みーちゃんの得意なこと
駅へ向かう道を、三人で並んで歩く。
それだけのことなのに、みこの足取りは朝からふわふわしていた。
右を見れば、うさぎ。
左を見れば、マリー。
しかも今日は、ちゃんと一緒に歩いている。
昨日まで“後ろから見ているだけ”だったことを思うと、それだけで夢みたいだった。
「えへへ……」
思わず小さく笑ってしまう。
「みーちゃん、朝からごきげんだね」
マリーが横からのぞき込むように言う。
みこはぴんと背筋を伸ばした。
「だって、うさ姉さまと一緒だもん」
「そこ、もう隠さないんだ」
うさぎが少し照れたように言う。
「うん!」
みこの返事にまったく迷いはない。
うさぎは困ったように笑うけれど、本気で嫌がっているわけではないのが分かる。
そのことが、みこには嬉しかった。
三人で駅前まで来ると、みこはきょろきょろと周りを見回した。
朝の駅は、昨日までとは少し違って見える。
もう“外から見る場所”ではなく、“うさ姉さまたちが働く場所”として見えているからかもしれない。
駅の前を通る人たちは、みんな忙しそうだ。
学校へ向かう学生。
仕事へ向かう大人。
買い物帰りらしい人。
改札へ向かう人もいれば、駅前で立ち止まって時刻表を見上げている人もいる。
その流れの中で、うさぎとマリーは自然に駅のほうへ足を向けた。
みこも、当然のようにその後をついていく。
けれど。
「あれ?」
うさぎが立ち止まった。
みこも一緒に立ち止まる。
「どうしたの?」
みこが首をかしげると、うさぎは少しだけ言いにくそうな顔をした。
「えっと……みこちゃん」
「うん!」
「わたしたちは、これから駅のお仕事があるんだけど……」
「うん!」
みこは目をきらきらさせたまま、続きを待つ。
うさぎは少し困ったようにマリーを見る。
マリーも、うーんと小さく首をかしげた。
「みーちゃんに出来るお仕事、あるかな?」
その一言で、みこの表情がぴたりと止まった。
「……え」
うさぎは慌てて続ける。
「ち、違うの。みこちゃんがだめって言いたいんじゃなくて……」
「たぶん、中学生は働けないと思うんだよね」
マリーがわりとそのまま言った。
うさぎが「マリーちゃん」と小さくたしなめるけれど、言っていること自体はその通りだった。
駅で働く。
それは、誰でもふらっとできることではない。
年齢のこともあるし、決まりだってあるはずだ。
みこは二人の顔を見上げたまま、しばらく何も言えなかった。
胸の中にあったふわふわした気持ちが、少しずつしぼんでいく。
「そっか……」
小さく出た声は、自分でもびっくりするくらいしょんぼりしていた。
うさぎが申し訳なさそうに言う。
「ごめんね、みこちゃん」
「ううん……」
みこは首を振った。
うさ姉さまたちが悪いわけじゃない。
それはちゃんと分かる。
分かるけれど、それと悲しい気持ちは別だった。
せっかく仲良くなれたのに。
せっかく一緒に歩けるようになったのに。
もっと近くにいたいと思ったのに。
駅の中へ入っていく二人の背中が、今日は少しだけ遠く見えた。
みこはその場に立ち尽くしたまま、小さく唇を結ぶ。
マリーが少しだけ振り返って手を振る。
「またあとでね、みーちゃん!」
みこも手を振り返したけれど、笑顔は少しだけぎこちなかった。
その日、追兎天神の境内に戻ってからも、みこはどこか元気がなかった。
竹ぼうきを動かしていても、いつもの軽やかさがない。
石畳を掃く音も、なんだかしょんぼりして聞こえる。
そんなみこの様子に気づいたのか、社務所のほうから母親が顔を出した。
「みこ、今日は静かね」
「……そう?」
「そうよ。いつもなら掃除しながら歌ってるのに」
「今日は歌いたい気分じゃないもん」
母親は少しだけ笑った。
「何かあったの?」
みこは答えようとして、少しだけ迷った。
でも、隠しても仕方がない気がして、小さく口を開く。
「駅でね、お手伝いしたかったの」
「駅で?」
「うさ姉さまと、マリーちゃんと一緒に」
そこまで言ってから、みこははっとする。
母親は目をぱちくりさせていた。
「うさ姉さま?」
「あっ……それは、その……」
ごまかせないと気づいたみこは、観念して全部話した。
うさぎとマリーに出会ったこと。
うさぎに「お姉ちゃんになってください」とお願いしたこと。
そして、駅で一緒にいたいと思ったけれど、中学生だから働けないと言われたこと。
