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ひとひらびより  作者: 追兎電鉄広報部
はじまりの駅

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9/51

うさ姉さまと、ここにいていい場所


 朝の追兎天神駅は、今日もやわらかく忙しい。

 改札を抜けていく人。

 ホームへ急ぐ人。

 売店の前で立ち止まる人。

 その流れの中を歩きながら、うさぎは小さく息をついた。


 駅の朝は好きだ。

 少しだけ慌ただしいのに、どこかあたたかい。

 今日も一日が始まるんだなって、そんな気持ちになれるから。


「みこちゃん、おはよう」

 声をかけると、掃除道具を抱えたみこがぴんっと背筋を伸ばした。


「お、おはようございますっ、うさ姉さま!」


 元気いっぱいの返事。

 でも、ちょっとだけ声が固い。

 うさぎは思わず笑ってしまう。

 みこは今日もかわいい。


 新しい制服。

 新しい居場所。

 新しい朝。

 その全部を、両手いっぱいに抱えるみたいにして立っている。


「今日は、駅の中のお掃除を一緒にやってみようか」

「はいっ!」

 返事が早い。

 ほんとうに早い。


「お掃除なら得意です! おうちでも、いつもしてます!」

「うん、知ってる」

「まかせてくださいっ」


 胸を張るみこを見て、うさぎは小さく笑った。

 みこちゃんは、いつも元気で、何ごとにも一生懸命だ。

 できることが増えるたびに、うれしそうに目をきらきらさせる。


 ――でも。


 うさぎは、みこの手元をそっと見た。

 少しだけ動きが早い。


 あっ。


 ちょっと急ぎすぎかも。

 わたしの前だからかな。

 うれしい時のみこちゃんは、がんばりすぎだよ。


「じゃあ、まずは待合のベンチのまわりからにしようか」

「はいっ。えっと、まず拭いて、それから……あっ、ちがう、先にほうき……?」

「だいじょうぶだよ。ゆっくりで」

「は、はいっ……!」


 みこはこくこく頷いて、あわててほうきを持ち直した。

 その動きが、やっぱり少しだけかたい。

 肩にも力が入っている気がする。


 うさぎは、すぐに「落ち着いて」と言おうとして、少しだけ迷った。

 がんばりたい気持ちも、きっと本物だ。

 最初から止めてしまうのは、ちがう気もする。

 だから今は、見守ろう。

 ちゃんと見ていよう。

 そう決めて、うさぎはみこのそばに立った。


 ほうきを動かして。

 落ち葉やほこりを集めて。

 ここまでは順調だった。


「みこちゃん、上手だね」

「ほ、ほんとですか!?」

「うん。すごくきれい」

「えへへ……」


 みこの頬が、ぱっと明るくなる。

 褒められてうれしい。

 その気持ちが、そのまま顔に出ていた。

 ほんとに、わかりやすいなぁ。

 そう思って、うさぎはまた少し笑う。


 でも、そのすぐあとだった。


「あっ」


 みこが、集めたごみをちりとりに入れようとして手元をあやまった。

 せっかく集めた小さなほこりが、ふわっとまた散ってしまう。


「ご、ごめんなさいっ」

「ううん。だいじょうぶ」


 うさぎはすぐにしゃがみこんだ。


「もう一回、一緒に集めよう?」

「は、はい……」


 みこの返事は小さい。

 さっきより、少しだけ小さい。

 うさぎは何でもない顔で、散ったほこりを集め直した。

 失敗したことを、あんまり大きなことにしたくなかった。


「ほら、すぐできるよ」

「……はいっ」


 みこもしゃがみこんで、ほうきを動かす。

 けれどその手つきは、さっきよりもっと慎重になっていた。

 慎重というより、こわごわしているみたいだった。


 ああ、だめ。

 これ、失敗しないようにって思いすぎてる。

 うさぎは少し心配になった。

 雑巾を絞る時も、力が入りすぎて水がぽたぽた落ちる。

 バケツを置く場所も、少しだけ遠い。

 次こそちゃんとやらなきゃ、って気持ちが、見ているだけで伝わってくる。


「みこちゃん、少し休む?」

「だ、大丈夫ですっ。まだできますっ」


 その返事を聞いて、うさぎは胸の中で小さくため息をついた。


 やっぱり。


 本当はあまり大丈夫じゃない時ほど、みこはそう言う。

 でも、ここで無理に止めたら、もっとしょんぼりしてしまう気もした。


 どうしよう。


 どうしたら、みこちゃんが安心してがんばれるんだろう。

 うさぎがそう考えた、その時だった。


「きゃっ――」


 みこがバケツを持ち上げようとして、手を滑らせた。

 ばしゃっ、と大きな音。

 水が床に広がる。

 制服のすそにも跳ねる。

 みこの靴も、うさぎの靴も、少し濡れた。


 一瞬だけ、駅の音が遠くなった気がした。


 みこは、動かない。

 バケツを落としたまま、固まっている。


 うさぎが最初に見たのは、水じゃなかった。

 みこの顔だった。

 真っ青だった。

 泣くのを、必死でこらえている顔だった。


「みこちゃん」


 うさぎはすぐにしゃがみこんだ。


「けがしてない?」

「……あ」

「手、痛くない?」

「わ、わたし……」


 みこの唇が震えていた。


「ごめんなさい……っ」

「うん。あとで一緒に拭こう」


 うさぎはできるだけやさしい声で言う。


「だから、まずは落ち着こう?」

「でも……でもっ」


