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第九話 祖父と孫

 朝、ニケと義父が朝食を終えた頃に起きてきたカマルはずるずると毛布を引きずったまま眠そうな顔で居間へ顔を出した。


「……」

「おはようカマル、こちらへいらっしゃい」


 ニケの声に反応してぽてぽてずるずると移動するカマルに、反射的にニケの頬は緩む。

 貴族の間で密かに流行する獣人を飼う趣味をあまり良くは思っていなかったニケだが、この愛らしさなら少し気持ちも分かるかもしれないと思い始めていた。灰色の毛玉でしかないカマルもニケにしてみれば相当可愛らしく思えるのだ。

 そんなニケの様子を面白そうに眺めていた義父がそっと口を開いた。


「ニケ、俺にも紹介してくれ」

「はいお義父様。カマル、この方が私のお義父様で、これからあなたの――――お祖父様、になるのかしら?」

「おじ……じ、じさま?」

「……俺ももうそんな年になったか。カマル、呼びにくいならじーじでいいぞ」

「お義父様!?」


 慌てるニケをよそに気が乗ったらしい義父が笑ってそう言うものだから、カマルも素直に頷いてしまった。

 頷いた後、カマルが義父とニケにそれぞれ視線を送る。


「じーじに、ニケ」

「カマル、ニケはお前の親となるのだからお母様か母様か母さんかママだろう」

「むー…かかさま?」

「それでいいだろう」

「……」


 カマルに『かかさま』と呼ばれたことにニケが密かに喜んでいると、カマルの腹が鳴った。

 慌てて用意してあったカマルのための朝食をテーブルに並べる。

 パンや果物、香草を除いた野菜といった、普通の犬や猫が食べても大丈夫なものを選んである。肉は生の方がいいのか焼いた方がいいのかは分からなかったので、魚の身を焼いてほぐしたものを準備していた。食器もフォークとナイフではなく、スプーンだ。

 しかしいざ、という時になってニケはカマルが椅子に座るとちょうどテーブルの天板の部分に顔が来てしまうことに気付いた。背が足りないから、この高さの椅子では食事が出来ない。


「あら……お義父様、今日は帰りに家具を見てきてもよろしいですか?実家近くに馴染みの職人がいますので」

「いや、訪ねる奴がそういう区域に住んでいるからついでにそこで注文してしまおう。後払いよりは先に半額支払った方がいいだろうしな、その用意をしておいてくれ」

「はい」


 義父の世話をするにあたっては金銭などで不自由がないようにと夫から入用な時に使うための金貨や銀貨が届けられていた。普段の買い物などは出入りの商人がこの伯爵家で纏めて執事の方に請求しているが、こう言う時にその手はあまり出来ない。執事もまた、義母贔屓な使用人なのだから。


 それよりもカマルの食事だとニケは未だにぼうっとしているカマルに向き直った。


「カマル、こっちへいらっしゃい」


 カマルを座らせるつもりだった椅子に自分が腰掛けて、膝の上にカマルを載せる。


「よご、れる」


 くい、と遠慮がちに袖を引かれるがニケは笑った。


「後で着替えないといけないから大丈夫よ。それよりこの中に食べられないものはある?」

「……におい、は……だいじょうぶ」

「ならよかった。どれから食べたい?」

「ミルク」

「あぁ、温かくて甘いのね。作ってあるわ」

「!」


 嬉しそうにぴくぴくと耳を動かすカマルにニケは頬を緩めた。

 そんな二人の様子を向かいに座っている義父が微笑ましげに眺めている。


(――――なんて、穏やかで)


 優しい時間だろうと、ニケは思った。








 カマルがゆっくりと、けれど用意した朝食を全て平らげてからニケは昨日のうちに準備していた用意を取り出して来た。

 外が寒くなって来た時のための羽織るためのケープやマント、カマルのための毛布。考えていたよりも大きくなった荷物に苦笑して、ニケは外に出た。

 外では先に出ていた義父と、ちょうど義父にフードを着せられているカマルがいて、カマルがニケの姿を見ると駆け寄って来た。


「どこ、行く?」

「お義父様の……じーじのお友達のところよ。カマルのことを聞きに行くの。お肉はその後でね」

「ん!」


 だいぶ慣れてきた様子のカマルに安心しつつ、ニケは昨日のうちに手配していた賃馬車に先にカマルと荷物を載せた。

 伯爵家にも馬車はあるが、出かける先や用事を考えると賃馬車を雇った方がいいという義父の判断で、現に執事は怪訝そうな表情でニケ達を見ている。

 近寄ってくる執事を視界の端に捉えて、ニケはまだ馬車に乗りこんでいない義父に声をかけた。


「奥様、」

「お義父様、先に乗っていて下さいませ。……少し用事で出かけますが、日が暮れるころには戻ります」

「……かしこまりました」

「お義母様と旦那様は?」

「大奥様はバークリー侯爵夫人のお茶会に、旦那様はお仕事で城に行ってらっしゃいます」

「そう……」


 留守を頼みました、と言いかけてニケはそう言うのを躊躇った。

 ニケがいなくてもこの屋敷は何事もなく回るのだから、言わなくてもいい気がするが、立場的には言いつけておくべきことなのだろう。


「……後を、お願いします」

「はい、いってらっしゃいませ」


 すっとニケが馬車に乗るのを手伝った後、頭を下げた執事にニケは小さく頷いた。

 それを合図と受け取ったかのように御者によって馬車の扉が閉められ、がたりと馬車が動き出す。

 石畳の上を走っている時の規則的な振動にも慣れてきた頃、ニケはカマルがちらちらと外を気にしていることに気付いた。


「……カマル、外の様子を見る?」

「ん、」

「こっちへ来いカマル、じーじの膝の上なら良く見えるぞ」


 やり取りを見ていた義父がカマルに手を差し伸べて、軽々と膝の上に抱き上げた。ニケは外から馬車の中が目に着いてもカマルの姿があまり人の目に触れないように注意深くカマルのフードを直す。

 キラキラと目を輝かせて外の様子を窺いながら、カマルは時々義父に質問をしていた。


「じーじ、あれは?」

「あれか?あれは東から来た商人が細工を売っているんだ。あの細工は風車といって、風が吹くとああいうふうに回る」

「くるくる」

「くるくるだ」


 それからずっと続いた他愛もないやり取りにニケが笑っているうちにどうやら馬車は目的地に着いたようで、揺れが止まり扉が開かれた。

 先に馬車から降りた義父に手を引かれ同じように馬車から降りたニケは、カマルと手を繋ぎながら周囲を見渡す。屋敷のある区画に多くあるような貴族の屋敷は一切なく、あるのはどこか異国の情緒がある小さな商家や工房、民家だけだった。

 賃馬車に行きの料金を支払ってからだいたい帰る頃の時間を告げてその頃またここに、と言ってから義父が先導するままに道を歩く。舗装の粗い道にニケとカマルを気遣っているのか、義父の歩調はひどく緩やかなものだった。


(こうして後ろから見ていると、とてもご病気のようには見えないのに……)


 がっしりとした肩に広い背中は、ニケの記憶の中の父の姿に重なるものがある。

 だが義父は紛れもなく病を患っており、もう戦場に立つことはない。

 優しい義父を遠く離れた地で失うことはないだろうという安堵の他に、残念な気持ちもある。軍神とまで言われた国の英雄がその武勇を奮うことはないのだ。


 ――――けれど、それでも自分は義父とこうして暮らしていたい。


 素直にそう思えて、ニケは隣で自分を見上げてくるカマルに笑った。

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