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ひとひらびより  作者: 追兎電鉄広報部
お嬢様も、いつもの駅で

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非常ボタンの作法


 その日、うさぎたちは駅構内の設備について、アリスとしおんにひとつずつ説明していた。


「これは非常ボタン。何かあった時だけ使う、大事なものだから」


 うさぎが赤いボタンを指さす。


「だから、いたずらで押したりしちゃだめ。わかった?」


「わかったわ」


 アリスはいつになく真面目な顔でうなずいた。


「大事なものなのね」


「とっても大事です!」


 みこも横でこくこくとうなずく。


「だから、わからないことがあったら勝手に触らないで、ちゃんと聞いてね」


「はーい」


 マリーが軽い返事をすると、うさぎがじろっと見る。


「マリーちゃんも含めてよ」


「えっ、わたしもう知ってるよ?」


「知ってる子ほど変なことするでしょ」


「信頼がない!」


 その時、奥から駅長の声がした。


「うさぎちゃん、ちょっといいかな」


「はい、いま行きます!」


 うさぎは四人のほうを振り返る。


「すぐ戻るから、ここで待ってて」


「はーい」


 うさぎが離れていく。


 そして、その背中が見えなくなったところで。


 マリーがちらっと非常ボタンを見て、にやっと笑った。


「ねえ、アリスちゃん」


「なに?」


「非常ボタンってね、ただ押せばいいわけじゃないんだよ」


「そうなの?」


 アリスがすぐに食いつく。


「うん。大事なものだから、ちゃんと作法があるの」


「作法……」


 その言葉に、アリスの目が少しきらっとした。


「やっぱりそういうものなのね」


「そうそう」


 マリーは完全に楽しくなっていた。


「非常ボタンって、急に押したらびっくりしちゃうから」


「びっくり?」


「だから押す前に、ちゃんと声をかけるんだよ」


 みこがぴくっと反応する。


「……マリーちゃん」


「なに?」


「それ、ちょっとだけ変です」


「ちょっとだけ?」


「半分ぐらい……」


「けっこう疑ってる!」


 でも、アリスはすっかり信じた顔だった。


「なるほど。大事なものには礼儀が必要なのね」


「そういうこと!」


 少し離れたところにいたしおんが、静かに首をかしげる。


「マリーさん、非常ボタンは起こさなくても、押せばよいのでは……」


 マリーは待ってましたと言わんばかりに頷いた。


「しおんちゃんは知らないだろうけど、この非常ボタンさん、機嫌が悪いと動作しないんだよ」


「機嫌、ですか」


「そう。だから最初の声かけが大事」


 しおんは一拍だけ考えてから、静かにうなずいた。


「……そうなんですか。知りませんでした」


「しおんちゃんまで!?」


 みこが思わず声を上げる。


 アリスはちょっと安心したように胸を張った。


「ほら。しおんも知らなかったじゃない」


「そういう問題じゃないと思う……」


 みこはもうかなり不安そうだった。


 その前に、アリスがすっと非常ボタンの前へ立つ。


「では、やるわ」


「えっ、やるの?」


「作法を知ったからには、確かめておかないと」


 アリスは非常ボタンをまっすぐ見つめる。


 そして、少しだけ偉そうに言った。


「非常ボタンさん、はやく起きなさい」


「だめだめ」


 マリーがすぐ首を振る。


「もっと優しくしないと」


「そうなの?」


「びっくりしないように、やさしく」


 アリスは少し考えて、言い直した。


「……非常ボタンさん、はやく起きてくださいね」


 みこが口元を押さえる。


「ボタンさん……」


「みこちゃん、笑ったらだめだよ」


「笑ってないです、まだ……!」


 しおんが静かに口を開いた。


「……少々、不思議な光景です」


「しおん、これでいいの?」


「先ほどよりは、やわらかいかと」


「そう」


 アリスは真顔でうなずいた。


 それから、さらに一歩近づく。


