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ひとひらびより  作者: 追兎電鉄広報部
とどける歌声

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23/40

今回だけよ


 午後の追兎天神駅は、少しだけゆるんだ空気に包まれていた。


 午前中の忙しさがひと段落して、

 改札の向こうを行き交う人の流れも、どこかのんびりして見える。


 駅事務室の窓から差し込む光はやわらかく、

 机の上に積まれた書類の端を、白く明るく照らしていた。


 その光の中で、うさぎはカウンターの奥に座り、真面目な顔でメモを取っていた。


 ペン先は迷いなく動いている。


 時々書類に目を落として、

 必要なことをきちんと拾って、

 余計な言葉を入れずにまとめていく。


 いかにも、うさぎらしい手つきだった。


 一方で、マリーはその近くの椅子に座って、足をぶらぶらさせている。


 仕事をしていないわけではない。


 していないわけではないのだけれど、

 ぱっと見では、かなり暇そうだった。


 そして、その隣では――


 みこが、なにやらそわそわしていた。


 手に一枚の紙を持って、

 出そうか、やめようか、

 何度もタイミングをうかがっている。


 うさぎを見て。


 紙を見て。


 また、うさぎを見る。


「……」


 何か言いたい。


 でも、うさぎが真剣な顔をしていると、

 ちょっとだけ声をかけづらい。


 その気持ちと、

 でも今すぐ言いたい気持ちが、

 みこの中でけんかしていた。


 そんな様子を、マリーは横目でしっかり見ていた。


「みーちゃん」


「ひゃっ」


 急に話しかけられて、みこが肩を跳ねさせる。


 マリーはにやにやしながら、みこの手元をのぞきこんだ。


「まだ言ってないの?」


「ま、まだ……」


「早く言えばいいじゃん」


「だって……うさ姉さま、いま真剣だし……」


「うさちゃんはいつも真剣だよ」


「それもそうだけど……」


 みこが小声でもじもじしていると、うさぎが書類から目を上げた。


「さっきから、なにこそこそしてるの?」


「うわっ」


 今度はみことマリーが一緒にびくっとする。


 うさぎは少しだけ不思議そうな顔をした。


「なによ、その反応」


「べ、別に?」


「別にじゃないでしょ」


 うさぎがそう言うと、みこはぎゅっと手の中の紙を握った。


 もう言うしかない。


 言わないままだと、もっと言いづらくなる。


 みこは小さく息を吸って――


「うさ姉さま!」


 ぱんっ、と机の上に一枚の紙を置いた。


 うさぎが顔を上げる。


「なに?」


 差し出された紙を見る。


 そこには大きく、


 アイドルオーディション開催!


