第二十話 華やかな宴
「今日はおまねき下さいましてありがとうございます、ヴィオレット様」
「あら、バークリー伯爵家の……そのようなお言葉は私の兄に言ってくださいまし、今日の夜会は兄が張り切って開いたものですの」
「リュシオン様に話しかけるだなんてお恥ずかしいですわ。あの通り、ヴィオレット様と同じように美しい殿方なのですもの」
「ふふ」
妹君が艶やかな笑みでもって貴族に応対しているのを視界の端に捉えながら、ニケは広間の片隅で顔なじみと話していた。
結婚前から親しくしていた友人達の多くは男爵家や子爵家に嫁ぎ、その多くは今日の夜会に紹介されてはいない。大貴族の夜会に招待されるのはそれなりの家柄の貴族が中心で、例外は少ない。
ニケの親しい友人の多くはその例外には入っておらず、今日夜会で会う顔見知りはほとんどが義母や夫繋がりで会ったことのある年の離れた夫人か────ニケと同じように、『玉の輿』と揶揄されるような結婚をした友人くらいしかいなかった。
今ニケが話しているのは、その中の一人だった。
「全く、厚化粧なババアとケツの青いガキばっかりで鬱陶しいたらありゃしないわ」
鬱陶しげに眉を寄せる赤味がかった茶色の髪を持つ友人に、ニケは苦笑した。
歯に衣着せぬ物言いは久々に会っても何ら変わることはないようだ。
「エレオノーラ、」
「あんたも言わせとくばっかりじゃなくて少しは言い返すか見返してやりなさいよ……っても、あんたの旦那はここの息子の親友らしいから今日は言われないだろうけどね」
ふん、と鼻を鳴らしてみせたエレオノーラはニケの幼なじみとも言うような存在で、二つ年上の彼女に引きずられるようにして結婚前のニケは化粧やその他諸々を覚えた。
勝気な性格に似合った、華やかで意思の強さが現れた美貌の持ち主であるエレオノーラはその持ち前の美貌でとある伯爵家当主の後妻に納まった人で、夫である伯爵とは二十歳程度年が離れているが夫婦仲はそこそこ良好らしい。
貧しい男爵家の出でありながら裕福な、それも年の離れた伯爵の後妻に納まったことから財産目当てだと陰口を叩かれても毅然と前を向いている彼女のことが、ニケは好きだった。男兄弟に囲まれていたニケにとって姉のような存在であるのも大きいかもしれないが。
「……そういや最近、養子か何かとったんだって?」
────それも旦那の籍じゃなく自分の籍だけに、と周囲を慮ってか声を落としたエレオノーラにニケは頷いた。
「誰から聞いたの?」
「……テオからね」
「兄さんから?」
「手紙は寄越すくせに会わせにこないってわざわざあたしを呼びとめてぼやいてたよ。近いうちに家に行ったらどうだい」
「え、えぇ……そのつもりよ」
エレオノーラが口にした次兄の名前にニケは吹き出しそうになるのを必死にこらえた。
エレオノーラは兄と会ったのは偶然で、顔見知りだから自分に行って来たのだと思っているに違いないが、実際兄はエレオノーラを呼びとめる口実にニケと、養子であるカマルのことを使ったに違いなかった。
エレオノーラが結婚してからようやく自分の気持ちに気付いた鈍い兄の行動に内心でため息をつきつつ、ニケはそっと広間を見渡す。
広間の中心では主に未婚の貴族がワルツを踊っていて、それを取り囲むように既婚の貴族が話などに興じていた。ニケもエレオノーラもそんな中の一人で、周囲からはあまり目立たないところで話をしていた。
人ごみに視線を走らせているとやはり一際大きな人だかりの中心に夫とその友人の姿があって、和やかに歓談しているようだった。
酒で気をよくしたリュシオンが半ば絡むように話しかけているから、もうしばらくはこの場にいることになるだろう。
元々既婚のニケにはさしてこうした社交場でキリキリと神経を尖らせるようなこともない。
広間を行き来する──少々肉食の獣のような雰囲気を醸し出している未婚の令嬢を一瞥して、ニケはまたエレオノーラとの話に興じたのだった。
