わたくしを壁に立たせて浮気を繰り返した貴方と再び婚約なんて考えられませんわ。
クラウディーヌ・アルド公爵令嬢は大人しい令嬢だ。茶髪に緑の瞳で、夜会でも控えめに壁に立っているしか出来ない令嬢だ。
婚約者のフィリップ第二王子が、色々な令嬢とダンスを踊っても、クラウディーヌを馬鹿にしてないがしろにしていても何も言う事が出来ない令嬢だ。
フィリップ第二王子は金髪碧眼でとても美しい。
夜会の主催者であるリッテル大公が、クラウディーヌに気を使って、
「アルド公爵令嬢。飲み物は如何かな?」
リッテル大公は王弟で、歳は30歳。クラウディーヌ18歳より、かなり年上だ。
リッテル大公もフィリップ第二王子に似ていて、金髪碧眼の美男だ。
彼はにこやかに微笑んで、
「せっかくの夜会なのだから、楽しまないと」
「有難うございます」
真っ赤な色をしたグラスに入った飲み物を貰って、一口飲んだ。
甘くてそれでいてすっきりしていて美味しい。
リッテル大公は、クラウディーヌに、
「君はあんな男にはもったいない。我が領地と君の所の領地は隣り合っている。私達が結婚すれば、領地は倍増。丁度いいのではないのか」
リッテル大公は強かな男だ。
いまだ結婚していない。
しかし、女性関係もそれなりに付き合っていると噂されていた。
クラウディーヌはにこやかに、
「父に相談してみませんと、国王陛下と父が了承したらですわね。わたくしは今は、フィリップ第二王子殿下の婚約者ですので」
「確かにそうだな」
大人しいといっても自分は公爵家の娘だ。
言うべきことはしっかり言わないといけないわ。
クラウディーヌは耳元でリンという音を聞いた。
いつもは気が小さいのに、何故かしら。
何だか口が滑らかに動くわ。
「リッテル大公。わたくし聞いておりますのよ。色々な女性を伴って夜会に出席されていらっしゃると。わたくしも以前、お見掛け致しましたわ。綺麗な方と同伴で夜会に出席されているのを」
扇を手にリッテル大公に向かってにこやかに微笑めば、リッテル大公は、
「それは私だっていい年だからね。多少の女性関係はある。だが、それと結婚は別だ。アルド公爵家とリッテル大公家と結びつけば領地は倍増する。なぁに。アルド公爵家の名を残したければ子が出来た時に、爵位と共に継がせればいい」
「野心家ですのね。でも、貴方とわたくしの婚約は国王陛下がお許しにならないでしょう。これ以上、リッテル大公家の力を大きくすることを望みませんもの。失礼致しますわ」
そう言うと、リッテル大公から、離れて、令嬢達と話をしているフィリップ第二王子の方へ出向いて、
「フィリップ様。貴方、うちに婿に来ると聞いておりますけれども。それから、貴方達、確かアリー伯爵家の令嬢と、ルイド男爵家の令嬢ね。フィリップ様とお付き合いしているとわたくし、知っておりましてよ」
二人の令嬢は青くなった。
フィリップ第二王子はクラウディーヌに、
「少しくらい、遊んだっていいじゃないか。君は美人ではないのだし。私は美人と付き合いたいんだ」
「そう。それなら、貴方は種だけもらえればよいのですもの。公爵家に来たら、離れに閉じ込めておきましょうか」
「なんだ???私を離れに閉じ込めるとは」
「結婚後も女性関係が派手だったら嫌ですもの。わたくし以外の女性と子を儲けて、わたくしの子として育てろだなんて言われたらたまりませんわ。我が公爵家の血を引かない子を。貴方はそう言うのに決まっていますわ」
フィリップ第二王子は黙り込んだ。
だから、はっきり言ってやった。
「婿に来るなら婿に来るらしく、わたくしを大事にしなさい」
耳元でリンと鈴が鳴った。
ふっと我に返る。わたくしったら何を強気に。種だなんて言ってしまったわ。
はずかしい。
慌てて、壁際に走って行き、いつもの通り、立つ。
何が起きているのか解らない。でも、言ってやってすっきりした。
家に帰ると、異母妹マリーアがいつもの通り現れて、
「お姉様。相変わらず壁際に立っていたんじゃなくて。お姉様は美人じゃないからフィリップ様が浮気をするのよ」
と、馬鹿にしてきた。金髪碧眼のマリーアは美人だ。
いつもなら言い返せない。涙を浮かべて自分の部屋に籠るだけだ。
でも、また耳元でリンという音がした。
