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第二十五話 北の隊商

 暑さにばててしまったカマルに少しでも楽にさせてやろうと、ニケは日差しの遮られた建物と建物の間――細い路地のようになっているところに入っていた。

 市場となっている表通りよりは幾分かひんやりとしたそこは薄暗く、カマルも目に見えて落ちつき始めていた。


(このまましばらくは……)


 手で風を送ってやりながらちらりと路地の端に立つマァを窺うと、表通りに立ち並ぶ店に興味があるのかきょろきょろと忙しなく視線をあちらこちらへやっている。ギルドに入って、獣人の世界では一人前と言っていい年齢になっても、やはりまだ子供の部分が抜けきってはいないのだろう。

 思えば折角市場に来たのに、いつまでもニケとカマルの面倒を見ているのも退屈でつまらないだろう。この辺りは治安が悪いとハルゥは言っていたが、表通りにほど近い場所にいれば人の目もあるだろうし、きっと大丈夫だ。

 そう判断したニケはマァに声をかける。


「マァ、良かったら冷たい飲み物を買って来てくれないかしら?ついでに色々と見てきてくれて構わないから」

「いいよ、ニケさんとカマルだけ残してくの不安だし……飲み物は悪いけど、母ちゃんが戻ってきてから急いで行ってくるから」

「でも……」

「何かあったら俺が怒られるんだって」

「そう……ごめんなさいね」

「いいって」


 提案には満更でもなさそうな顔をしたものの、マァはハルゥからの言いつけを思い出してすぐに渋い顔になってしまった。

 ニケにしてみれば少しくらい、とも思うのだがマァにしてみれば少しでも母の言いつけを破るつもりはないのだろう。


(マァには悪いことをしてしまったわ……)


 少々罪悪感を抱きながらも、マァの好意に甘えてニケはカマルの世話をやく。

 暑さだけでなく人酔いもあったのだろう、人通りのないこの路地ではカマルの体調も元に戻りつつある。

 それでもここからまだ先の買い物や、帰りのこともある。出来る限りカマルを休ませてやる方がいいだろう。


 それにしてもハルゥがなかなか戻って来ない。

 何か珍しいものや面白いものでも見つけたのだろうか。

 ニケが立ち上がって表通りの方を窺おうとした時だった。


「おいおい、いいとこのお嬢さんがこんな暗いとこにいるなんてどういうこった?」

「コブ付きにしちゃあ若い姉ちゃんだなぁ……」

「関係ねぇだろ?おい姉ちゃん、俺達と一緒に来るか金目のモン渡すか、どっちがイイ?」

「な……」


 路地の奥から姿を現した、ガラの悪そうな男達にニケはとっさに壁にもたれかかって座り込んでいたカマルの腕を引くと自分の後ろに押しやった。

 にやにやと嫌な笑いを浮かべた男達はニケとカマルを頭の天辺から爪の先まで検分するように見て、笑みを深める。

 隠れて事を運ぼうとしない男達に、事態に気付いたマァもニケと男達の間に割り込んだ。


「っ、誰だお前等っ」

「おいおい、まだコブがいたぜ?」

「こっちもチビだけどなぁ……」

「そりゃ言えてるぜ」


 げらげらと品のない笑い方――しかも見ている側を不快な気持ちにさせるような笑い方――の男達の狙いは、金目のものを持っていそうな自分だろう、とニケはじりじりと後ずさりながら考える。

 奥にまだ人がいるのかどうかは知らないが、男達は少なくとも四人はいる。ニケとカマルがいる以上、いくら傭兵ギルドにいるマァであっても相手をするのは厳しいだろう。

 ここは少し距離があるが表通りまで走って助けを求めるしかない、と判断してニケはそっとカマルに視線を送る。

 いきなりのことに混乱してうろたえているカマルはすがるようにニケを見上げてきた。


「かかさま……」

「いい、カマル、私が合図したら表通り――明るい方に逃げるから」

「え……」

「たくさん人がいるから、きっと大丈夫よ」

「ん、」


 囁くような声でそう会話すると、カマルは不安そうにしながらも頷いた。

 本当ならばカマルを抱きかかえて逃げたいが、そうしていては男達に捕まってしまうだろう。そうなればまたカマルはどこぞに売り飛ばされてしまうかもしれない。獣人の子供は高値で取引されるということはニケでも知っていた。

