第十二話 白い子供
「うー!!」
「カマル……綺麗にならないとお肉食べれないわよ」
「……!にく……」
石鹸の匂いや泡を嫌がるそぶりはないが、一向に水を拒否するカマルを必死に宥めすかしながらニケはハルゥの力を借りてどうにかカマルを洗うことに成功していた。
しかし、よほど長い間こういうことをしてこなかったのか洗っても洗っても白い泡はすぐに灰色に染まっていく。ただ、ごわごわしていた毛が次第に湯と泡の力で柔らかくなっていくことに手ごたえを感じたニケはカマルの全身を強く、けれど痛くないように洗っていった。
そして一つの石鹸をほとんど使い切った頃、ようやく泡が色を変えることがなくなった。
その頃にはカマルも大分水に慣れてきたのか、時々体を震わせる他は特に抵抗を示すこともない。
それに安堵しつつニケはこれで最後、と言ってカマルの体から泡を洗い流した。
「使いな」
体が覚める前にとハルゥから渡されたタオルでカマルを手早く拭いていく。
ぶるぶるとカマルが身をよじるようにして体をゆするとタオルでは拭き切れなかった水気もあらかたは飛んだようだった。
そして一仕事終えたような気がしてほっとしているニケを余所に、横のハルゥが感心したようにため息をついた。
「こりゃまた見事な白い毛だねぇ……相変わらず毛玉みたいだけど。後で床屋を教えてあげるから行ってすっきりさせておいでよ。――――それにしても肉食の獣人なのに売られそうだったのは案外変異種だっただからかもねぇ」
「変異種?」
ニケが尋ねればハルゥは肩をすくめた。
曰く、獣人や獣の中には稀に本来生まれながらに持って出てくるはずの色を母の胎内に置き忘れてくるものがいるらしい。他にも明らかに系統では持たないはずの色を持って生まれて来たものも変異種と呼ばれるという。
カマルもそうではないか、という言葉にニケは改めて日向で体を乾かしている我が子を見つめた。
確かに汚れを落とした毛は都に稀に降る雪よりも色がないと思わせるような――――白い色をしていた。毛に艶があれば、きっと日に輝いて綺麗だろうと思わせるような、見事なまでの白。
カマルがもしハルゥの言うように変異種ならば、カマルが売られそうになっていた理由も少しは納得がいくだろう。
けれどニケも誰も、カマルがどういう種族の獣人なのか知らないためにカマルの『白』が変異種の『白』なのか種族ではごくありふれた『白』なのかが分からない。
兎には白いものがごくごく普通にいると言うし、猫にも白いものはいる。カマルもまたそうなのかもしれない。
ただ。
「……その変異種、というものであろうとそうでなかろうと、カマルに大事がないのならどうでもいいことです」
ぽつりとニケの口から零れ落ちた言葉に、ハルゥが目を細めた。
それでもニケにとって今の言葉は真実だった。
この子が無事で、これからもニケと義父とこの子の三人で過ごしていくことが出来るなら色なんてどうでもいいことなのだ。
「へぇ……ま、獣人の中には子供の時と大人の時で色が変わるやつもいる。毛が抜け変わったりするしねぇ。詳しいことはその子が大人になってからさ。多分あの子、匂いからして犬系統の獣人だろうから大人の体になるまで五、六年ってとこだね」
「犬……それにしてもあと五年くらいで大人になるものなのね」
「獣人は種族によるのさ。さ、そろそろ昼にしようじゃないか、うちの人もサイードも今頃腹へって死んでんじゃないかい」
そうちゃかすように言ってハルゥはくるりと踵を返した。
ニケも窓際で日向ぼっこを楽しんでいるカマルを呼んで、手を繋いで浴室を出る。
「お風呂は嫌い?」
「ん……水、すきじゃない。でもにおいくさくない……へいき」
「なら良かった」
「ぽかぽかはぽかぽか、好き」
「そうなの。なら今度一緒にぽかぽかしましょうね」
「ん、じーじも」
「ならお願いしないと」
話しかければ応えてくれるまだ高い子供らしい声も。
手のひらに伝わるニケより高い体温も。
こんな他愛もない会話も。
幸せだと、感じるようになるとは思ってもみなかった。
いい母親になれるかどうかはまだ分からないが、カマルのためにも出来る限りそうなりたいとニケは静かに決意してカマルに笑いかけた。