もう一回の約束
ステージの片付けが終わるころには、駅のロビーはすっかりいつもの姿に戻っていた。
赤い布はきれいにたたまれ、
簡易ステージは分解され、
床にはもう何も残っていない。
さっきまでここで歌っていたなんて、少し信じられないくらいだった。
でも、たしかに歌ったのだ。
三人で立って。
三人で声を重ねて。
三人で笑って。
その時間の余韻だけが、まだロビーのどこかにやわらかく残っている気がした。
「これで最後っと」
マリーが軽く息を吐きながら、最後の部品を箱に入れる。
「うん」
みこも頷いて、赤い布の端をきちんとたたみ直す。
うさぎは資材の数を確認してから、小さく息をついた。
「……よし、全部ある」
「ちゃんと片づいたねー」
みこが満足そうに笑う。
「うん」
そう答えたうさぎの声も、いつもより少しだけやわらかかった。
三人は資材を倉庫へ戻し、
事務室にひと声かけてから、
そろって駅の外へ出た。
夜の空気が、やさしかった。
昼間みたいな忙しさはもうなくて、駅前を歩く人の流れも、どこかゆっくりして見える。
ライブのあとだからなのか、風が頬にあたるだけで気持ちよかった。
歩き出して少しして。
みこが、ふいに立ち止まった。
「……あ」
うさぎとマリーも足を止める。
振り向くと、みこは少しだけ背筋を伸ばしていた。
それから、小さく頭を下げる。
「うさ姉さま、マリちゃん」
二人が黙って待つ。
みこは顔を上げて、少しだけ照れた顔で言った。
「ありがとう」
マリーがきょとんとする。
「え?」
「お礼を言われること、したっけ?」
みこは指をぎゅっと握る。
「だって……」
少しだけ言いにくそうにしてから、続けた。
「わたしが、アイドルオーディションに出たいってお願いしたから」
その言葉に、うさぎが少しだけ驚いた顔をした。
そして、すぐにやわらかく笑う。
「そうだったわね」
静かな声で言う。
「きっかけは」
それは責める言い方じゃなかった。
むしろ、
“ちゃんと覚えてるよ”って伝えるみたいな声だった。
マリーが両手を頭の後ろで組む。
「でもさ」
笑う。
「みんな楽しんでたよ」
その言葉は、さらっとしているのに妙に本当だった。
みこが少し目を丸くする。
マリーはそのまま、にっと笑って続けた。
「きっかけをくれてありがと、みーちゃん」
その言葉に、みこはほんとうにびっくりした顔をした。
「え……」
自分がお礼を言うつもりだったのに、逆にお礼を返されるなんて思っていなかったのだろう。
でもマリーは、当たり前みたいに言う。
「だって、みーちゃんが言い出さなかったら、今日のライブもなかったし」
「うん」
うさぎも静かに頷く。
「そうね」
その返事に、みこの目が少しずつやわらかくなる。
マリーはさらに、意地悪そうにうさぎを見る。
「それに、一番楽しんでたのはうさちゃんだよね」
みこもすぐに頷いた。
「うん!」
にこっと笑う。
「うさ姉さま、本当に楽しそうだった」
うさぎが一瞬固まる。
そのまま、すぐにふいっと視線をそらした。
「……全部、二人のためよ!」
ちょっとだけ強めの口調。
でも、その言い方がもうすでに少し照れていた。
マリーがにやっと笑う。
「でも、楽しかったことは認めるんだよねー」
うさぎの頬が、少しだけ赤くなる。
「……まあ」
小さく息を吐く。
「そういうことにしておくわ」
それは、うさぎなりの精いっぱい素直な返事だった。
マリーとみこが顔を見合わせて笑う。
三人はまた歩き出した。
夜道は静かで、足音だけがやわらかく並んでいる。
ライブが終わって、
オーディションも終わって、
今日という一日も、そろそろ終わりに近づいている。
でも、胸の中にはまだ何かが残っていた。
それは疲れかもしれないし、
達成感かもしれないし、
もう少し名前のつかない、あたたかいものかもしれなかった。
みこが、ぱっと顔を上げる。
「今度はいつライブする?」
即答だった。
うさぎも、ほとんど反射みたいに返す。
「もうしないわよ」
「えーっ」
「今回だけって約束でしょ」
きっぱり言う。
その言い方は、最初に戻ったみたいでもあった。
マリーがすぐに頷く。
「そうだよ、みこちゃん」
腕を組む。
「約束は約束だから」
みこの肩が、わかりやすく少し落ちた。
「……そっか」
しょんぼり。
三人の間に、少しだけ沈黙が落ちる。
夜風がすっと通り過ぎる。
うさぎはその横顔をちらっと見た。
やっぱり、そういう顔をされると弱い。
みこちゃんは、どうしてこうも素直にしょんぼりできるんだろう。
それを見てしまうと、言い切ったはずの言葉まで少しだけぐらつく。
その時だった。
マリーがうさぎの顔を、横からのぞきこんだ。
「でもさ」
にやっと笑う。
何か思いついた時の、あの顔だった。
「約束は何回してもいいんだから」
指を一本立てる。
「もう一回、約束しようか。うさちゃん」
うさぎが足を止める。
「……は?」
みこもぱっと顔を上げた。
「それ、いい!」
「でしょ?」
マリーが得意げに胸を張る。
「今回だけの約束は守ったんだし」
「たしかに」
「じゃあ、もう一回“今回だけ”って約束すればいいんだよ」
うさぎは黙る。
言っていることは、なんだかずるい。
ずるいのに、妙に筋は通っている。
今回だけ、と約束した。
その約束は、ちゃんと今日で終わった。
だったらもう一回“今回だけ”をやり直すのも、理屈としては変じゃない。
変じゃないけど――
「ずるいわよ、その理屈」
うさぎが小さく言う。
マリーがけろっと返す。
「うん、でも合ってるでしょ?」
みこが期待いっぱいの目でうさぎを見る。
その視線がまっすぐすぎて、うさぎはまた言葉に詰まる。
少しの沈黙。
うさぎは息を吐いた。
ちゃんと考えるふりをして、でも半分はもう決まっているみたいな顔で。
「……今回の約束を」
二人を見る。
「守ってくれたから」
ほんの少しだけ、微笑む。
「もう一回、約束してもいいわよ」
その瞬間、みこの顔がぱっと明るくなった。
「やった!」
飛び跳ねる。
「また三人で出来るよ!」
マリーも笑う。
「ほらね」
うさぎはそっぽを向いた。
でも、その口元は少しだけやわらかい。
マリーがわざとらしく言う。
「うさちゃん、ほんと素直じゃないよね」
「うるさい」
「でもそこが可愛い」
「うるさいってば」
言い返しながらも、うさぎの声にはいつもの鋭さが少し足りなかった。
三人並んで歩く帰り道。
駅の灯りが、少しずつ遠ざかっていく。
でも。
あの場所に残した歌は、きっとこれからも続いていく。
オーディションに落ちたことも、
ロビーで歌ったことも、
「今回だけ」の約束をもう一回やり直したことも。
その全部が、三人の中にちゃんと残っていく。
夜の道に、三つの足音が重なる。
その音はどこまでもやさしくて、まるで次の約束の始まりみたいだった。




