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第十七話 虚しい夜明け

 体に走る鈍い痛みに、ニケはうっそりと目を開けた。

 視界の中の天井は見覚えがなかったが、考え始めるよりも前に母屋の寝室だと答えが出る。

 記憶していたよりも体の痛みがひどいような気がして、ニケはまた目を閉じた。

 動きまわるようになって少しは体力もついたと思っていたのに、ニケの認識と事実とは違っていたらしい。


 そう考えたところでまた目を開けて、ニケは体を起こそうと横たわっているベッドに手をついた。

 窓には布がかけられているが隙間から光が指し込んで来ていないところを見ると、まだ夜明け前だろう。それでも離れに戻る前に湯を使って体を洗わなければいけない。早く動き始めるに越したことはなかった。

 単純にそう考えて体を起こしたニケは、隣で眠る黒い塊に気付いた。


 正確には隣で目を開けたままニケを見ていた夫に、だが。


 とっくに起きて黙ってニケを見ていたらしい夫に何と言ったらいいのか分からず、ニケもじっと夫を見つめ返した。

 夫も体を起こし、その目線はニケよりも高い位置に移動する。

 それにつられるようにニケの視線は夫を追って上に向けられた。


「…………」

「…………」

「起きたか……まだ寝ていても構わない時刻だが」


 昨晩よりは幾分か滑らかに発された言葉にニケはふるふると首を横に振った。体はつらいが、早くあの離れに戻りたかった。

 けれどそれを面と向かって夫に言うわけにもいかず、夫は理由も言わず首を横に振るニケに少し眉根を寄せた。


「ニケ」


 咎める、といった響きではないがどこか諭すような響きを含んだ声にニケは目を伏せる。

 普段ならば出てくる言葉が思うように出てこないことに歯がゆさを感じながら、恐る恐る夫を窺うと夫は意外にも困ったような顔をしていた。


「……」

「……」


 ────呆れたような顔をされるとばかり思っていたニケは、夫がすっと手を伸ばし自分の頬に手を添えたことにもすぐには気付かなかった。

 気付いたのはニケよりも幾分か低い手のひんやりとした温度を感じた時で、その時にはもう体を引けなくなってしまっていた。


「…………旦那、様」

「お前は…………」


 音にならなかった言葉を唇の動きから読みとるような真似が出来るはずもなく、ニケは黙って夫の手の温度を享受した。

 表情を見つけるのが難しいその顔を見つめていても、何も分からない。


 何をしようとしているのかも、何を考えているのかも、何を望んでいるのかも。


(これで、私達は夫婦……)


 頭では理解している────しようとしているのに、記憶の中の温かな家庭と両親の姿がそれに影を落とす。


 二年連れ添って未だなお理解出来ない夫の表情に、ただ不安と焦燥だけがニケの心に積み重なっていく。


(私はまだ幸せな結婚をした方で……)


 親子ほど年が離れているわけでも、先の怪しい家や生計を立てる手段に乏しい次男坊三男坊でもなく、酒癖や女癖の悪いわけでもない。自分を軽んじて外に別の女性を囲っているわけでもない。



 ────それなのに虚しく思ってしまうのは、何故。



 少し前まで考えも、感じもしなかった虚しさにニケの手が小さく震えた。

 それを抑え込むように握りしめて、そっと息をついた。


 夫は、何も言わない。



 窓にかけられた布の隙間から少しずつ光が差し込もうとしていた。







 

 慣れ親しんだ白い毛並みにそっと手を伸ばし、手のひらに伝わる温かな温度にニケはほっとした息をもらした。


「かかさま!かかさま!」

「ただいま、カマル」


 出された朝食を無理やり口にし、痛む体を引きずるようにして離れに戻ったニケは離れに入るなり足元に抱きついてきたカマルにあやうく倒れ込みそうになったが、ぐっとそれをこらえた。

 カマルに視線を合わせるようにしゃがみ込む、そんな動作にもひどく気力を要しながら、ニケはカマルを安心させるように笑った。


「いいこにしてた……?」

「ん!」

「お義父様……じーじは?」

「もう元気で、大丈夫って」


 耳を伏せるカマルに今の体では抱き上げてやれそうにないのを哀しみつつ、ニケはカマルの手を引いてゆっくりと廊下を歩く。


「そう……朝ごはんは?」

「知らない人が持ってきた」

「食べたの?」

「じーじは」

「カマルは?」

「……あれ、くさい」


 顔をしかめるカマルに、おそらく自分の代わりにやって来た使用人は母屋で供されたものと同じものをこの離れにも持ってきたのだろうとあたりをつけてニケはため息をついた。

 今日の朝食にはニケは少ししか口にしなかったが食べやすくするためか鶏肉に香草をたっぷりと使ったものが出ていた。骨付きのそれをカマルが口にしなかったことを安堵しつつ、もしカマルが食べてはいけないものをそうとは知らず口にしていたらと思うと空恐ろしくなる。


「かかさま?大丈夫?」

「……ええ」


 不安そうな顔のカマルの頭を撫でて、ニケはそっと考える。


 もしまた自分が母屋で夜を過ごすようなことがあれば、いつか恐れているようなことが起きるかもしれない。

 信頼出来る使用人がいてくれればいいが、今の状況でそれは期待できない。

 かといってニケが個人的に使用人を雇い入れるには義母や夫の許可がいる。その時に今いる使用人が信頼出来ないから、などとどうして言えるだろう。

 それに今朝の朝食に関しては使用人にしっかりと言いつけておかなかったニケにも非がある。

 離れを去り際に口にしただけでは、こんなことがまた繰り返される。


 どうしたものかと頭を抱えて、ニケはカマルと共に義父の寝室へと向かった。






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