表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひとひらびより  作者: 追兎電鉄広報部
はじまりの駅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/44

うさ姉さまと呼びたい

挿絵(By みてみん)


 朝の駅前は、まだ人通りが少なかった。

 春のやわらかな光が石畳を照らしていて、空気は少しひんやりしている。

 駅前の看板も、ベンチも、改札へ続く道も、いつもと同じ景色のはずなのに、今日のみこには全部が少し違って見えた。


 たぶん、それは自分の気持ちがいつもと違うからだ。

 鈴音みこは、駅前の真ん中に立っていた。

 背筋を伸ばして。

 両手をぎゅっと握って。

 逃げない、と何度も何度も自分に言い聞かせながら。


 昨日みたいに、後ろから見ているだけでは終わらない。

 今日こそ、ちゃんと話す。

 ちゃんと名前を言う。

 ちゃんと、気持ちを伝える。

 そのつもりで来た。


……来たのだけれど。


「うぅ……」

小さく声が漏れる。


 いざ駅前に立ってみると、思っていた以上に緊張していた。

 心臓はずっとどきどきしているし、手のひらは落ち着かないし、足も少しだけふわふわする。

 でも、ここまで来たら逃げたくない。

 逃げたら、きっとまた後悔する。

 あとからお布団の中でじたばたすることになる。

 それはもう分かっている。


 みこは深呼吸をひとつした。

 だいじょうぶ。

 ちゃんと言える。

 たぶん。

 きっと。


……言えるはず。


 そのとき、遠くのほうに見慣れた二人の姿が見えた。

 紺色の制服。

 並んで歩く後ろ姿。

 片方は、やわらかくて、きれいで、見ているだけで胸があたたかくなる人。

 もう片方は、元気いっぱいで、朝の光まで明るくしそうな人。


――来た。


 みこの背筋がぴんと伸びる。

 来た。

 本当に来た。

 当たり前だけど、来た。

 胸の中で何かがばたばたと走り回る。

 逃げない。

 今日は逃げない。

 みこはもう一度、自分の中でそう言った。


 そして、二人がすぐ近くまで来たところで、小さく一歩前へ出る。


「は、はじめまして……」


 声が少し震えた。

 でも、ちゃんと届いた。

 うさぎとマリーが同時に足を止める。

 みこはごくりと息をのみ、意を決して顔を上げた。

 そして、心の中で何度も何度も練習していたその呼び方を、ついに口にする。


「うさ姉さま」


 うさぎがぴたりと固まった。


「……え?」


 ゆっくり振り向いた顔が、きょとんとしている。

 隣でマリーも一瞬ぽかんと口を開けた。

 それから数秒遅れて、ぶふっと吹き出す。


「ちょ、ちょっと待って!」


 お腹を抱えそうな勢いで笑い出す。


「うさ姉さまだって! うさちゃん、うさ姉さまだって!」

「マリーちゃん、笑わないで……!」

 うさぎが慌てて止めに入るけれど、その本人もかなり動揺していた。


 うさ姉さま。


 言ってしまった。

 みこの顔がみるみる赤くなる。

 でも、ここで逃げたらだめだ。

 今日は逃げないと決めたのだから。

 みこはぎゅっと拳を握り直して、もう一歩だけ前へ出た。


「わ、わたしは……」


 ちゃんと名前を言わなきゃ。

 そう思った瞬間、急に喉がきゅっとなる。

 緊張で舌がもつれそうになるのを必死でこらえて、みこは口を開いた。


「鈴音みこっていいましゅ」

 言った。


……言ったのだけれど。


 一瞬、そこに小さな沈黙が落ちた。


「……いいましゅ?」

 マリーが小声で繰り返す。


「か、噛んだ……!」

 みこは両手で顔を押さえたくなった。


 でもそんなことをしている場合じゃない。

 自己紹介で噛むなんて、あまりにもかっこ悪い。

