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第十話 猫の薬屋

 義父に先導されるままに少し入り組んだ路地を歩いていると、どこか香ばしいような、ピリリとするような、そんな香りが鼻についた。

 ニケにとっては不快な匂いではないが、横を歩くカマルにとっては嫌な臭いなのではないかと心配して横を見る。石鹸や香水の匂いを嫌がるくらいだ、この匂いも獣人の敏感な鼻にはきついことには変わりないだろう。

 けれど予想に反してカマルはいっそ心地よさそうに鼻をすんすんと動かし、目を細めていた。


「カマル、この匂いは大丈夫?」

「ん、……いいにおい……」


 ほう、とうっとりしたため息すらついてみせるカマルに不思議に思ったものの、そういうこともあるのだと納得してニケは前を歩く義父を見た。

 少し離れたところで足を止めてニケとカマルを待ってくれている義父に笑って、けれど横のカマルを気遣って足を速めることはない。それに舗装があまり整っていないこの道ではニケの着ているドレスでは少し歩きにくかった。


(もう少し動きやすいものにすれば良かった)


 実家で着ていたような機能的なものなら、こうして手間取ることもなかっただろう。けれど義父に聞いても訪ねる相手を秘密だ、と言われたために下手に貴族や武官の屋敷や家を訪れた時に失礼のないように身分に見合ったものを着てきたのが仇になってしまった。

 義父に追いつくと義父は改めて頭の先から足の先までつくづくとニケを見つめた。


「……ドレスとは相変わらず動きにくそうなものだな」

「貴族向けのドレスはどうしても……けれどたいていの武官の妻や庶民の妻はもっと動きやすくて飾り気の少ないドレスを着ています。汚れても大丈夫なように絹ではなくて綿で作った……私が庭で色々としている時のようなものを」

「だろうな。俺を育ててくれた人もそんなドレスしかもっていなかったから────初めて貴族の娘を見た時は驚いたもんだ。どうやって洗っているんだか、とな」

「ふふ」

「俺は麻や綿しか着てこなかったからな、未だに絹には慣れん」

「なら今度普段着を仕立てる時は綿にいたしましょうか」

「そうだな」


 冗談めいたニケの言葉に嬉しそうな顔をした義父に、ニケは今しがた口にした冗談を本気にして考えることにした。義父には伯爵として相応しい装いをしてもらわなければいけないが、人前に出ることもなく、口うるさい使用人の目もない離れならばそれも許されるだろう。

 カマルも子供盛りで泥にまみれて遊ぶこともあるだろう、しばらく服を仕立てる時は綿で仕立てなければ。服を汚したり破いたりしていては母に怒られていた兄達の姿を思い出して、ニケはくすりと笑った。




 それから少し歩いたところに立っていたごくごくありふれた家が義父の目指していた知人の家だったようで、義父は躊躇なく扉に取り付けられた金具をつまみ、打ちつけた。コンコン、と小気味いい音を立てる屋敷では目にすることのなかった懐かしい金具に、目が細まる。昔は毎日のように耳にしていた音だ。


「ニ……かかさま、あれは?」

「これはノッカーというの。お祖父様がやっているようにすれば音が鳴るでしょう?ああして家の中の人を呼んでいるのよ」

「……!」

「次にやることがあればやらせてもらいましょうね」

「ん!」


 ちょうど何事にも興味を示す年頃なのだろうカマルが可愛くて、頭を撫でる。ふさふさとした毛の感触の中にもまだやはりざらついた感触があって、ニケは出来る限り早くカマルを清潔にしてあげたかった。たとえカマルが水を嫌いでも、犬や猫ですら毛の中に虫が住めば皮膚の病気になるというし、そういう可能性は早く潰しておいてやりたい。