 と書かれていた。


 うさぎの眉が、ほんの少しだけ寄る。


「……だからなに?」


 みこが身を乗り出す。


「これ受けたい!」


 即答だった。


 うさぎは一瞬黙る。


 紙をもう一度見る。


 それから、ゆっくり言った。


「受ければいいじゃない」


「うさ姉さまも一緒に!」


 間髪入れず。


 うさぎの表情が止まる。


「……は?」


 マリーが横からぐいっとのぞき込み、次の瞬間には目をきらきらさせていた。


「いいじゃん!楽しそう!」


「楽しそうじゃないわよ」


 うさぎは即座に否定した。


 迷いのない、きっぱりした声だった。


 そのままチラシを机に戻す。


「そんなの出る気ないから」


 みこが固まる。


「え……」


 その顔が、見る見るしょんぼりしていく。


 うさぎは少しだけ視線をそらしながら続けた。


「だいたい、アイドルってなにするのよ」


「歌ったり踊ったり!」


「しないわよ」


「えー!」


 マリーが机に突っ伏した。


「絶対楽しいって!」


「楽しいかどうかじゃないの」


 うさぎは腕を組む。


「わたしたち、駅のお仕事があるでしょ」


 その声は真面目だった。


 ごまかしじゃない。

 ちゃんとした理由でもある。


 でも――

 本当はそれだけじゃないことを、

 マリーはなんとなくわかっていた。


 うさぎは、そういう目立つことが苦手なのだ。


 人前で歌うなんて、きっと想像しただけで恥ずかしい。


 しかも“アイドル”なんて言葉がついてしまったら、なおさら無理に決まっている。


 みこはそれでも諦めなかった。


 そろそろと、うさぎのほうへ近づく。


「……だめ?」


 上目遣い。


 うさぎの視線が、ほんの少しだけ揺れる。


「だめ」


 即答。


 でも、さっきより少しだけ弱い。


 みこがもう一歩近づく。


「一回だけ」


「だめ」


「今回だけ」


「だめ」


「お願い」


 間。


 うさぎは答えない。


 そのかわり、ふいっと視線をそらした。


 その横で、マリーが少しだけ声を落とす。


「うさちゃん」


「なによ」


「みーちゃん、すごくやりたいんだと思う」


 うさぎは何も言わない。


 みこはチラシをぎゅっと握ったまま、小さな声で言う。


「うさ姉さまと一緒がいいの」


 その一言は、さっきまでの元気な“受けたい!”より、ずっと強くうさぎに届いた。


 ただオーディションに出たいだけじゃない。

 ただ楽しそうだからでもない。

 うさぎと一緒にやりたい。

 その気持ちが、まっすぐだった。


 うさぎは小さく息を吐く。


 ほんとうに、ずるい。


 そんなふうに言われたら、きっぱり断ったままでいるのが難しくなる。


 みこちゃんは、たぶんわかってない。


 そういう言い方が、いちばん効くってこと。


「……」


 数秒。


 それから、うさぎは視線をそらしたまま言った。


「……今回だけよ」


 小さな声だった。


 でも、たしかにそう言った。


 みこの顔が、ぱっと明るくなる。


「ほんと!?」


「今回だけ」


 うさぎは指を一本立てる。


「一回だけだからね」


「うん!」


「受かるとか考えない」


「うん!」


「終わったら終わり」


「うん!」


 みこの返事が元気すぎて、うさぎは思わず少しだけ眉をひそめた。


「ほんとにわかってる?」


「わかってる!」


 その横で、マリーが勢いよく立ち上がる。


「よーし!じゃあアタシたちアイドルだ!」


「まだ違うわよ!」


 うさぎが即座につっこむ。


 でも、少しだけ頬が赤い。


 マリーはその変化を見逃さない。


 にやにやしながら、顔をのぞきこむ。


「うさちゃんさぁ」


「なによ」


「ほんとはちょっと楽しみでしょ」


「なわけないでしょ!」


 うさぎは即否定した。


 でも、視線はきれいに逸れている。


 マリーがけらけら笑う。


「その顔その顔」


「どういう顔よ」


「ちょっとだけ、やばいかもって思ってる顔」


「やばいとしか思ってないわよ!」


 うさぎは言い返しながらも、耳まで少し赤くなっていた。


 みこはそんな二人を見て、嬉しそうに言う。


「がんばろうね!」


「……まだ、がんばるって決まったわけじゃないから」


「でも出るんでしょ?」


「出るけど……」


「じゃあ、がんばろうね!」


「……そうね」


 うさぎは小さく言って、それからすぐに言い直す。


「でも今回だけだから」


「うん!」


「ほんとに今回だけ」


「うんうん!」


「なんか、みこちゃん、全然わかってない気がする……」


「わかってるよ!」


 みこは満面の笑みだった。


 その笑顔を見ていると、うさぎはそれ以上強く言えなくなる。


 ずるいなあ、と心の中で思う。


 でも、そんなふうに思いながら、ほんの少しだけ、自分でも不思議な気持ちになっていた。


 恥ずかしいし。

 目立つのは嫌だし。

 歌ったり踊ったりなんて、本当にどうかしてると思う。


 なのに。


 みこちゃんがあんなに嬉しそうで、

 マリーちゃんまでやる気いっぱいでいると、

 その中に自分も立つのだということが、

 少しだけ――ほんの少しだけだけど、

 不安とは別の形で胸に引っかかった。


 たぶん、それは。


 楽しみ、というにはまだ早い、

 もっと小さな何かだった。


 でも、それがまったくのゼロじゃないことに気づいてしまって、うさぎは余計に落ち着かなくなる。


「うさちゃん?」


「なに」


「顔、ちょっとだけ楽しそう」


「気のせい」


 即答だった。


 けれど、今度はマリーだけじゃなく、みこまでくすっと笑った。


「うさ姉さま、かわいい」


「かわいくない」


「かわいいよ」


「かわいくないってば」


 否定しながらも、うさぎの口元はほんの少しだけやわらいでいた。


 午後の駅事務室には、窓からの光と、三人の声がやさしく混ざっている。


 アイドルオーディション。


 そんなもの、自分には似合わないと思う。


 でも――


 今回だけ。


 ほんとうに、今回だけ。


 そう言い聞かせながら、うさぎは机の上のチラシをもう一度だけ見た。

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