「そうね。でも、フィリップ様は種だけもらえば後は用がないから、結婚したら離れに監禁して閉じこもって貰うわ。必要な時だけ接触すればよいのですもの。それから貴方。貴方とお父様とお義母様はわたくしが結婚したら出ていってもらいます」
「ええ?どうしてなんでよ」
「父は入り婿なの。アルド公爵家の血を引いているのはわたくしなのよ。だから出て行って貰います。貴方なんてこの家の血を一滴も引いていないじゃない」
「えええっ???そうなの??」
「知らなかったのかしら。ともかく出て行って貰います。それから、わたくしをないがしろにしている使用人。その人たちも紹介状無しで首にして入れ替えますから」
義妹のマリーアは慌てたように、
「お姉様、どうしてしまったのっ。いつもなら、涙を流して部屋に行くのに」
「そう?わたくしは当然の事を言っているまでよ」
マリーアは母の公爵夫人の所へ行ってしまった。
リンと耳元で音がして、クラウディーヌは慌てたように、
「あらやだわ。わたくし、とんでもない事を言ったような。何でこんな強気な発言をしているのかしら」
父であるアルド公爵と義母の公爵夫人が怒鳴り込んできた。
「私を追い出すだって?誰がここまで育ててやったんだ」
公爵夫人も、
「そうよ。わたくしを追い出すなんて」
二人してキイキイ言って来た。クラウディーヌは怖くなって震えた。
どうしよう。謝った方がいいのかしら。
頭の中で、声が響いた。
(謝る必要なんてないわ。貴方がしっかりしないと。いい事。貴方にはわたくしがついている。しっかりと二人に対して対応しなさい)
二人に言ってやった。
「住むところぐらいは用意して差し上げます。これからのアルド公爵家に貴方達はいらないわ。わたくしが結婚したら出て行って貰いますから」
とはっきり言ってやった。
今まで義妹のマリーアばかり可愛がって、自分がおとなしいからと、ないがしろにされてきた。
これからは違うわ。わたくしは言いたい事はしっかりと言って、強く生きてみせる。
その日から、大人しかったクラウディーヌの性格が変わった。
夜会に出かけて、フィリップ第二王子が他の令嬢と一緒にいると、近くに行き、
「まだ懲りないみたいね。貴方の婚約者はこのわたくし。ダンスを最初に踊る権利があるわ」
フィリップ第二王子は、
「私に向かって指図をするのか?」
「当然ではなくて?貴方はうちに入り婿に来るのです。わたくしを大事にしなくてどうするのです」
「クラウディーヌ。お前がそんなに気が強い女だとは知らなかった」
リッテル大公がやってきた。
クラウディーヌの手の甲に口づけを落として、
「ダンスを共に。クラウディーヌ嬢」
「わたくしの最初のダンスの相手はフィリップ第二王子殿下です。婚約者なのですから」
手を差し出して、
「さぁフィリップ様。わたくしとダンスを」
「何だか、急にクラウディーヌが美しく見えてきた」
今まで何をするのにも怖かった。いつも美人でないから、地味だからと遠慮してきた。
あの声が頭に響いた時から、世の中がぱぁっと明るく見えて、凄く楽しい。
フィリップ第二王子とダンスを踊る。
フィリップ第二王子は、
「クラウディーヌがこんなに魅力的だとは思わなかった。君との生活が楽しみだ」
だなんて言い出した。
でも、クラウディーヌは思う。
この男は今まで散々、浮気をしてきた。
クラウディーヌを馬鹿にしてきた。
「そうですの。わたくしは王家の血を引く貴方の種さえ頂ければ用はないわ」
許さない。許さないわ。
貴方はわたくしの婚約者なのよ。
もっと前から、わたくしを大事にしてくれればいいじゃない。
急に、わたくしの事を魅力的だなんて。
クラウディーヌは頭が痛くなった。
わたくしはこんなに強くない。
わたくしに取り憑いているのは誰?
わたくしは怖いの。怖くて怖くて。
貴族の社会は本当に怖い。
家でも両親はわたくしを馬鹿にしていたわ。妹だって馬鹿にしていて。
怖い怖い怖い。
急に怖くなって、床にしゃがみこんだ。
リッテル大公が背に手を添えて、
「大丈夫か?休憩室に運ぼうか?」
「触らないでっ」
頭の中で声がする。
(しっかりしなさい。ここでくじけては駄目よ)
ぱぁっと光景が広がった。
亡くなった母がゆりかごで眠る二人の赤子を見つめている。
ああ、あれはわたくしともう一人は誰?
