その声、駅の中に響いてます
追兎天神駅の朝は、今日もほどよくにぎやかだった。
改札を抜けていく人。
ホームへ向かう人。
売店の前で足を止める人。
そんな駅のいつもの流れの中で、みこは今日もぴしっと背筋を伸ばして立っていた。
制服よし。
赤いリボンよし。
姿勢も、たぶんよし。
やる気は、もちろんたっぷりだ。
「よぉし……今日もがんばるぞ……!」
小さく気合いを入れた、その時だった。
駅の構内に、落ち着いたアナウンスが流れる。
『まもなく一番のりばに電車がまいります。白線の内側までお下がりください』
みこの耳がぴくっと動いた。
流れていく声を、きらきらした目で見送る。
「……かっこいい」
ぽつりと呟く。
ちょうどその近くを通りかかったマリーが、「ん?」と振り向いた。
「どうしたの、みーちゃん」
「あのね」
みこはマリーのほうへ向き直る。
「駅のアナウンス、かっこいいなって思って」
「おおー」
マリーがすぐに乗ってくる。
「たしかに駅員さんっぽい!」
「うん!」
みこは大きく頷いた。
「わたしも、あれやってみたい!」
その言葉に、マリーの顔がぱっと明るくなる。
「いいじゃん!」
「でも、うさ姉さまに聞いてからのほうがいいかな……」
みこは少しだけ周りを見回した。
でも、そのうさぎは今、駅長さんに頼まれて売店の奥へ行っているところだった。
すぐには戻ってこなさそうだ。
マリーがにやっと笑う。
「べつに、ちょっと練習するだけならいいんじゃない?」
「れ、練習……!」
みこの目がまた輝く。
「マリーちゃん、教えられるの?」
「もちろん!」
マリーは胸を張った。
その自信がどこから来るのかはよくわからないけれど、みこにはとても頼もしく見えた。
「アタシ、アナウンスの才能あると思うんだよね」
「ほんとに?」
「たぶん!」
「たぶんなんだ……」
ちょっとだけ不安になったけれど、やってみたい気持ちのほうが強かった。
みこはマリーに連れられて、駅員さんが構内放送を入れる小さなスペースへ向かう。
そこにはマイクと、簡単な放送設備が並んでいた。
「わあ……」
みこは思わず小さく息をのむ。
マイクの前に立つだけで、なんだかすごいことをする人になったみたいな気分になる。
「じゃあまずは基本からね!」
マリーが得意げに言う。
「基本?」
「うん。アナウンスは、まずそれっぽさが大事!」
「それっぽさ」
「そう。“まもなく〜”って感じ!」
マリーはすっとマイクの前に立った。
やけに堂々としている。
「では見本を見せます」
「はいっ!」
みこはぴしっと背筋を伸ばした。
その時だった。
ホームのほうで、少しざわつく気配がした。
駅員さんの一人が、早足で通り過ぎていく。
「ん?」
マリーがそちらを見る。
すぐあとに、別の駅員さんの声が聞こえた。
「車両点検で、少し遅れるみたいです!」
「あっ」
みこが目を丸くする。
どうやら電車に小さな故障があったらしい。
大きな事故ではないようだけれど、いつもの時間通りには来なくなったみたいだった。
「え、じゃあアナウンスいるやつじゃない!?」
マリーがきらっと目を輝かせる。
「ほんとだ……!」
みこもどきどきしてくる。
練習どころじゃない。
もしかして、本当にアナウンスが必要な場面なのかもしれない。
もちろん、正式には駅員さんがやるべきことだ。
でも、今はみんな少し忙しそうに見える。
マリーはみこにぐっと顔を寄せた。
「みーちゃん、チャンスだよ」
「チャンス!?」
「うん。こういう時こそアナウンスっぽいことを言うんだよ!」
「で、でも……」
「だいじょーぶ!」
マリーは勢いよく親指を立てた。
「アタシが教えるから!」
その勢いに押されて、みこはこくんと頷いてしまう。
「じゃ、じゃあ……!」
マリーは小声で、でもやたら自信満々に説明し始めた。
「まずね、お客さんは今ちょっと困ってるわけ」
「うん」
「だから、安心することを言えばいいの」
「安心すること……」
「そう。たとえば……“電車さん、ちょっと寝坊してます!”とか」
「ね、寝坊」
「かわいくない?」
「かわいい……けど」
みこは少し迷った。
でもマリーは本気の顔だ。
「それでね、“もうちょっとで起きると思うので、のんびり待っててください!”って続けるの」
「のんびり……」
「優しい感じで!」
「や、優しい感じ……!」
みこは一生懸命うなずく。
その頃には、ホームのほうでも少しずつ「まだかな」という空気が広がり始めていた。
マリーはマイクをみこの前へ押し出す。
「よし、いってみよ!」
「は、はい!」
みこは緊張しながらマイクを握った。
心臓がどきどきする。
でも、ちょっとだけわくわくもする。