 せっかく頑張って立ったのに。

 せっかく“逃げない”って決めたのに。

 みこの顔はもう真っ赤だった。


 うさぎは一瞬だけ笑ってしまいそうになったけれど、すぐに表情をやわらかく整える。

 笑ったら、きっとこの子は本当に泣いてしまうかもしれない。

 そんな気がした。

 だから、できるだけやさしい声で尋ねる。


「みこちゃん……でいいの?」


 みこは、こくんと小さくうなずいた。

 その様子があまりにも一生懸命で、うさぎの頬も少しゆるむ。

 横からマリーが、待ってましたとばかりに口をはさんだ。


「じゃあ、みーちゃんでいいよね!」

「えっ」

 みこが顔を上げる。


 急に呼び名が変わったことに驚いたらしい。

 でも、マリーはまったく気にしていない。


「だって“みこちゃん”もかわいいけど、“みーちゃん”のほうが呼びやすいし!」

「呼びやすさで決めるの……?」

 うさぎが小さくつっこむ。


「いいじゃん。みーちゃん、だめ?」

 マリーがにっと笑うと、みこはぱちぱちと瞬きをしてから、少しだけうれしそうに頬をゆるめた。


「……うん」


 それだけで、張りつめていた空気がほんの少しやわらぐ。

 よかった、とみこは心の中で思った。

 ちゃんと立ち止まってもらえた。

 ちゃんと名前も言えた。

 少し噛んだけど。

 かなり噛んだけど。


 でも、まだ終わりじゃない。

 今日、ここでいちばん言いたかったことは、まだ残っている。

 うさぎがやさしく問いかける。


「それで、みこちゃんはわたしたちに何か用があったの?」


 その言葉に、みこの胸がどきんと跳ねた。

 そうだ。

 ここからだ。

 ここを言わないために頑張ってきたわけじゃない。

 むしろ、これを言うために今日ここに立っているのだ。

 みこは深呼吸をひとつした。

 それから、まっすぐうさぎを見る。


 きれいな人だと思う。

 かわいい人だと思う。

 やさしい人だと思う。

 昨日、巫女服を褒めてくれた時に、それはもう、どうしようもないくらい確信になった。

 この人の近くにいたい。

 この人に、もっと見てもらいたい。

 この人と一緒にいたい。


 だったら、言うしかない。

 みこは一歩前に出た。


「うさ姉さま!」


 思っていたより大きな声が出た。

 うさぎがまた少し目を丸くする。


 でも、もう止まらない。


「わたしのお姉ちゃんになってください!!!」


 朝の駅前に、みこの声が元気いっぱいに響いた。

 その瞬間。

 ぴたり、と時間が止まった気がした。

 風も、音も、二人の表情も、全部が数秒だけ固まる。

 うさぎも、マリーも、何を言われたのかすぐには理解できなかったらしい。


 一拍おいて、マリーがうさぎの顔を見る。

 次に、みこを見る。

 そしてもう一度、うさぎを見る。

 その顔がだんだんにやにやしてくる。


 うさぎのほうは、完全に困っていた。


「えっ……ええっ?」

「どうしてそんな反応なのうさちゃん、面白すぎる」

「マリーちゃんは黙ってて!」

「だって朝から“お姉ちゃんになってください”だよ!? すごくない!?」

「すごいけど……!」


 うさぎは頬を赤くしながら、みこを見た。

 みこの目は真剣そのものだった。

 冗談で言っている顔ではない。

 本気で頼んでいる。

 だからこそ、余計にどう返したらいいのか分からない。


「どうして……わたしなの?」


 やっと出てきた言葉は、責めるようなものではなかった。

 ただ、本当に不思議だったのだ。

 みこは少しだけ目を伏せる。

 でも、問いかけから逃げることはしなかった。

 ちゃんと答えよう、と思う。


「うさ姉さまは……」


 言いながら、自分の胸の中にある気持ちを探す。


 きれい。

 かわいい。

 やさしい。

 見ていると、あったかい気持ちになる。

 

