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ひとひらびより  作者: 追兎電鉄広報部
はじまりの駅

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19/46

地下通路の入り口


 追兎天神駅の朝は、今日もほどよくにぎやかだった。

 改札を抜ける人。

 ホームへ向かう人。

 売店の前で足を止める人。


 そんな、いつも通りの流れの中で、みこは物置の掃除を任されていた。


「よぉし……!」


 小さく気合いを入れて、雑巾をぎゅっと絞る。

 物置はあまり広くないけれど、ほうきや予備の案内板、古い時刻表の束、脚立、清掃道具なんかがぎゅっと詰めこまれていて、ちょっと油断するとすぐに散らかった感じになってしまう場所だった。

 でも、みこは掃除が好きだ。

 整っていないものがきれいになるのを見ると、なんだか胸の中までしゃんとする。


「こっち拭いて……あっちも拭いて……」


 ぶつぶつ言いながら、みこはせっせと手を動かす。

 今日は少し奥のほうまで、ちゃんとやってしまおうと思った。

 普段はあまり動かさない箱や、壁際に寄せられた古い道具も、今日は端へずらしてみる。


 その時だった。


「……あれ?」


 みこの手が止まる。

 物置のいちばん奥、壁だと思っていた場所に、妙なすき間が見えたのだ。

 埃を払ってみると、そこにはうっすらと取っ手みたいなものがついていた。


「扉?」


 みこは目をぱちぱちさせた。


 壁じゃない。

 扉だ。

 しかも少し古びていて、まるで最初から「ここにあります」とは言わないまま、ずっと息をひそめていたみたいな顔をしている。


 みこの胸が、どきんと鳴った。

 こういうのはよくない。

 いや、正確には、みこにとってはとてもよくない。

 だって、ものすごく気になるから。


「……ちょっとだけ」


 誰に言い訳するでもなく呟いて、みこはそっと取っ手に手をかけた。


 がたっ。


 思ったより軽く、扉は少しだけ開いた。


 その向こうには――下へ続く階段があった。


「わあっ!?」


 みこは思わず一歩下がった。


 暗い。

 ひんやりしている。

 細い階段が、地下へ地下へと続いている。

 しかも、下のほうは真っ暗で、どこまで続いているのか見えない。


「ち、地下通路って本当にあったんだ……!」


 その瞬間、みこの頭の中に少し前の会話がよみがえる。

 非常ボタンの向こうには秘密の地下通路がある――なんて、マリーちゃんが得意げに話していた、あの話だ。

 もちろん、あれは冗談だったはずだ。


 でも。

 地下通路そのものは、本当にあった。


「たいへん」


 みこの目がきらきらし始める。


「たいへんたいへん!」


 もう掃除どころではなかった。

 みこはぱたぱたと物置を飛び出して、駅のほうへ駆けていく。


「うさ姉さまーっ! マリちゃーん!」


 呼ばれた二人は、ちょうど改札の近くにいた。

 マリーが先に振り向く。


「おっ、みーちゃん、どうしたの」

「うさ姉さま! マリちゃん! 大変!」

「えっ、なになに?」


 みこは息を弾ませながら、二人の前でぴたりと止まった。

 頬が少し赤い。

 でも、それは走ったせいだけじゃない。

 興奮している時のみこは、すぐにわかる。


「物置の奥に、怪しい扉があったの!」

「怪しい扉?」


 うさぎが首をかしげる。


「そう! それで、ちょっと開けたらね、地下に続く階段があったの!」

「……地下?」


 マリーの目がぱっと輝いた。


「えっ、それってつまり――」

「地下通路!」


 みこが力いっぱい言う。

 マリーは両手をぱんっと合わせた。


「やっぱりあるんじゃん!」

「あるんだよ!」

「えっ、ほんとに!?」


 二人が同じテンションになっている横で、うさぎだけが少し眉を寄せていた。


「いや、待って。ほんとに?」

「ほんとだよ!」

「暗くて、下まで続いてた!」

「秘密の地下通路だ!」

「秘密の地下通路なの!」


 うさぎはそんな二人を交互に見て、小さくため息をつく。


 嫌な予感がした。


 こういう時のマリーちゃんとみこちゃんは、とても楽しそうだ。

 そして、とても止まらない。

 案の定、マリーはすぐに言った。


「探検に行こう!」

「行こう!」


 みこも即答だった。


 うさぎはぴしっと言う。


「だめ」