 そんなことを思っている間にドアががちゃりと音を立てて開いた。


「ああ、サイードか。うん、時間よりちょっと早いんじゃないかい?」


 ────現れたのは肉感的な肢体を惜しげもなく晒した妙齢の女、だった。


 予想もしていなかった人の登場にニケが固まっていると、義父と言葉を交わしていた女がこちらを向いた。


「これがあんたの息子の嫁と、獣人の子供だね?」

「ああ」

「へぇ……あたしはハルゥだ、ここで薬屋をやってる。こう見えても猫の獣人さ」

「……!私はニケといいます。この子はカマルです」


 言われて女────ハルゥの頭の上の方を見れば、豊かな灰色の髪にまぎれてひょこりと動く猫の耳が見て取れた。

 カマルはハルゥを見て、首を傾げている。


「また貴族みたいな口調のくせに貴族らしくない娘っ子だねぇ。普通ならここまで来るの嫌がってわめいてるだろうに」

「今でこそこのような身分ですが、元々父は叩き上げの武官ですし……それにこの子のためでもありますし」

「ふーん、にしても見事に毛玉だねぇ。長毛種にしてもこれはないよ。売られそうになったにしても扱いのひどいこった」


 くつくつと喉を鳴らして笑うハルゥを咎めるように義父が眉を寄せる。


「そのくらいにしてくれ。伝えてあった通り、この子を育てるために聞きたいことが多い」

「分かってるよ、こっちへおいで」


 くるりと踵を返して家の奥へ歩き出すハルゥに従って、家の中に踏みいる。

 路地にも漂っていた匂いが一段と強くなったことに気付いて、ここが匂いの元だったのかと思う。獣人であるハルゥが取り扱っているものなのだから、カマルにとっても不快なものではなかったのだろう。

 客間らしいところでがたがたと椅子を動かして席を作ってくれたハルゥに頭を下げて椅子に座る。

 ニケ達の向かいに腰かけたハルゥは女でも目を奪われるほど艶やかな仕草で頬杖をついた。


「獣人の子供を愛玩目的か労働力目的以外で引き取ろうなんて酔狂なもんだねぇ。まぁ血がつながってなくてもそんな酔狂なとこはサイード似なんじゃないかい?」

「はぁ……」

「別に無理して喋らなくていいよ、まぁそれが地の口調だってなら別だけどさぁ」

「あ、なら遠慮なく」


 気だるげな様子や口調ながらハルゥの言葉は明瞭で、どこか母や下町のおかみさんを彷彿させるものがあった。ほっそりとした四肢はとても似つかないが。

 ぽんぽんと繰り出される言葉に応じているうちに敬語など使わなくていい、と言われてニケは素直にその言葉に甘えることにした。


「ついでに俺にもな」

「そういうわけにはいきません、お義父様ですし」

「残念だねぇ、サイード」


 明らかに二十は年上だろう義父を笑うハルゥと義父との関係性が分からなくて、ニケは遠慮がちに口を開いた。


「あの、お二人はどういった……」

「別に愛人とかそんなんじゃないよ、単に馴染みの客ってだけさ。あたしの旦那が傭兵だからねぇ、その縁であたしの薬屋の客になったのさ」

「ハルゥは腕の確かな薬屋だからな、官給品より効く」

「そうですか」


 愛人、という言葉にどきり、としたがすぐさまそれを否定されたことにニケは安堵した。

 別に義父が愛人を囲っていようと尊敬する気持ちは変わらないがハルゥと、となると流石に年が離れすぎているような気がしていたからだ。

 そんなニケの心境を読みとったかのように義父が肩をすくめる。


「ニケ、お前が思っているほどハルゥは若くないぞ」

「え、」

「ったく野暮な男だねぇ相変わらず。うちの人は上にいるから話でもしてきなよ、あたし達は女同士で話とくからさぁ」


 しっしっ、と虫でも扱うかのように義父をあっさり上の階に追いやって、ハルゥは改めてニケに向き直った。


「────で、何から聞きたい?」


 遠慮なしでね、という言葉に後押しされてニケは聞きたかったことを、一つ一つ質問し始めた。

 カマルはとなりで心地よさそうに鼻を鳴らしていた。


 

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