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第三十話 月の綺麗な夜

今回直接的ではありませんが、間接的に性的描写があることを踏まえ作品自体に『R15』タグを付けさせていただきました。

ねっちょりがっつりそういった表現をこの作品で書くつもりはないのですが、保険を兼ねて今回こういった措置を取らせていただきます。


佃煮

 夫が寝室を訪れたのは、ニケが来てから早くもなく遅くもなくといった頃合だった。

 燭台の火をぼうっと眺めていたニケがドアの開く音に慌てて立ち上がろうとすると、滑り込むような足取りで部屋に入ってきた夫が首を横に振ることでその動きを制される。

 ニケの目の前に立つ夫は先程まで見ていた礼装ではなく、夜着に着替えていた。ニケの格好はさして先程と変わりはしない。肩にかけていたショールを脱いだ程度だ。


 部屋に入った夫はしばらく立ち止まって、ニケが座る椅子の向かいに置かれた椅子へと腰を下ろした。

 表情の読めない夫に苦慮しつつもニケが用意されていた酒を進めると一息にそれを飲み干す。促されるがままにニケも酒に口を付けたが、嗜み、付き合い程度にしか飲まないニケに夫の好みに合わせたのだろう酒は少々きつく、喉をじりりと焼かれる感覚を味わった。


「ふ……少し、きつかったか」

「はい……」

「今度は果実酒を用意させるように言っておこう。それならば……ニケも飲めるだろう」

「はい」


 酒を呑んだせいか普段よりも饒舌な夫は微かに苦笑した後でそう言葉を連ねた。

 その気遣いに感謝して頷いたニケは、気になっていたことを聞いた。


「旦那様はお酒がお好きですか」

「ほどほどに、だ。常日頃飲んでいるわけではない……ロベルト殿は、お好きなようだが」

「はい、お酒を飲まない日が珍しいくらいでした」


 大の酒好きである父のことを引き合いに出されて、ニケの顔も懐かしさから自然と綻ぶ。

 夫はほどほど、と言ってはいるがそれでも酒には強い方なのだろう。明日も近衛の訓練があると先程聞いていたのに、これほど強い酒を飲んでも大丈夫だという自信があるのだ。

 ニケの二番目の兄などは酒に弱く、下手に訓練前日に飲もうものなら酒が残ってろくな動きが出来ないと愚痴っていた。それを口実に他の兄達に酒を飲まれたりしていた次兄を思い出して、唇が緩む。

 酒に飲まれた兄弟の介抱は、ニケが寝ていなければニケの役目だった。そこで醜態を晒しているからか兄達も今一つニケに強く出れない節があったのはいい思い出だ。


「……ニケは、母似か」

「どうなのでしょう。母方の祖父に、性格が似ていると言われているので、母方の血が強いのかもしれません」

「私も、母方の祖父似らしい……同じ、だな」

「……はい」


 不意に義父のことが思われてニケがそっと目を伏せると、立ち上がった夫にそっと肩を抱かれ、寝台へと促される。

 唐突な流れだとは思いながらもニケはそれに逆らうことはなく、立ち上がってほど近い寝台へと足を進める。

 夫に肩を抱かれたままふと窓から外を見れば、ほぼ完璧な円を描いた月が夜空にかかっていた。月や星は冬の方が綺麗に見えるというが、夏の月もまたいいものだと風流心を出しながらニケは伏せがちだった目を閉じる。


 体を包むやわらかな感触と肌に触れる少し自分よりも冷たい温度に、微かに安堵して。









 交情の後、荒い息を整えるように深呼吸を繰り返すニケの横に体を横たえた夫は汗ばんだ体を拭うことなくそのまま寝台に身を沈めていた。体が重いニケに対して武官である夫はさほど体力を消耗してはいないようで、すぐに呼吸の音が一つ、静かなものへと変わる。