 そして非常ボタンに向かって、ぺこりと小さく会釈した。


「非常事態なので、いまから押しますよ。いいですね」


「丁寧!」


 マリーがとうとう吹き出しそうになる。


「すごい、完璧だよアリスちゃん」


「そうでしょう」


 そこだけちょっとだけ得意げだった。


 みこはもう肩を震わせている。


「マ、マリちゃん……」


「なに?」


「やっぱりこれ、変だよ……!」


「でもアリスちゃん、こんなに真剣だよ?」


「それがいちばん困るんだって!」


 ――その時だった。


「……アリスちゃん、何してるの?」


 うさぎの声だった。


 全員がぴたりと止まる。


 振り返ると、戻ってきたうさぎが、非常ボタンの前で会釈しているアリスを見て固まっていた。


「えっと……作法よ」


「作法?」


「非常ボタンさんは、急に押すとびっくりして動かなくなるんでしょう?」


 うさぎは無言でマリーを見る。


 マリーはすっと目をそらした。


「マリーちゃーん?」


「いやー、なんかアリスちゃん、信じそうだなって」


「信じたわよ!」


 アリスが即座に言い返す。


「だって、ちゃんと大事なものには礼儀が必要って言ってたもの!」


「それはまあ、なくはないけど……」


「ほら!」


「そこだけ切り取らないで!」


 みこがようやく口をはさむ。


「みこ、ちょっとあやしいと思ったんです……!」


「じゃあ止めてよ!」


「しおんちゃんまで信じたので、だんだん自信がなくなって……」


「申し訳ありません」


 しおんが静かに頭を下げる。


「駅の設備については、まだ勉強不足でした」


「しおんは悪くないわ」


 アリスがすぐに言った。


「悪いのはマリーちゃんよ」


「えっ、そこ即答!?」


 うさぎがひとつため息をつく。


「非常ボタンに挨拶はいらないの。押す前に声かけもしない」


「……ほんとうに?」


「ほんとうに」


 アリスは少しだけ黙って、それから非常ボタンを見た。


「じゃあ、この子は急に押されても平気なの?」


「この子って言わないで」


 マリーがついに吹き出した。


 みこももう我慢できなかったらしく、くすくす笑っている。


 アリスはちょっとむくれた顔になる。


「だって、起こしてあげたほうが親切かと思ったのに」


「親切の方向が独特なのよ」


「でもアリスちゃんらしいよねえ」


「らしくないわよ!」


 その時、しおんが静かに口を開いた。


「ですが、確認しようとなさったこと自体は良いことかと」


「え?」


 アリスがしおんを見る。


「大事なものだと理解して、丁寧に扱おうとなさったのでしょう?」


「……まあ、そうだけど」


 しおんはわずかに微笑んだ。


「それは、悪いことではありません」


 アリスは少しだけ目を丸くして、それから小さくそっぽを向いた。


「……そう」


 うさぎも、その言葉にはうなずいた。


「うん。やり方は変だったけど、大事にしようとしたのはいいことだと思う」


「変だったって言った」


「変だったわよ」


「うさぎちゃん、そこは否定しないのね」


「しないわよ」


 マリーがにやにやしながら口をはさむ。


「でもさ、非常ボタンさんもきっと喜んでるよ」


「まだ言うの!?」


「マリちゃん!」


 みこが今度はちゃんと止めに入る。


 アリスは少しだけ頬をふくらませてから、非常ボタンを見上げた。


「……じゃあ、今度からは普通に押すわ」


「それでいいの」


 うさぎが言うと、アリスはこくんとうなずいた。


 それから小さな声で付け足す。


「でも、急に押してびっくりしないならよかった」


 一瞬の静寂のあと。


 マリーがぶっと吹き出した。


 みこも「もうだめです……」と肩を震わせる。


 うさぎは額に手を当て、しおんはほんの少しだけ目元をやわらかくした。


 追兎天神駅の非常ボタンは、今日も変わらずそこにある。


 ただし少なくとも、アリスの中ではまだ少しだけ、


 丁寧に接したほうがいい相手のままだった。

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