 胸の前でぎゅっとフードの布を握り締めるその姿にどうにかしなければ、との思いがニケの心を占める。

 マァも今の会話を聞いていたらしく、ニケ達の方をちらりと見ると小さく頷いた。


「――逃げてっ」


 ニケが声を張り上げると、カマルとマァが地面を蹴り上げた。

 ニケも服の裾を持ち上げて走り出す。

 最近動きまわっていたのが功を奏したのか、マァほどではないだろうが、カマル程度の速さはどうにかあった。


「くそっ」

「生意気な真似しやがってっ」


 しかし子供と女が男達の体力には敵うはずがない。

 早く表通りまで行かなければ、と思いながら足を動かして、もうすぐ表通りという時。


「わっ」


 ニケの隣を走っていたカマルが躓いて転んでしまう。

 ニケもとっさに足を止め、くるりとその場で踵を返す。

 後ろを走っていたマァも舌打ちをして、念のためにと腰にさげていた短めの剣を鞘から引き抜いた。

 しかし男達は剣に怯むことなく一歩また一歩と距離を詰めてくる。


「っ、」

「おいおい、コブかと思ってたら獣人、しかも白いって……こりゃ高く売れそうだ」

「適当にぼこってやろうかと思ってたけど撤回だなぁ」

「もう一人も獣人だが育ちすぎ……売れそうなのは女と白いガキか」


 男達の会話から、目の前の男たちが金目当てのゴロツキではなく――人を売り飛ばしてしまう質の悪い奴等だと分かったニケは血の気の引く思いがした。

 父や兄から、国の目が行き届かない農村部だけではなく都にもそういう連中がいるとは聞いてはいたが、まさか出くわすとは思わなかった。

 捕まったが最後、女は娼館に、子供は奴隷に、人間と獣人の別なく売り飛ばされてしまう。

 その先に待つのは――生き地獄だ。


 転んだ拍子にフードが取れ、白い毛が薄暗い中でも分かるカマルも『売り物』として認定されてしまったのだろう。

 震えそうな手をぎゅっと握り締めて、ニケは地面に座り込むとカマルを腕の中に抱え、フードで包み込む。


(売られて、たまるものですか……)


 自分もそうだが、ようやく笑うようになって背も伸び始めたカマルをもうひどい目に合わせたくはない。


 しかしニケがいくらそう思おうとも、状況が劣勢であることに変わりはなかった。

 マァもそれは分かっているらしく、険しい表情の中にも焦りが見て取れる。

 男達にとってはマァを叩きのめしてニケとカマルを売り飛ばすなんて片手間で出来ることなのだろう、余裕さえ窺えるようなゆっくりとした歩調でニケ達に近付いて、こちらに手を伸ばした。