 二人がそろってうさぎを見る。


「えーっ」

「どうして?」

「どうしても何も、危ないでしょ」


 うさぎは腕を組んだ。


「地下なんて暗いし、どこにつながってるかわからないし、もし本当に古い通路だったら危ないかもしれないし」

「じゃあ、ちょっとだけ!」


 マリーが言う。


「入口だけ見るとか!」

「そうそう!」


 みこも頷く。


「ちょっとだけなら!」

「そう言って絶対ちょっとだけじゃ済まないよね」


 うさぎがじとっとした目になる。

 でも、内心では少しだけ気になっていた。


 物置の奥の扉。

 地下へ続く階段。

 駅の中にそんなものがあるなんて、たしかに不思議だ。

 ただし、不思議だからこそ危ない気もする。


 うさぎは少しだけ考えて、それから言った。


「……みこちゃんはだめ」

「えっ」

「見つけたのはえらいけど、入るのはだめ」


 みこがしょんぼりした顔になる。


「なんでぇ……」

「なんで、じゃないよ」


 うさぎはやさしく言った。


「何かあったら危ないから。だから――」


 そこで、うさぎは一度マリーを見る。


「わたしとマリーちゃんで見てくる」

「えっ、アタシも入れるの!?」


 マリーの顔がぱっと明るくなる。


「みこちゃん一人じゃ危ないけど、マリーちゃんはいいの?」

「よくはないけど、わたし一人よりはまし」

「どういう意味それ」

「そのままの意味」


 うさぎがきっぱり言うと、マリーは少しだけ口をとがらせた。

 でも、うれしそうなのは隠せていない。

 みこはしょんぼりしたままうさぎを見る。


「わたしは?」

「みこちゃんは、ここで待機」

「待機……」

「見つけて教えてくれたんだから、それだけで十分すごいよ」


 その言い方に、みこは少しだけ持ち直した。


「……じゃあ、隊長たちを待つ隊員になります」

「隊長?」


 うさぎがぴくっとする。

 マリーが得意げに胸を張った。


「そう。今回はアタシとうさちゃんの探検隊」

「勝手に決めないで」

「いいじゃん」

「よくないよ」


 そんなやり取りをしながら、三人は物置へ向かった。


 扉の前に立つと、うさぎは改めてその奥を見下ろした。


 暗い階段。

 下から吹き上がってくる少し冷たい風。

 昼間の駅の中なのに、そこだけ別の場所みたいだった。


「……ほんとにあるんだ」


 うさぎが小さく呟く。

 マリーはすでにわくわくした顔をしていた。


「うわー、すごい。ほんとに地下通路っぽい」

「っぽい、じゃなくて地下通路なんだよ」


 みこが言う。


「だから探検してきてね」

「うん、まかせて!」


 と、マリーは元気よく答える。

 うさぎはその横で、そっと唇を引き結んだ。

 べつに怖いわけじゃない。


 ……たぶん。


 ただ、暗い場所が好きじゃないだけだ。

 それに、こういう“何があるかわからない感じ”が、少し苦手なだけで。


「うさちゃん、行くよ?」


 マリーがもう一歩前へ出ようとする。

 うさぎは思わずその手をつかんだ。


「待って」

「ん?」

「……先、わたしが行く」

「えっ」


 マリーが目を丸くする。


「めずらしい」

「危ないかもしれないから」


 うさぎはそう言って、一歩、階段へ足をかけた。

 

 たしかに暗い。

 埃っぽいにおいもする。

 壁は少しひんやりしていて、足元の音が小さく響く。


「……ほんとに行くんだ」


 自分で言いながら、うさぎは内心で少しだけ後悔していた。

 でも、ここで引き返すのもなんだか悔しい。

 それに、マリーちゃんだけ先に行かせるのはもっと不安だった。

 だから、うさぎは先頭に立つ。


 ただし――


「うさちゃん?」

「な、なに」

「手」


 マリーが小さく笑う。

 うさぎはそこで、自分がマリーの手をしっかり握ったままだったことに気づいた。


「……これは、転んだら危ないから」

「へえ?」

「へえ、じゃないの」

「うさちゃん、もしかして怖――」

「言わないで」


 即答だった。


 マリーは一瞬きょとんとして、それから少しだけやさしく笑った。


「はいはい」


 その声が、なんだか妙に落ち着いた。

 うさぎは少しだけほっとしながら、階段を下りていく。

 後ろから、みこの元気な声が飛んできた。


「うさ姉さまーっ! マリちゃーん! 気をつけてねー!」

「うん!」


 マリーが手を振り返す。

 うさぎは振り返る余裕もなく、ただ前を見ていた。

 