 部屋に籠もる熱気と独特の匂い、そして事後の雰囲気に何度目かの気恥かしさを覚えて、ニケはそれを誤魔化すように体を起こし、寝台の隅にある――あらかじめ用意されていた着替えのネグリジェを身に付けようとした。

 しかし。


「――体を拭ってから着た方がいいだろう……少し待て」


 動きの鈍いニケを見かねたのか夫がそうニケを制すると、軽々と身を起こして隣室へ続く扉の向こうへ消えた。この部屋にも置かれている使用人を呼ぶためのベルを使わなかったのは、どうしてだろうか。けれどこのような風体を晒さずに済んだのはありがたいことだと考え直して、ニケは夫の帰りを待つ。


 ただどうしても部屋が暑く感じられて、ローブを羽織ってからゆるゆると立ち上がって部屋の窓をほんの少しだけ開けた。

 窓を開けた途端に流れ込んでくるひやりとした空気にうっとりと目を細めて、ニケはしばらく窓の前に立って夜空を眺める。もうこの時間になれば大抵の家も灯りを落とし、時たま通りに置かれた、夜の警邏のための街灯のような微かな灯りがうっすらと見えるのみだ。貴族の屋敷とはいえ、王宮のように蝋燭や灯りをふんだんに使って一晩中煌々と照らす、などという行いをする家は皆無といっていい。この伯爵家の屋敷も例外ではなく、他の貴族の屋敷より灯りは多いのだろうがそれでも屋敷全体は薄暗い。

 そんな中で夜空を見れば、煌々と輝く月の明るさが一際目にしみた。


 ニケがそうして月を見上げていると、いつの間にか寝室に戻って来たらしい夫に声をかけられた。


「……あまり夜風に当たりすぎるな」

「旦那様……申し訳ありません、月が綺麗だったものですから」


 ニケの言葉に夫は手に持っていたものを机の上に置くと、窓際に来てニケの隣で初めて気付いたと言うように空に架かる満月を見上げた。ニケも月から目を離すのが名残り惜しく、夫に向けていた視線を空へと戻す。


「満月か」

「おそらくは」

「…………ニケ」

「はい」


 沈黙の中で名を呼ばれて、月を見上げたまま応える。

 夫もそれを咎めることはなく、共に月を見上げたままで二人は言葉を交わした。


「お前は……私の名を、知っているだろう」

「はい、旦那様。――アルトゥーロ、と」

「そうだ……そしてお前は、私の妻だ」

「はい」


 夫の唐突な話の切り出しにニケは内心で首を傾げつつも夫に答えていく。

 一つ一つを確認するかのような響きを持った夫の言葉に、頷きを返していく――滑らかにではなく、時折間を挟んで続けられる夫の言葉を噛みしめるように。


「ならば――私のことは、名前で呼べ。…………あまり堅苦しいと、使用人と同じだろう」


 前半は躊躇いがちに、後半はやや走り気味にそう言われて、ニケはそうかもしれない、と思いながら頷いた。

 確かに『旦那様』というのは使用人達を同じ呼び方で、常にそれというのは堅苦しく感じられる。

 そう納得したニケは恐る恐る口を開いた。


「……アルトゥーロ様、と?」

「……………………あぁ。呼びにくいのならば、省略しても構わない」


 義母や夫の友人であるリュシオンが夫のことを『アル』と呼んでいたのを思い出してニケは首を縦に振ったが、流石にそれは少々馴れ馴れしい気がしていた。


 その後夫が用意してくれた布で簡単に体を拭った後、別室で新しいネグリジェに着替えたニケは、同じように着替えたらしい夫とまた寝台に戻った。

 ニケや夫が着替えている間に違う扉から使用人が入ったらしく、シーツは取りかえられて寝台は清められていた。いつものことながらこれもまた気恥かしいものがある。

 隣に横たわる夫の熱を微かに感じながら、ニケは忍び寄ってくる眠気に身を任せた。








 次の朝、身を清めた後で離れに戻ったニケを出迎えたカマルに付き合って、昼寝をしたニケが夜に眠れなくなるのは余談である。



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