 みこの目に、みるみる涙がたまっていく。

 得意なはずだった。

 できると思っていた。

 うさ姉さまの役に立ちたかった。

 その気持ちが、痛いくらい伝わってきた。


「わたし、お掃除は得意なのに……」

「うん」

「なのに、こんなの……こんなのも、ちゃんとできなくて……」


 みこの声が、少しずつ小さくなる。

 うさぎは、その続きを聞きたくないと思った。

 でも、みこの口は止まらなかった。


「わたし……」

「みこちゃん」


「わたしは、ココにいない方がいいんじゃ……」


 その言葉を聞いた瞬間。

 うさぎの胸の奥が、きゅっと痛んだ。

 いてはいけない。

 いない方がいい。

 どうしてだろう。

 その響きは、たださみしいだけじゃなくて、少しこわかった。


 その時、うさぎの中に、ふっとひとつのぬくもりがよみがえった。


 泣きそうな夜。

 苦しくて、心細くて、どうしようもなく不安だった時。

 そんな時、いつもそばにいてくれた手があった。


 だいじょうぶ。


 ここにいるよ。


 言葉より先に、ぬくもりでそう伝えてくれる手だった。


 お姉ちゃん。


 その呼びかけは胸の中にだけ落として、うさぎは目の前のみこを見た。

 この子が今つらいのは、失敗したからだけじゃない。

 ここにいていいのか、わからなくなってしまったからだ。


「みこちゃん」

 うさぎはそっと、みこの手を握った。


 小さな手。

 少し冷たい手。

 ぎゅっと力が入っている手。


「みこちゃんは、私にとって大事な子だよ」


 みこが、はっと顔を上げる。


「……え」


「だから、ここにいて」

 自分でも驚くくらい、まっすぐに言葉が出た。


「うまくできるかどうかじゃないの」

「……」

「失敗したからいらないなんて、そんなこと、絶対にないよ」


 みこの目から、ぽろっと涙がこぼれた。


「でも……わたし……」

「うん」

「うさ姉さまの前で、ちゃんとしたかった……」

「うん」

「役に立ちたかったのに……」

「うん。知ってるよ」


 うさぎはやさしく笑った。


「がんばってたもんね」

「……っ」

「すごく、がんばってた」


 見ていた。

 ちゃんと見ていた。

 みこが一生懸命だったことも。

 失敗しないように力が入りすぎていたことも。

 役に立ちたくて、胸がいっぱいだったことも。

 全部、ちゃんと見えていた。


「みこちゃんがここにいてくれるの、私、すごくうれしいよ」

「……ほんとに?」

「ほんとに」

 うさぎは、ためらわずに頷いた。


「だからね。失敗しても、いていいの」

「……」

「ううん。ちがうかな」


 うさぎは少しだけ首をかしげた。

 それから、もう一度みこの目を見て言う。


「みこちゃんだから、いてほしいの」


 みこの肩が、また小さく震えた。

 でも今度は、さっきまでの震えと少し違っていた。

 泣いているのに、どこかほっとしたみたいな顔だった。


「……うさ姉さまぁ……」

「うん」

「わたし、もうちょっとだけ……がんばってもいいですか……」

「うん。もちろん」


 うさぎは笑った。


「じゃあ、今度は一緒にやろうか」

「……はいっ」


 床に広がった水を、ふたりで一緒に拭く。

 みこが雑巾を持つ。

 うさぎがバケツを押さえる。


「今度は、あわてなくて大丈夫だよ」

「はい……」

「ゆっくりでいいの」

「はいっ」


 さっきより、みこの返事がやわらかい。


 水を拭いて。

 バケツを置き直して。

 ベンチの下も、もう一度きれいにして。

 今度は、小さな失敗もなかった。


「……できた」

「うん、できたね」

「できました……!」

「えらい」

「えへへ……」


 みこは、まだ少し目元を赤くしたまま笑った。

 その顔を見て、うさぎは胸の奥がじんわりあたたかくなる。

 誰かが安心した顔を見せてくれると、自分までほっとする。


 どうしてこんな気持ちになるんだろう。

 たぶん、知っているからだ。

 苦しい時に、そばにいてもらえることの意味を。

 手を握ってもらえることの、あの安心を。


「うさ姉さま」

「なあに?」

「わたし、ちゃんとできるようになります」

「うん」

「だから、これからも教えてくださいっ」

「もちろんだよ」


 うさぎがそう返すと、みこはうれしそうに背筋を伸ばした。

 さっきまで泣きそうだったのに。

 ほんとうに、この子はまっすぐだ。

 でも、だからこそ大切にしたい。

 がんばりたい気持ちごと、ちゃんと受け止めてあげたい。


 改札の向こうで、電車の到着を知らせる音が鳴った。


 追兎天神駅には、今日もいろんな人がやってくる。

 急いでいる人。

 疲れている人。

 少しだけ、不安な人。


 そんな場所で。

 失敗しても。

 泣きそうになっても。

 それでも、ここにいていいよって伝えられる人でいたい。


 ふと、うさぎはそう思った。

 それはきっと、昔もらったぬくもりを、今度は自分が誰かに渡したいからだ。


「じゃあ次は、待合室の窓のところもやってみようか」

「はいっ、うさ姉さま!」


 今度の返事は、朝より少しだけ落ち着いていた。

 その声を聞きながら、うさぎは小さく笑う。


 うん。

 

 今日も、いい朝だね。

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