「ファデリーヌ、クラウディーヌ。可愛いわたくしの娘達。長く生きられなくてごめんなさい。貴方達は沢山生きて幸せになるのよ」
母がそう言って赤子達に微笑んで、
ああ、そうだった。わたくしには双子の姉がいたんだわ。ファデリーヌ。
貴方はどうしてわたくしの傍にいないの?
いつの間にかいなくなってしまった姉ファデリーヌ。
きっと病でファデリーヌも亡くなったんだわ。
小さい時に。
それじゃ今、わたくしに語り掛けているのは。
(クラウディーヌ。わたくしよ。貴方の傍にずっといたの。しっかりしなさい。この世は地獄。その地獄を見据えて頑張って生きるの。辛い事も多いけれども生きていれば楽しい事も沢山あるわ。羨ましい。わたくしは何も経験出来ない。ただただ、貴方のことを見守っていることしか出来ない。貴方を見ているとイライラするわ。強く生きなさい。いいこと?クラウディーヌ)
そうね。強く生きないと。わたくしはアルド公爵家を継ぐのだから。
震えて泣いている訳にはいかない。
「有難うございます。フィリップ様。リッテル大公殿下。わたくしは大丈夫ですわ」
背筋を伸ばす。
リッテル大公に手を差し出して、
「ダンスを踊って下さいます?リッテル大公殿下」
「大丈夫か。私としては大歓迎だ」
リッテル大公は優しくリードしてくれた。
とても踊りやすい。見つめる笑顔に胸がドキドキする。
どうしてなんで?わたくしは胸がときめいているの。
リッテル大公に言われた。
「フィリップは浮気者だ。婚約破棄をして、私を選んだ方がいい」
「貴方も浮気者ですわ」
「だって、今の私はまだフリーだ。でも、君が婚約者になったのなら、誠実に君だけを大事にするよ。婿入りではなく、領地の合併だな。君が大公家に嫁入りする形になる。一時的にアルド公爵領は預かる形になる。子を二人以上産んで、それぞれに継がせればいい」
「わたくしを騙したりしたら、わたくしは貴方の事を」
「これがおとなしかった令嬢とは思えないな。君は誰だ?」
耳元でリンリンと音が鳴っている。
ファデリーヌ。貴方なのね。貴方がわたくしの心をぐいぐいと引っ張っているのね。
(もっと強く生きなければ駄目よ)
リッテル大公に向かってはっきりと言う。
「解ったわ。貴方が協力して下さるのなら、フィリップ第二王子殿下との婚約破棄を致しましょう」
「証拠を集めないと。任せておいてくれ」
しかし、フィリップ第二王子の態度がその日以来、急に改まった。
今まで付き合って来た女性達との手を切ったのだ。
クラウディーヌに付き纏うようになった。
「最近の君は凛としていて美しい。私は君に惚れてしまったよ」
そう言って、赤い薔薇の花束を持って来るのだ。
散々、違う令嬢と踊る姿を夜会の会場で見ていた。
壁際からその姿をずっと見てきた。
凛としている姿が美しい?最近のわたくしがハキハキと物を言うから。
貴方が見ているのはわたくしではない。きっとわたくしの中にいるファデリーヌだ。
本当のわたくしは何も変わってはいない。
怖くて怖くて仕方がない。気が弱い女の子なのよ。
俯いて、薔薇の花を押し返す。
「わ、わたくしは、貴方と婚約破棄をしたいと」
「何だって?確かに過去の私は悪かった。地味な君を嫌って大事にしてこなかった。でも、今の君はとても堂々としていて美しい。私は君と結婚したい」
「婚約破棄しま…す」
「何だって?」
何でこういう時にファデリーヌが出てこないの。
怖くて怖くて怖くて。
でも、しっかりしないと。
背筋を伸ばして相手を見つめて、
「婚約破棄をします。貴方と。わたくしは近いうちに王宮に伺います。貴方が過去にしていた不貞の証拠を取り揃えて」
「私が惚れ直したと言っているんだ。感謝こそすれ、婚約破棄とは何事だ」
「貴方なんて種さえいらないわ。わたくしは貴方なんて大嫌い。どうか、婚約破棄を受け入れて下さいませ。慰謝料なんていりません。ともかく婚約破棄を受け入れて下さいませ」
そこへリッテル大公が現れた。
「私と婚約を結ぶ事になった。兄上も了承した」