話し終えるころには、少しだけ胸のつかえが取れていた。
母親は最後までちゃんと聞いてから、やわらかく笑った。
「そう。それは残念だったわね」
「……うん」
「でも、みこ」
「なに?」
「働くことはできなくても、手伝えることはあるかもしれないわよ?」
みこは顔を上げた。
「手伝えること?」
「駅だって、人が使う場所でしょう? きれいなほうが嬉しいんじゃないかしら」
その言葉を聞いた瞬間、みこの中で何かがぱっとつながった。
きれいなほうが嬉しい。
それなら、みこにも出来る。
だって――
「わたし、お掃除なら得意だもん」
気づけば、口からそう出ていた。
母親が「そうね」とうなずく。
みこの掃除は、追兎天神でも評判だった。
石畳の隅の落ち葉まで見逃さないし、手すりや棚のほこりにもすぐ気づく。
小さいころから手伝ってきたから、本人にとっては特別なことではない。
でも、その積み重ねは確かな力になっていた。
みこの目が、少しずつ明るくなっていく。
「そっか……」
しょんぼりしていた気持ちの中に、小さな火がついた。
「そうだよ……!」
母親はその顔を見て、くすっと笑った。
「何か思いついた顔ね」
「うん!」
みこは元気よくうなずく。
「明日、早起きする!」
翌朝。
まだ朝の光がやわらかい時間。
駅前には、いつもより少しだけ早く、みこの姿があった。
しかも今日は、ただ立って待っているだけではない。
小さなほうき。
ちりとり。
ぞうきん。
やる気。
全部そろっている。
「よーし……!」
みこは気合いを入れて、駅前の掃除を始めた。
石畳のすき間にたまった砂。
風で端に寄った落ち葉。
ベンチの下の小さなごみ。
案内板の足元のほこり。
いつも追兎天神でやっているように、みこはてきぱきと手を動かす。
最初は駅前のほんの一角だけのつもりだった。
でも、掃き始めると気になってしまう。
あそこも。
ここも。
もう少しだけ。
気づけば、駅前はみるみるきれいになっていった。
石畳は朝の光を受けてすっきりと輝き、
ベンチの周りも、柱の足元も、見違えるように整っている。
通りかかった人が、ふと足を止める。
「きれいになってるねえ」
そんな声が聞こえて、みこはちょっとだけ嬉しくなった。
そのころ、いつものように駅へ向かっていたうさぎとマリーは、遠くから駅前の様子を見て、そろって目を丸くした。
「……あれ?」
うさぎが足を止める。
「なんか、今日すごくきれいじゃない?」
マリーもきょろきょろと見回した。
「ほんとだ! しかもピカピカ!」
そして、その真ん中に立つ小さな巫女服の姿を見つける。
「みーちゃん!?」
マリーが駆け寄る。
みこはちょうど最後の落ち葉をちりとりへ入れたところだった。
顔を上げると、そこには驚いた顔のうさぎと、目をきらきらさせたマリーがいた。
「おはようございます!」
みこはなぜか自信満々に胸を張る。
昨日のしょんぼりがうそのようだった。
「みこちゃん……これ、みこちゃんがやったの?」
うさぎがあたりを見回しながら聞く。
「うん!」
「すごい!」
マリーが即答する。
「めちゃくちゃきれいじゃん!」
うさぎも、石畳やベンチの周りをもう一度見てから、感心したようにうなずいた。
「本当にすごいわ。こんなにきれいに出来るなんて」
その言葉に、みこの胸はぽかぽかになった。
「えへへ……」
「わたし、お掃除なら得意だもん」
ちょっと得意げに言うと、マリーが「知ってたら昨日もお掃除してもらったのにー!」と笑う。
うさぎも、やわらかく微笑んだ。
「みこちゃんらしいね」
その一言がうれしくて、みこはへへっと笑う。
でも、次の瞬間、うさぎの表情が少しだけ曇った。
「でも……」
「どうしたの?」
みこが首をかしげる。
うさぎは少し言いにくそうにしながら答える。
「こんなにすごくても、駅長さんが認めてくれるかどうかは分からないから……」
その言葉に、みこも少しだけ不安になる。
たしかに、うさ姉さまたちが褒めてくれるのはうれしい。
でも、本当にそれで駅のお手伝いが出来るようになるかは別の話だ。
マリーも腕を組んで「たしかに……」とうなる。
朝の明るい空気の中に、少しだけ静かな間ができた。
そのとき。
「見ていたよ」
後ろから、落ち着いた声がした。
三人がそろって振り返る。
そこに立っていたのは、追兎天神駅の駅長だった。
