終電のあとの駅で
追兎天神駅の夜は、終電が行ってしまうと急に静かになる。
ついさっきまで人の気配が残っていたホームも、今はもう、蛍光灯の白い光と、遠くに消えていくレールの余韻だけだった。
駅長は改札の外を見つめたまま、小さく息をつく。
さっきまでそこにいた三人の姿は、もう見えない。
うさぎとマリーが、眠ってしまったみこを家まで送っていったのだ。
「……無事でよかったですね」
後ろから声がした。
振り向くと、若い駅員が記録簿を抱えながら立っていた。
「ええ。本当に」
駅長は静かにうなずく。
それから事務所の中へ戻り、いつもの机に腰を下ろした。
駅員も向かいの席へ座る。
記録簿を開く音。
ペン先のかすかな音。
駅の一日が、ようやく終わっていく。
でも今夜は、いつもより少しだけ長く感じた。
「みこちゃん、ずいぶんがんばってたんですね」
駅員が書類を見ながら言う。
「美久宮駅までは、ちゃんと行けてたんですもんね」
「ええ」
駅長は頷く。
「書類も、きちんと届けていたそうです」
そこまでは、立派だった。
本当に立派だった。
だからこそ、そのあとのことが胸に引っかかる。
知らない駅で、どれだけ不安だっただろう。
誰かに聞けばよかったのに、それができなかった。
その小さな背中を思い浮かべて、駅長は少しだけ目を伏せた。
「まじめなんですよね、あの子」
駅員がぽつりと言う。
「まじめすぎるくらいに」
「そうですね」
駅長は少しだけ笑った。
「任されたことを、ちゃんとやろうとする子です」
「うさぎちゃんも、そういうところありますよね」
「ああ」
その名前が出ると、駅長の声も少しやわらかくなる。
「うさぎちゃんは、責任感が強いですからね」
言われた仕事をきちんと覚える。
相手の様子をよく見て動く。
困っている人がいたら放っておけない。
まだ高校生なのに、時々こちらが驚くくらいしっかりしている。
でも――
「しっかりしすぎて、抱え込む時もありそうですけどね」
駅員がそう言うと、駅長は静かにうなずいた。
「ええ。あの子は、自分でなんとかしようとしすぎるところがあります」
それでも今日、みこを迎えに行くと決めた時のうさぎの顔は、迷いがなかった。
ためらいなく立ち上がって、まっすぐ「迎えに行こう」と言った。
ああいう子がいると、まわりも自然に前を向けるのだろう。
「マリーちゃんも、なんだかんだで頼りになりますしね」
その言葉に、駅長は少しだけ苦笑した。
「本当に困った子ですよ」
「またそんなこと言って」
駅員が笑う。
「でも駅長、あの子の笑顔には弱いでしょ」
「……否定はしません」
「やっぱり」
駅長は記録簿に目を落としたまま、小さく息をついた。
マリーは本当に困った子だ。
思いつきで動く。
余計なこともする。
時々、こちらの予定までひっくり返してくる。
それなのに、なぜか本気で怒りきれない。
明るくて。
人なつっこくて。
こちらが構える前に、もう笑っている。
あの子がいると、駅の空気が少し軽くなるのはたしかだった。
「三人、ほんとにバランスがいいですよね」
駅員が言う。
「マリーちゃんが動いて、うさぎちゃんが整えて、みこちゃんが一生懸命ついていく感じ」
「そうですね」
駅長も自然にうなずいた。
不思議な三人だと思う。
しっかり者のうさぎ。
明るさの塊みたいなマリー。
まっすぐで、まだ危なっかしいみこ。
タイプはぜんぜん違うのに、三人でいると妙にちゃんとかみ合って見える。
駅員は記録を書き込みながら、ふと口を開いた。
「でも、地域貢献科の子たちって、今まであんまり続かなかったですよね」
その言葉に、事務所の空気が少しだけ静かになる。
駅長は、ペンを持つ手を止めた。
「ええ」
短く答える。
地域貢献科。
名前だけ見れば立派だし、聞こえもいい。
でも実際は、地味で、細かくて、気を配ることばかりの仕事だ。
誰かと向き合うことも多い。
責任もある。
思っていたのと違った、と離れていく子は少なくなかった。
最初は興味を持っても、続ける前にいなくなってしまう。
そんなことが何度もあった。
「だから先輩もいないんですね」
駅員がぽつりと言う。
「ええ。今の三人より上で残っている子は、いませんから」
言葉にすると少し寂しい事実だった。
でも、だからこそ今の三人は特別に見える。
「辞めないでほしいですね」
駅員のその一言に、駅長は顔を上げた。
「……ええ」
それは本音だった。
うさぎたちには、続けてほしい。
できれば、楽しいだけじゃないこの仕事の良さも知ってほしい。
誰かの役に立つことの重さも、やさしさも。
そして、この駅で過ごす時間を、好きになってほしい。
「きっと、大丈夫ですよ」
駅員が笑う。
「今日のことがあっても、あの子たち、たぶん明日も来ます」
その言い方に、駅長も少しだけ笑った。
たしかにそうだ。
落ち込むことはあるだろう。
失敗もするだろう。
でも、あの三人は、そこで終わるような子たちではない気がする。
「……そうですね」
駅長は頷いた。
「彼女たちは、ちゃんと前を向ける子たちです」
それから、少しだけ間を置いて続ける。
「だから私たちも、できるだけ支えてあげたいですね」
駅員が、うれしそうに「はい」と返す。
「応援してあげましょう」
終電のあとの駅は静かだった。
けれどその静けさは、冷たいものではない。
一日が終わったあとの、やわらかな静けさだ。
記録簿に今日の出来事を書き込みながら、駅長は改札の向こうを思い浮かべる。
明日になれば、またあの三人の声が聞こえるだろう。
マリーが笑って。
みこが元気いっぱいに挨拶して。
うさぎが少し困った顔をしながら、それでもちゃんと隣にいる。
その光景を思うと、不思議と胸の奥があたたかくなった。
追兎天神駅の一日は終わる。
けれど、あの子たちの物語は、まだ始まったばかりだ。