 みこは顔を上げた。


「キレイで、可愛くて……」


 そこまで言って、うさぎの頬がさらに赤くなる。

 隣でマリーは楽しそうに肩を震わせていた。

 みこはそれに気づかないまま、言葉を続ける。


「なにより、優しい……と思うから」


 最後の「思うから」は少しだけ小さくなった。

 でも、それはみこの本音だった。

 昨日、何も言えずに制服の裾をつまんだだけの自分に、

困るでもなく、笑うでもなく、

「その巫女服、とっても似合ってるわよ」

と返してくれた。

 あんなふうにやさしい言葉をくれる人がいるなんて、みこはあまり知らなかった。

 だから、もっと近くにいたいと思った。

 だから、お姉ちゃんになってほしいと思った。


 マリーがにやっと笑う。


「いいじゃん、うさちゃん」

「えっ」

「お姉ちゃんになってあげなよ」

「そんな簡単に言わないでよ……!」

「だって、みーちゃんこんなに本気だよ?」


 その言葉に、うさぎはあらためてみこを見る。

 たしかに、本気だった。

 目がまっすぐだし、逃げるつもりもなさそうだし、何より全部の言葉が一生懸命だ。

 みこも、もう一度うさぎを見上げた。


「うさ姉さま、お願い」


 その声は、さっきより少しだけ小さい。

 でも、そのぶん余計に真剣だった。

 うさぎは少しだけ困った顔をする。

 困っている。

 でも、嫌そうではない。

 どうしたらいいのか分からないだけなのだ。

 そんなことは、マリーにも、みこにも、なんとなく分かった。

 三人のあいだに、短い沈黙が落ちた。


 朝の風が吹いて、制服の裾をやさしく揺らす。

 遠くで電車の音がする。


 その中で、うさぎはゆっくりと息を吐いた。

 そして、小さな声で言う。


「……わたしがお姉ちゃんでいいの?」


 その瞬間、マリーの顔がぱっと明るくなった。


「みーちゃん!」

 勢いよくみこの肩をつかむ。


「うさちゃんがお姉ちゃんになってくれるって!」

「ほんと!?」

 みこの顔が一気に明るくなる。

 さっきまでの緊張も、不安も、恥ずかしさも、全部ふっとんだみたいに笑顔になる。


「やったー!」

 思わずぴょん、とその場で小さく跳ねた。


 うさぎはそんなみこを見て、少し照れたように目をそらす。


「もう……仕方ないわね」


 でもその声は、ちゃんとやさしかった。

 みこの胸がぽかぽかになる。


 やった。

 ほんとうに、やった。

 言えた。

 伝わった。

 しかも、お姉ちゃんになってもらえた。

 こんなことってあるんだ、とみこは本気で思った。


 そのとき、マリーが腕を組んで、いかにも偉そうに言った。


「じゃあ、みーちゃんはアタシの子分ね」

「違うわよ」

「違うよ」

 うさぎとみこの声が、ぴったり重なった。


 一瞬だけ、三人ともきょとんとする。

 それから、顔を見合わせて――

 くすっ、と笑った。


 最初に笑ったのはうさぎだった。

 つられるようにみこも笑う。

 マリーは「なんでー!?」と言いながら、いちばん楽しそうに笑っていた。


 三人の笑い声が、朝の駅前にやわらかく広がる。

 ほんの少し前までは、こんなふうに並んで笑うなんて想像もできなかった。

 でも今は、もう不思議じゃない気がした。


 そのまま自然に、三人は並んで歩き出す。

 駅へ向かう道。

 うさぎが真ん中で、みこがそのすぐ隣を歩く。

 反対側では、マリーが何か思いついたように楽しそうにしゃべっている。


「ねえねえ、みーちゃんって神社の子なんでしょ? なんかすごい特技とかあるの?」

「お掃除なら得意だよ!」

「え、そこ!?」

「すごいでしょ!」

「いや、すごいけどもっとこう……神秘的なやつとかないの?」

「神秘的……?」


 みこが真剣に考え込みそうになるので、うさぎが思わず笑う。


「マリーちゃん、変なこと聞かないの」

「だって気になるじゃん!」


 そんなたわいないやり取りが、朝の道に自然に溶けていく。

 みこは歩きながら、何度も何度も心の中で同じことを繰り返していた。

 うさ姉さまと、一緒に歩いてる。

 それだけで、胸がいっぱいになる。

 朝の光の中を、三人の影が並んで伸びていた。

 もう、少しもぎこちなくない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