第三十一話 望んだ再会
ニケを市場に赴いた際に助けた男――リエーフと、義父が会う場を設けると聞いた時、ニケは邪魔をしてはいけないだろうとその日一日は離れに籠るつもりでいた。
ハルゥの家もニケの生家も共に都合がつかない上に、買い物に出ずとも事足りるだけの品々が離れには揃っていた。貴族の端くれであるニケにとっては――特に嫁いで以降は――離れ、ひいては屋敷から出ない日はそう珍しいものではない。
しかし、日に日に環境に適応していった遊びたい盛りのカマルにとってはそうではないらしく、今日は離れにいると聞いた時にしょんぼりと項垂れたのにはニケも義父も心を痛めた。
もしこの離れに信用できる使用人がいたならば、その者を付けてカマルを思う存分遊ばせてやることが出来ただろう。しかしこの離れに使用人はよほどのことがなければ寄りつかないようになっている。その上、獣人であるカマルが外をあるけば一目を引く。何ら恥じることはないのだが、衆目を集め過ぎれば厄介事をも招きかねないというのがニケと義父の考えだった。
日に日に成長していくカマルの世話をニケ一人でこなすには少々きついものがあり、特にそれはカマルが遊んでいる時に顕著だった。ハルゥが以前ニケに話した通り、人と獣人とでは体のつくりが異なるため、まだ子供のカマルであってもニケより早く走ることが出来る。外ではぐれようものなら女の身のニケがカマルを見つけることは困難で、付き添いとなってくれる者がいない状況では離れ付近の庭でカマルを遊ばせてやることが二人に出来る精一杯だった。
カマルもそれに薄々感づいているのか、普段はそうあからさまに落ち込むことはないのだが、今日ばかりは例外だった。
どうやら市でリエーフに助けられて以来、カマルはリエーフに憧れているらしく夕食の席でたまに彼のことを義父に尋ねることが何度かあった。カマルの中で一番強いのは『じーじ』だが、その次に他の男――たとえばニケの父や兄達――を飛ばしてリエーフが収まっているらしい。
(父様や兄様達がこれを知ったら落ち込みそうね……でも、どうしたらいいのかしら……)
カマルにこのように気を遣わせてしまうことはニケにとっても義父にとっても本意ではない。人には甘いと言われるかもしれないが、二人にとってはカマルは可愛い我が子であり、孫なのだ。
ニケと義父は自然と顔を見合わせる。
「お義父様……」
「あぁ……少しくらいなら、大丈夫だろう。あいつにも聞いてみないと分からんが」
「……?」
苦笑の交じった視線を向けられたカマルは首を傾げて二人を見上げる。その様子がまた可愛らしくて、ニケは自然と唇を綻ばせる。
ニケが口を開いて発した言葉にみるみるうちに満面の笑顔になったカマルの頭を義父が撫でて、三人は笑い合った。
そして。
再会のためにと用意されたのは義父の知り合いの家で、こじんまりとした造りながらも手入れの行きとどいたいい家だった。ニケ達を出迎えた老婆は義父の姿を目にすると顔を綻ばせる。
「お待ちしていました、連れの方はもうお着きですよサイード様」
穏やかな老婆に義父は頷き、促されるままに家の奥へと足を進めた先で義父とリエーフの再会となった。
義父の姿を認めて椅子に座っていたリエーフが立ち上がる。
「……何をしていたか知らないが、無事でなによりだ……リエーフ」
「…………っ、感動的なこと言っといて殴るなよ」
「かかさま、まだおめめぎゅー?」
「……もうちょっとだけね」
「ん!」
会うなり再会を喜ぶ言葉と共に問答無用でリエーフを張り倒した義父に、行きの馬車の中でそれとなくこのことを匂わされていたニケはカマルの目を塞いでいた。
リエーフも文句を言ってはいるが本気で怒っている様子はなく、そもそも義父の一撃を分かっていただろうに防御のために動かなかった。ニケには分からないが、二人にとってこれは自然な流れだったのかもしれなかった。
――十年ぶりだという二人の再会は、一方的な攻撃で幕を開けた。
「ったく……年取って落ち着いてねぇのかよ」
「それはこっちが言いたいくらいだ。お前は十年経っても悪ガキのままだな」
「はいはい、お二人とも落ち着いてくださいな……お嬢様方が困ってらっしゃいますよ」
老婆が淹れてくれた紅茶を口にしながら、ニケは義父とリエーフの様子を見る。互いに悪態をつきながらも笑い合う様はまるで親子のようだ。二人が十年前どういう関係だったのかは詳しく聞いてないが、この様子を見ていれば親密さが窺えるというものだ。
