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第二話 日常の変化

 今日も今日とて自分で紅茶を用意し、人気のない庭の片隅で本を供にしてニケは時間を潰していた。

 今日の本は子供の教育に関して書かれた最近の貴族の奥方に大流行の本だそうで、交流のある友人がニケの暇つぶしにと贈ってくれたものだった。友人はこの本を参考に子育てにいそしんでいるらしい。

 文字列を目で追っている最中、ニケはふと動きを止めた。

 さす、と己の腹を撫でて視線を落とす。


(結婚以来もう……二年か三年だけど、未だに子供が出来ないのは何故かしら)



 それなりにすることはしていると思うのだけれど、とため息をつく。

 確かに夫は仕事熱心だが仕事人間ではなく、他にも様々な趣味を持っているらしい。夫としての務めを厭うことなく果たしてくれているし常々自分には過分な、もったいないと素直に思える夫だった。



 そのためニケの成婚以来最大の疑問はなぜ自分と結婚したのかということであったりする。



 この結婚は一種の政略結婚といえるもので、まだ夫が近衛に入隊したばかりの頃上官だったニケの父が話を持ちかけたら夫が頷いたというのがきっかけだった。

 けれどその裏には甘いロマンスなんて欠片ほどもない。

 いくら父の部下だったといっても名門貴族の跡取りであった夫はすぐに父の階級を追い抜いたそうだし、いくら娘だからといって父の部下だった夫と顔を合わせることなんてそうそうなかった。

 貴族の端くれの父は気軽に部下を家に招いて夕食を共にしていたが、貴族とは名ばかりの貧乏男爵家の我が家に貴族の部下や同僚は招きづらかったのだろう。


 ────なにせニケの実家は男爵家といってもささやかな所領しかなく、父や兄達が武官として得ている給料を頼みとするしかないような家なのだから。



 かつて豊かだった頃の名残りの無駄に広い屋敷の庭も、今では母とニケのちょっとした楽しみのための庭以外はまるで練兵場のような更地になってしまっており、そこで父や兄、その部下や同僚達が日々汗を流している。使用人を多く雇う余裕もなく、母もニケもよくその世話に追われていた。それでも母はニケに嫁入り前なのだからと手が荒れるようなことやみっともない格好は許さなかったが。

 それはともかくとして、とにかく貴族にも関わらず屋敷がまるでどこぞの訓練場や道場のような有様なのだ。

 政略結婚というにはあまりに家格が釣り合わない。

 全く持って夫が自分と結婚した理由が分からないニケだったが、最近ある一つの仮説を思いついた。


(きっとお父様が酔っ払って冗談交じりに『うちの娘いるか?』みたいなことを言って、ちょうどお義母様に『そろそろあなたも結婚する年ね、私に孫を抱かせてくれるのはいつになるのかしら』的なことを言われたばかりの旦那様が深く考えずに『はい』って言ったんでしょうね……)

 

 ありありとその光景が思い浮かぶ。

 父は酒が入ると冗談が多くなる質で、義母は可愛い一人息子の結婚とその血を継ぐ孫が見たくなり、夫は義母を喜ばせようと渡りに船とばかりにその提案に乗ったのだろう。

 思い返せば自分に結婚の話を切り出した父の顔は青かった。きっと本気にされるとは思ってもみなかったのだろう。ニケも母も兄も最初はあまりの話に父が真昼から酒でもあおったのではないかと真面目に思ったほどだ。



 比較的納得のいく自説に頷きつつもう一度腹を撫でる。

 未だに懐妊のきざしがないニケに、そろそろ夫や義母もしびれを切らすのではないだろうか。本人達にそのつもりがないとしても、こうも妊娠の兆候がなければ変な噂が立つ可能性もある。

 実家にいた頃は母や友人達の話す噂話を散々聞いていたが、自分がその当人になる可能性があるとは思いもしなかった。噂というのはこういうものなのだろうか。

 とりとめのないそんな思考を終えて、もう一度手の中の文字列に視線を落とした、その時だった。



「────若奥様ー?どちらにおられるのですかー?」



 困ったような幼い声に立ち上がって声を上げる。

 

「ここですが……何か?」


 現れた幼い、まだ雇われたばかりだろうメイドは困惑した様子で首を横に振った。


「私もよく分からあいのですが、奥様と若様が若奥様をお呼びになっている、と」

「あら、久々ね」

「え?」

「あ、いえ……何でもありませんよ。分かりました、行きましょう。そこのティーセットを片づけておいてちょうだい」


 思わず口からこぼれた本音をごまかして、足を進める。

 庭の方にまで探しにこさせるとは少し悪いことをしてしまった、と今度から場所を考え直すべきかどうか考えつつ、一旦私室に戻って本を置き、素早く鏡で服装に乱れがないかチェックする。

 そして足早に二人がいるだろう夫の部屋に向かった。

 途中何人かの使用人とすれ違うが特にニケに声をかけてくることはない。壁際で頭を下げている彼等の表情をうかがい知ることは出来ないが、どことなく焦っているというか、戸惑っているような雰囲気がそこにはあった。


(何だか妙ですね……)


 ようやくたどり着いた夫の部屋の前で控えていた従僕がニケの姿を認めて礼を取った後、重厚な造りの扉をノックする。


「若様、奥方様、若奥様がいらっしゃいました」

「────入れ」

「失礼いたします」


 中から聞こえた夫の声に、従僕が扉を開け、ニケは部屋の中へと足を進めた。


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