにしておけ」

「はい……」

「私もこれくらいにしておこう。立てるか……万が一があると不安だ、寝台まで支えよう」


 ニケの手を取った夫は少し顔をしかめると、晩酌の支度もそのままにニケを立ち上がらせた。自覚はないものの、ニケも相当酒が回っていたのかゆっくりと立ち上がったにも関わらず少し足元がおぼつかない。それを見て取った夫は呆れることもなくニケを抱き寄せると、そのままゆっくりと隣の寝台がある部屋に歩を進めた。

 互いに普段よりも多く杯を干したせいか、濃密な酒精の匂いにくらくらと、それだけで酔ってしまいそうな心地でニケは夫に従う。

 柔らかな寝台に横たえられながら、ニケはぼんやりと近くに迫った夫の顔に手を伸ばす。名前を呼んだつもりだったが、上手く言えたのかは分からない。


 旦那様、アルトゥーロ様。


 なにやら口走った気もするけれど、よく聞こえない。耳が酒の毒に侵されてしまったようだった。

 ちょうど真正面にある夫の顔が、少し傾いてからぐっと近付いてくる。少しぼやけ始めた視界でよく見えなかった夫がよく見えて、ニケは多分、自分は笑っているのだと思った。

 酒精の匂いが一段と強くなって、ニケの耳朶に熱い息がかかる。


「                  」


 告げられた言葉が聞こえなかったけれど分かって、ニケは頷いた。

 多分、このところ考えていたものの答えが見つかった気がした。


 お義父様にカマル、アルトゥーロ様にお義母様。


 ニケは彼等に、『家族』をあげたい。


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