だってこれは、駅のお仕事みたいなことだから。
みこは小さく息を吸った。
そして――
「え、えーっと……ただいま、でんしゃさんが……ちょ、ちょっと寝坊してます……!」
構内に、みこの声が流れた。
ホームのざわめきが、一瞬だけ止まる。
マリーは横で満足そうにうんうん頷いている。
「いいよ、いいよ! その調子!」
みこは続ける。
「も、もうちょっとで起きると、お、おもうので……のんびり待っててください……!」
言い切った。
みこは自分でびっくりするくらい緊張して、顔が真っ赤だった。
でもマリーは拍手までしている。
「上手!」
「ほ、ほんと!?」
「ほんとほんと!」
その時だった。
「だ、だめぇぇぇぇぇっ!?」
扉を開けて、うさぎが飛び込んできた。
「みこちゃん、それ違うから! 全然ちがうからね!?」
「う、うさ姉さまっ」
「マリーちゃん、なに教えてるの!?」
「えっ、安心する言い方を……」
「安心はするかもしれないけど、駅のアナウンスとしてはだめだよぉ!」
うさぎは慌ててみことマリーの間に入る。
みこは目をぱちぱちさせた。
「ね、寝坊じゃなかったの?」
「電車さんじゃないよ! 車両点検!」
「そ、そっか……!」
「“のんびり待っててください”もだめ!」
「やさしいかなと思って……」
「やさしいけど、そういう問題じゃないの!」
うさぎはそこで、はっとした。
みこもマリーも、同時にうさぎを見る。
三人とも、ようやく気づいた。
マイクのランプが、まだ赤く光っている。
「あ」
「……あれ?」
「……うそ」
今のやりとり、全部。
そのまま駅の中に流れていた。
ホームのほうから、少し遅れてざわざわした空気が届く。
でも、それは不満のざわめきではなかった。
くすっと笑いをこらえるような空気。
思わず顔を見合わせてしまったような、やわらかいざわめきだった。
マリーが小声で言う。
「……流れてたね」
「流れてたねじゃないよぉ……!」
うさぎが頭を抱える。
みこは顔を真っ赤にして、その場で固まっていた。
「わ、わたし……寝坊って言っちゃった……」
「みこちゃんは悪くないよ! たぶん半分くらいはマリーちゃん!」
「半分なんだ」
「八割くらい!」
「増えた!」
その時、ホームのほうから戻ってきた駅員さんが、苦笑しながら言った。
「お客さん、ちょっと和んでましたよ」
うさぎが「うぅ……」と小さくうなる。
和んだのはよかったのかもしれない。
でも、駅の放送としては完全に失敗だ。
そこへ、さらに奥からゆっくりと足音が近づいてきた。
駅長だった。
三人がそろってぴしっと固まる。
駅長はしばらく無言で三人を見ていた。
みこはごくりとつばを飲み込む。
マリーもさすがにちょっと気まずそうだ。
うさぎは完全に観念した顔をしている。
やがて駅長は、静かに口を開いた。
「……構内放送で遊んではいけません」
「はい……」
三人の声がきれいにそろった。
「それから、案内は正確に」
「はい……」
「寝坊、は少しおもしろかったけどね」
「えっ」
みこが思わず顔を上げる。
駅長はすぐに真面目な顔へ戻った。
「でも、だめなものはだめです」
「はいっ!」
今度はさっきより大きな返事になった。
駅長は小さくため息をつき、それから少しだけ口元をやわらげた。
「次にやる時は、ちゃんと練習してからにしよう」
その言葉に、みこはぱちぱちと瞬きをする。
怒られた。
でも、もう二度とだめとは言われなかった。
「……はい」
今度の返事は、ちょっとだけ嬉しそうだった。
駅長が去っていくと、三人はその場で顔を見合わせた。
最初に口を開いたのはマリーだった。
「いやー、惜しかったね」
「惜しくないよ!」
うさぎがすぐにつっこむ。
「どこが惜しいの!?」
「みーちゃんの声はすごく可愛かったし」
「そ、そこじゃないよぉ……」
みこはまだ少し赤い顔のまま、マイクを見つめた。
「でも……」
「うん?」
「ちょっとだけ、ほんとに駅員さんみたいで、うれしかった」
その言葉に、うさぎの表情が少しやわらぐ。
マリーも、へへっと笑った。
「じゃあ今度はちゃんとしたの覚えようよ」
「うん!」
みこは今度こそ、まっすぐ頷いた。
「次は、ちゃんと寝坊って言わないようにする!」
「そこじゃないかなぁ……」
うさぎは思わずため息をつく。
でも、口元は少しだけ笑っていた。
追兎天神駅の朝は、今日もにぎやかだ。
予定通りじゃないこともある。
ちょっとした故障もある。
思わぬ放送事故だって起こる。
それでも、その中で誰かが少しだけ笑えて、気持ちがやわらぐ瞬間があるなら。
きっとそれも、この駅らしいやさしさのひとつなのだろう。




