マリーちゃんは、いつものまま
追兎天神駅の朝は、今日もにぎやかだった。
改札を抜けていく人。
ホームへ急ぐ人。
売店の前で立ち止まる人。
そんな流れの中を歩きながら、うさぎはふと小さく首をかしげた。
「……なんでだろう」
「うさ姉さま、どうしたの?」
隣を歩いていたみこが、きょとんとしてうさぎを見上げる。
うさぎは少しだけ考えてから言った。
「マリーちゃんって、なんであんなにみんなに好かれるんだろうって」
ちょうど少し前まで、そのマリーは駅員さんと楽しそうに話していた。
そのあと売店のおばちゃんに手を振って、通りかかった小さい子にも笑いかけて、
今は少し離れたところで同級生らしい子と何か盛り上がっている。
しかも、ただ愛想がいいというだけじゃない。
マリーは時々いたずらもするし、思いつきで動くし、周りを振り回すことも多い。
なのに、なぜか誰も本気では怒らない。
むしろみんな、楽しそうにしている。
「マリーちゃん、うるさいのにね」
うさぎがぽつりと言うと、みこはすぐに首を振った。
「うるさくないよ」
「え?」
「にぎやか」
みこはまじめな顔で言った。
「あと、楽しい」
その返事があまりにも真っ直ぐで、うさぎは少しだけ笑ってしまう。
「いや、たしかにそうなんだけど……」
「マリちゃんの良いところ、教えてってこと?」
「うん、そんな感じ」
みこは腕を組んで、ちょっと考えるような顔をした。
「うーん……」
「うん」
「わかんない」
「わかんないの?」
「でも、一緒にいると楽しいから好き」
あまりにも迷いのない答えだった。
うさぎは思わず目を瞬く。
理屈にはなっていない。
でも、妙に納得してしまう答えでもあった。
「一緒にいると楽しい、か……」
「うん!」
みこは元気よく頷いた。
「マリちゃんと一緒にいると楽しいもん」
「……それは、わかる」
うさぎは小さく息をついた。
でも、それだけじゃない気がするのだ。
楽しいだけなら、みんなにあそこまで好かれるだろうか。
うさぎがそんなことを考えていると、みこがそっと近づいてきた。
「じゃあ、見てみる?」
「え?」
「マリちゃんのこと」
うさぎがきょとんとすると、みこは声をひそめた。
「こっそり」
その言い方が、やけに真剣だった。
うさぎは少しだけ迷った。
でも、たしかに気になる。
マリーちゃんが、どうしてあんなに自然にみんなと話して、みんなが笑うのか。
よく知っているはずなのに、改めて見たことはなかったかもしれない。
「……ちょっとだけなら」
そう言うと、みこの目がきらっとした。
「尾行だね」
「お、おおげさだよ」
「でも尾行っぽい!」
みこはなぜか嬉しそうだった。
こうして、うさぎとみこの小さな尾行が始まった。
とはいえ、始まってすぐに問題が発生した。
マリーはじっとしていない。
あっちへ行ったかと思えば、すぐこっちへ戻る。
立ち話をしていたかと思えば、急に売店のほうへ行く。
そのたびに、うさぎとみこは慌てて柱の陰へ隠れたり、案内板の後ろにしゃがみこんだりすることになった。
「みこちゃん、もっと静かに」
「だ、だいじょうぶ」
「全然だいじょうぶじゃないよ……」
ひそひそ声で言い合いながらも、二人の目はちゃんとマリーを追っている。
でも、見れば見るほど、特別なことはしていないように見えた。
同級生の男の子に、「今日その髪型いいじゃん!」と笑いかける。
売店のおばちゃんに、「この前のパンおいしかったー!」と大きく手を振る。
駅員さんに、「今日忙しそうだね、がんばってー!」と気軽に声をかける。
通りがかった小さい子には、少ししゃがんで「おはよっ」と目線を合わせて笑う。
いつものマリーちゃんだった。
ほんとうに、いつものまま。
「……普通だね」
うさぎがぽつりと呟く。
「うん」
みこもこっそり頷く。
「いつものマリちゃんだね」
うさぎは少し拍子抜けしたような気持ちになった。
もっとこう、誰も知らないすごい一面でもあるのかと思ったのだ。
でも、見えてくるのはただの“いつも通り”だった。
明るくて。
よく笑って。
誰にでも自分から話しかけていくマリー。
でも――
その“いつも通り”を、うさぎは少しずつ違う気持ちで見始めていた。
たとえば、売店のおばちゃんに話しかける時。
マリーは「おはよう!」だけじゃ終わらない。
「今日ちょっと元気ない?」
なんて、さらっと聞く。
おばちゃんが「朝ちょっとバタバタしてね」と笑うと、
「じゃあ今度アタシが元気出る話してあげる!」
と、すぐに返している。
同級生の子に声をかける時もそうだ。
ただ話しかけるだけじゃない。
ちゃんと、その子の変化を見ている。
髪型が違うとか、靴が新しいとか、顔色がいつもより明るいとか。
そういう小さなことにすぐ気づいて、なんでもないみたいに口にする。
言われたほうは、たいてい少し照れた顔をして、それから笑う。
小さい子にだってそうだった。
男の子が改札の前でもじもじしているのを見つけると、マリーはすぐにしゃがみこんで言う。
「その電車のおもちゃ、かっこいいね」
男の子は最初こそびっくりしていたけれど、次の瞬間には得意げにおもちゃを見せていた。
うさぎはその様子を見ながら、胸の中で小さく息をついた。
ああ、そうか。