そう思っていれば、カマルが何やらそわそわとしている。普段はそのようなことはないのだが、落ち着かなさ下に足をぶらつかせ、ニケに見られていると気まずそうにそれを止める。何か他人に言われないようにとカマルの行儀に関して、ニケは少し厳しい。
カマルとしてはリエーフに話しかけたいのだろうが、二人が悪態をつくのでそれが叶わないのだろう。しかしニケとしても二人の話を遮り難い。
そんなニケの救いとなったのは老婆で、年の功とでもいうのかあっさりと二人のじゃれあいを終わらせてしまう。バツの悪そうな顔の二人に笑って、ニケはカマルを促すように見やった。それに後押しされて、カマルが口を開く。
「あのね、おじちゃん。かかさまがえんぴつ買ってくれて、じーじがにっきちょーも買ってくれたの。カマルみっかぼーずじゃないんだよ」
「おー、そうか。鉛筆のが羽ペンより扱いやすいからな。それで日記とはおやっさんも親馬鹿で」
「三日坊主のお前に言われたくないわ」
リエーフの言葉に義父が眉をぴくりと動かす。
それに応じるかのようにリエーフも挑戦的な笑みを浮かべた。
「おやっさんだって羽ペンで何枚も羊皮紙破いてたじゃねぇかよ」
「今はない」
「くそ……そういや『じーじ』って呼ばれてるんだな、まだ四十そこそこだろ」
「まぁ自然とな」
「ん? こいつっておやっさんのガキだろ?」
リエーフの言葉に義父が首を振って否定する。話を聞いていたニケも、どうしてリエーフがそう思ったのか分からずに困惑していた。それは尋ねたリエーフも同様で、どうして否定されるのか分からない、といった様子だ。
「カマルはニケの子だ。俺にとっては孫だ」
「えーっと、つまり嬢ちゃんは……おやっさんの娘? 嫁じゃなくて?」
「娘だ……どうして嫁だと?」
「ハルゥばばが『サイードの嫁』って言ってたからてっきり……あぁ。そういうことか」
自分で言って納得したリエーフに、義父は不可解な表情を浮かべている。リエーフの言葉を繋ぎ合わせて考えてみれば、ニケにもどうして誤解されていたのかが分かった。
ハルゥは『サイードの息子の妻』といった意味でニケを『サイードの嫁』と紹介した。しかしそれを聞いたリエーフは言葉通り『サイードの嫁』としてニケを認識した。『嫁』という言葉はハルゥの使ったような意味でも使うことがあるとはいえ、妙な誤解であったことに変わりはない。
誤解の原因を理解した義父ははぁ、と溜息をつく。
「ニケは俺と二十近く年が離れているだろう」
「貴族にはありえるだろ?」
「なくもないが……第一、ニケの父親はあのロベルトだぞ、許すと思うか」
「え、あのロベルトさんの娘かよ……でも確かに許しそうにないよな。でも愛があれば的なこと言いそうだけどなぁ」
「それはともかく、とにかくニケは俺の義娘でカマルは孫だ。そこは理解しておけ」
「了解しました」
かしこまって敬礼を決めてみせたリエーフに、義父が呆れたような眼差しを送る。
きっと十年前と変わっていないだろうやり取りに笑って、ニケは話が分からずきょろきょろと二人の間で視線を往復させているカマルのためにお茶のお代わりをもらうことにした。
その後も話は弾み、当初予定になかったニケとカマルの同行にも嫌な顔一つせずにリエーフは義父と旧交を温めていた。
カマルもリエーフによく懐き、構ってもらって満足げだ。
「夏は暑いぞー、気をつけろよおやっさん。何なら北に避暑にでも来ればいい。あんまり睨みを効かせなくてもこの夏くらいはどうにかなんだろ、去年の旱の影響でどこの国も兵なんざ出す余裕はねぇだろうし」
「まぁ、そうだがな……上の方から今年は様子見を、と暗に言われてもいる」
「未だに健在、ってのをアピール出来る状況じゃなくなった時が怖いんだ、早めに隠居しとけよ」
「下が育つのが遅くてな……貴族の坊主は使えるのは少ない。叩き上げようにもその機会がない」
「十年前とは違うってことか」
話を聞いていたニケはきゅっと眉を寄せた。
そういえば夏の間、義父の体調が崩れる心配もしておかなければならない。話を聞いている限りでは北方への避暑は叶えられそうになく、そうなると都で夏を過ごす以外にない。早めに義父の主治医にも相談しておいた方がいいだろう。
そう決意してニケは紅茶を口に含んだ。