みこは思わずぴしっと背筋を伸ばす。
駅長は駅前を見回し、それから目を細めた。
「掃除が得意なんだね」
みこはどきどきしながらうなずく。
「はい!」
「これは君が一人でやったのかい?」
「うん! ……です!」
途中でいつもの話し方が出そうになって、あわてて言い直す。
その様子に、マリーが横で少し笑いそうになるのを、うさぎが目で止めていた。
駅長はふっとやさしく笑った。
「とてもきれいになっているよ。駅を使う人たちも気持ちいいだろうね」
みこの目がぱっと輝く。
褒められた。
しかも駅長さんに。
胸の奥がうれしくて熱くなる。
ここだ、と思った。
みこは一歩前へ出る。
「駅長さん!」
「うん?」
「わたし、駅でうさ姉さまと一緒に働きたいです!」
勢いよく言ってから、はっとする。
“うさ姉さま”は駅長さんの前で言う呼び方ではなかったかもしれない。
でも、もう遅い。
隣でマリーが肩を震わせている。
うさぎは「もう……」という顔をしながらも、止めはしなかった。
駅長は少しだけ驚いたようにまばたきをしてから、みこの顔を見た。
それから、うさぎとマリーの顔も順番に見る。
「なるほど」
その一言に、みこはごくりと息をのむ。
駅長は困ったように、でもやわらかく笑った。
「中学生を働かせるのは出来ないなぁ」
みこの肩が、しゅんと下がる。
やっぱりだめなんだ。
昨日と同じ言葉なのに、今日は昨日より少しだけ胸に刺さった。
だって今日は、自信があったから。
掃除なら出来るって、ほんの少しだけ思えたから。
うさぎが「ですよね……」と小さく呟く。
マリーも「うーん」と残念そうな顔をした。
けれど、駅長はすぐに続けた。
「じゃあ、お手伝いってことでどうかな」
一瞬、誰も意味が分からなかった。
最初に反応したのはマリーだ。
「……え?」
次に、うさぎ。
「お手伝い……ですか?」
みこはぽかんとしたまま駅長を見上げる。
駅長はゆっくりうなずいた。
「正式に働くのは無理でも、掃除や簡単な手伝いなら出来ることもある。もちろん無理のない範囲でだけどね」
それは、みこがいちばん聞きたかった言葉だった。
「いいの……?」
みこが小さく聞くと、駅長はやさしく答えた。
「君がやりたいならね」
その瞬間。
「やったー!」
みこの声が、駅前に元気よく響いた。
ぴょん、と小さく跳ねる。
巫女服の袖がふわっと揺れた。
マリーもすぐに両手を上げる。
「やったじゃん、みーちゃん!」
「すごいわ、みこちゃん」
うさぎも本当にうれしそうに微笑んでいた。
三人の顔が、いっぺんに明るくなる。
みこはうれしさのあまり、その場でくるくる回りそうになるのをなんとかこらえた。
駅長はそんな三人を見て、くすっと笑う。
「ただし」
その一言で、三人の動きがぴたりと止まる。
駅長はみこを見ながら言った。
「駅のお手伝いに、その巫女服はちょっと動きにくいだろうからね」
みこは自分の袖を見る。
たしかに、動けないことはない。
でも、ほうきを持ったり、何かを運んだりするには、少し不便かもしれない。
「制服を用意しないとね」
その言葉に、今度こそ三人とも目を丸くした。
「制服!?」
マリーが真っ先に声を上げる。
みこの胸が、またどきんと高鳴る。
制服。
駅のお手伝い用の、みこの制服。
そんなものが本当にあるのだろうか。
「えっ、えっ……わたしの!?」
「そうだよ」
駅長は当たり前のようにうなずく。
「せっかく駅の仲間になるんだからね」
その一言に、みこはしばらく言葉を失った。
駅の仲間。
その響きが、胸のいちばん大事なところへ、まっすぐ届く。
「……うれしい」
やっと出てきた声は、とても小さかった。
でも、その目はきらきらしていた。
うさぎがそっと笑う。
「よかったね、みこちゃん」
「うん……!」
マリーも元気いっぱいに言う。
「これでほんとに一緒じゃん!」
みこは何度もうなずく。
うさ姉さまと一緒。
マリーちゃんとも一緒。
駅でも一緒。
そんな日が本当に来るなんて、少し前の自分には想像もできなかった。
朝の光の中で、駅前の石畳がきらりと光る。
ついさっきまで自分で掃除していた場所が、今日は特別な舞台みたいに見えた。
みこは胸の前で、ぎゅっと手を握る。
小さな勇気で始まったことが、少しずつ、本当に形になっていく。
明日は、どんな日になるんだろう。
その答えを思うだけで、胸がいっぱいだった。