フィリップ第二王子が喚く。
「父上がお前とこの女との婚約を了承するはずないじゃないか」
「兄上の弱みをささやいたら、承諾してくれたよ」
クラウディーヌは、この男は怖いと思った。
でも、味方にしたら頼もしいと。
リッテル大公は改めて、
「私と婚約して欲しい。クラウディーヌ。君を不幸にはしないよ」
リンと耳元で音がして、ファデリーヌの声がした。
(受け入れなさい。貴方を守ってくれるわ)
野心家だけど、とても綺麗な瞳。
背筋を伸ばして顔を上げて、
「承知致しました。婚約を致しましょう。貴方の事を信じてみることに致します」
「有難う。女性関係は全て清算した。私は君だけを愛する事にしよう」
リッテル大公を信じることにした。
フィリップ第二王子の浮気の証拠が集まったので、婚約破棄が認められて、慰謝料を国王陛下が払ってくれた。
そして、リッテル大公と改めて婚約が結ばれた。
リッテル大公はクラウディーヌの手を握って、
「君を守るよ。クラウディーヌ。愛しているよ」
と言って口づけしてくれた。クラウディーヌもリッテル大公の事がとても愛しく感じた。
アルド公爵家にリッテル大公家の息がかかった人が入り込み、色々と準備が終わった。
両親と妹を領地の片隅にある屋敷に追い出した。
三人は馬車に押し込められるときに、散々喚き散らして、
「誰が育ててやったと思っているんだ」
「わたくし達をこのような目に遭わせて酷いわ」
「お姉様。私は嫌よ。田舎になんて行きたくない」
とか言っていたけれどもしっかりと領地の片隅にある小さな屋敷に馬車で送り届けた。
まぁ三か月は生きられるだけの物資は置いてあるので、後はなんとかするしかないが。
もし、性懲りもなくこちらに戻って来るようなら、再び押し込めるまでである。
フィリップ第二王子が付き纏った。
「私と婚約をもう一回、結んでくれ。君の家程、条件のいい家はない。私が悪かった。それに今のクラウディーヌはとても綺麗だ」
クラウディーヌは、
「わたくしを壁に立たせて浮気を繰り返した貴方と再び婚約なんて考えられませんわ。それにわたくしは今、リッテル大公殿下と婚約を結んでおります。リッテル大公殿下は私の事をとても大切にして下さいますわ。貴方と大違い。わたくしはリッテル大公殿下と結婚するわ」
はっきりと言ってやった。
もう耳元でリンと言う音は鳴らなかった。
自分の意志ではっきりと言ってやったのだ。
フィリップ第二王子が、
「お前のせいで、私はっ」
と掴みかかろうとしたら、リッテル大公が、
「私の婚約者に害を与えるとは許せないな」
と、手首を捕まえて床にねじ伏せてくれた。
そこへ、やけにガタイの良い王宮の警備兵が、
「我々が連行致します」
「さぁ、フィリップ様、参りますぞ」
と、フィリップ第二王子を連れて行った。
そして、その日から彼は行方不明になった。
リッテル大公が二人きりの時にさらっと、
「どうも、フィリップは変…辺境騎士団にさらわれたらしい。屑の美男認定されたんだな。二度と、君に害を及ぼすことはないだろう」
リッテル大公がもしかして、彼らに通報した?
フィリップ第二王子を、彼らにさらわせる為に。
怖い人‥‥‥でも愛しい人。
リッテル大公に守られて、幸せを感じるクラウディーヌであった。
そして今日、リッテル大公と結婚する。
控室で大きな鏡を見れば、真っ白なウエディングドレス姿の美しい自分が微笑んでいた。
鏡の中のファデリーヌが話しかけてくる。
(もう、わたくしは必要ないわね。わたくしは消えるわ。クラウディーヌ。強く生きるのよ。陰からお母様と一緒に応援しているわ)
何かがスっと消えていく感覚がした。
ファデリーヌがいなくなったのだ。
涙が零れる。
でも、きっと彼女は傍で見守っていてくれる。
有難う。ファデリーヌ。わたくしは今日、リッテル様と結婚します。
何があっても強く生きるわ。
これからもお母様と一緒に見守って下さいね。
空は晴れ渡り、教会の鐘が鳴り響く。
決意を新たに、控室から出るクラウディーヌであった。




