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ひとひらびより  作者: 追兎電鉄広報部
とどける歌声

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とどける声


 夜の追兎天神駅は、昼間とはまるで別の場所みたいだった。


 人の流れはゆるやかになり、 改札の向こうもどこか静かで、 高い天井の灯りだけが、やわらかく床を照らしている。

 昼間はたくさんの音が重なっていたロビーも、今は少しだけ広く感じられた。

 その静かな空間に、三つの声が響いていた。


「もう一回いくよ!」


 マリーの声に、うさぎとみこが頷く。


「うん」


「うんっ」


 スマホから流れる伴奏。


 三人は位置を合わせて、息をそろえる。


 そして歌う。


 まだ少しだけ揃わない。


 音が微妙に重なりきらなくて、ところどころで声が前に出たり、後ろに下がったりする。


 それでも三人は止まらない。


 歌って、合わせて、また歌って。

 少しずつ。

 ほんの少しずつ。

 前よりは、よくなっている。


 それは三人ともわかっていた。


 歌い終わると、三人は同時に息を吐いた。


「はぁ……」


「うーん」


「あとちょっと……だよね」


 みこが小さく言う。


 うさぎは腕を組んだまま、少し考えていた。


 マリーは元気よく手を叩く。


「でもさ!最初よりぜったい良くなってる!」


「……そうね」


 うさぎも頷く。


 前より声は揃ってきた。


 みこも、もう最初みたいに音を大きく外したりしない。


 ちゃんと近づいている。


 でも、うさぎの中にはまだ、言葉にしにくい違和感が残っていた。


「でもまだ、なんか足りない気がするのよ」


 その時だった。


「こんばんは」


 やわらかな声が、ロビーの端から聞こえた。


 三人が同時に振り向く。


 そこに立っていたのは――


「お姉ちゃん?」


「雪乃お姉さま!」


「助っ人来たー!」


「助っ人じゃないわよ!」


 うさぎがすぐに否定する。


 でも、その声にはいつもの鋭さが少し足りなかった。


 雪乃はくすっと笑った。


「ちょっと通りかかったら、歌声が聞こえたから」


 ロビーを見渡して、それから三人を見る。


「頑張ってるのね」


 その言葉に、三人は少しだけ照れた。


「えへへ……」


「うん……」


「……まあね」


 うさぎだけ、ちょっとだけそっけない。


 でも、雪乃にはその照れがよくわかっていた。


「よかったら、もう一度聴いてもいい?」


 雪乃がそう言うと、三人は顔を見合わせた。


 うさぎが小さく頷く。


「……うん」


 もう一度、位置につく。


 今度はさっきより、少しだけ背筋が伸びていた。


 雪乃に聴かれると思うと、なんとなく変な緊張が増える。


 でも、それと同時に、ちゃんと聴いてもらいたい気持ちもあった。


 伴奏が流れる。

 三人で歌う。

 さっきよりも丁寧に。

 さっきよりも真剣に。

 歌い終わる。


 静かなロビーに、余韻だけが残る。


 雪乃はすぐには何も言わなかった。


 少しだけ考えてから、やさしく言う。


「うまく歌おうとしなくていいの」


 三人が、きょとんとする。


「え?」


 マリーが首を傾げる。


 雪乃はやわらかく微笑んだ。


「誰かに届けたいって思って歌ってみて」


 それだけだった。


 テクニックの話じゃない。

 音程の話でもない。

 もっと、ずっと小さくて、でも大事な向きの話だった。


 みこが小さく頷く。


「……うん」


 うさぎも、マリーも、その言葉を胸の中でひとつ転がすみたいに黙っていた。


 誰かに届けたいって思って歌う。


 それは簡単そうで、でも今までの三人には少しだけ抜けていたものかもしれない。


 うまく合わせること。

 失敗しないこと。

 間違えないこと。


 そこばかり見ていた気がする。


 でも、本当は歌って、誰かに届いてほしいから歌うのだ。


 みこが一歩前に出る。


「もう一回、歌ってみる」


 うさぎとマリーが頷く。


 三人で歌う。


 今度は少し違った。


 気持ちが先にある。


 誰かに届けたい、その気持ちが声を引っぱるみたいに、さっきよりずっと自然に音が重なっていく。


 まだ完璧じゃない。


 でも、揃ってきた。


 さっきまでの“合わせようとしている声”ではなくて、


 “同じ方を向いている声”に近づいている。


 歌い終わる。


 みこが自分でも驚いた顔をする。


「……さっきより、ちょっといいかも」


 マリーがすぐに笑う。


「いいじゃんいいじゃん!」


 うさぎも小さく微笑んだ。


「うん。さっきより、ずっといい」


 雪乃は何も言わない。


 ただ、静かに拍手をした。


 ぱち、ぱち、と。


 やわらかい音がロビーに響く。


 それだけで、三人はもう一度歌える気がした。


 そのあとも練習は続いた。


 何度も歌って、

 何度も合わせて。

 マリーが笑って、

 みこが一生懸命ついていって、

 うさぎが少しずつ形を整えていく。


 雪乃はロビーのベンチに座ったまま、ずっとそれを見ていた。


 帰らない。

 口出しもしない。

 ただ、時々小さく拍手をするだけ。


 それだけなのに、三人はまた次を歌える。


 不思議だった。


 何かを教えてくれるわけじゃないのに、そこにいてくれるだけで、少し安心する。


「じゃあ最後に一回!」


 マリーが言った。


 三人で位置につく。


 深呼吸。


 夜の駅ロビーは静かだった。


 だからこそ、声がまっすぐ飛んでいく気がした。


 そして、歌う。

 声が揃う。

 心が揃う。


 歌い終わると、ロビーには静かな余韻が残った。


 さっきまでとは違う。


 ちゃんと、まっすぐ届いた気がする。


 マリーが拳を握る。


「よし、いける!」


 みこも大きく頷く。


「うん!」


 うさぎは少し照れながら、でも前よりやわらかい顔で言う。


「……まだ不安だけど」


 その時。


 雪乃がゆっくり立ち上がった。


 三人を見る。


 やさしい目で。


「大丈夫」


 短い言葉だった。


 でも、それだけで十分だった。


「三人とも、とてもいい顔してる」


 その一言に、みこの顔がぱっと明るくなる。


 マリーも満足そうに笑う。


 うさぎは少しだけ視線をそらした。


 でも、口元はちゃんとやわらいでいた。


「雪乃さんも一緒に歌う?」


 マリーが聞く。


 雪乃はすぐに首を振る。


「今日は聴く側がいいな」


 うさぎがその返事に、ほんの少しだけ安心したように息を吐いた。


 それに気づいた雪乃が、また小さく笑う。


 練習が終わって、三人はロビーをあとにした。


 駅の外へ出ると、夜風が少し冷たい。


 でも、歌ったあとの体にはちょうどよかった。


 前を、マリーとみこが並んで歩く。


「明日楽しみ!」


「うん!」


 その声は、さっきまでよりずっと軽い。


 少し後ろを、うさぎと雪乃が歩く。


 しばらく黙ってから、雪乃がやさしく聞いた。


「……楽しかった?」


 うさぎは少しだけ考えた。


 ほんの少し前までなら、たぶん素直には答えなかった。


 でも今は、ちゃんと自分の中に残っている気持ちがあった。


「……うん」


 小さく笑う。


 照れ隠しみたいな、でもちゃんと本音の笑みだった。


 夜の道に、四人の足音がやわらかく重なっていく。


 明日は、きっと大丈夫。


 そう思えるだけの声が、今の三人には、ちゃんと育っていた。

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