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第三十五話 琥珀の首飾り

 店主が広げた見事な品々に、ニケだけでなく夫も僅かばかりではあるが目を見張った。


「こちらは少々値が張るのですが、最高級といっていい色や形、透明度の琥珀です。夜会にも使える品もご用意しております」

「見事なものですね……」

「私共の故郷は琥珀の加工で栄えた街で、厳しい北の地では採れた琥珀をいかに美しく見せるかということが非常に大事なのです」


 暗に琥珀以外に生計を立てる術がない、と零した店主にニケは厳しい北の地に思いを馳せた。いったいどのようなところなのだろうか。


「こちらの腕輪などは琥珀の他に水晶もあしらっておりまして、夜会などにもお使いいただけますし、髪飾りなどもご用意しておりますが……奥方様のお髪のお色でしたら、琥珀よりも翡翠などの方がお似合いかもしれませんね、残念です」

「……ここに翡翠はないのか」

「あるにはあるのですが、よその街から仕入れますので今あるものはどうしても質が少々……翡翠をご所望ならば仕入れて参りますが」

「そうか……」


 ニケが北に思いを馳せている間に店主と夫の方で何やら商談が進んでおり、何となく口を挟むのを憚られたニケはビロードの上に並んだ装飾品に再び目をやった。

 店主が勧めていた腕輪は見事だが、少々豪奢すぎる。花弁の形に細工された大粒の琥珀の周りに水晶で形作った葉が散りばめられたそれは、ニケよりももっと華やかな人に相応しいだろう。

 他の品に目を滑らせると、ふと一つの首飾りに目を惹かれた。視線が縫いつけられたように、その首飾りに向かってしまう。


 同じく並べられた他の品に比べればいささか地味な、細い銀鎖で小粒の琥珀を連ねたそれは、粒の色や大きさが揃っていて控え目な意匠ながらも上等なものであることが察せられた。

 店主の他に居合わせた店員がニケの視線の先を見やってどうぞお手に取ってご覧くださいませ、と勧めるのに従ってニケはおそるおそるその首飾りに手を伸ばす。

 思っていたよりも軽い首飾りはニケの手の中でしゃらり、と軽やかな音を立てる。銀鎖が立てた音ではあるものの、銀鎖自体が細いだけに耳障りというよりは心地よいくらいの音だ。

 その音に店主と話していた夫の視線がニケの方に――ひいてはニケが手に取っている首飾りに向けられた。店主もにこやかに口を開く。


「それは色味の美しい琥珀を細工したもので、そこまで大きさや色味の揃った琥珀をふんだんに使ったものはそうそうあるものではございません。連ねるのに使っている銀も銀細工に使うような最高級の銀を使用しておりまして、街でも指折りの職人が時間を惜しまずに仕上げた繊細な一品でございます。夜会は勿論ですが普段使いも出来る一品かと」


 先程以上に言葉を尽くして首飾りの説明をする店主に夫も目を細めて頷いた。


「気に入ったようだな……」

「どうでしょう、一度身につけてご覧になられては」

「髪を一度上げられた方がよいかもしれませんね、あちらで合わせてみられては」


 夫、店主、店員と三人に促されるままに隣室に入れば、店主の妻なのだろうふっくらした外見の夫人が人好きのする笑みと共に部屋に入ってきた。


「このような狭いところで申し訳ありません」

「いえ……」

「ご一緒の方は旦那様で?」

「えぇ」

「お二人で市に足を運ばれるだなんて仲睦まじいのですね」


 にこやかに話しながら夫人は椅子に座ったニケの緩く束ねていた髪をほどいて櫛で梳き、手早く結い上げていく。ニケが使っていた青いリボンは卓子の上の琥珀がはめ込まれた小物入れに入れられる。宣伝も兼ねているのだろう、部屋にはちらほらと琥珀をあしらった品が見受けられた。


「奥方様には夫も話しておりましたように翡翠の細工がお似合いでしょうが、色の明るい琥珀もお似合いですわ」

「これも琥珀で?」

「はい。色の薄い琥珀一つ一つ花弁のように加工して、このような花の形にしているのです。琥珀といえばもっと色の濃いものが多いのですが、こうしたものもございます」


 夫人がニケの結い上げた髪に挿した飾りは琥珀としては色の淡い、金茶色の石を花の形にあしらった細工だった。

 深緑のリボンと共に髪につけるとより華やかになりますわ、と夫人は笑いながら髪飾りの位置を何度か直し、満足げに頷いた。


「失礼いたします」


 ニケの前に手を回して、露わになった首筋にそっと首飾りが寄り添う。一瞬だけひやりとした感触が肌に伝わるが、すぐにそれもなくなる。後ろで留め具の止められる音がして、ニケは少しだけ前に傾けた首を元に戻した。


「よくお似合いで……お待ちの旦那様にお見せいたしましょう」

「えぇ……」


 夫人に先導されニケが部屋を出ると、店主と話をしていたらしい夫が顔を上げた。

 そういえば夫が今日ほど色々と話しているのを見ることはあまりなかったかもしれなかった。ニケは夫が仕事中の姿を見ることはないし、屋敷にいても話を振るのは義母であることが多い。

 よくよく考えれば今日の夫の様子はなかなか貴重なものだとニケが考えていると、夫がニケの姿を認めて少し目を細めた。


「これは奥方様、大変お似合いで……いかがでしょうか」

「思っていたよりも軽くて驚きました」

「銀鎖を使っていますが丁寧に仕上げておりますので、見た目よりは軽くなっております。旦那様、いかがでしょうか」

「――よく、似合っている。……妻も気に入ったようだし、これを貰おう」

「「ありがとうございます」」


 店主の問いかけに鷹揚に頷いたかと思うとあっという間に売買が纏まる。ニケが瞬きをしている間に店主は売買の契約書を準備するため、店の奥へと引っ込んでしまっていた。

 ニケとしてこの首飾りに心惹かれているのは間違いないが、日傘といい、ここ最近何かと夫から物を贈られているだけに気がひけた。

 そんなニケの懸念は顔に出てしまっていたのか、夫が口を開く。


「普段それほど宝飾品には興味を示さないだろう……わざわざ手に取るほど興味を持つのは珍しい。よく似合っているのだから、気にするな」

「はい……あの、ありがとうございます」


 普段からは考えられないほど饒舌な夫に驚きながらも似合っている、と言われたことに照れくささを覚えてニケは視線を床に向けた。

 ニケが首飾りを外すためにまた隣室に入っていたわずかな間に売買契約は成立してしまったらしく、ニケが元のように髪を低い位置で結い上げて戻ってきた時には、夫が主人と契約書を交わし終えたところだった。

 いったいあの首飾りがいくらしたのかと考えると、足元がおぼつかなくなる。紅玉や青玉よりは劣るかもしれないが、あれだけ上等な琥珀ともなれば相当な値がつくはずだ。それこそ庶民の半年分、いや一年分くらいの生活費はポンと払えてしまうのではないだろうか。

 半球状に割った琥珀のはめ込まれた木箱――中には先程まで身に着けていた首飾りが入っているとみて間違いない――を使用人が受け取るのを横目に、夫はニケに外に出るよう促した。

 夫が首飾りを買い上げたことで嬉しそうに顔を緩めている店主とその夫人、店員に見送られて店を出たニケは毛織物さえも目に入らないまま、とうとうその日一日を首飾りのことに気をとられて屋敷に帰ったのだった。


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