コインランドリーに温もりを見出す季節がやって来た
洗濯機を買う機会を逸してから随分と時が流れた。どんな時であっても軽率に購入を決めない慎重さが美点であると自負している。家電とは、いわば長い付き合いになる同居人のようなものだ。場合によっては同棲していた人間よりも長い付き合いになることもある。婚約解消や別居、離婚によって人間と別れる時は概ね清々しい気分になるものだが、家電をどのように分けるかという点では大いに紛糾するだろう。それまでの生活を振り返った時、間違いなくこれから別れようという人間よりも自分に親身になってくれた存在であろうから。
そのため、生涯の伴侶を選ぶような気持ちで洗濯機とは向き合う必要があった。ドラム式か縦型か、日本製か海外製か、ヨドバシカメラかビックカメラか、夕飯はレバニラ炒めと酢豚のどっちにするかなど、検討する事項は多岐にわたる。しかし、あれこれ考えているうちに私の心には洗濯機に対する申し訳ない気持ちが芽生え始めた。どんな種類のものであれ、洗濯機は衣類を綺麗にする技術は私より優れているはずだ。そんな存在に対して上から目線で品定めするような烏滸がましさに戦慄を覚え、私は量販店の洗濯機コーナーの立ち寄ることも、カタログを片手に煩悶とすることも出来なくなっていた。
インターンで会社にやって来た素人がベテラン社員の働きぶりにケチをつけるようなもので、将来その会社とご縁があった場合、どんな意地悪をされるか分かったものではない。
このようなやむに止まれぬ事情があり、私は洗濯機の購入を断念し、洗濯は近所のコインランドリーの世話になることとした。そのコインランドリーは洗濯機と乾燥機が分かれており、一回放り込んだらお終いというわけには行かない。家に戻るにも用事を足すにも中途半端な時間のため、必然的にコインランドリーの中で待機することが多くなる。そこにいる燻し銀の洗濯機や乾燥機たちは、クーラーなどという流行り物の家電とは反りが合わないようだ。夏場はなかなか過酷な環境となるが、寒くなってくると機械から発せられる熱が心地よい空間を作り上げる。
機械たちが奏でる規則的な音楽と程よい熱気が支配する静謐なる空間。冬場のコインランドリーはまさしくそのような場所なのである。ぼーっとしていても洗濯が終わるのを待っているのだという言い訳を与えてくれる優しい場所でもある。もしも私が子供たちで賑わう公園のベンチで虚な目で空を見つめていたら、不審者としてのレッテルは免れないだろう。この点、コインランドリーはやることがない人間を受け入れる懐の深さがある。狭くとも奥ゆかしく、家庭や会社に居場所がない人間が最後に行き着く楽園がコインランドリーではないだろうか。
しかし、他の利用者と鉢合わせた時の気まずさにはいつまでも慣れることがない。別にやましいことをしているわけではないし、見知らぬ人間に身の危険を感じているわけでもない。確かに色んな種類の人間と出くわすことになり、中には怪しげな者もいるが、相手から見れば私も胡散臭い人間だろうからお互い様だ。自分が人畜無害な聖人のように見えるなどという驕りはない。そんな時はそっと外に出てちょっと時間を置いて戻ることにしている。
コインランドリー通いも随分長いが、利用料金や自宅から洗濯物を抱えて往復する労力を考えれば、洗濯機を購入する方がお得なのは間違いないだろう。しかし、目先の経済的なお得よりも精神的な満足を優先するのが私という人間である。決して、洗濯機選びが面倒くさいというわけではない。終わり