「──カマルが可愛くて可愛くて……お義父様と今度一緒に練習用の道具を新品で揃えてやろうかと」
「…………あんた相当に親馬鹿だね」
「あ、ごめんなさい……長々と話してしまって」
「元気なのが分かったから別にいいけどさ。あんたがこんなに親馬鹿とは思わなかったよ。前みたいに暗い顔しなくなったんだから、まぁ養子とったのは良かったとあたしは思うよ」
あっさりとニケが獣人であるカマルを養子にしたことを許容して、エレオノーラは胸を張った。
豊満な胸を強調するかのように少し視線が集まるが、彼女がそれを気にする様子はない。逆にニケの方が気恥かしいくらいだった。
「腹痛めた子じゃなくてもちゃんと愛情そそげばそれだけ返ってくるもんさ。うちの弟達って実の母親でもないのに母親大好き!だしね」
「ふふ、」
エレオノーラの弟は、彼女とは母親が違う。父親の浮気相手との間に生まれた子供が捨てられそうになっているのを拾い上げて育てたのがエレオノーラの母親で、そういう経緯のせいかは知らないが大層エレオノーラの母に懐いていた。
エレオノーラやニケの兄達に泣かされては母に泣きついていた幼なじみを思い出してニケが笑ったところで、エレオノーラが不意に顔を上げた。
「あぁ、うちの旦那様はもう帰るみたいだね……また手紙でも書くから」
「まだ話したかったけれど……しょうがないものね。じゃあ、また」
「あぁ。今度会う時にでも最近使ってる化粧道具教えてよ、変えたみたいだけど、いい感じじゃない」
「ありがとう」
エレオノーラはそう手をひらひらと振って人ごみに割って入っていった。その先には夫である初老の伯爵の姿が見える。
そして彼女が残した言葉が社交辞令のようなものであっても、そうでなくても嬉しいと思う。ハルゥに調合してもらった化粧道具や手入れの道具は肌に合ったのか、使用人の用意していた高価なものを使っていた昔よりはマシになったと自分では思っている。
(流石にエレオノーラや妹君のように真っ白というわけでは、ないけれど)
真っ白といえば、今頃カマルはどうしているだろうか。
もう寝付いている頃だとは思うが、大丈夫だろうか。
義父も最近はまた安定してきているとはいえ、あの二人を離れに残してきたことが一度気になりだすともう止まらなかった。
あれこれと想像してみるも、つい悪い方向に思考が傾いてしまう。
しかし夫が話をつづけている以上ニケだけが帰るというわけにもいかないし、この不安を打ち明けられそうなエレオノーラは先に帰ってしまった。
不安からぎゅっと手にした扇を握り締め視線を伏せたニケの耳にカツコツと床を踏む足音が聞こえてきたのはそんな時だった。
誰かは分からなかったが、無礼を働かないようにと顔を上げると────そこにいたのはニケの夫だった。
「ニケ」
「……旦那様、」
人ごみの中心で友人と歓談していたはずの夫が壁際の自分のもとまで来たことにニケが驚いていると、夫がまた口を開いた。
「そろそろ屋敷に戻るが、構わぬか」
「はい……お話はもうよろしいのですか?」
「どうせすぐに顔を合わせる、差支えはない」
「ではリュシオン様に暇のご挨拶を……」
「…………済ませてある」
「そう、ですか」
主催者であるリュシオンに一言、と思ったのだがどうやら夫が既に済ませていたらしいことにニケは俯いた。
少々リュシオンに対して失礼なことをしてしまったかもしれない。それにわざわざニケの相手をしてくれた妹君にも一言お礼を言っておくべきかもしれない。
一度気になりだすとそういう思考はやはり止まらないもので、気まずそうにするニケに何を思ったのか夫が強引にニケの手を取った。
「あ……」
「……ヴィオレットがまた茶会を、と言っていたので出てやるといい。それで今日のことは、とも」
「そうおっしゃられるなら……」
「なら、」
急かされるように手を引かれるがまま、ニケはそっと華やかな広間を後にした。
静かな帰り道を経てようやく離れに帰りついたニケは、穏やかに眠るカマルの寝顔にやっと一息ついたのだった。