赤いリボン
駅事務所の奥は、朝の光がやわらかく差し込んでいた。
机の上に置かれた紺色の制服を、みこは両手でそっと持ち上げる。
「これが……」
自分用の制服。
昨日、駅長さんが言ってくれた言葉を思い出す。
――せっかく駅の仲間になるんだからね。
その一言が、まだ胸の中であたたかかった。
うれしい。
でも、それと同じくらい緊張する。
制服を持つ手に、自然と力が入った。
「みーちゃん、まだー?」
向こうからマリーの声が飛んでくる。
「き、着てるよ!」
あわてて返事をしながら、みこは制服に袖を通した。
けれど。
「……あれ?」
みこは鏡の前で首をかしげた。
袖が長い。
肩が少し落ちている。
スカートも、思っていたより長い。
どう見ても、ぴったりとは言いがたかった。
むしろ――
「……大きい」
鏡の中には、制服に着られているみこがいた。
なんだか少しだけ頼りなく見えるし、歩いたら袖がぶかぶかしそうだし、胸を張るつもりだったのに、これでは逆に小ささが目立ってしまう。
みこは不安になって、袖の先をぶらぶらさせた。
「みーちゃん? もういい?」
「う、うん……」
返事をすると、すぐに扉が少し開いて、うさぎとマリーが顔をのぞかせた。
「着てみた?」
うさぎがやさしく尋ねる。
みこはこくんとうなずいてから、少しおずおずと二人の前へ出た。
「うん……でも……」
その姿を見て、うさぎは目を丸くする。
マリーも一瞬きょとんとしてから、じっとみこを見つめた。
「……ちょっと大きいかも」
うさぎが率直に言う。
「でしょ?」
みこが袖をふにゃっと持ち上げて見せる。
その様子がいかにも着られている感じで、マリーはにやっと笑った。
「すぐ成長するって!」
「そういう問題じゃないと思うけど……」
うさぎが苦笑する。
みこは少しだけ不安そうに制服の裾をつまんだ。
「これ……似合ってない?」
その声に、うさぎはすぐ首を振った。
「そんなことないわ」
きっぱり言ってから、少しだけ困ったように笑う。
「ただ……ちょっと大きいだけ」
「すぐ大きくなるって!」
マリーは、まだそこを主張していた。
「マリーちゃんはさっきからそれしか言ってないよ……」
「だってほんとだもん!」
みこの表情はまだ少し曇ったままだった。
せっかくの制服なのに。
せっかく、駅の仲間のしるしみたいなものなのに。
これではなんだか、自分だけまだ半分外側にいるみたいな気がしてしまう。
うさぎはそんなみこの顔を見て、少し考えるように腕を組んだ。
「駅長さんに聞いてみようか」
「うん……」
みこが小さくうなずいた、そのときだった。
事務所の扉が開く。
「おや?」
聞き覚えのある、落ち着いた声。
駅長が中へ入ってきた。
「もう着てみたのかい」
みこはぺこりと頭を下げる。
「はい!」
駅長はやさしくうなずいてから、みこの姿を見た。
そして、少しだけ首をかしげる。
「……その制服」
みこはどきっとした。
やっぱり変なんだろうか。
駅長は机の上を見て、棚のほうを見て、それからもう一度みこを見る。
「あれ?」
小さくつぶやいて、棚の奥へ手を伸ばした。
「それ、予備の制服だよ」
「え?」
三人の声がぴったり重なる。
駅長は棚の奥から、もう一着の制服を取り出した。
今度の制服は、さっきのものより少しだけ小さく見える。
「こっちが特注で作っておいた小さいサイズだよ」
みこの目が、ぱっと輝いた。
「えっ……!」
マリーも「あっ」と声を上げる。
「……もしかして」
うさぎがゆっくりマリーを見る。
駅長は口元をゆるめた。
「間違えて持っていったのは誰かな?」
マリーが、すっと手を挙げた。
「アタシです」
一瞬の沈黙。
みこはぱちぱちと瞬きをする。
うさぎは小さく額に手を当てた。
駅長は肩をすくめるように笑う。
マリーはすぐに頭をかいた。
「ごめんごめん!」
まったく悪びれていないわけではないけれど、そこまで深刻でもなさそうな謝り方だった。