 それに抵抗しようとしたマァは別の男に抑え込まれようとしている。

 ニケはカマルをますます強く抱き締め、男達を睨みつけた。


「こちらに、来ないでっ……!」

「観念しろよ嬢ちゃん」

「そうそう、ちーっと年くってるけどきっと売れっ子になれるって」

「大人しそうな顔して気が強いってのは……どうだろうな?」

「そりゃいざなってみないと分かんねぇだろ」


 ゲラゲラと笑う男達に触れられるくらいならその手を噛み切ってやろう。

 そう思っているのに男はニケの反抗を呆気なく抑え込むとぐっとニケの手首を掴んだ。

 ぎりぎりと手首を締めあげられているかのような強烈な痛みにニケが思わず顔を歪めると、場にそぐわない呑気な声が聞こえた。


「おうおう、騒がしいと思えば多勢に無勢……しかも相手が子供と女ってとこが……またなぁ」

「何だお前!」

「邪魔すんじゃねぇよ!」

「商人かぁ?なら引っこんで店でもの売ってろ!」


 突然表通りの方から現れた人影は、露店に出ているような見慣れない文様の服を着ていた。

 それを見た男達から飛ばされる罵倒やからかいに、現れた男は肩をすくめたかと思うと――腕を振りかぶって、ニケの手を掴んでいた男を殴り飛ばした。


「なっ!」


 男達がそれに驚いている隙をついてその男はマァを抑え込んでいた男の顔に蹴りを叩き込み、次々と他の男達をも殴り飛ばしていく。

 まるでそういう流れになるよう決まっていたかのような滑らかな男の立ち回りに、ニケは驚いた。

 家族の多くが武官であるニケには、この突然助けに入ってくれた男が並の兵士では太刀打ちできないだろう強さを持っていることが見ただけで分かった。幼い頃から家族や、父の部下の稽古を見てきたがこんなに滑らかな流れるような立ち回りを見せた人はそうそういなかった。


「すご……」


 ゴロツキから解放されたマァもニケ達に駆け寄ってくると、呆然と男を見つめていた。


 ――そしていつの間にか、ニケ達を売り飛ばそうとしていた男達は残らずその場に倒れていた。


 男は拳の調子を確かめるように、手を握っては開きを繰り返しているが疲れた様子は欠片もない。

 圧倒的な、強さだった。


「ふー…しばらく来ねぇうちに都も物騒になったもんだなぁ……おいあんた、大丈夫だったか?」

「は、はい……危ないところを助けていただき、ありがとうございます」

「おう、これからは気ぃつけろよ……ボウズ、ちっと走って警邏の奴等呼んできてくれるか?こいつら引き渡す。お嬢ちゃん達は一応俺がついてる」

「あ、はい!」


 マァが急いで人を呼びに行っている間、男はどこからか取り出した縄でゴロツキを縛り上げ始める。

 それをどこかぼんやりとした心地でニケが見つめていると、腕の中のカマルが身じろぎした。


「かかさま……」

「もう大丈夫よカマル、助けていただいたから」

「ほんと?」

「えぇ、ほんとよ」

「かかさま、けが……痛いこと、されてない?」

「大丈夫よ……」


 安心させるためにニケがカマルの頭を撫でようとするも、ちょうど利き手をゴロツキに握られていたために――その手首にはくっきりと真っ赤な痣が広がっていた。

 それを隠そうとする間もなく、カマルがそれを見てしまう。

 みるみるうちにカマルの目に涙が溜まっていく。


「かかさま、おてて……!」

「大丈夫よ、後でハルゥに薬をもらっておくから」

「でも……痛い?」

「ちょっとだけよ……カマルは転んだときにどこか打ったりはしなかった?」

「ん……だいじょ、ぶ」


 実際はまだかなりじくじくと痛んではいるが、ニケはカマルを泣かせたくはなかった。

 それより派手に転んでしまったカマルだと確かめるように反対の手でカマルの全身を確かめるように撫でる。

 膝を少しすりむいた以外は特に怪我もないようで、ようやくニケはほっと一息ついた。


「うし、これで大丈夫だろ……おいお嬢ちゃん、大丈夫とか言った割には怪我してんじゃねぇか」

「え……けれど、」

「薬塗れば大丈夫、とかじゃなくちゃんと医者に診てもらいな。力加減出来なさそうなアホ共だったしな。その方がこのチビも安心だろう」

「ん……かかさま、ひげのじじさまに診てもらお?」

「えぇ……」


 近付いてきたかと思うとニケの近くにしゃがみ込んだ男はニケの手首を見て眉を寄せた。

 おそらく骨が大丈夫かどうか見極めてもらった方がいいということだろう。

 男の言葉にカマルも頷くもので、ニケは戸惑いながらも頷いた。ちなみにひげのじじさま、とは義父の主治医だ。

 それに安心したらしいカマルは、感じた不安を埋めるかのようにニケに抱きついてくる。

 カマルを抱き返しながらニケは自分よりも上にある男の顔を見上げた。


「私、ニケと申します。失礼ですが、あなたは……?」


 男はニケの問いにん?と首を傾げた後で口を開いた。

 微かな光に照らされた、赤味がかった髪が印象的だった。


「――リエーフ。俺の名前はリエーフだ。北からの隊商の一員をしてる」


 リエーフ。そう確認するように口にしたニケに、男は頷いた。





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