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第十九話 姫君の教訓

「…………」

「ニケ様もお茶をどうぞ」


 あまりの急展開にニケがようやく我に帰ったのはリュシオンの妹君にあれよあれよと大広間から連れ去られ、近くの小部屋らしきところに連れ込まれた頃だった。

 ぼうっとしている間に醜態を晒してしまってはいないかと不安になりつつ、妹君つきの侍女が淹れた紅茶に妹君に倣って口をつける。おそらく最高級のものなのだろう、普段口にしているものよりも豊かな風味が広がった。

 少し冷静さを取り戻したのをいいことに、ニケはそのままちょうど正面に座った華奢な妹君を見た。


 フーランジェ公爵家の令嬢といえば、社交界でも随一と言われる美貌に血筋を持った令嬢だ。

 輝かんばかりの金の髪に引き込まれるような紫の瞳。父君は国一の権勢を誇る公爵家当主で、この国の宰大臣も務めているお人。母君は今の国王陛下の叔母君である先王陛下の王女殿下。

 国王陛下のご姉妹を除けば、この国で最も高貴な女人であることは疑いようがなかった。


 そんな妹君と自分がこうして席を共にしていることがどこか遠くのことのように感じられて、ニケは内心でため息をついた。


 そうしたニケの心情を知ってか知らずか、妹君はいたってにこやかにニケに話しかけてくる。


「以前ご結婚されてすぐアルトゥーロ様とご一緒にこちらにいらした時以来かしら、こうしてご一緒するのは」

「……はい」

「ごめんなさいね、お酒が入ったお兄様はいつも以上に周囲に絡みたがるの────きっと今頃アルトゥーロ様を巻き込んで酒盛りでもやっていらっしゃるんじゃないかしら。広間に戻っては怖い御令嬢に囲まれてゆっくりと話も出来やしないでしょうから」


 兄そっくりの茶目っけを込めた笑いにどうしていいか分からずニケが誤魔化すように茶菓子をつまむと、妹君は首をかしげた。


「ニケ様は……こういう場、あまりお好きではないのかしら?ご結婚以来ほとんど社交場にはいらっしゃらないでしょう?」


 まるで他を恐れることを知らないような、ずばりとした遠慮のない質問にニケは苦笑した。

 公爵家の御令嬢がこういう率直なもの言いをしても咎めることが出来るのはご家族くらいなものだろう。


「いいえ、嫌いなのではないのですが……どうも気おくれしてしまって。華やかな場というのは緊張してしまうので」

「そうなの。でもニケ様は気おくれすることなんてないと思うわ」


 妹君がぱちぱちと目を瞬かせる。紫を縁取る長い金の睫毛に委縮しそうになるのをこらえて、ニケは妹君の言葉を待った。

 鈴を鳴らすような声で妹君は続ける。


「作法は本当に完璧だし、ごてごて無駄に着飾るより似合っていらっしゃるし素敵だし、趣味もいいわ。賑やかな御令嬢は何か言ってくるかもしれないけれど、ニケ様は伯爵夫人として何ら恥じることはないわ。何か言っている人には言わせておけばいいのよ」


 そうでしょう?と優雅な笑みを浮かべる妹君からはしたたかさが見え隠れしていて、ニケは思わず感心のため息を漏らした。


 この令嬢は、こうして貴族の間を渡り歩いているのだ。

 公爵家という家の力を後ろ盾にしたかのようなどこか子供のような物言いで相手の言葉を引き出し、相手を観察する。そうして情報を集めることに何の躊躇いもない。

 自分に振りかかる賞賛の言葉も中傷の言葉を気に留めず、その笑み一つで周囲を圧倒し、制圧する。


 ────それが女の戦い方だと、ニケに示してみせた。


 賢さとはまた違う、したたかさ。

 それを華奢な体で体現しているかのような妹君の笑みに、ニケも笑った。


 どうやら、この令嬢に気を遣わせてしまっていたらしかった。


 どうしてニケをわざわざ気にかけてくれているのかは分からない。けれどこうして暗にニケを励ますような言葉をかけてくれた。

 自分が没落したような男爵家出身でありながら伯爵夫人であることに対して陰で色々言われているのを気にしていることも、自分に自信がないことも、きっとこの妹君には分かっていたのだろう。

 ニケより年下だと言っても、社交の場に幼い時からずっと出ている妹君との経験の差は歴然だ。

 華やかな美貌に感嘆するような綺麗な笑顔で、妹君はカップの取っ手をなぞる。


「今日の夜会には、男爵家や子爵家からもお話のお上手な方や多趣味で有名な方、歌のお上手な方や趣味がいいので有名な方がいらっしゃっているの────皮一枚と血だけで判断されるものじゃないのよね、社交場って」


 真面目な顔で囁くようにそう言い添えて、こんな言い方をすればお兄様に怒られてしまうかしら、と元のように茶目っけに溢れた華やかな笑みを浮かべる妹君に、ニケはいっそ拍手を送りたくなった。






 

 もう少しだけお付き合いしてちょうだいね、と言われしばらく茶菓子をつまみながら何気ない話をしていた途中で、ふと妹君が思い出したように話題を変えた。


「そう、ニケ様も多趣味な方なのね────あぁ、そういえばネグロペルラ将軍の……その、ご容体はいかがなのかしら」

「お義父様の、ですか?」

「えぇ……アルトゥーロ様やおば様にお聞きするわけにもいかないし、噂を聞くだけだったから少し気になっているのよ」


 困ったように眉尻を下げた妹君は、幼い時から交流があったがゆえにニケの夫と義母が義父と仲が悪いことも嫌というほど分かっており、それゆえに義父が病を患って伯爵位を息子に譲ってからどうなったのかが気がかりだったのだという。

 聞くに聞けないもどかしさがよく分かるニケは、どこまで話していいものかと少し考えてから口を開いた。

 

「そうですね……時折体調を崩されたりはしますが、普段はごく普通に過ごしていらっしゃいます。療養は暇なものだとよく愚痴をこぼしておいでで」

「…………そう、なの。ならそれなりに健康なのね」

「まぁ、そのようなものかと」


 ニケの答にそう、と安心したような笑みを浮かべて妹君は立ち上がった。


「あまり席を外していると今度はお父様やお母様に怒られてしまうから、戻らないといけませんわね」


 いざ出陣、としたたかに笑ってみせた妹君は、紛うことなき『姫君』の風格を持っていた。





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