「でもブカブカのみーちゃん可愛かったし!」
「もう……そういう問題じゃないでしょ」
うさぎが小さくため息をつく。
みこは少しだけ口をとがらせた。
「わたし、ちゃんとぴったりがいい……」
「そりゃそうだよね」
マリーも、さすがにそこは素直にうなずいた。
駅長が手渡してくれた新しい制服を、みこは今度こそ大事に抱きしめる。
「着てきてもいい?」
「もちろん」
その返事を聞くと、みこはぱたぱたと着替えに向かった。
数分後。
もう一度、みこが姿を見せる。
今度はさっきとは全然違っていた。
袖の長さもちょうどいい。
肩の位置もぴったりだ。
スカートの丈も自然で、歩いても変に引きずったりしない。
鏡の前に立つと、さっきまで感じていた“着られている感じ”はもうなかった。
ちゃんと、自分の制服だと思えた。
「……どうかな」
みこが少し緊張した声で聞く。
マリーがすぐに親指を立てた。
「いいじゃん!」
うさぎも、やわらかく目を細める。
「うん。すごく似合ってる」
その一言だけで、みこの胸がふわっと軽くなった。
さっきまでの不安が、すうっと溶けていく。
鏡の前の自分を見る。
紺色の制服。
少しだけ背筋が伸びた自分。
駅のお手伝いをする自分。
昨日まで、そんな姿は想像の中にしかなかった。
それが今、ちゃんと目の前にある。
「ほんとに……駅の人みたい」
みこがぽつりと呟くと、マリーがすぐに笑う。
「駅の人だよ。もう仲間なんだから」
その言葉に、みこはまたうれしくなる。
うさぎがふいに、「あ」と小さく声をもらした。
「……待って」
そう言って、自分の制服のポケットを探る。
みこはきょとんとしたまま、その手元を見つめた。
うさぎが取り出したのは、小さな赤いリボンだった。
「これ……」
みこが目を丸くする。
うさぎは少し照れたように笑った。
「巫女服のイメージで……どうかな」
白と赤。
それは、みこにとっていちばん馴染みのある色だ。
うさぎはそっと手を伸ばし、みこの胸元にそのリボンを結んだ。
制服の紺色に、赤いリボンが映える。
小さいのに、ちゃんと目を引く。
鏡の中の自分が、さっきより少しだけ“みこらしく”見えた。
みこの目が、ゆっくり大きくなる。
「……かわいい」
その声は、ほとんど無意識にこぼれたものだった。
マリーが即座に乗っかる。
「かわいい!」
それから満足そうにうなずく。
「完成じゃん」
みこは鏡を見て、それからうさぎを見た。
「うさ姉さま……」
胸の中がぽかぽかして、うまく言葉が続かない。
うさぎは少し照れたように笑った。
「似合ってるわ」
その一言で、もう十分だった。
みこはうれしくて、思わずその場でくるっと回りたくなる。
でも制服だから気をつけなきゃ、と途中で思い直して、少しだけ足を止めた。
それでも、頬はゆるみっぱなしだった。
マリーがぱん、と手を叩く。
「さぁさぁ! 新人駅員さん、仕事だよ!」
その言い方がなんだかおかしくて、みこはぱっと顔を上げる。
「うん!」
元気よく返事をして、胸元の赤いリボンにそっと触れた。
新しい制服。
新しい居場所。
そして、新しい一日。
三人で並んで、事務所の外へ出る。
ホームのほうには、朝の光がやわらかく広がっていた。
線路の向こうまで、きらきらして見える。
昨日まで見ているだけだった場所が、今日は少し違って見える。
ここにいていいんだ、と思える景色になっていた。
みこの小さな足取りは、ほんの少しだけ誇らしげだった。
うさぎが隣で微笑む。
マリーはもう先のほうへ行きながら、「みーちゃん、早くー!」と手を振っている。
みこはその二人を見て、胸の奥でそっと思った。
うれしい。
ほんとうに、うれしい。
小さな勇気で踏み出した一歩が、ちゃんとここまでつながった。
そのことが、奇跡みたいだった。
朝の光の中で、三人の影が並んで伸びていく。
追兎電鉄の、やさしい日々。
その最初の形が、ここにあった。