マリーちゃんって、最初の一歩がぜんぜんこわくないんだ。
相手が誰でも、壁みたいなものを作らない。
だから、相手のほうもつい笑ってしまうのかもしれない。
「マリちゃん、すごいね」
みこが小声で言った。
「うん……」
うさぎも頷く。
「なんか……ちゃんと見てるんだね」
「見てる?」
「うん。元気そうとか、元気なさそうとか、ちょっと変わったところとか」
みこはその言葉を聞いて、少し考える顔をした。
それから、納得したみたいにうなずく。
「だから楽しいんだ」
「え?」
「マリちゃん、みんなの楽しいところ見つけるの上手」
その言い方が、妙にしっくりきた。
楽しいところを見つけるのが上手。
だから、マリーちゃんの近くにいると、みんな少しだけ楽しくなるのかもしれない。
うさぎは柱の陰から、少し離れたところで笑っているマリーを見た。
いたずら好きで。
落ち着きがなくて。
思いついたらすぐ動いて。
時々ほんとうに困ることもある。
でも、その明るさに何度助けられてきただろう。
一緒にいると、自分まで少しだけ前を向ける。
落ち込んでいても、なんだか大丈夫な気がしてくる。
昔から、そうだった。
うさぎは自分でも気づかないうちに、小さく笑っていた。
そっか。
マリーちゃんって、すごいんだ。
そして――
そんなマリーちゃんだから、私も好きなんだ。
その気持ちが胸の中にすとんと落ちて、うさぎは少しだけ照れくさくなる。
その時だった。
少し離れたところにいたはずのマリーが、くるっとこちらを振り向いた。
「みーちゃん」
「えっ」
「うさちゃんも」
うさぎの肩がびくっと跳ねる。
マリーはにこにこしたまま、大きく手を振った。
「二人とも、隠れてないでこっち来なよー」
うさぎとみこは固まった。
ばれてる。
完全に、ばれている。
「えっ、えっ」
みこがうろうろと辺りを見回す。
でももう、隠れる意味はない。
うさぎは観念したように小さく息をついた。
「……いつから気づいてたの?」
近づきながら聞くと、マリーはやたら得意げに笑った。
「ずっと前から」
「ずっと!?」
「うん。だってアタシは何でも知っているんだよ」
ちょっとえらそうに胸を張る。
その顔がいかにもマリーちゃんらしくて、うさぎは呆れながらも笑ってしまう。
「絶対うそでしょ」
「うそじゃないもん」
「じゃあ、わたしたちが何してたかわかってたの?」
「なんとなく」
「なんとなくなんだ……」
みこはもう尾行のことなんて半分忘れている顔で、マリーの手元を見ていた。
「それ、なに?」
マリーの手には、小さな包みがあった。
「さっき売店のおばちゃんにもらったお菓子」
「お菓子!」
みこの目がぱっと輝く。
マリーは笑って包みを開けた。
「二人とも、もらったお菓子食べない?」
うさぎは思わず目を瞬く。
尾行がばれたことを怒るでもなく、どうしてついてきたのか聞くでもなく、最初に出てくるのがそれなんだ、と思った。
でも、そういうところもやっぱりマリーちゃんらしかった。
「……いいの?」
うさぎが聞くと、マリーはあっさりうなずく。
「いいよ。三つもあるし」
「マリちゃん、このお菓子おいしい?」
「たぶんおいしい!」
「たぶんなんだ」
みこはもうすっかり嬉しそうだった。
さっきまで尾行していたことも、ちょっと恥ずかしかったことも、半分くらい忘れている顔である。
包みを受け取ってひとくち食べると、すぐに目をきらきらさせた。
「マリちゃん、このお菓子おいしい」
「でしょー?」
「うん!」
みこが幸せそうに頷く。
うさぎも小さく笑って、自分の分を口に入れた。
たしかにおいしかった。
甘さはやさしくて、どこかほっとする味がした。
「それで?」
マリーがにやっとしながら聞いてくる。
「二人でアタシのこと見て、なにかわかった?」
うさぎは少しだけ言葉に詰まった。
でも、隠すのも変な気がして、正直に言う。
「……やっぱりマリーちゃんって、すごいなって思った」
「えっ」
今度はマリーのほうがきょとんとする。
「意外なことは、特になかったけど」
「ひどい!」
「でも」
うさぎは少しだけ笑った。
「いつものマリーちゃんが、みんなを笑わせてるんだなって、ちゃんと見てわかった」
マリーはその言葉を聞いて、ほんの少しだけ黙った。
それから、少し照れくさそうに鼻の頭を指でこする。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ、見られてたのも悪くなかったかも」
「最初から知ってたくせに」
「えへへ」
みこはその横で、もう二口目を食べていた。
「マリちゃん、またこれもらえないかな」
「みーちゃん、話聞いてた?」
「聞いてたよ。マリちゃん、すごい」
「適当に言ったでしょ」
そのやりとりに、うさぎはとうとう吹き出してしまう。
やっぱり、マリーちゃんのまわりには笑いがある。
特別なことをしているわけじゃない。
でも、気づけば誰かが笑っていて、その中に自分もいる。
追兎天神駅の朝は、今日もやわらかくにぎやかだ。
その真ん中で笑っている金髪の少女は、やっぱり特別なことなんてしていない顔をしていた。
でもきっと、そういう子だから、みんなが好きになるのだ。
そして、うさぎも。
ずっと前から、ちゃんと知っていたのだと思う。