 階段を下りきると、そこには細い通路が続いていた。

 左右はコンクリートの壁。

 ところどころに古い配管のようなものが通っていて、天井も低めだ。

 明かりはかなり弱い。

 ところどころについている小さなランプだけが、ぼんやりと足元を照らしていた。


「うわあ……」


 マリーが感心したように声をもらす。


「ほんとに探検っぽい」

「探検っぽいじゃなくて、さっさと見て戻ろうよ……」


 うさぎは小さな声で言う。


「えー、もうちょっと行こうよ」

「だって、暗いし、埃っぽいし、なんか変な風くるし……」


 ちょうどその時、通路の奥から、ひゅう、と冷たい風が吹き抜けてきた。

 うさぎの肩がびくっと揺れる。

 マリーがその横顔を見て、ちょっとだけ笑いそうになる。


「うさちゃん、ほんとに怖いの?」

「こ、怖くない」

「手、ずっと握ってるけど」

「これは安全確認」

「安全確認なんだ」

「そう」


 でも、声は少しだけ固かった。

 うさぎは通路の奥を見つめた。


 まだ続いている。

 思ったより長い。

 しかも少し先でゆるく曲がっていて、その向こうが見えない。

 見えない、というだけで、なんだか急に心細くなる。


 マリーはそんなうさぎの隣に並んだ。


「じゃあさ」

「なに」

「もうちょっとだけ行って、なにもなかったら戻ろうか」


 うさぎは少し考えて、それからこくんと頷いた。


「……うん」


 二人はさらに少しだけ進む。

 足音が、こつ、こつ、と響く。

 時々、どこかで小さな音がして、そのたびにうさぎの肩がぴくっと動いた。


「もう帰らない?」


 ついに、うさぎが言った。


「まだそんなに進んでないよ?」

「でも、充分見たよ」

「そうかなぁ」

「そうだよ。地下通路があるってことはわかったし、それでいいでしょ」


 うさぎの言い方は、もう完全に“帰りたい人”のそれだった。

 マリーは少しだけ名残惜しそうにしながらも、うなずく。


「わかった。じゃあ今日はここまで」


 その言葉に、うさぎは目に見えてほっとした。


「うん、帰ろう」


 二人はくるりと向きを変える。

 来た道を戻っていく。

 さっきまで前にあった暗さが、今度は後ろから追いかけてくるみたいで、うさぎはまたマリーの手を少し強く握った。


「……早く出よう」

「うん」


 マリーも今度は素直にうなずく。

 しばらく進めば、すぐに階段へ戻れるはずだった。

 あの物置へ続く入口まで戻れば、あとは明るい駅の中だ。


 そう思っていたのに――


「あれ?」


 うさぎが足を止めた。


「どうしたの?」


 マリーも立ち止まる。

 うさぎは、前を見たまま動かない。


「……階段、なくない?」

「え?」


 二人の前には、扉があった。

 古びた金属の扉。

 通路の先に、ぴたりと立ち塞がるようについている。

 でも、うさぎの記憶の中では、ここには物置へ戻る階段があるはずだった。


「ねぇ……」


 うさぎの声が、少しずつ小さくなる。


「行く時に、こんな扉……あった?」


 マリーも前を見つめる。

 少し笑って「あったっけ?」と言おうとして――言えなかった。


「あ……なかった、と思う」


 その一言で、通路の空気がひやりと冷えた気がした。

 来た道を戻ってきたはずだった。


 なのに。


 出口の代わりみたいに、見覚えのない扉がある。

 うさぎの喉が、急にからからになる。


「と、とにかく……開けよう」


 そう言って、うさぎは扉に手をかけた。


 押す。


 動かない。


 引く。


 それでも、開かない。


「あれ……?」


 もう一度、今度は少し力を入れてみる。


 びくともしない。


 マリーも横から手を添える。


「うそ、ほんとに開かない」


 二人で押しても、引いても、扉はぴたりと閉じたままだった。

 その瞬間、うさぎの中で何かがすとんと落ちた。


 開かない。


 ということは――


「……帰れない」


 ぽつりとこぼれたその言葉が、やけに大きく響いた。

 通路の中に、冷たい静けさが落ちてくる。

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